スナスナ、ホレホレ
ホーラ・ガイストの案内で、ポポロは妖術師の巣穴の奥底へと下っていった。
巣穴は網の目のように広がっているだけでなく、縦にも深く掘られていた。
地下トウキヨはその名の通りの地下世界であるが、アナベルは地盤をさらに掘り進めていたらしい。ぽっかりと空いた穴には二つの道があった。片方の道はポポロでも通れそうなサイズだが、もう片方はいやに小さい。
「ぐげげげげげ。スナネコ掘道とアナウサギ掘道、どちらにいたしますだぎや」
「どう違うの?」
「ぐげげげげげ。アナベル様はいじらしい乙女だで、推し猫様にちゃっと贈り物すら渡せんだなも。ねえ、ホーラ。スーニャンちゃんに立派な羽根をあげたいのだけど、いきなりプレゼントしたら重いかなあ。あたしが勝手にプレゼントしちゃったら運営さんも怒るよね。と、うじうじ悩んでおられたのだぎや」
ホーラ・ガイストはポポロの質問には答えず、アナベルの心境を伝えた。
「そういうことなら、相談してくれればよかったです」
「ぐげげげげげ。運営さんに相談なんてできるわけないじゃないの。こういうのはね、驚きが大事なの。分かる、驚きよ、驚き。あんなに頑張っているスーニャンちゃんに妖術で砂の羽根をちょちょいと拵えてあげても、なんの感動もないわよ。そんなの、ドーピングと同じよ。不正改造よ、不正改造。スーニャンちゃんが心の底から喜んでくれて、スナネコ飛空挑戦でばばーんとお披露目できるやつがいいの。どう、なにか良い案思いつかない? と申しておりましただぎや」
ホーラ・ガイストはまるで我がままお嬢様に振り回される執事のようだ。
「妖術師に仕えるのも大変なんだね。それでどんなサプライズを用意したの?」
「ぐげげげげげ。それは申し上げられませんだぎや」
「まあ、そうだよね」
「ぐげげげげげ。スナネコ掘道とアナウサギ掘道、どちらにいたしますだぎや」
再び同じ質問をされた。スナネコ掘道は極小の道幅の方で、アナウサギ掘道が中くらいの道幅であることぐらいは察しがつくが、どちらを選ぶべきか判断がつかない。
ここを通れ、と言われれば、スナネコ掘道は狭過ぎて通れそうにない。
だが、安全にアナウサギ掘道を選べば、驚きの要素は薄かろう。
どちらかが正しい道で、どちらかが誤った道かもしれない二者択一。
ポポロは即断できず、仕方なしに雑談を始めた。
「サプライズはアナベルさんひとりで用意したのかな」
「ぐげげげげげ。モシュ王国モシュ王の従者であるミリク様にご相談なさっておっただぎや。ミリク様は空飛び猫について誰よりも理解があるだぎや。ふつうの猫は砂を掘らないけど、スナネコもアナウサギも砂を掘るでしょう。アナベルさんとスナネコくんが砂堀競争をして、スナネコくんが勝てたら、ご褒美に羽根を強力にしてあげる、という感じにしたらどうかな、とミリク様が助言してくれただぎや」
「それは素晴らしい助言ですね」
「そうだぎや、そうだぎや。アナベル様もお喜びでしただぎや」
ポポロが手放しで褒めると、ホーラ・ガイストも嬉しそうにゆらゆら中空を漂った。
スーニャンは外見こそ可愛らしいが、ああ見えて根っからの狩人である。勝負事には目がなく、競争となれば俄然張り切って挑むだろう。
ここまでのホーラとの会話から、どちらの道を選ぶべきかが明確になった。
スーニャンが掘ったスナネコ掘道は、太ったポポロでは絶対に通り抜けられない。
だとすれば、アナウサギ掘道を選ぶしかない。
「ホーラ、道を決めたよ」
ポポロが決断を口にしようとすると、心なしかホーラ・ガイストの表情が曇った。目や口のない法螺貝ではあるが、巣穴がふいに暗くなったため、ホーラ・ガイストの気持ちも暗く塞いだように写った。
「ぐげげげげげ。アナベル様は凝り性だぎや。徹底的に細部に拘るのだぎや」
「凝り性は悪いことではないと思うけど」
「ぐげげげげげ。何事も程度問題というものがあるだぎや」
何かしらの罪でも独白するようにホーラ・ガイストが重々しい口調で言った。
「アナベルさんは何に拘っていたの?」
ポポロが訊ねると、ホーラ・ガイストはきょろきょろと左右を見渡した。
主人であるアナベルの目が光っていないか、念のため確かめたのかもしれない。
「アナベル様は推し猫様に完璧な羽根を与えるため、まずは砂で推し猫様の立体像をお作りになることにしたのだぎや。それがもう狂気の沙汰だもんで、完璧な羽根を作るならば立体像も完璧でなければならぬと申すのだぎや。推し猫様を監禁し、正確に採寸し、毛の一本一本まで精密に型取りすると言って聞かぬのだぎや。アナベル様の愛は重たい。推し猫様が窒息されていなければいいのだぎや」
脅しめいた告げ口にぞっとして、ポポロは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
いかな運営さんとはいえ、アナベルのお楽しみの最中を邪魔したら、ポポロも容赦なく生き埋めにされてしまうような気がした。
「ぐげげげげげ。スナネコ掘道とアナウサギ掘道、どちらにいたしますだぎや」
「スナネコ掘道で」
ポポロは表情を引き攣らせ、くぐもった声で答えた。
「ぐげげげげげ。承知いたしましただぎや。どうぞ、お進みくださいだぎや」
案内役のホーラ・ガイストは砂に紛れて消えた。
小振りなスナネコ掘道に光が差し、隣のアナウサギ掘道は闇に閉ざされた。ポポロはただひたすらスーニャンが掘った道を掘り進んだ。
頭から真っ逆さまに落ち込んでしまえば一気に底まで到達できそうなものだが、いかんせんスナネコサイズの幅しかないため、ポポロのでっぷりとした腹がつっかえてしまう。
「足下を掘れ。そこに泉ありってこういうことか。ほんと、そのまんまだったな」
偉大なる猫の思想家ニャーチェの言葉を呟きながら、ポポロは掘って掘って掘り続けた。いっそのことポポロの重さに耐え切れずスナネコ掘道ごと崩落しないだろうか。そうすれば掘り進む手間が省けるのだが、そうそう都合よく底は抜けなかった。
「スーニャン、いったいどこまで掘ったんだろう」
ポポロは掘り疲れては小休止し、体力が回復したらまた掘って、ひたすら掘り進む。それでもなかなか底は見えてこない。あんなに小さな身体でスーニャンも同じだけ掘り進んだのだと思うと、得も言われぬ感動を覚えた。
ただひたすらに砂を掘るという、あまりの単調さにポポロは挫けそうだったが、通りすがりのマヌが唱えた合言葉をぶつぶつ唱えると、ちょっとだけ楽しくなった。
「スナスナ、ホレホレ。ハネ、ハエル」
ポポロは底を目指して掘り続けたが、掘り返した砂を外に捨てなければ、スナネコ掘道の砂の総量は変わらない。今までは砂を外に掻き出していたが、ポポロの図体がすっぽり埋まるほどになった途端に行き詰った。
掘り返した砂を捨てられず、進むに進めない。戻るに戻れない深層へと至り、ちらりと来た道を振り返ったのが失態だった。このまま上部の砂が崩れてきたら、間違いなく生き埋めだ。身の毛もよだつ恐怖がポポロを苛んだ。
「もう少し! もう少しだ!」
ポポロはぶんぶんと首を振り、まとわりつく恐怖を振り払う。スーニャンはきっと突進するように掘り進んでいったのだろう。後先など考えず、ただただ一直線に掘られた砂の道がその証拠だ。清々しいほどまっすぐで、脇に逸れた形跡さえない。
「スナスナ、ホレホレ。ハネ、ハエル」
ポポロは合言葉を呪文のように唱え、目の前を塞ぐ砂に思い切り拳を叩きつけた。砂にめり込んだ腕がずぼっと貫通し、風穴が開いた。あっという間に底が抜け、支えを失ったポポロは空中に投げ出された。
「わあぁぁああああぁあああ!!!」
情けない声が妖術師の巣穴にこだまする。スナネコ掘道を貫通した先は、半球状のだだっ広い空間がぽっかりと口を開けていた。浮遊感など微塵もなく、ポポロは為す術なく落下している。
これはではまるでポポロが〈スナネコ飛空挑戦〉を疑似体験しているかのようだ。毎度毎度、スーニャンは喜々として飛んでいたが、あれは飛ぶというより、ほとんど落っこちていた。此度のポポロは真っ逆さまに落っこちている。
このままの勢いで地面に叩きつけられたら、運動音痴なポポロはお陀仏だ。さらりと受け身など取れそうもないし、怖くて地面すら直視できない。
「わあぁぁああああぁあああ!!!」
これはマヌの幻術が見せた悪い夢であってくれ、とポポロは願った。
精一杯目を瞑って恐怖を紛らわそうとするが、尋常ではない落下速度に全身が総毛立っている。胃がきゅっと絞られ、叫び声も嗄れた。
ああ、これはどうしようもない現実だ。
諦めにも似た感情がポポロを包むや、エメラルド色の泉に墜落した。
がつん、と鈍器で頭を殴られたような衝撃が走る。ごぼごぼと水を飲むが、水中で気を失うことだけは避けなければならない。ポポロは必死に犬掻きし、なんとかかんとか水面に浮上した。
「……ごほっ」
ポポロは砂浜に打ち上げられた魚のように喘いだ。エメラルド色の泉があり、点々と椰子の木が生い茂っている以外、半球状の空間はどこもかしこも砂ばかりだった。足下の砂は焼けるように熱い。
ひょっとして、ここはスーニャンの故郷を想像して作られた砂漠なのだろうか。
推し猫のスーニャンに喜んでほしい一心で、新進気鋭の〈建造者〉であるアナベルが丹精込めて作り上げた心の故郷。あるいは「足下を掘れ。そこに泉あり」という、マヌの託宣を実現するためだけに造営された泉なのか。
どちらにしたって驚きだ。あまりにも手が込み過ぎている。
しかし、水嫌いのスーニャンは泉を喜ばないかもしれない。
砂漠のオアシスといった趣の泉であるが、そもそもスーニャンはオアシスというものを見たことも聞いたこともないやもしれない。
スーニャンを喜ばせんがためのサプライズであることなど知ったこっちゃなく、「え? なあに、これ?」ときょとんと首を傾げ、泉にはこれっぽっちも近付かないだろう。
せっかく用意してあげたのに、とアナベルが逆切れしそうな姿が目に浮かぶ。
ずぶ濡れのポポロはぶるぶる全身を震わせ、水気を払った。
「あ! ポポ先生ぃーーーー!」
どこからともなくスーニャンが走り寄ってきて、ポポロの足下にすりすりと頬擦りした。スーニャンは擦り傷だらけで痛々しかった。
「スーニャン、無事だったんだね。今までここにいたの?」
「スーはおのれとたたかってる」
スーニャンはえへんと胸をそやした。
「……おのれと?」
スーニャンが言っていることがよく分からない。ポポロが中腰になって聞き返すと、アナベルのものと思われる剥き出しの怒声が響いた。
「ちょっと運営さん! 今、いいとこなの! 邪魔しないで!」
「え?」
ポポロは四方から手を伸ばしてきた砂の牢獄に捕らわれ、あっけなく拘束されてしまった。砂で目隠しされ、アナベルの悩ましい声ばかりが残響した。
「あんっ! だめえ、壊れちゃう。そんなに暴れちゃだめえ!」
さっぱり状況が分からないが、ポポロはなんとか抵抗して目隠しを取り払った。
目の前の光景は、少々信じがたいものだった。
スーニャンが、スーニャンそっくりの砂の猫と戦っている。
互いに牙を剥き出し、ざざざっと砂の上を踊るように疾駆する。両者は睨み合い、首筋を八つ裂きにせんと、鋭い爪を繰り出すチャンスを伺っている。
「そう! そこよ、スーニャンちゃん! さあ、己に打ち勝つのよ!」
スーニャンそっくりの砂の猫は、アナベルが砂で造形した偽物のようだ。
姿かたちはそっくりだが、ひとつだけ違いがある。
偽物の砂猫には、砂をまとった金色の羽根が生えていた。
「アナベルさん、これはどういうことですか」
「どうもこうもないわよ! スーニャンちゃんに羽根をプレゼントしてあげたいけど、違法改造はダメ。だったらもう己と戦ってもらうしかないじゃない!」
手に汗握る熱戦を前にアナベルも興奮していた。
「そこよ! やれ!」などと外野からスーニャンを応援するが、いざ偽物の砂猫がやられそうになると、「いやあ! あたしの創作物があ」と慈悲を乞う。
アナベルは推しのスーニャンに勝ってほしいが、我が子とも言うべき創作物にも負けてほしくはないようで、どっちつかずの相反する感情に引き裂かれていた。
その上、アナベルが叫ぶと、砂猫のまとった羽根がぴくんと反応し、スーニャンの突進をひらりと回避する。
荒ぶる猛牛と闘牛士のような一戦はなかなか決着がつかない。
攻撃を躱されてばかりのスーニャンはぜえぜえと肩で息をしている。
疲れ知らずの砂が相手では、どだい分が悪い。
「ぜったいに! 負けられない! 戦いがここにある! さあ、スーニャンちゃん! 己に打ち勝つのよぉ!!!」
お手製らしきスーニャンの似顔絵タオルを振り回し、アナベルが絶叫する。
宙に浮いた妖術フォンの枠がバシャバシャとスーニャンの一挙手一投足を撮影し、光の雨がスーニャンに降り注いだ。
スーニャンは疲れ切っていたが、弾丸のような勢いは失っていなかった。
砂を蹴り、己そっくりの砂の猫に真っ正面から突っ込んでいた。
しかし、悲しいかな、ひらりと躱された。
「スーはまけない! スーはとぶ!」
諦めの悪いスーニャンはきゅっと身を捩り、瞬間的に方向転換すると、ミサイルのように頭からぶち当たっていった。
砂の猫を撃ち抜くように貫通し、スーニャンはどさりと倒れ込んだ。
砂の猫がさらさらと崩れ落ち、周囲の砂もろともがスーニャンのちっぽけな羽根に収束する。背中に生えた立派な金色の羽根がスーニャンの勇姿をたたえるようにひと瞬きした。
砂の牢獄から解放されたポポロは一目散に駆け寄ると、スーニャンを抱きしめた。
「スナスナ、ホレホレ。ハネ、ハエル。よく頑張ったね、スーニャン」
スーニャンはすべてやり切った充実の笑みを浮かべ、すやすや眠っていた。




