深海6000メートルより、もう届かない君へ。
密閉空間に閉じ込められたとすれば、人はどうするだろうか。きっと、恐怖感に押しつぶされて開かないドアを全力で叩くはずだ。鍵がかかっていて無謀な努力だと理性はキャッチしていても、感情を抑えきれないのだ。
そして、その密閉空間から永遠に脱出できないとすれば、どうだろうか。ロックが解除されることは二度となく、一生をその空間で暮らさなければならないのだ。運命を共にする人がいるのならばいざ知らず、孤独を味わうことになった日には発狂して正気を失ってしまうそうである。
「……嘘だろ、おい……」
久志は、正にその局面に対峙していた。
潜水艦の窓から外の景色を確認しようとも、光の届かない深海は真っ暗で深海生物を見る事は出来ない。一寸先どころか、一ミリ先も闇だ。
「どうして、こうなったんだよ……」
電気を供給するケーブルが切れてから、一分。潜水艦の中に居ては実感がわかないが、刻一刻と深海を沈んでいっているのだ。後戻りのできない、一方通行の旅だ。
電気が無くては、酸素が生産出来ない。酸素が生産できなければ、生命を維持することは出来ない。
久志は、出ることの出来ない閉鎖空間に閉じ込められたのだ。
「……どこかに、予備電力は残ってないのかよ」
内部に並んでいる機器から非常電源の稼働ボタンを探すが、そんなものが凸にもないことは久志自身が一番知っている。命を預ける潜水艦は、入水前に隅々までチェックしている。
「……こんなので終わるなんて、いいのか?」
夢であってくれと頬をつねるが、痛みが走るだけでベッドの上に意識が戻ることはなかった。
……せめて一言、有紀に伝えたかったな……。
有紀は、久志が付き合っている最愛の人だ。
潜水という仕事は、期間も長く危険度も高い。仕事前には、必ず有紀が応援に駆けつけて来てくれていた。
もう、有紀に会うことはない。
『久志、また帰って来てよね!』
『心配するなよ、事故が起こるわけないんだから』
軽はずみに言ってしまったことを後悔しても、もう遅い。事故は実際に起こってしまったのだから。
まだ酸素が切れるまで、猶予時間がある。身がここで朽ち果てようとも、遺言くらいは引き上げてくれるだろうか。
乗り気のしない体を奮い起こし、持参していたボールペンとメモ帳を手に取った。
「……あれ?」
胸の辺りがつかえた。もう酸素が無くなったのか、もう死ねるのかと重力に身を委ねようとした。
しかし、それは一枚の丈夫な紙であった。
……そうだ、出発前に有紀からもらってたんだっけ。
有紀が、『仕事が全部終わった後に読んで』と念押しされていたのだった。
久志は、胸ポケットからその紙を取り出した。
『この紙を読んでるってことは、もうすぐ私と会うってことだよね。準備はもう整っているので、ここで伝えます。
私と、結婚してください。
これから、いつまでも思い出を一緒につくっていきたい。
勇敢な久志に憧れて、久志と一緒に行動するようになった。かっこよかった。それでいて、気遣いも
してくれた。抱き合っている時が、いちばんしあわせ。
有紀より』
有紀の文字が、霞んで見えた。ポロポロと、涙が無機質な金属の地面へと落ちて水たまりを作った。
……有紀、ごめんな……
「ああ……、結婚式は、どこで挙げようかな……」
そのまま久志は、ぐったりと壁に倒れ込んだ。
一人の男の無念は、深く深く沈んでいった。
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