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セーフモードの共犯者

毎日12時更新!

 翌日の教室は、昨日と地続きの、凡庸な時間が流れていた。

 だが、俺と、窓際の後ろから二番目の席に座る彼女――舘山寺(かんざんじ)(うた)との間には、昨日とは比較にならないほど重くて、透明な壁ができていた。


 どう接すればいいのか、お互いに分からない。

 目が合うと、彼女はびくりと肩を震わせて、弾かれたように視線を逸らす。その反応を見るたびに、俺の胸の奥が小さく軋んだ。


「なあ、昨日音楽室にいた佐久間って、マジで何なの?」


「舘山寺さん、なんか脅されてるんじゃないの……」


 クラスメイトたちの囁き声が耳に入る。


(…どうでもいい。そんなことより、あいつが気に病んでいないかの方が問題だ)


 俺は無表情を装いながら、彼女が周りの視線に耐えるように、ぎゅっと唇を結んでいるのを見つめていた。


(……今日のところは、俺から関わらない方がいいか)


 それが、今の俺にできる、唯一の気遣いだった。



 ◇



 昼休み。俺は『屋上』とだけ書いたメッセージを彼女に送り、先に一人で錆びたドアを開けた。


「……あの、佐久間くん」


 数分後、おずおずとやってきた詩は、俺から数メートル離れた場所で立ち止まった。その瞳は不安げに揺れている。


「やっぱり、私……佐久間くんに迷惑はかけられないよ」


「迷惑かどうかを決めるのは俺だ」


 俺は壁に寄りかかったまま、できるだけ穏やかな声で続けた。


「あんた一人で全部抱え込もうとするから、心がフリーズしかけるんだ。俺という外部メモリを遠慮なく使え。そうすれば、少しは負荷が分散されるだろ」


 俺がポケットから例の封筒を取り出すと、詩はやはり「でも……」と俯いてしまう。


「……分かった。じゃあ、この金は俺が管理する。あんたが『才能』をレンタルする必要がある時、俺に申請しろ。俺が妥当性を判断して、ディーラーに振り込む。これなら、あんたが直接汚い金に触る必要はない。いいだろ?」


「……うん。……わかり、ました」


 彼女が小さな声で頷いたのを見て、俺は少しだけ息を吐いた。


「それからもう一つ。放課後、昨日の空き教室に来い。自主練だ」


「え……」


「投資家として、投資対象の進捗を確認するのは当然の権利だ。……それに、一人で練習するより、聴いてる人間が一人でもいた方が、マシだろ」


 一方的に告げて屋上を後にする俺を、彼女は驚いたような顔で見送っていた。




 放課後の化学準備室。西日が差し込むその場所は、俺と彼女、二人だけの聖域になった。

 詩は緊張した面持ちでフルートを構える。奏でられる音は、まだ硬いが、昨日までの絶望的な響きは消えていた。


「――ストップ」


 俺は、彼女の演奏を遮った。


「楽譜という設計図通りに音を並べるだけが正解じゃない。あんた自身の解釈(パラメータ)を加えてみろ。例えば、そこのブレスのタイミング。楽譜を無視して、あんたが一番気持ちいいと思う場所で、息を吸ってみろ」


 俺は、頭の中にこびりついて離れない、失われた記憶の残滓――ピアノを弾いていた頃の知識を引っ張り出す。

 彼女は俺の言葉を半信半疑ながらも、素直に頷き、もう一度フルートを構えた。

 そして、奏でられた音は、明らかにさっきとは違っていた。

 ほんの少しだけ、だが、確かに、彼女自身の感情が乗った、温かい音が生まれた。


「……すごい。今の、少しだけ、楽しかった、かも」


 一番驚いているのは、彼女自身だった。そして、心の底から嬉しそうに、はにかんで笑った。


「佐久間くんって、やっぱり、優しいね」


 その不意打ちの笑顔に、俺の思考回路が一瞬、ショートする。


(違う。優しくなんかない。ただ、必死にフルートを吹く彼女の姿を見ていると、忘れたはずの記憶の断片が疼いて、どうしようもなくなる。壊れそうだったかつての自分と、彼女の姿が重なるから、放っておけないだけだ)


 俺は込み上げてくる感情を隠すように、わざとそっぽを向いて言った。


「……あんたの心が、これ以上エラーを起こしてフリーズしないように、俺が隣で見ててやる。まあ、言ってみれば、セーフモードみたいなもんだ。だから、今は余計なこと考えずに、音を出すことだけに集中しろ」


「セーフモード……」


 詩は、その言葉を噛みしめるように呟くと、ふわりと、安心したように微笑んだ。


「……はいっ!」


 練習が終わり、片付けをする詩の隣で、俺は何も言わずに彼女が使った譜面台を畳み、床に落ちていた楽譜を拾い上げた。


「あ、ありがとう……」


「……ついでだ」


 言葉は、それだけで十分だった。

 帰り道。まだ少しぎこちない沈黙を挟みながら、俺たちは並んで歩いていた。昨日よりも、ほんの少しだけ、心の距離が縮まった気がした。





 夕暮れの校舎の窓から、そんな俺たち二人を、じっと見つめている視線があった。

 クラス委員長の、引佐夏帆(いなさかほ)

 その完璧な笑顔の裏にある、温度のない瞳が何を捉えていたのか。


 俺たちの、奇妙で危険な共犯関係に、新たなプログラムがインストールされようとしていることを、俺はまだ、知らなかった。

読んで頂き、ありがとうございます!

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