[ep.12]伝承の残響
これまで毎週土曜日11:30に更新しておりましたが、現在私生活が少し立て込んでおり、次回の投稿が【2週間ほど遅れる】見込みです。
お待たせしてしまい申し訳ありませんが、引き続き楽しんでいただけるよう執筆しておりますので、今しばらくお時間をいただけますと幸いです。
本を閉じたカエデは、しばらくその表紙を見つめていた。
(……“天より来たりし純白の者、人と魔を裁く神の使い”)
古代文字で綴られたその一文は、あまりに突飛で、現実味がなかった。
だけど——。
(どこかで聞いたことがあるような……)
そんな感覚が、胸の奥で燻っていた。
もちろん、明確な記憶があるわけじゃない。けれど、幼い頃に読んだ伝承や、誰かが語った昔話の断片に似ていたような気もする。
(この記述、本当にただの神話なのかな……)
ページをめくる指先が止まる。古代文字の並びに、もう一度目を凝らした。
文脈は詩のようでいて、どこか記録にも似ている。不思議と感情が乗っているような気がした。単なる娯楽や寓話とは違う、もっと何か大きな意味を孕んでいるような……そんな“違和感”。
(このページだけが異質……まるで、伝えたくて仕方がなかったみたいに)
静まり返った図書館。誰もいないその空間で、カエデの胸に小さな疑問の種が芽生えていた。
(……この記述だけが浮いてる。なんでだろ)
カエデはもう一度、ページの端の注釈や文字の配置を確かめた。だが、それ以上の手がかりは見つからなかった。
「……気になるな」
小さく呟いて、立ち上がる。椅子がわずかに軋んだ音を立てた。
カエデは本を抱えたまま、書架の間をゆっくりと歩き出す。
古代語の棚、神話・伝承の棚、さらには“未分類”と書かれた資料の山。
指先で背表紙をなぞりながら、彼女は思考を巡らせていた。
(あの天使の記述……他にも、似たようなことが書かれた本があるかもしれない)
目に留まったのは、色あせた厚手の書物。タイトルは擦れて読めない。
(……これも古そう)
引き出して開くと、そこにはまた別の古代文字の羅列が並んでいた。完全には読めない。けれど、いくつかの単語が、先ほどの本と一致していた。
「“天”、それに……“審判”……?」
文字の断片が、点と点を結ぶように繋がり始める。
(やっぱり、この世界の歴史には……“天使”という存在が、ちゃんと記されてる)
それが事実なのか、神話なのか。今のカエデには判断がつかない。
けれど、好奇心はすでに踏み出していた。
(調べてみよう。わたしが知りたいと思ったことを)
カエデは小さく息を吸い、手にした本をそっと開き直した。
翌日。
午前の授業が終わった後、生徒たちは昼休みに入り、教室はにぎやかな声で満ちていた。
そんな中、カエデは一人、教壇のそばにいた担任の先生──レイ=バレストに歩み寄る。
「先生、少しお時間いいですか?」
「ん? おう、カエデ。どうした、質問か?」
レイは気さくな雰囲気のまま、書類をまとめながら顔を上げた。
「図書館で読んだ古代書のことで、少し……。『天より来たりし純白の者』って、記述があったんです。なんだか気になって」
「……その言葉をどこで?」
一瞬だけ、レイの表情が硬くなった気がした。けれどすぐに、いつもの柔らかい口調に戻る。
「まあ、あの図書館には相当古い記録もあるからな。たしかに“天使”という存在について書かれた伝承は、昔から一部に残ってる」
「実際にいたんですか? “天使”って」
「真偽はな……定かじゃない。“神の使い”とか、“世界の調停者”とか、いろんな言われ方があるが……。今となっちゃ、神話の域だ」
そう言って、レイは窓の外に目をやった。
「ただ、そういった記述は、よく“勇者”や“禁術”と一緒に語られることが多い。……興味があるなら、古代魔法研究室のアーカイブを覗いてみるといい。あそこには、表に出てない資料もいくつかある」
「……はい。ありがとうございます!」
カエデは礼を言って頭を下げた。
「熱心だな。勉強はほどほどにな。お前は休むのが下手だ」
苦笑まじりのレイの声を背に、カエデは静かに歩き出した。
(もっと知りたい。“天使”のことも、この世界の本当の歴史も)
その足取りは、迷いなくまっすぐだった。
放課後。空はすでに茜色に染まり始め、学院の廊下には長く伸びる影が落ちていた。
カエデは教室を出ると、迷わず学院の奥にある「古代魔法研究室」へと足を運んだ。
普段の授業では使われることのない静かな通路。その先にある重厚な木扉の前で、カエデは一度立ち止まる。
(……ここで合ってるよね)
小さく深呼吸をしてから、ノックをする。数秒の沈黙の後、中からくぐもった声が返ってきた。
「どうぞ」
扉を開けると、室内には所狭しと並ぶ古文書や魔道具、魔法陣が描かれた巻物などが積み上がっていた。窓はわずかに開けられ、古びた紙とインクの混じったような香りが空気に漂っている。
部屋の中央、分厚い魔導書を読んでいたのは、研究室を預かる初老の男性だった。白髪交じりの髪と落ち着いた紺のローブを身に纏い、年齢に見合わぬ鋭い眼光を持っている。
「……お前さんが、レイの言っていた生徒か」
「はい。エストレーラ学院一年の、カエデといいます」
「ふむ。古代文字と“天より来たりし者”について知りたいそうだな?」
カエデは、こくりと頷いた。
「古代魔法や、勇者の歴史、そして……“天使”という存在のことをもっと知りたくて」
老研究員はしばし無言のままカエデを見つめた。やがて小さく頷き、棚のひとつから革張りの一冊を取り出す。
「これは非公開資料の複製だ。持ち出しは禁止だが、ここで読む分には構わん」
「ありがとうございます!」
カエデは丁寧に頭を下げ、本を受け取る。
(──この先に、まだ誰も知らない“真実”があるかもしれない)
古の文字が描かれたその書を手に、カエデは静かにページをめくった。