2. ルフェーブルの尊い血
―――――ルフェーブル公爵家。王家にも並ぶ歴史と権力を持つ格式高い家柄である。
数百年前、魔界と人間界を繋げるゲートが偶発的に我が国に発現し、魔界から人間界に多くの魔物と魔族が流れ込んだ。我が国は壊滅目前まで追い詰められたが、その際、ルフェーブル公爵家の先代が率いた騎士団は大きな戦果をあげ、魔族を撃退しゲートを塞ぐことに成功したらしい。団長を務めたルフェーブルの騎士はのちに英雄と呼ばれた。
それから、ルフェーブルには代々類い稀な才を持つ子どもが生まれてくる、そうまことしやかに囁かれ、そしてそれは事実であった。
そのルフェーブルの血を受け継ぎ、魔術の才に祝福されて生まれたのが、わたくし、クレア・ルフェーブルである。
魔力量の多さは精霊の加護の強さであるとされるこの国で、王族よりも多い膨大な魔力を持って生まれた。
さらに魔力には適性というものがあり、扱える魔術の属性は人によって異なるが、わたくしは生まれつきすべての魔術に適性があった。なかでも、闇属性と光属性は近隣諸国でも顕現した人物はおらず、今の世代で扱えるのはわたくしだけらしい。
そしてここ十数年で、わたくしが書いた魔術に関する論文や解読した魔術書、開発した新たな魔道具や軍事魔術、結界魔術は、我が国の現代魔術を大きく進歩させた。
そんな魔術の才に恵まれたルフェーブルの至宝を、王家と大臣たちはこの国に留めておきたいと考えたらしい。王族と婚約を結ばせる代わりに王太子妃という立場を確約するとして、わたくしは王位継承権を持つ3人の王子の婚約者候補となった。
つまり、わたくしと最終的に結婚した王子が王太子になるということなのだけれど。
「アル……あなたご機嫌ね。主人が婚約破棄されたのよ」
学院のパーティーで第二王子と男爵令嬢の茶番を見せつけられ疲れたわたくしは、王都の屋敷に帰宅し自室で紅茶を飲んでいた。
向かいのソファーに座り自分の分もちゃっかりと準備して紅茶を飲んでいる従者、アルノルドの整った顔を見る。艶やかな黒髪に金色の瞳はその恐ろしいほどの美貌をより際立たせていた。
楽しげにきゅう、と細まる瞳はやっぱり猫を連想する。猫は可愛く言い過ぎね。獲物を狙う獣の目だ、といつも思う。
「王族に2度も婚約破棄される令嬢はあなただけでしょうねえ」
しかも婚約していないのに、だ。そりゃわたくしだけでしょうね。
遡ること1年前。
第一王子ベルナート殿下がジルザートと同じように隣に男爵令嬢を侍らせ、まったく同じセリフでわたくしに婚約破棄を言い渡したのも、学院のパーティーの真っ只中だった。「クレア・ルフェーブル。貴様との婚約を破棄する!」と。「真実の愛を見つけたのだ」と。
その場にジルザートもいたはずなのに、まったく同じ流れをやるものだから、わたくしもすこし驚いてしまったわ。
不思議なことに、ベルナートもジルザートもわたくしが立太子の行方を握っていること自体知らなかったらしい。
ベルナートは第一王子の自分が当然立太子するものだと思い込んでいたし、ジルザートはベルナートが失脚したならば第二王子の自分が当然立太子するものだと思い込んでいた。
王位継承権を持つ王子の婚約者候補に公爵令嬢であるわたくしが選ばれた、のではなく、わたくしを王妃にするために3人の王子がわたくしの婚約者候補に選ばれた、という事情は、たしかに公に発表をされているわけではないが、多少の頭があるなら察していてもよさそうなものだ。
わたくしが「王太子」の婚約者という立場だったのは、家格と年齢がちょうどいいからだろう、くらいの認識だったらしい。その無知こそこの国の将来を担うに力不足だと証明した結果となった。
ジルザートは、自分の兄がどうして王位継承権を失ったのか、考えたこともなかったのだろうか。けれど何も知らなかったのだと主張したところで、男爵令嬢に現を抜かし王位継承権を捨てた、それは事実なのだ。
―――――そこに誰の企みがあろうと。
「経営の傾いた男爵家に私財で融資して恩を売った甲斐がありましたね」
「そうね。あの令嬢はわたくしが関わっていることは聞かされていなかったようだけれど」
あの令嬢はよく役に立ってくれた。親の命でジルザートに近づいただけの向上心あふれる彼女に、彼の言うような真実の愛があるかは別として。わたくしに冤罪をかけて陥れようとした愚かさも目的は達成したのだから許して差し上げようと思える。
わたくしの頼みを聞いてくれた男爵も娘を売ったつもりはなかったのだろう。自分の娘が第二王子ともしかすると結婚できるかもしれない、うまくいくと王太子妃に―――――そういう親心だったのかもしれないわね。
「それにしても、ベルナート殿下もジルザート殿下も見る目がないですね」
壮絶な色気を纏い、従者のくせに気品のある仕草で紅茶を飲む、この男。
「クレアお嬢様は、この世の誰よりも美しくて、誰よりも秀でた才があって、そして誰よりもおもしろいのに」
「……ねえ、おもしろいと言われて喜ぶ貴族の令嬢がこの世にいると思っているわけ?」
信じられないくらい綺麗な顔をした、わたしの従者。歌うように言葉を紡ぐ、なんて甘ったるい声。
「でも俺、真実の愛ってやつならわかりますよ」
すべてを捨ててもこの子が欲しいってこと。
この男は10年前も、いまみたいな表情をしていたような気がする。
こういうときに決まって思い出すものがある。
見慣れた自室。床に刻んだ難解で複雑な魔法陣。青白くビカビカと光るその中心で、人間離れした美しさを持つ男がゆったりと微笑んでいる。それはもう、新しいおもちゃを見つけたかのように、恍惚と。
―――――ああ、わたくしの人生は、きっとあのときにどうにかなってしまったんだわ。