使える
雌の匂い。誰だ? 雌とはいったが綯い交ぜになった女の体臭だ。幼子から老婆、母親、医者、薬の匂いも混ざっているな……そんなものが全て揃うってことは出産? いや、それとは別に一番強い匂いが思春期の女性ような、若い。だが、幼くも老連した香り……女性向けの装飾品、見えたのは……? 老婆の白衣が、
「目を覚ましたかい?」
「…………え」
ぼんやりとした意識で返事をしてしまったために間抜けた返事で返してしまった。
「大丈夫、無理に返事しなくていい。処置は成功したので毒が完全に抜けたわけじゃないな、……舌が回らないか?」
「いや、あいう、あー、いろは、大丈夫。喋れます。体も動く、指は少しかじかむ」
身を起こして、服を着ていないことに気づき布団を落とさないように腹まで隠す。
「こんな婆さんに気を使うかね?」
「恥ずかしい。流石に、で、この部屋は?」
女性向けの置物を見て気になってしまう。
「アンドロマリー殿下の私室さ」
「な……っ」
「気にすることはないだろう。あんた、アンドロマリー殿下の男妾だって思われてるよ」
「何の話だ?」
見渡して服を見つけると、布団の中でもぞもぞと下着から順番に装着していくなか、老婆はからかってくる。
「当然だろう。出自不明の男をいきなりとっ捕まえて周囲を無視して部下にたと思ったら、大怪我したあんたを私室に連れ込んで馴染みの医者に見せるとか、さ」
老婆は、彼女は医者か
「有力な王族がそんなことして、周囲はどう思うって思って? 今回の話が王都に伝わったらどうなるか、想像はしなかったのか?」
「してなかったね」
呆れられた。できの悪い子供を見るような優しい呆れ方だが、
「まま、いいわ。身の振り方は考えなさいよ?」
「はい。すみません。浅慮……でした」
テーブル端の手元にあった小さな魔術的な装置になにか操作する。
「いま、アンドロマリー殿下を呼んだから、えぇ」
「なにか書類を記しはじめた」
彼女が紙を半分埋めた頃に僕は服を全て着てベッドから降りる。
「なんだ。お前さん、もう立てるのか」
そうだ。ユーリは無事だろうか? あそこに散布されていた毒は死ぬようなものではないが、どんな物質にも致死量はあるし、長く吸っていれば後遺症がでないってこともないはずだ。
「あぁ、寝てもいられない」
「いまは、まっていてくれるかい」
「わかった」
その場で立ち……行き場もなく、動かない。
「末梢の違和感以外に変な感覚はないかい?」
「……」
体を捻って、屈伸して、二回はねて、魔力で手に平に練気を編んで握って開く。
「ほかは無いですね」
「そうかい、それは……本当かい?」
「あぁ、あの場の、動物毒はほとんど全て解毒した。意識を失いまでは確実に、だけど、途中の引火した、たぶん化学毒は、たぶん、化学毒があった。察知できずに、結構あたった。けど」
「化学毒だって?」
「えぇ」
白衣の老婆は驚いている。……引火、そうか揮発性が高くて、
「老婆は書き記す速度が上がり、なにか引き出しからメモを取り出し次々と新たにメモを記す」
「えっと?」
「ジークフリート! 目を覚ましたって」
「あぁ、僕は無事だ」
「治療の成果だからね? 用心はするように」
アンドロマリーの後ろに何人かついて歩くが、その中に見知った顔はない。
「ユーリは無事か?」
「あぁ、無事ではない」
力強く。険しい口調ではっきりといった。
「毒の後遺症が?」
「いや、あの毒はある程度鍛えた人間なら死ぬような毒でもないし、後遺症を受けたものも何十人も気絶したというのに数人しか確認していない」
「……なんだ? いや、まさか」
「あぁ、そのまさかだ。彼女は誘拐された」
「そうか、あの男は誰だ! 毒使いの、追わせてくれ」
「……あの男は、旧帝国の貴族である組織に所属で中核人物として活動していた。それ以上の説明をするつもりはない。彼の行き先は知っている。故にすでに兵士は派遣されて知らせを待つばかりだ。……今から追っても無意味だ」
奥歯を噛みしめる。なにもできないというのか?
「なんで、そんなやつがユーリを!」
「…………あぁ」
考えて、更に険しくなった顔でアンドロマリーは告げる。
「私のミスだ。彼がユーリくんに手が届く位置まで招いてしまったのは」
「……?」
ユーリを狙った理由がわからない。彼女の後ろの何人かが色めき立った声を漏らす。
「先日の、ユーリを召喚したカルトと彼らは無関係である照明として、重役の人質として拘束していたのだが、彼の部下の強襲により逃げられた。その結果、被害が出た」
「その組織がカルトの裏の、本体だっていうのか?」
「あぁ」
召喚したユーリを狙う理由は、
「まさか、アイツらはユーリを御使い再召喚の贄にするるもりだっていうのか……!?」
「おそらくは」
「教えてくれ、アイツラがどこにいるか! 無駄でもいい。いかなくちゃならないんだ!」
「無意味だ。空間移動に使った座標も分かっている。いまから準備しても君の足では半月もかかる」
「あ? なにを」
そこで、後ろに騎士の若い女が怒鳴る。
「貴様、流石に殿下になんて態度をっ!」
アンドロマリーで手を横に広げて静止のサインを取ると、ピタッと声は止まった。よく躾けられている。見ると後ろの付き人は全員女性だ。たぶん、どっちかわからない鉄仮面もいるが、顔が見える全員が女性でそれっぽい服装なのだから女性なのだろう。
「すみません……直します」
「いいえ、直す必要はないわ。むしろ、あなたは私に対してはフランクな態度を……命令したほうがいいかしら?」
「殿下、そこまで……」
「必要ない。そんなことをしたら、矛盾で気分が悪くなる」
「ありがと」
……。言えることは言っておくか、
「あの男が使った術は、動物毒を生成する緑の魔力因子を用いた術。剣、たぶん魔剣の類から鉄の塊を発生させ自在に操作し発熱する鋼と炎の魔力因子を用いた術。手元にあったなにかと周辺の土から毒物を抽出して液体として操作する土と水の魔術、毒物は揮発性が高く爆発した」
「なんだって!」
ベラベラと箇条書きのよう起きたことをいい並べていると後ろの騎士の一人が声を上げる。
「どうした?」
「はっ、我々はかのものの交戦記録から毒の散布に風の魔力を用いることは知っていまししたが水の魔力を持つことは確認されていませんでしたので」
「そうか、隠し玉がまだあるってことか、……間に合うかわからないが、そのことを魔力通信伝書を試して」
「まって! あとひとつ、あいつ。思いっきり殴ったけど、気軽に立ち上がったから練気は速さはないけど、かなり硬かったのと、儀式につかった贄は懐に入るサイズだった」
「それで全部か?」
「うん」
「では、急いで通信を試みます! では」
騎士は一人、駆け出して部屋を出た。
「私にはまだ、仕事があるから、じゃあ、夕食にでも招待するからこの部屋で、寝ていてね。アルマト、なにかあったらよろしく」
「御意」
年老いた女医が恭しくかしずき、それを確認したアンドロマリーは踵を返す。
「変な気は、起こさないでね?」
釘を差すために僕へ笑顔を向ける。
「ぅ、ん」
はっきりと返事ができなかった。部屋を出るアンドロマリーの姿が見えなくなったタイミングで誰かと穏やかな挨拶を交わす。もう一方は慌てているようだったが、すぐになにか一言、二言会話すると息を整えて部屋に入ってくる。
「フリッツ!」
「……コルネリア、あぁ、うん」
だめだ。そうしたくなくても顔がひきつってしまう。ここ数日、何度あってもうまく顔を向けられない。
「あぁ、よかった。ここ最近公国に居るようにしていたっていうのに、よりにもよって私の不在時に事案が起こるなどとは、……無事で、また、倒れたって、免疫関連の治療もまだまともに進んでないっていうのに……本当に、無事で良かった!」
「無事? 無事だって!? ……いや、無事だって思うのかい? いまが」
思わず声を荒らげてしまう。それをなんとか噛み殺して不満を伝える。すると、コニア姉さんは無遠慮に僕の胸をベタベタと触る。女医も特に止めようとしない。
「三日前に触ったときは塞がりかけでぶよぶよしていたけど、今は完全に治っているわね」
「っえ、三日? 三日だと! 僕は三日も眠っていたのか!?」
「え、えぇそうよ」
なら、なおさら、前にわざわざ護衛まで勝手出たユーリが無事じゃないことを知らないわけがない!
「ユーリがさらわれて三日も経ったっていうのか! なら、なんで……っ」
だめだ。言っても無駄だろう。
「無事なんて言えるんだよ」
「無理じゃない。あなたには、どうしようも」
「なんだと……?」
耳を疑うと同時に、心の芯の方で何かが冷えていく。
「いまなんて」
「あなたがいくら頑張ったところで、あの子を救える訳がないじゃない」
あぁ、目をそらしていた。なんなら救えないなら無駄死にするには、ちょうどいい場所だと思っていた。
「ほら、エイリアンを保護するとかそもそもが無茶な話だったのよ。あなた一人で守りきれるような相手じゃなかった。だから、そう……そうよ、ほら……忘れよ?」
……その提案に、僕の中で
「忘れる? 見捨てろってことか」
怒りが熱を持ち出した。
「えぇ、あなたには無理よ。私にも、フリッツにも、フリッツにはそれが試さないと分からなかったから、分かるまでやったってだけで」
怒りとともに、冷めた考えを持つ自分の中の自分は納得しそうになる。だからこそ、余計に怒り演出してしまう。
「また、そうやって」
「えぇ、そうよ。見下しもするわ。仕方がないことじゃない。あなたの実力じゃ、なにもかも、どうしようもないことにばかり文句を言って!」
「そうか、仕方がないか、僕を捨てたことも」
「それは今、関係のない話でしょ?」
「同じだ。諦める理由なんて『それしかできない』以外にあるって言うなら変えてやるよ」
「えぇ、あの時の私には他の選択肢がなかったわ。なら今回も」
「仕方がないからって捨てた僕らの思い出を踏みにじる理由も、『仕方がない』って言うのか!!」
卑怯な物言いだ。感情任せに関係のない話を持ち出して傷つけるためだけに言葉をぶつける。無意味だ。
罵声に呼応してコルネリアの感情も高ぶり、老婆は知らんぷりして部屋に隅で腰掛ける。
「ちがう。踏みにじっているつもりなんて」
「何が違う? 僕らのあいだにあった絆に、欲や願望なんて含みはのある物はなかったはずだ。ただ同じだから一緒に居ようとしたんだろうが! それをなんだ!? 『孤独を埋め合わせるためだった』? 『恋心を抱いた』? そんな実在しなかった理由をあとから付け加えて逃げようとしているじゃないか!」
「逃げてなんか……」
「だったら、なんでまた捨てようとしている!? ユーリを、僕と同じように、仕方がないから見捨てて、なかったことにしようとしているんだ! だから、偶然にも再開するまで一度だって僕のもとに帰らなかったんだ!」
明らかな狼狽を見せるコルネリア、これは、『使える』と思ってしまった。
「ご、ごめんなさいそんな、つもりは」
「ごめんなさい? そんな言葉を言うくらいなら、最初から……! 捨てるときにあんな」
「…………ごめんなさい」
「捨てるときに、あんなことを言ったんだよ」
「違うの。私はフリッツを男として」
「呼ばせてくれよ! あの時のように『コニア姉さん』って!!」
「……っう」
揺さぶりかけとしては完璧だ。
「敵の本拠地、レクレーンだろ? モウマド近くの」
アンドロマリーが『君の足では半月もかかる』と断定できるのはそこくらいだろう。
「え!? なん……違うわ」
唐突な言葉にとっさに出そうになった再質問、『知らない』でなく困惑した『違う』こういうのは、今も苦手なんだね。
「はい、ダウト。それさえわかれば、十分、命令を裏切る価値がある」
急に冷静になる僕と、自分の失態にあっけにとられるコニア姉。
「ごめんなさい。先生、頃合いを見て僕はいまから脱走します。アンドロマリーに『謝意』は持っていることだけは伝えておいてください」
老婆も、単純に困り顔だ。
「あなた……あ、いや、止めるなんて無粋で不可能な真似はしませんけどね? 私は見たままを隠しませんよ?」
「すまないね。……逃げたら処刑されるかな? 僕」
「いえ? それはないでしょう。アンドロマリー殿下も変な気を起こすんじゃないかっては思っていたみたいですし、そもそもあの方は」
「じゃあ、そういうわけだ。手遅れだとしてもいまから脱走してレクレーンに向かう」
「……私が許すと?」
あぁ、止めようとするんだ。だったら、
「僕の言葉に込めた感情は一つだって嘘はなんだよ」
「っ……」
何も言えなくなる。
「過剰に煽ったのはそうだが、あの時僕が感じた悲しみにも、また同じことを繰り返そうとしている嘆きにも嘘偽りなんて入れることはなかった」
「じゃ、僕は遅れてても、進むべき道は決めたんだ」
「だったら! 見逃すには条件があるわ------------」
その場で、コルネリアが出した条件は
「あぁ、魅力的な提案だ」
とだけその場で応えることができた。




