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【アップ】2025年6月1日(日曜日)主日公同礼拝/讃美歌とMy noteもあります

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪




※動画は用意できましたらアップ致します。ご了承頂けると幸いです。


前橋キリスト集会

使徒の働き#13「パウロの伝道旅行」(13~21章概観) 井上俊哉

https://www.youtube.com/watch?v=mLCiH-bo4lY


[リビングライフ] 06.10.2019

高慢にも主から離れるならすべてが腐敗します(エレミヤ書 13:1-14)

https://www.youtube.com/watch?v=G11o5e0UHNI


(※本日の聖書箇所と同箇所のメッセージをアップしております)



【ブログを見てくださると聖書・讃美歌も閲覧できます】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12909149627.html

お気軽にお立ち寄りください^^



2025年6月1日 礼拝説教 聖書箇所 


「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」

使徒言行録21章13節


多くの月日がたったの地、主はわたしに言われた。「立って、ユーフラテスに行き、かつて隠しておくように命じたあの帯を取り出しなさい。」

エレミヤ書13章6節


はじめに

主の召命に応える教会の使命は、福音の宣教。主の御前にある祈りと従順を学ぶ。


1

「わたしたちは、ティルス(ツロ)から航海を続けてプトレマイオス(古くは「アシェル」)に着き」とは、ティルスから地中海沿岸を南下(50キロ程)したこと。そこでも「兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした」。初期の伝道による集会の存在のみならず、ティルスの兄弟たちとの連絡も想像される。「翌日そこをたってカイサリアに赴き」とは、さらに地中海沿岸を南下(70キロ程)したこと。「例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった」。フィリポは、エルサレム教会において、とくにやもめたちの食事の世話をするために選ばれた七人(執事)の一人(6章5節)。フィリポは、「サマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝え」(8章5節)洗礼を授けた。また、主に命じられて、ガザに下る道で「エチオピア人の宦官」も、イザヤ書の証しするイエス・キリストを伝え、洗礼を授けた(8章35節)。「そこには預言をする四人の未婚の娘がいた」。当時、女性が公的に教えることは禁じられていた(コリント一14章34節、テモテ一2章12節)。多分、預言的警告を含むキリストの福音を家庭の集会で伝えていた。


「幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た」。アガボは、アンティオキアで弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった頃、当地で「大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告し、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった」(11章28節)と証言される人。アガボは「わたしたちのところに来て、パウロの帯をとって、それで自分の手足を縛って、『聖霊がこうお告げになっている。「エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。」』」と言った。「わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムには上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ」。ティルスの弟子たちと同様、聖霊に導かれてアガボは、パウロに警告した。今後は、パウロたち一行の者たちも、「土地の人と一緒になって」、パウロを制止ようとした。しかし、「そのとき、パウロは答えた、『泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟(準備)しているのです』」。主イエスは、御自身の死が近づいた時、ペトロに、あらかじめ「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と伝えた。この時、シモン・ペトロは、「主よ、御一緒なら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言ったが、主イエスの予告のとおり、「鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らない」と言い、実行できなかった。パウロの準備は、ペトロたち同様、十字架の後、復活・昇天の主イエスの証人としての召命と祈りによる。聖霊による確信を認めることができる。


「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないで、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ」。主イエスは、ゲツセマネの園で「あなたの御心が行われますように」と祈った(マタイ26章42節)。御心は、御心に服することにおいて、その実現を見る。福音への応答は、御心を求め、御心に服し、御心に委ねる祈りを尽くすこと。


おわりに

真の預言者エレミヤは、主から命じられて「帯」をもって、イスラエルへの神の裁きを明らかにした。今日、主は、何を用いて、主の福音を証しなさるのか。真実の愛と従順。



(My note)


二〇二五年六月一日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。今日は自宅礼拝を守らせて頂いた。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「使徒信条の五つ目の箇条は何を含んで居ますか。」

「イエス・キリストが、死んで三日目に復活された事です。」

イエス様は十字架に付けられ、アリマタヤのヨセフ達により、新しい墓に葬られた。それからマグダラのマリア達が墓に行ったが、イエス様の遺体はそこに無かった。その時にまた地震があり、墓を閉ざす石が取り除けられた。これ等を見て墓の見張り番達は恐ろしくなり逃げた。マグダラのマリアの前に神様の御使が現れ、イエス様が復活した事を他の弟子達に告げなさいとマリアに言い、マリアはその通りにした。今でもクリスチャンを始め全ての人は、イエス様が死から復活された事を知る程に信じなければ成らない。

(公同礼拝)

『使徒行伝』(第二一章七〜一四節)

『エレミヤ書』(第一三章一〜七節)

この『使徒行伝』の箇所は、引き続きパウロの宣教旅行の一場面であり、ツロからの航行を終わってトレマイに着き、そこの兄弟達に挨拶をし、彼らの所に一日滞在した場面から始まる。翌日そこを立ち、カイザリヤに着き、かの七人の一人である伝道者ピリポの家に行き、そこに泊まった。このピリポに四人の娘があったが、何れも処女(未婚)であって、預言をして居た。幾日か滞在して居る間に、アガボと言う預言者がユダヤから下って来た。そして、私達(パウロ達)の所に来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った、

「聖霊がこうお告げになって居る。『この帯の持ち主を、ユダヤ人達がエルサレムでこの様に縛って、異邦人の手に渡すであろう』」。

私達はこれを聞いて、土地の人達と一緒になって、エルサレムには上って行かない様にと、パウロに願い続けた。その時パウロは答えた、

「あなた方は、泣いたり、私の心を挫いたりして、一体、どうしようとするのか。私は、主イエスの名の為なら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬ事をも覚悟して居るのだ」。

こうして、パウロが勧告を聞き入れてくれないので、私達(パウロの周りに居た人達)は「主の御心みこころが行われます様に」と言っただけで、それ以上、何も言わなかった。

福音の種を蒔くのは人でなく、神様である。神様から遣わされる聖霊である。人は遣わされる形でその架け橋・契機と成り、イエス様の教えを先ず一人でも多くの人に伝える事が大きな仕事になる。この仕事の初めから終わりまでを、神様が聖霊を通して守る。全ての使徒(神様に遣わされた人)は、ただ神様が助けるその力を知る程に信じ、従わねば成らない。この事を、人として最大の喜びである「罪から救われ、永遠の命が与えられて天の御国(天国)へ引き上げられる事」の確信から行える様になる迄、信仰に依る生長が必要となる。

パウロはその喜びと救いを既に知る程に信じて居り、周りに集った人達より信仰に厚かったと言えようか。

先々週から先週に学んだが、当時、使徒達がエルサレムに上る事は危険にあった。周りのユダヤ人達はイエス様を葬るだけに足らず、それまでイエス様に従って居た使徒達をも捕え葬ろうと、各地で待ち構えて居た。無論この事をパウロも、パウロの周りに居た人達も知って居た。

『エレミヤ書』ではこの「帯」をテーマに取り、その帯が時の経過により使い物にならなくなり、その様を神様は、

「これと同じ様に、私はユダの高ぶりとエルサレムの大いなる高ぶりを、破るのである。この悪しき民は私の言葉を聞く事を拒み、自分の心を強情にして歩み、また他の神々に従ってこれに仕え、これを拝んで居る。彼らはこの帯の様に、何の役にも立たなくなる」

と預言者エレミヤに教え、

「帯が人の腰に着く様に、イスラエルの全ての家とユダの全ての家とを私に着かせ、これを私の民とし、名とし、誉れとし、栄えとしようとした。しかし彼らは聞き従おうともしなかった」

と言った。

人の口は非常に曖昧であり、心は移ろう。転々とするもので、いっとき信仰に厚くても、又いっとき経てば真逆になったりもする。ペテロはイエス様に一番近い所に居た様だが、イエス様が捕えられ、十字架に付けられる前にあれだけ「自分の信仰の厚さを語って居た」に拘らず、イエス様が教えた様に「鶏が三度鳴く前にイエス様の事を三度知らないと言った」。この事をパウロ達が知って居たにせよ、この時のペテロと同様に「イエス様の名の為に死が迫って来る」となれば同じく怯え、不安・恐怖とそれによる苦しみに遭って当然である。しかしその事をも踏まえた上で、パウロはこの時こう言って、その後の自分の行動を決めたのである。この事が教える信仰に依る覚悟は、現代人も同じく持つ必要がある。クリスチャンの在り方には時代による変化が無く、信仰の必要と強さ・力は、神様がその事を人に教えたその時から変わらないからである。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw&t=13s


「ジーザスがあなたを選んでくださった」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=HaRXa-j0YZ0


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

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