[ep.11]兆し
長かったようで短かった休みが明け、学院に再び日常が戻ってきた。
廊下には友人同士の笑い声が戻り、教室にはいつもの賑やかさが広がっていた。けれど、生徒たちの胸の奥には、どこか張りつめたような静けさが残っていた。
カエデもそのひとりだった。
(……今日は剣術の授業か)
いつものように授業を受けながらも、どこか心ここにあらずだった。
鋭い風が校庭を駆け抜ける朝、カエデはいつものように訓練場に立っていた。
クラスメイトたちの剣が交錯し、木剣が打ち合う音が響く中、カエデは一歩下がって構えを取る。だが、その目はどこかぼんやりしていた。
(昨日見たあの古代書……早く読めるようになりたいな)
目の前の模擬戦相手が踏み込んでくる。
「っ──」
反応が一瞬遅れた。
木剣がカエデの肩に当たり、軽くよろける。普段なら絶対に受け流していたはずの一撃だった。
「カエデ!? 大丈夫?」
「ごめん……ちょっと、ぼーっとしてた」
カエデは肩の埃を払いながら、周囲に軽く笑って見せた。
「……無理すんなよ? あんだけのことがあったんだし」
リオンが気遣うように声をかけてくる。他の生徒たちも、黙ってカエデの様子を見守っていた。
「うん、大丈夫。ありがとね」
(戦闘中に考えるようなことじゃないのに……)
集中を欠いていた自分に小さく舌打ちをする。
「次の組、前へー!」
教官の声が飛ぶ。
カエデは小さく首を振り、意識を訓練に向け直した。
放課後。空は夕日に染まり、校舎の影が長く伸びていた。
カエデはまっすぐに学院の図書館へ向かう。扉を開けると、紙とインクの静かな匂いが鼻をくすぐった。
昨日見つけた本棚の前に立ち、手を伸ばす。硬い表紙に刻まれた謎の文様。それは無造作に並ぶ他の書物とは、明らかに空気が違っていた。
彼女は隣の棚から古代文字の入門書を手に取り、静かに席へ向かう。
ページをめくりながら、ふと小さく呟いた。
「……本を読んで本格的に勉強するの、久しぶりだな〜。最近は体を動かしてばっかだったけど、やっぱり勉強も案外楽しいかも」
普段の訓練では体を動かすことに慣れているため、机に向かっての学びは少し新鮮だった。
けれどカエデの目は真剣だった。
静まり返った図書館の中、カエデは夕闇に包まれながら、黙々と文字を追い続けた。
ページをめくる手を止めたとき、カエデはふと、本と本の隙間に何かが挟まっているのに気がついた。
小さく折り畳まれた、黄ばんだ紙片。古びてはいるが、丁寧な筆跡で何かが書かれていた。
「……これは?」
広げると、そこにはいくつかの古代文字と、その横に書き添えられた意訳のようなメモ。
本のページの端には、小さな文字で古代語の注釈が書かれていた。
「……“魔”の象形は、“流れ”“力”と組み合わさると“魔力”になる……なるほど」
難解な古代文字の意味が、丁寧な補足によって少しずつ紐解かれていく。
「誰が書いたんだろう、これ……すごく分かりやすい」
カエデは、静かにそのメモに感謝の念を抱いた。まるで、今の自分のために書かれたような気すらして。
その日から彼女は、毎日少しずつ古代文字を学び始めた。
⸻
そして数日後、別の古代書を読んでいたときのこと。
「……“天より来たりし純白の者、人と魔を裁く神の使い”……?」
そこには、天使の存在についての記述があった。
「……なにこれ、完全にファンタジーじゃん。物語の一節かな」
カエデは苦笑しながらページをめくった。だがその手のひらに、かすかに震えが宿っていた。