表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

夢見の人

作者: 安田ドア

某文学賞の最終10作品くらいまで残ったもの。もう随分前だから、ここにもアップしてしまお。

 遥か遠い都心にかぶさる薄雲は、雪洞を灯すようにほのやかに雲下のネオンを映していた。翻ってこの窓から見下ろす家々の灯りはまばらで、随分と涼しさを纏い始めた風に乗って、耳を澄ませば初秋を知らせる虫の歌声がそこかしこから聞こえ始めているのであった。


 シャワーの後、半分濡れたままの髪をタオルでまとめると、首筋に向かって早くも冷気が下ってくるようだった。ウォールナットの棚からヴィンテージのウィスキーを取り、5分の1ほどグラスに注ぐ。あらかじめスイッチを入れておいたケトルでそこにたっぷりとお湯を足すと、夜の部屋にふわりと穀物の香りが漂った。ダイニングテーブルに置かれた籐籠からレーズンの小瓶も手に取り、開け放った窓際に腰掛けた。


 もう20年ほど経つだろうか。労働力集約策の一環により郊外に向けて新たに敷かれた高速鉄道沿い、緩やかな丘の上にこの街はできた。駅を中心として少しいびつな放射状に道路が張り巡らされ、分譲された区画のひとつひとつは随分と余裕のある作りになっていた。この街に越してきた頃、と言うか、物件を見るために初めて降り立ったときから、ここはどこかに似ている気がしていた。何となくそう感じたきり、結局それは記憶の引き出しのずっと奥の方にしまいこんだままとなっていた。

 ところがつい先日、気まぐれに駅からの帰路を少し迂回した先で庭のツゲの木を見事な白鳥型に剪定しているところに遭遇した折、とてもおかしな言い方だけれど、思い出したかのように思い出したのだった。寡黙なおばあちゃんが大好きだった『シザーハンズ』という古いファンタジー映画に出てくる住宅地の雰囲気に、ここはとても良く似ていたのだ。幼い夏、親戚たちがおばあちゃん家に集まった夜、BGM代わりにおばあちゃんは決まってその映画を流した。大人達がお酒を酌み交わしているその横で、サーキュレータの風を前髪に受けながらおばあちゃんと二人でその映画を何度も鑑賞した。大きなハサミの手を持った主人公が、庭木をあっという間に美しく刈り込むシーンが大好きだった。何回見ても飽きなかった。そっか私、だからこの街に決めたんだ、と今更ながら気付いたのだった。

 映画の中の街には及ばないかもしれないけれど、この街にも至る所に小さな緑地が設けられ、更に外縁に広がる青い森も手伝ってか、都会よりも早く秋が訪れるようだった。


 ゆるく握った手からお砂糖がこぼれ落ちるように、さらさらと流れてくる風が首筋のおくれ毛を揺らした。袖机のいちばん上の引き出しを開け、重たい眼鏡を取り出す。机上に置かれた黒い直方体状の端末の電源を入れ、アプリケーションを立ち上げる。まだ熱いグラスに気をつけながらウィスキーを少し口に含んだ。鼻腔に立ちのぼる樽香が消えぬうちにレーズンをひとつ噛むと、途端に初夏のような晩秋のような、甘い豊潤の景色が口の中に広がった。その充足を感じてからそっと眼鏡をかけ、新月の夜景に目をやる。



 比喩などではなく、漆黒の空中にぽつりぽつりとスクリーンが浮かぶ。瞬間浮かんでは消えるものもあれば、長くそこに佇んでいるものもあった。

 音声のない映画の予告編があちこちで上映されているような、そんな光景。あるものは鮮やかに、またあるものはモノトーン、あるいはセピア色に滲んでいた。それらの登場はいつも突然で、実はネガ・フイルムを重ねるように各地点に固定されて見える。そのすべてがフェードアウトの映像、もしくは実像とも言えるかも知れなかった。


 その不思議なスクリーンの正体は私しか知らない。それは「夢」なのだ。眠っているときに見るあの夢。私のものではなく、顔も知らぬこの街の誰かが見ている夢々がこうしてスクリーンに映し出されているのであった。この光景をどう例えたらいいだろうか。そうだ。例えば夜(特に休前日とか)、駅前の雑踏で立ち止まってみるといい。喧噪の波を逆流しているかのような錯覚の中で、瞬きの度に眼前の世界は変化する。聞こえてくる会話だってくるくると場面が変わる。その擬似トリップとも言えるようなものに似ている。とは言え、このことは誰にも話すつもりはないから何かに例える必要はないのだけれど。


 この重たい眼鏡は、夢を可視化する装置なのだった。正確に言えばそれは装置の一部分に過ぎない。さっき立ち上げたアプリケーションと、サーバに蓄積されたデータ群がこの装置の要だ。


 10年前(本当に今月でぴったり10年)、私は勤め先の研究所を辞めた。チームリーダーを務めてはいたが、ごく一般的な、ありふれた女子研究員だったと思う。それなりに着飾るのも好きだったし、ネイル教室にも通った。スペイン料理が大好きで家でもよく作る。お魚を捌くときにその小さな頭の解剖にまで手を出してしまうのは職業病だとしても、知人に振る舞う魚介のパエリアはいつも好評だった。そんな研究員はどこにだっている。


 私が大学に入学したのは当然それよりもっと前の話なのだけれど、すでに「リケジョ(理系女子)」なんて言葉がすっかりと古びた言葉になっている頃だった。と言うか、そもそも医学部の頃はそんな言葉は知らなかった。大学院で私が在籍した医系システム研究科(「イシス」と呼ばれていた)でお世話になったエリカ先生が盛んにおっしゃっていたから初めてそんな言葉を知っただけのことだった。

 エリカ先生の恩師もまた女性だったらしく、「私の先生はリケジョ第1世代だったから、私は“リケジョ第2世代”よ」と何度となく聞かされてきた。「第2」のところでVサインを作るのがエリカ先生のお酒の席での癖だった。今ではさほど珍しくもないけれど、当時はまだその分野で教授を務めていた女性は日本に数名しかいなかったのだった。「理系」にわざわざ「女子」を付けるなんてあまりに前時代的な感じがして、エリカ先生も含めその頃の女性研究者には私には分からないようなご苦労があったんだろうなと思ったけれど、その率直な感想を伝えるとエリカ先生は、「やだ、そんなこと言ったら私が随分化石めいたおばあちゃんみたいじゃない」と笑うのだった。考えてみれば実際そのとおりで、医療系システムの開発研究に特化した研究科の設置も国内ではウチの大学院がその嚆矢だったし、ここ数年でようやく各地に満遍なく浸透したと言う段階であり、それほど極端に遠い昔の話ではないのであった。


 その頃、実際の医療の現場ではロボット技術やVR技術の活用も含め、一貫した医師の手による手術というものがすでに珍しいものになっていた。国内の全手術の約7割が完全にオートメーション化され、医療事故もほとんど皆無という状況ができあがっていた。人工知能が指揮を執り、膨大に蓄積されたデータ解析結果を参照して随時最適解を求め、ロボット治療にまでつなげることでそれが実現されていた。

 治療作業中に秒以下の単位で現況を観測・再計算して過去の実績データから先手を読むこのシステムには人の頭脳を遥かに凌いだ囲碁ロボットの技術も応用されていた。院生の頃、帰省した折に囲碁の達人でもある私のおじいちゃんにその話をすると、「やっぱり囲碁はいいね。いいものだぞ。とにかくね、あれは普遍的に奥が深いんだから」と至極ご機嫌になってお土産のフィナンシェを頬張っていた。かと思えば「おまえももっと真剣に囲碁をやっとけばよかったんだ。だからおじいちゃん言っただろ」と、小学生の頃おじいちゃんのしつこい囲碁指導から逃げ回っていたことも思い出させてしまい、この話をしたことを少し後悔したのであった。


 とにもかくにも、実際の治療現場が自動化された現在では、医学系の研究が治療作業に関係するシステム構築、つまり工学的アプローチやプログラム開発の分野にも向かうのはごく自然な流れだったと思う。医師として直接現場に関われないにせよ、そうした研究は技術的側面から医療に寄与するために一層の進展が期待されている分野だし、そこに確かに貢献できているという自負が私自身にもあった。


 大学院を修了すると、私は民間の研究所に就職した。エリカ先生の専門でもあった脳科学分野に強い大手の研究所で、脳内の電気信号の解析を用いた高反応の義手・義足、特殊な端末を介したより自然な会話システムの研究・商品開発などで定評のある研究所だった。経常利益だけを見れば医療・薬事系の一般企業を上回る程の成果を上げている研究所として度々メディアにも取り上げられていた。

 勤め始めてから9年が経った頃、私がリーダーを任されたチームにも研究所で1、2を争うくらいの予算が付くようになり、私は微細な脳反応をも遠隔から測定できる装置の技術開発に成功した。その年の12月半ば頃のことだった。年度内には目処をつけたいと思っていたところ、予想外に早く成果をあげることができたから半信半疑で幾度と無く確認のための実験を繰り返したくらいだった。


 誰もが知っているように、諸々の認識というものはすべて脳内で驚くべき速度で処理されている。人体の各器官で受けた外界情報は、脳内ではニューロンと呼ばれるものの中で超高速の電気信号となって伝達されている。植物のようにびっしりと根を下ろしているニューロンは他のそれや神経組織と手をつなぐよう存在していて、その繋いだ手の部分はシナプスと呼ばれている。ニューロンは人のように話すことがままならないけれど、電気信号を受け取ったシナプスは今度はそれを化学物質に翻訳してさらさらと放出し、相手方のシナプスがそれを読み取ってもう一度電気信号に翻訳し直すという、いわば伝言ゲームなことをしている。人にとっての言葉が、ニューロンにとっての電気信号や様々な化学物質と言えば分かり易いだろうか。大学に入って最初にこのことを聞いた講義後、ランチのときに「手で会話するってなんだかかわいい」って同じ学部のトモダチに話したら「手?ああ、シナプスのこと?小学生みたいな発想だね」ってケタケタ笑われたけど、私が不可思議な脳内言語に本格的に着目し始めたのは確かその頃からだった。


 装置の中枢となる技術開発の直接のきっかけは装置完成の2年程前、医療とは関係のない国立の化学技術研究施設が微量とも呼べないような本当に僅かな量の化学物質を、中性子の反応から二次的に検出する装置の開発に成功したことにあった。その記事を何気なく手にした学会誌で読んだ瞬間、私の研究所が当時すでに開発していた脳内の微弱電流を遠隔から測定できる装置と掛け合わせた仕組みを思いついたのだった。電気信号と化学物質により行われている脳内言語の、言わば口語訳ができるかもしれないと考えたのだった。



 クリスマスの翌日、予定していなかったはずの忘年会を急遽ささやかながら研究所の空室で行うことになった。ケータリングのお料理に加えて簡単なスペイン料理も振る舞った。


 「実験用のバーナーで作るアヒージョって、なんかアレっすけど、でも美味いっす」


 いちばん若手の松葉君の言う通り確かにちょっと雰囲気はアレだけど、キャンプみたいにみんなでいただくお料理の席は久しぶりに賑やかく、窓の外で舞い始めた粉雪が駐車場の灯りに煌めいて、部屋の蛍光灯さえもイルミネーションのように感じていた。



 年度が明け、ついに完成させたそれについて学会発表する前に、どこで知ったのか某国の機関から連絡が来た。国の息のかかったその機関からは法外な契約料に加え、以後30年に渡る年間の使用権料を提示され、私が開発した技術はその機関に使用権が与えられることで話が進んでいった。表向きは医療関連の法人だったが、実際は怪しいものだった。都市伝説めいた噂も耳にしたことがあった。友好関係にある国の機関だったし、日本の国内機関にも技術共用を認めるというオプションが付いていたことで政府から大した引き止めもなく、契約は随分とあっけなく、密やかに締結される運びとなった。過去に、国内の某研究所が開発した化学技術が軍事利用目的で買い取られたことを思い出していた。結局その研究はすぐに頓挫したから良かったものの、私はそれと似た恐ろしい企ての片棒を担ぎかねない状況がすっかり怖くなってしまい、この研究所を後にしようと決めた。


 「よくあることだし、そんなに深刻に考えなくても」

 この手の研究所には珍しく営業力のある上司は、よく日焼けした腕をワイシャツからのぞかせながら半ば困ったように笑っていた。実際、そうかもしれないと思ったし、今でもそれが一般的な考え方だろうと思うけれど、もう一切関わりたくはなかった。


 退職の直前、契約は正式に結ばれた。ただし、契約金・技術使用料の10分の1は私が受け取るという条件で。数年前に、開発者の権利が大幅に保護されるような法改正があったおかげで、私の了承がないと契約は締結できなかったのだった。本当はその倍程の金額を受け取る権利があったけれど、それを研究所の取り分とすることで即時退職をスムーズに受け入れてもらった。

 退職する日には、仲間から控えめな青い薔薇の花束とともにスコッチウィスキーをいただいた。研究チームが発足した年に醸造されたものだった。ウィスキーはあまり飲んだことがなかったけれど、本当に嬉しかった。今思えば若干過剰な臆病風にも苛まれていた当時の私は、もしかしたら自分のように葛藤を抱えながら研究を続けているメンバーもいるのではないかと考え、少しいたたまれないような気持ちにもなっていた。拍手を浴びながら花束とウィスキーを受け取る私は、少し引きつっていただろうか。思い出すとそれはそれでまた申し訳なく思った。


 退職した年、契約金の取り分とともに、15年分の技術使用料を一括で受け取った。定年まで研究所で働いていたとしても、その生涯収入の数倍を超えるほどの余りある金額だった。半年後には中古で郊外のこの高層マンションの一室を購入し、残ったお金で自分だけの研究を続けた。近所の倉庫も購入して研究所と同等以上の設備を導入し、改良を続けた。そして脳内の様々な微弱反応をより高精度に遠隔測定できる装置を完成させた。

 それから更に8年ものあいだ、報酬を支払って数万人の被験者を募り、同時に何人ものデータ処理のアルバイトを雇いながら被験者の脳内の電気反応、および化学物質の種類や量、活動部位や視覚情報、加えてそのときの気象条件、被験者の健康状態や1週間に摂った食事等に至るまで、ありとあらゆるデータの蓄積を取り、装置に掛け合わせた。

 そして電気信号のパターンと化学物質の量と構成、脳領域の活動場所の詳細な測定値から、脳内で認識されている像を判別することを可能とした。すでに2010年代にアメリカの研究施設が“夢”の可視化に成功しつつあったが、ついに私はどこの学会や学術誌に発表するでもなく、より高精度の可視化にこぎつけたのだった。それは統計的にできうる極限にまで高めたものだった。精度の到達可能限界値もまた人工知能により計算させ、その限度の99%にまで達するまでひたすらデータ集積を続けた賜物だった。そしてこの遠隔測定技術とGPSデータと掛け合わせることで、まるで広げた地図にピンを刺すように、夢の主がいる場所にスクリーンが浮かぶ、この特殊な眼鏡型装置を作り上げた。



 「まさに“夢の技術”ね」

 独り言をつぶやきながらレーズンをまたひとつ頬張った。ほんのりと酔いが回り始めて、捲っていたパジャマの袖を手首まで伸ばした。

 装置の完成以来、映画でも見るかのように毎晩この夜空を眺めて過ごした。特に目的なんてものはなかった。覗き見趣味と言われればまあその通りというだけのものであった。私がこの装置を完成させるまでの間に、その基礎技術を転用した医療機器が国内の別の機関により実用化され、病気や障害を持つ人たちのコミュニケーションの円滑化に少なからず貢献している様子だった。「海外の軍事技術を平和的に転用させた賞賛すべき事例」などと世間を騒がせたりもしていた。



 数日が経ち、瓶の琥珀も残り僅かとなっていた。そしてこの夜も街の外れに小さく浮かぶ、ある奇怪なスクリーンがあった。いつものように、頬杖をつきながらそれをしばらく見つめた。

 それに気がついたのは半月ほど前だろうか。それは他の夢とは決定的に違っていた。装置を起動してから終了させるまでの間、ずっとそこに浮かんでいる。他の夢は、なんてことのない日常の光景だったり、残酷なものや卑猥なもの、訳が分からない突飛なものなど、とにかく何かしらの物語性があるものなのだが、それはずっと同じ光景が、まるで額に入れた油絵のように穏やかにそこに留まっていた。青い空と少しの雲、端の方に揺れる枝が見えるだけの光景だった。最初は何かプログラムの不具合で、集積されている画像サンプルのひとつがそこに表示されているだけだろうと思っていたのだけれど、いくら調べても、と言うか、調べる程にその類いの不具合が生じる可能性は排除されていったのだった。


 グラスに残る琥珀を口に含んだ。こくりと嚥下し、最後にもうひとつだけレーズンを瓶から取り出し、奥歯でゆっくりと噛んだ。押しつぶされた肉の濃い紫が夜とシンクロしていく様を想像した。しかしウィスキーはすでに冷めていたから思ったほど樽香は立ち上がらず、熟れた葡萄の甘味が、頬の内側で過剰にまとわりついた。


 眼鏡を外し、アプリケーションを終了させた。電源が切れたことを示す赤い小さなランプが、癇癪持ちの蛍のようにせっせと指先のあたりを照らしていた。

 忘れ物を思い出したかのようにすっくと立ち上がって頭に巻いていたタオルをほどき、幾分か湿り気の残る髪に指を通した。また少し軽くなったレーズンの小瓶を籐籠に戻し、グラスをシンクに置く。空になるにはまだ幾日か掛かりそうなウィスキーの瓶を何気なく確認して腰に両の手を当て、ふうっとひとつ息を吐いた。


 「よし」

 洗面台に向かい、ドライヤーで一気に髪を乾かした。少し白が混じりはじめた髪を半ば乱暴に結び、トレーニングウェアに着替えた。再び机上の端末の電源を入れ、念のため眼鏡型装置と携帯型端末をコールマンのリュックに詰めて家の鍵を手に取り、一瞬の躊躇のあと、玄関を出る。あの夢の主を見に行く。そう思ったのだった。


 我ながら意外なことだった。少し馬鹿げているかしら、とも思っていた。これまで散々他人の夢を見てきたが、それがどこのだれのものかなんて、一切気にしたことはなかった。装置が完成したことの満足の方が勝っていて、夢の主のことなど取るに足らないものだと思っていたのかもしれなかった。あるいは今日はいつもよりも酔いが回っているのかも。さっきまで手にしていたグラスを思い出していた。藍色の切子のグラス。ウィスキーは格子模様の底から2つめまで注いで、お湯は上部に刻まれた草を模した部分の先端までたっぷりと。「いつもと同じだったんだけどな」そんなことを思い出したすぐ後に首を振った。どうでもいい、そんなことはどうでもいいから、今はとにかく出発。そう思っていた。


 昼夜を問わずあの夢の主は一箇所に留まっているに違いなかった。そうであれば、この夜が明けてから、もしくは日を改めて出立しても良かったのだけれど、明日になったらもうあの夢は現れないかもしれない、そんな可能性がよぎったのだった。可能性を断ち切るまで頑固に行動を押し通す。どうやらそれが私の性分らしい。

 一方でこうも思っていた。そもそも本来儚いはずの夢が何日も固定されていることが寧ろ異常で、その異常点を確認したいという衝動は曲がりなりにも科学者であった私にとっては道理にかなったものであり、断じて酔いのせいではないはずだ。


 「そう。そうだよね。うん、理にかなってる」

 だれかにうまく言い訳ができたときのように安心していた。


 GPS情報の正確な数値は頭に入っている。だって毎晩見てきたから。装置の起動中、眼鏡型端末の右レンズ脇にある突起部分をタップすると、位置情報をはじめ様々な付属情報が表示される仕様だった。趣味で付けたような無駄な機能が存外役立った。

 手持ちのタブレット端末で今いる場所の位置測定はできる。しかもあの夢の周辺に他の夢が表示されることなどほとんどなかったから、夢の主は、ぽつんと独立した家に住んでいるか、小さな病棟にひとり長期入院しているような人物に違いなかった。いずれにしても近くまでいけば特定は容易だろう。あの距離なら1時間ほど歩けば着くはずだ。


 週3日のジム通いで体力には自信があったけれど、歩き始めたら1キロ程度で思いのほか疲れてしまった。もう若いとは言えなくなってしまった自分の肉体に失望を感じつつ、それでも深夜の住宅街を歩き続けた。


 1時間半が過ぎた。自宅から眺めているときは、その先が少し谷になっている地形の関係で気付かなかったがそこはもう隣の路線の郊外と呼べる場所であり、副都心のようなものを形成しつつあったオフィス街(と呼ぶにはまだ規模が小さいが)となっていた。おそらく平日は駅から直行バスがピストン運行しているのだろう。幾人ものサラリーマンが最新の自動運転バスに無言のまま詰め込まれている様が想像できた。


 想定していた風景とは随分異なっていたのでいくらか戸惑ったけれど、手許のGPS情報もあの夢の場所が確かに間近であることを示していた。

 周囲を見回しても天を仰ぐような超高層のものではないが、それでも30m程の高さを超える新しいオフィスビルがいくつも建っている。もう件の夢は目の前のはずなのに、そこには人の気配がまるでなかった。そればかりか、そこには住宅すらない。ちょうど建築物の間に在る作為に満ちた空間。冷たいベンチ、潤いのない噴水、身勝手のつまったごみ箱、そんなものばかりだった。


 「どういうこと?」

 途方に暮れてよいしょとリュックをおろし、携帯型端末を自宅の装置本体に接続した。眼鏡を掛け、反応が遅いシステムに若干苛立ちながら周囲を見渡した。空に浮かぶ夢はひとつだけ。ほんの50mほど先だろうか。建物の影となっていて夢の持ち主がいるはずの地上は確認できない。ベンチの前を通り、噴水脇を抜ける。コンビニ袋に入ったゴミをひとつ避けて暗い公園を進むと、大きく浮かぶ夢の目の前に出た。青い空と少しの雲、揺れる枝先。いつものあの夢だった。

 浮かぶスクリーンを確認してから眼鏡を外し、ゆっくりと視線を下げた。



 そこに主はいた。ぽつんと、枯木がいた。



 脳を持たない植物が、果たして私の装置に反応するものだろうか、あるいは樹木だって生体ではあるから、幹を流れる僅かな電気信号や何らかの脳内化学物質に似た未確認の成分があるのかもしれない、などと一瞬間閃いたけれど、それとほぼ同時に、そんなこと一切は取るに足らないことじゃないかと思い直していた。


 このオフィス街ができる前からこの場所にあったのだろう。随分朽ちてはいるが、桁違いに太い幹から推定すると相当な樹齢に違いなかった。この街ができる以前、この辺りは広大な森だったはずだった。周りの比較的若い樹木は切り倒され、ひときわ大きな彼だけが、この造成された公園の隅に残されたのだろう。昔は集落の外れだったこの場所で、春は蝶が舞い、夏になれば子供達がカブトムシや蝉を捕まえようと彼をくすぐっただろう。


 「あなただったのね」


 背の伸びた草をかき分けて歩を進め、そのささくれ立った堅い幹に手のひらをあてた。足下から聞こえる虫の音が、遥か枝先に見える星空にも届いているに違いなかった。ほの温かいその肌は、不思議に抱きしめたくなるような弾力を秘めているような気がした。


 どうか虫の歌に紛れますようにと願いながら、私は思った。

何年、ここで同じ夢を見ていたのですか。ビルの影の中、待っていたのですか。

その根は、枝を更に高く伸ばそうと、大地の果てまで彷徨していたのでしょう。届かなかった不運に絶望もしたことでしょう。それでもまだいつかは願いを果たそうと、鮮やかな記憶を持ち続けていたのでしょう。


 改めて仰いでも、懸命に伸ばす最上の枝に葉は一片もなく、つと私の頬に伝うものがあった。叶うことのなかった静かな願いが逝き、鮮やかな夢となったことを知ったのだった。おそらくは私の存在を感知せず、何十年と続く同じ夢に今日も眠る彼の柔和な表情にひとつ笑みを返し、その場を離れた。再びかき分けた草の間から、バッタが静かな羽音を立てて闇に飛んでいった。


 きっと彼はこれからも同じ夢の中で鮮やかな昼間を過ごすことだろう。覚醒の世界をむしろ虚構だと欺瞞するだろう。


 それでもいい。それがいいよ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ