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贅沢な身の上  作者: やなぎ怜


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(5)

 思ったよりも上手くできたと自画自賛したくなるブラウニーが載った皿が三枚。そして牛乳の入ったマグカップが三つ。


 おばさん――紅壱と乃蒼の母親――は今日はデートとのことで珍しく不在だった。


 隣家のリビングルームでダイニングテーブルを紅壱や乃蒼と囲むのは一度や二度のことではないから、それ自体に緊張は覚えなかったものの、なんというか……空気が重い。


 もちろんその理由がわからないわけではなかったが、ふたりともが落ち込んだ様子なのは少し意外というか、逆に当事者のくせして私があまりダメージを受けすぎていないというか。


「……あれだけでもうじゅうぶんだから、これ以上なにかしちゃダメだよ?」


 未だに名前が思い出せない、先ほどの最悪な男子生徒を前にしての紅壱と乃蒼のやり取りを思い出し、一応、釘を刺しておく。


 ふたりは同時にブラウニーが載った皿から私へと視線を動かし、また同時にバツの悪そうな顔をした。


 紅壱と乃蒼は一卵性の双子だが、もちろんそれぞれ別個の人間である。それでもこういうときに行動やらなんやらが被るのを見ると、濃い血の繋がりみたいなものを勝手に感じてしまったりする。


「怒ってくれたのはうれしいけど、暴力はダメだからね? ふたりが停学になったりしたら私学校行けなくなっちゃうし」

「……わかってるって」

「たしかにそれは困る」

「ね?」


 わざと気安い言葉を使ったやり取りのあと、私たちのあいだに不自然な沈黙が落ちた。


 紅壱も乃蒼も、私には甘い。だから、私が「暴力はダメ」と言えば従ってくれるだろうという確信はあった。


 落ちた沈黙はいつもと違って居心地が悪い。


 その理由が察せないほど私は鈍感ではなかった。


「聞いた?」


 「どこで」とか「なにを」といった重要な部分を省いての、意地悪な問い。


 けれども私のそのひとことでふたりともなにを聞かれているのか、きちんとわかってしまったようだ。


「えっ、なんのこと?」


 紅壱はすっとぼけた顔をしてそう言ったものの、声が上擦っている。


「…………」


 乃蒼は難しい顔をしてわざとらしく視線をあらぬ方へと向けて、だんまりだ。


 ふたりとも、嘘をつくのが下手すぎる。


 けれどもふたりのその態度が優しさから来ているものだということはわかる。


 恐らくふたりは私とあの男子生徒とのやり取りを、どこからかは定かではないものの、聞いてしまったはずだ。


 気になるだろうに、それでも強く聞き出そうとはしない姿勢に、今さらながらふたりの成長、みたいなものを感じて感慨深い気持ちになった。


「……なんか誤解があったりしたら嫌だから言っておくけど」


 私が居住まいを正してそう切り出すと、それに合わせてかふたりとも背筋をぴんと伸ばし、ちゃんと私を見てくれる。


「昨日、政府からの通知が送られてきてさ。私って、妊娠しにくい体質らしいんだ」


 「だから、あの男子が言ってたことは本当」。できる限りフラットな声を心がけて、ことさら明るくも、深刻すぎる空気も出さず、私は言い切った。


 実際、私はまだことの深刻さを完全には理解できていない面がある。


 まだ薄っすらと残る前世の記憶。こことは違う常識の世界で生きていた記憶。それが私を夢見がちな人間にしている。


 ふたりに慰めて欲しいわけではなかったことも、深刻には告げなかった理由のひとつではある。


 ふたりに言わないという選択肢だってあった。


 私たちは恋人同士じゃない。ならば私が妊娠しにくい体質であると告げる義理はない。


 けれども私は、ふたりから好意を寄せられているという自覚があったから、これを告げないのはなんだかフェアじゃない気がした。


 ふたりがどう考えているかは知らないけれど、将来的に子供を望むのであれば、学生の内から具体的な行動に移さなければいけないという過酷な世界なのだ。それを思えば、私の体質についてはちゃんと言っておくべきだと思った。


 私がされた仕打ちに怒ってくれたのだから、なおさら。


「もしかして噂になってたりする?」


 従姉妹のミリカの顔が嫌でも浮かぶ。プライドが高いがゆえに私を目の敵にしているふしがある彼女。


 そんなミリカだ。私が「最低ランク女性」になったと知れば、嬉々として噂をほうぼうにばら撒くところは容易に想像がついた。


「……亜白のイトコが色々言ってた。すぐに信じたわけじゃないけど」

「あー、やっぱり? でもそれ本当のことなんだよね」

「本当のことだからってあちこちで噂ばら撒いていいわけじゃないだろ」

「まあプライベートにかかわることだからね。よくないけど」


 三度、沈黙が落ちた。


 紅壱も乃蒼も、私になんと声をかけるべきなのか、どういった反応が適切なのか、探っているような空気があった。


 前世の記憶を持つ私だって、友人にいきなり「私妊娠しにくい体質なんだー」ってカミングアウトされたら返事に窮するだろう。ふたりは高校生なのだから、なおさら最善手なんてわかるはずもない。


 なんだか私は、ふたりに酷なことを強いてばかりな気がする。


 ――やっぱり、もっと明るく「気にしてないよ」って空気を出して言うべきだったかな……。


 私がそうして物思いにふけり、思わずうつむいてしまったそのつむじに、紅壱のきっぱりとした声がかかった。


「相性診断受けようぜ」

「え?」

「ああ、相性診断か。それいいね」

「あ、相性診断……?」


 もちろん、言っている意味がわからなかったわけではない。ただ、なぜ突然紅壱がそのようなことを言い出したのかがすぐにはわからず、私は間抜けな声でオウム返しをするしかない。


 そんな私の前に、紅壱がスマートフォンの画面を突きつけるようにして見せる。


 画面に映っていたのは、政府が提供する相性診断サービスの公式サイトと思しきページだった。


「これこれ。無料で受けられるって書いてあるし、今度行こうぜ!」

「どうして?」


 混乱した私の口から出たのは、そんな言葉だった。


 紅壱と乃蒼は、私の言葉を聞いて、ぱちくりと不思議そうに瞬きした。


「「亜白のこと好きだから」」


 ふたりの声が被る。しかもそのセリフは一字一句同じだ。


 途端に紅壱と乃蒼は剣呑な表情で顔を見合わせた。


 それを見て、私は思わず吹き出してしまった。


「そっか」

「あー! もしかして信じてない?!」

「そんなことはないけど……」

「知らんふりしてたくせに……」

「それは……そうだけど。ふたりだって私が距離を置こうとしたら知らん顔してついてくるじゃん」

「亜白が好きだから!」

「好きだから、そりゃ追いかけるでしょ」

「ふたりから『好き』って言われたの、初めてな気がする」


 私がそう言うと、紅壱と乃蒼は今度は視線だけをかち合わせた。アイコンタクトというやつだろうか。


「そりゃ、『好きだ』って言ってフラレたらイヤじゃん?」

「いつかは言うつもりだったよ。……まあ、今日言うことになるとは思ってなかったけれど」


 私はもう一度、「そっか」と言った。


「……それで、相性診断受けて『相性最悪』ってなったらどうするの?」


 我ながらまた意地悪な問いかけをしてしまった。けれどもどうしても、聞かずにはおれなかった。


「そうなっても亜白が好きな気持ちは変わらない」

「相性診断ごときで冷める恋だとでも?」

「っていうかオレたちなら『相性最高』! って出るからだいじょーぶ!」

「自信すご」


 私が思わずそう言うと、なぜか紅壱は得意げな顔をして、乃蒼から「褒めたわけじゃないと思うけど」とツッコミを貰っていた。


「『相性最悪』って出たらさすがにお付き合いとか反対されないかな?」

「亜白って妙なところで心配性だよね」

「いや、私って結構悲観的というかネガティブだよ」

「紅壱がポジティブすぎるからそれでバランスいいと思う」

「今オレのことけなした?!」

「してない。……で、相性診断のことだけど――」

「『相性最悪』って出て付き合うの反対されたら、そのときはそのとき。世界に反逆するしかないっしょ」

「せ、世界に反逆……?」


 紅壱の大仰な物言いに、私はまたオウム返しをしてしまう。


「それは……考えたこともなかったよ」


 この世界では――……


 この世界では、女性は子供をたくさん産むのが義務で、そのために多くの夫を持つのが正義。


 女性の仕事は子供をたくさん産み育てること。それが出来ない女は穀潰し。


 それがこの世界の常識。


 ……そんな常識に反逆をするとか、私は考えたこともなかった。


「――いいね、それ」


 ――「目から鱗が落ちる」ってこういうときに使うのかな。


 思わず笑ってしまった私の右手の甲に紅壱の手のひらが、左手の甲には乃蒼の手が重なる。


「それってさ、亜白もオレたちと同じ気持ちだってことでオッケー?」

「……まあ『違う』って言われてもすぐにはあきらめられないんだけど」


 私の両の手はあたたかい、というか、ちょっと熱いくらいだ。


 ふたりとも、なんでもない態度で愛の告白を言ってのけたけれども、少しくらいは緊張しているのかもしれない。


 ……そりゃそうか。


 私はふたりの手のひらから両の手を引き抜いた。


 今度は紅壱の手のひらと私の右の手のひらを、乃蒼の手のひらと私の左の手のひらを合わせるようにしてから、ぎゅっと指で握り込む。


「『ふつつかものですがよろしくお願いします』――って言えばいいのかな?」


 同時に、紅壱は喜色満面と言った笑みを浮かべ、乃蒼はほのかに微笑みを浮かべた。


 それからふたりとも、ちょっと耳が赤くなっていたのも、同じだった。


 ふたりのことを「弟みたいな存在」だという気持ちはまだなくなったわけじゃない。


 けれども、こんな世界でも良かったと思えたのは間違いなくふたりがいるからで。


 ――だから、紅壱と乃蒼、ふたりと運命を共にしていいかなと、思えた。




 ……このあと、政府の相性診断サービスで紅壱と私、そして乃蒼と私は「相性最高」の太鼓判を捺されることになるとは、このときの私は夢にも思っていないのであった。

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