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9-2

 それがこちらへ向かって駆け出す前に、それらがいた空間が捻れたように視えるほどの衝撃波が生まれて、土煙を上げる。

「はッ、なにが!?」

 衝撃音に一瞬振り返りまた走り出すユーリ。振り返ったとき、一瞬目が合ったその衝撃波の中心にいた女性は驚いた目をしていた。

 驚いていながら、分厚い剣を気軽に振り回して一瞬で四つの金属の塊を捻りきったように両断した。

 その女性が常識的な速度の範疇で物凄い速さでこちらに近寄ってきて、折れ曲がった肉厚な剣を放り投げて何か言い出したその顔が誰かわかった所で僕の意識は暗転した。

 あの女は、僕が一番……、一番嫌いだけど……好きだった人だ。


◆ ◆ ◆ 


 人生で一番嫌な場面が2つある。……一つは好きだった人から突きつけられた真実の言葉。もう一つは尊敬していた父から告げられた浅ましい言葉。


「アンタの愛はその程度だったのか?」

 困惑した顔をひき下げる父だが、これは父に向けた初めての怒りなのだから、戸惑うのもそうなのだろう。心の奥まで吐き気がしたのを覚えている。

 あ、これ、クソ! 姉さんと会ったからもう一方の嫌な思い出の夢を見てるんじゃないか? これ、悪夢だよ! チキショウ、本当に忘れられないんだからやめてくれよ!?

 思い出の中の僕は憎悪を父にぶつけて殴りつけ、首を絞める。

「僕に向ける憎しみは時間が経てば枯れてしまうほどの些細な感情だったってのか!? 馬鹿にするなよ。アンタは僕を愛せるほどに母を愛さなかったって言うのか!? そうじゃないなら、アンタは一度だって僕を恨むことはなかっただろう? 恨んで、恨んで、それでも折り合いの付けられる人間じゃなかったんだから恨むしかなかった。そう思ってたけど違うのか! 取り下げられる恨みなら一度だって掲げんじゃないよ!!」

 これは記憶と少し違う。僕はここではまだ父を殴らなかったし、首もしめてない。

「だったら、アンタは僕を―――――――――――――――」

「違う、あの時僕が言わなきゃならなかったのは『だったら最初から愛してほしかった』ってそんな言葉だったのに! 僕はっ……」

「だったら、アンタは僕を生まれた時に殺せばよかったんだ」

「だったら、アンタは僕を恨む理由なんてなかったんだろう」

「だったら、アンタは僕を―――――――――――――――」

 父の浅ましい言い訳に詰り続ける悪夢の中の僕は、形を持たない怪物に変貌する。

「謝罪なんて聴きたくない! 憎め! 僕は忌むべき子供じゃなかったのか!? 僕は愛なんて要らない! 僕には憎悪だけ向ければ良い! お前はそのために僕を殺さないのだ! それが母さんへ手向ける愛の証明なんじゃないのかっ!」

「違う! そんなこと、言ってない。僕はただ、いやだっただけなのに……そんなこと」

 その顔はなんだ? ……吐き気がする。怪物の『僕』が僕を見る。

「なんだぁ? その顔は!? 後悔するくらいならなぁ……僕は最初っから媚びていただろうがッ!! 反吐が出る、お前も父と同じだ!」

 形を持たない怪物の『僕』から大顎が向き出て、立ちすくむ僕にかぶり――――――。


「お前は逃げていたんだ。自分の憎しみが全部過ちであったと認めることから!」


 ◆ ◆ ◆


 目を開くと、……アンドロマリーさんがニヤついた顔でこっちを見ていた。

 どうやら僕はベッドで眠っていたみたいで温かいものに包まれている。身を起こそうとしたら驚きの声をあげたアンドロマリーさんが手のひらを突き出して静止する。

「ちょっ! ……そう、動かないことね」

 静止するまでもなく僕の体は身じろぎと言えるもの以上の動きができていない。

「あー、すみません、動けないです」

「そう、そろそろ目を覚ます頃と思ったから色々気付けの術を使ったけど、気分はどう?」

「最悪かもしれないです。悪夢にうなされたので」

「そう。そういう副作用は、聞いたことがないけど、この術にはそういう性質があるのかもしれないわね」

「……そうだ!」

 気付いて錬気で無理に体を動かして身を起こす。

「ユーリは!? どこに! 無事なのか!」

「えぇ、無事よ。保証する。だから動かないで、この5日間、誰にも危害を加えられてないし、加えたものが居たとしたら間違いなく死んでいる。そういう状況で守られているわ」

「何を言っている?」

「コルネリアちゃんが貴方の代わりに守っているわ。聞いたら、同郷で仲が良いらしいわね。貴方のために彼女の保護を買って出たわ」

 温かいものに包まれているっていうのに寒気がした。なんて

「なんて、ことをしていんだ! コニアね、コルネリア・コルネイユが僕に……!」

 慌てて布団から飛び履物も履かずに立ち上がる。体が重く、魔力で無理に起こしているはずなのに上手く立てずよろめいて布団にもたれてしまう。

「今のコルネリアと僕が仲が良い訳ないだろ! あの女がいまさらになって僕のために、なにかるすなんて、あり得ない。あり得るわけがない」

「え、いや、それはどういう目的で言っているんだ? あのコルネリアちゃんが」

「ユーリは、ユーリが危ない! 今、どこに」

「…………今でかけてるわ。コルネリアちゃんと食事をとりに街へね」

「いかなきゃ」

「ここで待っている方が早いわよ? ここ、コルネリアちゃんの妹の持ち家だから、住んでるらしいわよ。ここ数日ここに」

「なにがだ? コルネリア・コルネイユがか?」

「えぇ、そうよ」

 恐怖は消えないが、なにか企んでいるにしても急ぐ理由はないのか……?

「信じられないな」

「いやなんで?」

 明らかに引いている。彼女はコニア姉さんを信頼しているようだ。

「コルネリアは僕が……、僕もコルネリアが嫌いだからだよ」

「本気で言っているの?」

「あぁ」

 見定めるような目のアンドロマリーさんは困惑してはいるが、なにか思案している?

「それは、ありえないわ」

「何を、何を言って……っ」

 激高してしまいそうになると、また僕の意識は闇にこぼれ落ちた。


 ◆ ◆


 目を覚ますと、同じベッドで目を覚ましていた。前と同じ温かさとは別に重みと熱を感じる、左手に椅子に座ったユーリが僕を覆うように前に伏せて僕に重さを感じさせて、右手に……っ、ずいぶん懐かしい、かつて姉と慕った女性、コルネリアがすがりついて眠っていた。

「ん、あぁ」

 眠りが浅かったのか、僕の驚きの揺れを感じてコルネリアが目を開いてこちらへ一言、

「おはよう」

 なんだそれは……!

 僕らが最後どうやって離れたのか覚えていないのか!!

 言いたい不満はたくさんあった。どれから文句を言えば良いのかわからない。どうしてそんな、僕らの間に何も起こらなかったような態度で微笑むことができるのか!? なぜ、なんでなんだ。

 なにもいえず、この瞬間で僕は

「久しぶり」

 一番嫌いで好きだった人に、それ以上なにも言えなかった。言いたくなかった。

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