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10. クレア・ルフェーブルという婚約者①




国王の戯れによってできた妾の子ども、後ろ盾のない第三王子――――それが俺である。



王位継承権はあるものの、自分が王位継承の権力闘争から外れた存在であることは物心がついた頃から理解していた。


正妃の子どもである兄ふたりとの扱いの差に傷つくほど繊細ではなかったが、王宮で立場の弱い母親が虐げられるところは見ていられなかった。生まれからして王太子になどなれるとは思えないが、けれど母親の立場をこれ以上悪化させないように、母親の王宮内での立場を守るために、俺は優秀である必要があった。

俺が血の滲むような努力をして、剣術でも学業でも魔術でもなんでも、兄ふたりよりも優秀な成績をおさめれば、母親への待遇はよくなると幼いながらに信じていたのだ。結局、それは幼さゆえの浅慮な考えであったが、しかし悪化をすることはなかったので間違ってはいなかったのだろう。

とっくに精神を病んでしまっていた母親がその努力を褒めてくれることはなかったけれど、国王は優秀な息子にご満悦のようだし、これでいいのだと思った。


なので、俺の振る舞いに兄ふたりの立場を揺るがそうなどという意図はなかった。しかし兄たちはもとより兄たちを王太子にと推している周囲の人間は俺のことが気に入らないようだった。まあ、べつに。泣きたいようなときもあったが、すべてを投げ出したいようなときもあったが、それも仕方がない、これでいいのだ。






6歳の頃、俺を含めた3人の王子に婚約者候補ができた。いや、俺たちがひとりの令嬢の婚約者候補になった。


クレア・ルフェーブル。王家にも並ぶ格式高いルフェーブル公爵家の息女。俺と同い年の、まだ幼い魔術の天才。



クレアを王太子妃にするという裏の目的のために交わされた異例の婚約の意味を、兄たちはまったく理解していないようだった。

彼らは自分の立場を脅かす俺を嫌ったように、クレアのことも嫌った。魔術のことしか考えていない変人だ、人の気持ちがわからない冷血漢だ、可愛げのない不遜な女だ、と。

俺も異論はなかった。この女は他人を愛せないのだな、とあの冷え切った緋色の瞳を見れば誰でも思うだろう。どうせ俺に彼女の婚約者の立場など回ってこないだろうと思っていたので、当初はどうでもよかったのだが。



ある日、剣術の特訓と称して2歳年上の第一王子ベルナートにボコボコにされたことがあった。幼い頃の2歳差というのは大きく、まず体格からして勝ち目はなかった。

兄から異母弟への容赦のない暴力を周囲は止めなかったし、俺も悔しくて何度も立ち向かったのが悪かったのだと思う。


かろうじて骨は折れていなかったがそれなりの怪我をして、けれど当時治癒魔法は使えず、手当てをしてくれる人間もおらず、そんな姿を母親にだけは見られたくなくて、王宮の庭園の隅に逃げ痛みに耐えながらうずくまっていた。

俺には居場所がなかったのだ。






「……あら、酷い怪我」




そこへ、クレア・ルフェーブルが現れた。



白銀のまっすぐな髪に、燃えるような緋色の瞳。

我が国の国民なら知らない者はいないほど有名な逸話――――ルフェーブルの英雄。歴代ルフェーブル家に生まれた特別な才は、必ずその色彩を受け継いでいたらしい。このクレア・ルフェーブルがまさにそうだ。

鮮烈な赤い瞳を悪魔の子だと唱える人間もいる。けれど彼女自身の持つ独特なオーラも相まり、俺は同い年の少女に対して神聖ささえ感じてしまったのだった。


彼女は当時から有名だったので良くも悪くも頻繁に噂を耳にしたし(主に兄たちが溢す理不尽な陰口などで)、王宮を訪ねて来た姿を遠くから見ることもあった。しかしまともに会話を交わしたのはこの日が初めてだった。

彼女は今も昔も魔術にのみ関心を向けていたため、婚約者候補となった3人の王子との交友など微塵も行う気がなかったのだ。




蹲った俺を見下ろすクレアの顔は愛想のない無表情で、鑑賞されるためだけに作られた精巧な人形のようだと思った。

彼女を嘲る言葉にいつも「顔と頭は素晴らしくいいのに」と嫌みたらしくつけられる意味は、そのときに理解した。どんなに気に入らなくても持て囃さずにはいられない、それほど圧倒的な美しさと天賦の才だった。




「誰にいじめられたの?」

「……いじめられてなどいない」


俺を軽んじる人間はそれまでも多くいたが、クレアの態度は万人に対する不遜だと知っていたので不思議と気にならなかった。

しかし興味などないくせに目の前にしゃがみ込んでまっすぐ俺を見つめるクレアの考えていることがわからなくて、わからないことが不快で、俺のことは放っておけと突っぱねようしたとき。



がさりと音を立てて、黒髪の青年が庭園の茂みから現れた。

不気味なほどに美しい男だった。



「お、こんなところに。探しましたよ、クレアお嬢様」

「わたくしじゃなくてあなたがはじめての王宮にはしゃいで勝手にいなくなったんでしょ。どこから登場してるのよ!」



クレアはその目を見張るほど美しい男と気安く言葉を交わした。さきほどまで心のない人形のようだった彼女の、年相応な声の温度と表情に戸惑いつつ、またひとり部外者が現れたことに俺は煩わしさを感じていた。


顔を顰めて戯れの会話を続けるふたりを見ていると、それに気づいたクレアが自分の名を名乗るより先に「これはわたくしの従者よ」と簡潔な紹介をしてくる。男の髪についた葉を雑に払いながら。

俺の知っている主従とは大きくかけ離れているのだが。


この国では珍しい黒髪を持つ、類い稀な美貌の男がその紹介にゆったりと微笑む。

クレアだけを写していた金瞳の眼差しがふとこちらに向けられると、なぜか背筋がぞわりとした。




「それよりギルバート殿下、すこし触ってもいいかしら」

「……さすがのお前も、俺の名前は知っているんだな。クレア・ルフェーブル」

「もちろん。あなたはわたくしの婚約者様だもの」


知っていてその不遜な態度か、と思いはした。けれどそれ以上に、彼女が兄たちだけでなく俺のことまで婚約者候補として認識していることに、俺は驚いたのだ。

当時の王宮で、妾の子どもである俺に王太子としての将来を見ている人間などいなかった。



俺の許可を待たずに腕をとり患部にクレアが手をかざすと、そこがほのかにあたたかくなって光の粒で包まれる。自分の腕から傷や痣がすうっと消えていき痛みが引いていくのを呆然と見た。


「治癒魔法……」



ルフェーブルの至宝、と呼ばれているのは大袈裟ではないらしい。


魔術には適性というものがあるが、治癒魔法はなかでも扱える人間が限られる高難度の魔術だ。適性がある人間でも扱えるようになるまでは時間がかかり、そして多くの魔力を消費する。6歳の令嬢が扱えるものでは本来なく、その発動から効果までのスピードも異常だった。ふつうの令嬢であれば学院入学前に魔力のコントロールが身についていれば十分だというのに。

ちなみに俺が治癒魔法を扱えるようになったのは、情けないことにこの4年後だった。


「……さすがだな。ありがとう」

「どういたしまして」

「俺を実験台にして日々練習している甲斐がありますねえ、クレアお嬢様」

「アル。黙ってなさい」

「……もしかして今、俺のことも実験台にしたのか?」

「我が国の第三王子殿下相手にそんなまさか」

「棒読みにも程がある」



クレアは、腕やら顔やら首元やら、とりあえず服を着ていても見える部分の怪我をすべて治してくれた。


そのあいだ、彼女は一度も笑顔を見せなかったし、返事もそっけないものだったが、兄たちを筆頭に皆が噂するような冷酷で感情のない女とは思えなかった。

従者と親しげに話す様子を見たからかもしれない。そういえばこの従者は、出会った頃から見た目がまったく変わらないが――――それはともかく。




「……クレア、ルフェーブル。聞いてもいいか?」

「なんでしょう」

「王太子妃となることを、お前はどう思っている?」



あのルフェーブルの血を真っ当に受け継ぎ、才能に祝福され、周囲に認められ、そして自分の気持ちにいつも従っている。

俺にないものをすべて持っている女。



「……そんな高尚な立場に興味はないけれど」


鮮烈な瞳が長いまつ毛に隠れる。


「わたくしは恵まれて生まれてきたから多少の不自由は仕方がないわ。わたくしが国のため民のために役立つと皆が言うのなら、そうなんでしょう」



思いがけず大人びた、諦観を感じさせる言葉だった。


この先、彼女は何度もその恵まれた才能に関して自画自賛を口にするが、いつだって自惚れと感じることはなかった。

恵まれてしまった、持ち得てしまった、それに見合う努力を重ねるのが自分の使命であるというように、それは一種の呪いであると証明するように、彼女は自分の期待に自ら応え続けた。





何も言えずただそうか、と頷く俺に、「でもそうね、」とやはり平坦な声が言う。




「我が国の王太子になるのは、あなたがいいわ」



平坦な、けれど透き通った凛とした声は、俺のことを確かに救った。



美しい光の粒に包まれながら、クレアの燃えるような瞳と目が合って、だから、なぜ、とかろうじて小さな声で尋ねたと思う。

けれどクレア・ルフェーブルはその問いに答えず、「お父様のことを待たせていたんだったわ!」と突然騒ぎ出し、慌ただしく従者の手を取り去っていった。




なめらかな銀髪が揺れる華奢な背中を呆然と見送りながら、そうか、と思った。





俺も王太子になっていいのだ、と。


そういうものを俺だって望んでいいのだ。母親のためでも国王である父親のためでもなく、自分自身のために、あの天才のように努力を重ねてもいいのだ、と。



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