3. 第三王子ギルバート
王都の屋敷には、ルフェーブルの英雄の大きな肖像画が飾られている。
数百年前、魔族から国を守り歴史に名を刻んだ騎士。短く整えられた銀髪に燃えるような緋色の瞳。この画を見るたびわたくしはこの先代によく似ているんだろうと思う。
きっと戦い以外のすべてを愛せなかっただろう、だって剣の才に恵まれ愛されたのだから、と。
「クレアお嬢様」
肖像画を見上げてぼんやりしていたわたくしの隣に、アルが気配もなく立っていた。
「はやく行かないとお父様に叱られますよ」
「はあ。行きたくないわ。行かなきゃだめ?」
「あなたが逃げたら俺が叱られるじゃないですか」
「たまには叱られたら?」
「えー嫌です」
ほら行きますよーとアルに背中を押されて渋々お父様の書斎に向かう。こんなところを見られたら淑女の振る舞いではないぞ、とそれこそ叱られると思う。
春休みが終わり3年生に上がって数日が経った今日、わたくしを書斎に呼んだお父様は、予想通りの言葉を告げた。
「クレア。お前には第三王子と婚約を結んでもらう」
相変わらず気難しそうな面持ちの肉親は、嫌になるくらいに自分に似ている。特に威圧的で鋭い眼光が。
兄も妹も亡くなったお母様に似て儚い美貌で生まれたが、わたくしは堂々たるお父様似。愛想がなくいつも偉そうな親子だ、と王子たちはよく言っていた。
それにしても先日の学院のパーティーからから2週間。随分と気が急いた決定だ。
ジルザートは予想通り王位継承権を失い、身勝手な理由でわたくしとの婚約を反故にしたとしてとりあえずの謹慎処分が言い渡されたらしい。
男爵令嬢は学院を退学になったらしいけれど、それ相応の金額を男爵には渡したのでこれからの生活に困ることはないだろう。これを機に領地にいる幼馴染との仲でも深めればよろしい。
「今度は候補ではなく、正式に婚約者として内定した。お前は第三王子ギルバート殿下と婚約し、将来の国母となるのだ」
「……」
「何か言いたいことでもあるのか?クレア」
「……いいえ、お父様」
どうして誰も懲りないのかしら、とか。どうしてそこまでしてわたしを王子と結婚させたがるのかしら、とか。言いたいことはいくらでもあったが、言っても無駄なことだろう。
「王子が2人揃って男爵家の令嬢にうつつを抜かし正式な婚約も結んでいないのに公の場で愛する娘に婚約破棄を宣言するような愚行に走ったことは、俺も腹立たしく思っている。……何者かの作為を感じないでもないが」
「陰謀かしら」
「陰謀ですかねえ」
「はあ……お前たちは本当に、」
お父様は白髪混じり頭を抱え、ため息をついた。ふたりで何かを企みコソコソと裏で手を回していることも私財を何かに使っていることも調べれば簡単にわかることだが、などとわたくしよりも何か言いたげなお父様の追求を従者とともにのらりくらりと受け流す。
調べれば簡単にわかるが、わかってしまうと不都合なので見逃しているだけのくせに。
「兄王子たちはともかく、ギルバート殿下とは仲が良かっただろう。クレア」
「心当たりがないわ。お父様の勘違いでは?」
「元々ギルバート殿下を王太子に、と推す声は多くてな。それには俺も同意見だ。あの聡明なギルバート殿下ならば愚かな真似はしないだろうから、今度こそ婚約破棄の心配などないぞ」
王家に忠誠を誓っているお父様ですら王子2人の婚約破棄は随分と腹立たしい出来事だったようだ。さきほどから不敬発言の連発。
今度こそはと圧をかけてくるお父様に曖昧に頷けば、お前も大人しく婚約者としての役割を務めなさい、とさらに強い圧をかけられた。
ギルバート殿下とは後日顔合わせがあるのできちんと挨拶をしておくように、というお父様の言葉に頷いて、書斎を後にする。
扉を開いて待っているアルを見上げれば、にこっと整った笑顔が返ってきた。
「ご婚約おめでとうございます。クレアお嬢様」
「……はあ。本当にそう思っているわけ?」
「三度目の正直、という言葉がありますからね」
「二度あることは三度ある、とも言うわ」
あってたまるか、というお父様の尖った声が背後から聞こえたが、無視して退室した。
その数日後。
王宮の庭園にあるガゼボで紅茶を飲みながら魔法書を読んでいると、金髪碧眼の見知った顔がやって来た。
「ご機嫌よう、ギルバート殿下」
「ああ。待たせたか」
第三王子ギルバート殿下。わたくしの婚約者になった3人目の王子である。
幼少期からふたりの兄王子とは一線を画し、学や剣、魔術、すべての分野で優秀だった。立太子するのは彼だろうとずっと言われていたが、陛下が下級貴族出身の妾に生ませた子どもだということが今までは懸念となっていたらしい。
しかし上の兄がやらかしたおかげで順調に彼が王太子となる流れになり、そして正式にわたくしとの婚約が成立した。この婚約の意味も彼ならわかっていることだろう。
ギルバートとは同い年のため3人の王子の中で一番話す機会も多かった。
だからわかる、彼がいかに厄介なのか。
「アルノルドも久しいな。後ろに立っていないで座っていいぞ」
「じゃあお言葉に甘えて。失礼いたします」
「あなたって昔からアルに優しいわね。従者なんだから立たせておきなさいよ」
「お嬢様だって普段は後ろに立たれていると落ち着かないから隣に座れって言うじゃないですか」
「それはふたりのときでしょ」
わたくしたちのやりとりを聞いて、ふ、とギルバートの精巧な顔が少し緩む。何を笑われたのかわからずその顔をじっと見返すと、「いや、」と歯切れ悪く彼が口を開いた。
「クレア、お前がアルノルドを邪険にする人間を嫌うからだろう。俺も婚約者殿に嫌われるのは避けたいよ」
「そんなことないわよ」
「そうか?兄上たちのことは嫌っていたじゃないか」
べつに嫌っていない。たしかに好きでもなかったけれど、アルへの態度なんて関係ないわ。
遠慮なくわたくしの隣に腰を下ろしたアルをじとりと睨むと、機嫌の良い微笑みが返ってくる。なによその顔は、と言おうしたところで、ギルバートが雰囲気を変えるように咳払いをした。
「クレア。兄上たちのことは俺もお前に申し訳なく思っている」
「ギルバート殿下が謝ることではないでしょう」
「……お前とは付き合いが長いから、何を企んでいるのかは大体わかっている。目的のためなら手段を選ばない、それがお前だ」
「人を悪党みたいに……!」
「けれど兄上たちが愚かなことをしたのは事実で、いまさらお前を責めるつもりはない。それに、お前の気まぐれは結果的に俺の利益にもなった」
何が言いたいのかしら、とシラを切って首を傾げると、まあいい、とギルバートはそれ以上の追求をやめた。
お父様といい、ギルバートといい、上から目線の合理的な男たちである。
「先に言っておく。兄上たちと違って、俺はクレアと婚約破棄などしない。なにがあっても」
「……あら、それはありがたいわね」
わたくしの平坦な声に、才色兼備の王子様は眉を顰めた。きちんと聞いてくれ、と至極真面目な声で言う。
「お前にはお前のやるべきことがあるのかもしれないが、俺にも俺のやるべきことがある。クレア・ルフェーブルが魔術を愛しそれに生涯を捧げると決めたように、俺も国と民に持ち得るすべてを尽くすつもりだ」
立派な志だ。子供の頃はあの性格が終わっている兄たちにいじめられて泣いていたのにね。
わたくしがルフェーブルの血を受け継ぎ才に恵まれて生まれたように、彼もまた王族の血を受け継ぎそれに報いようとしているのだろう。
皆が口を揃えて言うように、王太子には彼がなればいい。それを邪魔するつもりなどない。
でもその隣に立つのがわたくしである必要もない。
けれど、ベルナートよりもジルザートよりも、ギルバートの覚悟は強い。だから手強い。一時の感情で玉座を手放すような男ではないのだ。
「これからよろしく。婚約者殿」
黙り込むわたくしにギルバートは言った。