6. プロレシア伯爵令嬢
エリーゼ・プロレシアの話は、本人の言うとおりまさに荒唐無稽であった。
この亜麻色の髪と翡翠の瞳を持つ令嬢、エリーゼには前世の記憶があるらしい。
そしてこの世界は前世でプレイした乙女ゲームというものの舞台であり、わたくしも3人の王子もその登場人物であるという。そしてわたくしはヒロインに嫌がらせをして断罪される悪役令嬢で……とまあ、つまるところよくわからない話だった。
乙女ゲーム、悪役令嬢、ヒロイン、攻略対象者……彼女の思考を読んだ際に出てきた聞いたことのない単語の答え合わせは一応できたが、理解をしたかと言えば別の話である。
首を傾げるわたくしの隣で、アルは興味深そうに話を聞いていた。特に、悪役令嬢が魔王と手を組み世界を滅ぼすラスボスになる、という部分ではげらげらと笑い転げた。この男。
「アルあなた……いい加減笑いすぎよ!アルノルド!」
「ごめ、すみません、はは、おもしろくて。お嬢様が世界を滅ぼすって……っ」
「……あなたが楽しそうでなにより」
「ふふ、怒らないでくださいよ。はー……笑った笑った」
アルの馬鹿は放っておいて、紅茶を一口飲みながら不安げな表情のエリーゼを見る。
「信じていただけなくても仕方ないと思います……」
不可能を可能にする夢溢れた魔術に心を捧げた人間として、荒唐無稽な話をただの妄言だろうと切り捨てる気はない。
それに作り話であってもいいと思った。藁にも縋る思い、とはこういう気持ちなのかしら。
「あの、クレア様。聞いていいですか?」
「?いいわよ」
「どうして王子との婚約をそこまでして回避したいのですか?私なんかの話を聞いてくださったのは、そのためですよね?」
わたくしをつけ回していた甲斐あって、エリーゼはわたくしの目的に気が付いているようである。
たしかに本来であれば、王子と婚約破棄をすることに得なんてない。政になんて心底興味はないけれど、貴族として、ましてや公爵家の令嬢として生まれたからには、政治的思惑の絡んだ政略結婚は義務だとも思う。
でもわたくしは、なにがなんでも王太子妃になりたくないのだ。
「王太子妃になんてなってしまったら、魔術研究の時間がなくなるじゃない」
「へ?」
きっぱりと言い切ったわたくしにエリーゼはきょとん、とした。そんなことで?と。そんなことで、よ。
ただでさえ幼少期に勝手に王太子妃という役割を決められてからは興味のない王妃教育を受けさせられて魔術について考える時間を削られてきたのだ。興味のない社交界やくだらない茶会に王子の婚約者候補として引っ張り出されることもあった。正式に王太子妃になんてなってしまうと今以上にやることが増えるわけでしょう。そんなの、あまりにも馬鹿らしいわ。
「王子や重鎮たちを洗脳して回避する手段も考えたのよ。けれどわたくしの魔力は特定しやすいから」
だからベルナートにもジルザートにも、男爵家を買収し身分の低い適当な令嬢をけしかけて、あちらから婚約破棄を申し出てくるように仕向けた。2人の王子がわたくしにいい感情を抱いていないことも、コンプレックスを感じていたこともわかっていたから、可愛らしくて自分だけを見てくれる令嬢に迫られればすぐに落ちるだろうというわたくしの予想は的中した。
残るはギルバート。王太子はあの男がすればいいけれど、わたくしは王太子妃になんてならない。
兄王子ふたりと同じ手段での婚約破棄は不可能だ。先日の様子からして明らかに警戒されている。そしてギルバートまで愚かな行いで王位継承権を失っては元も子もない。
新たな王太子妃候補を見つけ、どんな手段を使っても婚約を破棄し、わたくしは王太子妃という立場から解放される。それがわたくしの目下の目標である。
そこに白羽の矢が立ったのがこのエリーゼ・プロレシア。まさに苦渋の選択、であった。
「私はこんなに美しくて頭が良くて才能がある完全無欠なクレア様よりも王太子妃に相応しい人なんて思いつかないです……」
「なに言ってるの?ヒロインがいるじゃない」
「え?」
もしかしてクレア様、と戸惑った視線を向けられる。
「そうよ。そのヒロインとギルバート殿下が真実の愛とやらで結ばれるように、わたくしが悪役令嬢というものになってさしあげましょう」
エリーゼは驚きの声を上げた。
アルに視線をやると、楽しくてたまらないと言うように破顔している。この男。
「だからあなたに協力してほしいの」
困ったような顔で視線を彷徨わせ、けれど根負けしたように「わかりました」と小さく頷いたエリーゼの手を取る。
わたくしをうっとりと見上げるエリーゼの新緑の瞳はしっとりと濡れていた。やはりわたくしのことが大好きらしい。つまり、推し、ということね。
「目指せ、婚約破棄!よ」
「目指せ、悪役令嬢!ですね!」
悪役令嬢クレア・ルフェーブルが誕生した瞬間である。
『どうしてアルノルド様は従者なんてしているんですか?』
エリーゼは部屋を出て行く間際にわたくしにだけ聞こえる声でそう尋ねてきた。
前世の記憶、というのは、やはり嘘ではないのだろう。