第2話 はじめまして
はじめまして。
この物語は、桜を追いかけて日本を旅する青年の話です。
仕事に疲れ、少し立ち止まってしまった主人公カナタが、軽キャンピングカー「あお」で桜前線を追いかけながら日本を北へ旅していきます。
満開の桜だけではなく、散り始めた桜、葉桜、そして桜のない道もあります。
旅の中で出会う人や景色、そして小さな思い出が、少しずつカナタの心を前に進ませていきます。
ゆっくりとした旅の物語ですが、よかったらカナタと一緒に春の日本を旅してみてください。
第2話 退職届
次の日の朝。
カナタはいつもより少し早く目を覚ました。
部屋の中は静かだった。
小さなアパートの一室。
五年間住んだ場所。
特別な思い出があるわけでもない。
でも、ここで暮らしてきた時間は確かにあった。
カナタは台所でコーヒーを入れる。
湯気がゆっくり上がる。
窓の外を見ると、空はよく晴れていた。
まだ少し寒いけれど、
冬の終わりの空だった。
カナタは机の上を見る。
そこには、一枚の紙が置かれていた。
退職届。
昨夜、何度も書き直した紙だった。
本当に辞めていいのか。
何度も考えた。
旅なんてしてどうするのか。
お金だって、そんなにあるわけじゃない。
でも。
あの桜を思い出した。
まだ咲いていない桜。
それでも、綺麗だと思った。
カナタはコーヒーを一口飲む。
そして、小さく息を吐いた。
「……よし」
紙を封筒に入れる。
今日は仕事の日だった。
カナタはいつもと同じように工場へ向かった。
工場の中は、いつもと同じ音だった。
機械の音。
金属のぶつかる音。
油の匂い。
カナタは作業服を着て、いつもの場所に立つ。
でも今日は、少し違う気持ちだった。
昼休み。
カナタは事務所のドアをノックする。
「どうした?」
上司が顔を上げる。
カナタは封筒を差し出した。
「これ……お願いします」
上司は封筒を開く。
退職届。
少し驚いた顔をした。
「急だな」
カナタは少し笑う。
「ちょっと、旅に出ようと思って」
上司はしばらく黙っていた。
それから、ゆっくり言った。
「そうか」
怒られるかと思っていた。
でも、そうではなかった。
「五年、ちゃんと働いたからな」
上司は椅子にもたれる。
「たまにはそういうのもいい」
カナタは少し驚いた。
「……ありがとうございます」
頭を下げる。
工場を出たとき、空気が少し軽く感じた。
不安はある。
でも。
それでも、前に進んでいる気がした。
カナタは駐車場を見る。
そこに停まっている車。
青い軽自動車。
五年前に買った、通勤用の車だった。
カナタはその車を見ながら思う。
「これで旅できるかな」
しばらく考える。
豪華なキャンピングカーじゃなくてもいい。
少し寝られる場所があればいい。
カナタはボンネットを軽く叩く。
「まあ……なんとかなるか」
そのとき、カナタはまだ知らない。
この青い車が、
これから長い旅の相棒になることを。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この物語では、日本のいろいろな場所を旅しながら、桜と人の小さな物語を書いていきたいと思っています。
桜は満開の時間がとても短く、同じ場所でも少しの時間で景色が変わってしまいます。
その変わっていく景色も含めて、旅の時間なのだと思います。
満開の桜だけではなく、散った桜や葉桜、そして桜のない日もある旅になりますが、ゆっくり読んでいただけたら嬉しいです。
もしよろしければ、ブックマークや感想などいただけるととても励みになります。
これからもカナタの桜の旅は続いていきますので、よかったらまた次の話でお会いできたら嬉しいです。




