木曜日の午後、黄色い寝室にて
そんな感じで、俺はいつまで経っても劣等人種だ。
俺が産まれた日、分娩室の窓には雪が降っていたそうだが、その直後に俺は南西に位置する国に住む母の友人の元へ預けられた。その友人は孤独で、俺を可愛がり、しかしそのために俺を母親と国に返すことが億劫になったと思われる。結局、学生の間は俺が長期休暇を与えられる夏以外に国に送られることは無く、それ以降、俺が雪にお目にかかることは無かった。
俺と、俺のホストマザーは雪を見たことが無い。母は毎年、クリスマスと新年を雪と一緒に迎えるそうだ。
しかしまた、ホストマザーにとっての“雪”が朝のニュースで伝えられる外国の積雪情報の映像である一方で、俺にとっては、無意識に存在する確かな記憶、開きかけた両瞼でもって、助産師が俺を抱え上げた拍子にこの両目が捕らえた、薄紫色のカーテンが描いた緩やかな弧、その僅かな隙間に覗く、いくつかの白い結晶のことだった。
冬に国に帰ることは簡単だ。いとも簡単。だが母の顔よりもはやく俺の涙に映り込んで、一緒に頰を滑り落ちた美しい自然の贈り物を、もう一度目撃してやろうという機会がいざ手に入るとなると、どうも俺は尻込みした。
小学校に上がると、ホストマザーは客室だった部屋を俺に譲った。滅多に客人が招かれることも、泊まり客が訪れることもなかったので、客室は埃っぽく、白かった壁には茶色いカビが斑点のように生えていた。入学祝いとして、彼女は壁紙を張り替えることを許可した。壁紙業者の男からはカタログが贈られた。二人で、ほとんど差が無い色の数々を見比べるふりをしていたが、彼女は俺が白を選ぶことを期待していた。本来の彼女は几帳面で、俺の寝室が他の部屋と同じように白と灰色を基調にした、風にさらわれそうな配色になることを望んでいたのだ。じっくり吟味を重ねたような間を置いてから、黄色がいいですと俺は言った。
後にも先にも、俺が純粋なこだわりのために彼女の希望に沿わなかったのはそれだけだったが、それだけに、俺は今でも白色の壁に囲まれて眠る自分と、きちんと統制の取れた家を夢に見ることがある。
無名の詩人が残した作品の一つは、こんな文句で締められていた: 今日は星でも、明日には肉だ。
学校は一貫して退屈で、印象深い教員も友人も思い浮かばないが、教材に使われる本はほとんどが素晴らしかった。上記はその一例だ。
これは全くその通りで、俺がもしも万が一にも家庭を築くなら、この言葉は家の一番目立つところに貼られるだろう。世界を熱狂させたロックスターも、ピストル一丁にかかった指一本で、翌日には火葬場を匂い立たせている。淪落は日々、様々なところで発生している。死はそのうちの一つに過ぎない。
一種の自戒なのかもしれない。この詩人は高校教師で、名前と作品をいくら調べても、同名の弁護士、もしくは題名がよく似ているT.S.エリオットの作品に行く手を阻まれる。とは言え、朝のアナウンスを教壇の上で聞き流しながら、自分に預けられた十代の子供たちをぼんやり眺めることに人生を費やす中年が書き上げた詩だと想像を膨らませるほど、俺はその含蓄深さに涎を垂らしそうになった。当人が望もうと望むまいと、見上げられれば星にならざるを得ない彼らに対して、詩人は冷たい皮肉と硬い陳述のどちらを込めたのか、それとも、彼らに夢を見そうになることへの自制なのか、俺はそればかりが気になった。
十二月。アンナ・カリーナの訃報だ。俺はこの女優を存じ上げないが、お悔やみの言葉から察するに、恐らくは素晴らしい人物だったのだろうと思う。
身近な死と言えば、二つ思い浮かぶ。母の知り合いが飼っていた犬のことと、とある聖職者のことだ。
一つ目は特に面白みは無いが、数少ない実母との思い出ではある。母は俺を訪ねてきた。そして慣れた様子で、当時は車体が黄色かった路線バス(現在はオレンジと茶色に塗り替えられている)に俺を乗せ、三歳の俺は死という優しい教師のもとへ連れられた。
道中の記憶を仔細に語れば本が一冊書けるだろう。その知り合いはショッピングモールの上に強引に積まれたマンションの一室に住んでいて、そこのエレベーターは恐ろしく黴臭く、換気扇の羽は埃の山を抱えたまま音を立てて緩慢に回っていた。
かくして数十分後には、俺は母と一緒に、小型犬の死体を前にしていた。実に平坦だった。黒っぽいヨークシャーテリアで、腿は歳を取りすぎた鶏の肉みたいに硬かった。目を閉じさせてやればいいのに、と思ったような気がするので、多分その犬は目を開けていたのだろうが、よく覚えていない。
飼い主は、葬儀場で犬のお気に入りだった人形を棺桶に入れさせてもらえなかったということについてぼやいていた。それぐらいなもので、特にショックは受けなかった。あの部屋でショッキングだったのは、犬がつけていたクリップのピンク色だけだ。
二つ目の方は、俺を象る揺るぎない糸の束を唐突に鷲掴み、強く揺さぶりかけたことでよく記憶している。
彼女は近所の教会に勤める聖職者だった。生を授かった日に洗礼を受け、その後もずっと従順な神の教徒だった。善良で、ユーモラスでもあった。しかし彼女は秋のある日に、自ら命を絶った。憶測でしかないが、病苦の末だったと信じられている。
俺が中学校にいた頃のことだ。神学校だった。午前と午後に、祈りの時間が設けられていた。物心ついた時から、異教徒であるくせに俺は祈祷文を暗記してきた。彼女の報せが届いた時、俺は色々なことを考えた。
人は一瞬の幸福を永遠にしようとして全てを台無しにするそうだが、永遠ではないものに安心して身を浸からせられる人間はその時点で幸福の申し子だろうと思う。幸福にはセンスと才能が必要だ。人生の絶望を前に、些細な嗜好と信仰は一向に役に立たない。
優しい養母の願いを反故にしてまで長続きしない好みのために寝室を黄色く塗ってみたところで、その部屋の住人が永遠に満たされるわけでもない。
ゴッホは黄色が好きだったが、黄色が溢れる世界は彼の拳銃自殺を止めなかった。ジェフリー・ダーマーはデスメタルが好きだったが、それも彼を孤独から救わなかった。
聖職者は聖書の教えに従士してきたが、神の存在は彼女を病の苦しみから解放することはなかった。
いったい神になんの権利があって死の選択を規制しているのかは知らないが、とにかく訃報があったその日の俺は、午後の祈りの時間に、彼女の選択が地獄への道に繋がらないことを、彼女が信じた神に祈った。結局、神も聖書も、だめな時はだめなのだ。
菜食主義者が何を主張しようと、薄切りにされるために牛が死ぬのも、空腹に耐えかねて飼い猫が死ぬのも、そう変わらない。
これは数学の話だが、牛一頭につき、出荷される肉を約250キログラムとすると、利益はおよそ300ドル。残骸は国内市場で処理をするので費用を抑えられる。利益は、飼い猫一匹の火葬費を大きく上回る。猫を飼うことは大赤字だ。
もちろん、これは数学の話だ。人類全てが経営学者だったなら、誰も猫など飼わなかっただろう。
黄色い寝室の窓際に寄せられたシングルベッドから身を乗り出すと、所狭しと並べられたアパートの肩口の隙間に、僅かに町の大通りを覗くことができる。そこからたくさんの小路が好き放題に伸びていて、どこへ向かうにもまずはその大通りにたどり着く必要があった。夕日に背を向けて黒く滲む建物の間を行ったり来たりする人影は、巣に戻る蟻のようでもある。ほとんどが観光客か、もしくは日がな観光客の相手をしてくたびれ果てた商売人たちで、石畳の道にはいつでも押し売りの発情期じみた叫び声が満ちている。
史実によればそこら一体全体が何らかの文化的価値を持つ遺産らしいが、誰もそんなことを覚えているはずもなく、俺はその通りが清潔な状態であるところを土産屋の絵葉書でしか見たことがない。恐らくほとんどの市民がそうだろう。あらゆる郷土料理と人種を強引に一つの通りに押し込めたおかげで、通りはいつでも不思議な臭いと知らない言語がひしめき合っていて、混沌としていた。
その喧騒を避けて裏道をいくつか通った先に、『ドネル・キング』というケバブ屋がシャッター街の隅にポツンとある。客なんて滅多に来ない。違法駐車を目当てに通りがかったバイク乗りが気まぐれに買っていく程度だ。赤い壁の上に、歯を出して笑う牛の絵が描かれた看板が掛かっていて、かろうじて店の存在が遠目でわかる。内装も普通。ちょうど道の角にあたる部分がくり抜かれていて、その中にカウンターと、ちょっとした厨房と、丸椅子がいくつか。
だけど、そこのたった一人の従業員である青年に、俺は絶望的な恋をしていた。彼は笑顔が魅力的で、そして笑顔でない時も同じくらい魅力的だった。
黄色い寝室に横たわっていながら、俺は誰より遠くへ飛んでいけると自負している。果てはスペインまで。妄想の中で、俺はもう何度も彼をこの部屋に招いた。壁が白い間は誰も訪れなかった、この黄色い寝室に。
一度、近しい友人のひとりが交通事故で救急病棟に運び込まれたことがあった。俺はすぐさま呼び出されたが、折悪くその時、俺はちょうど黄色い寝室のカビ臭いシーツに青年を組み敷いたところだった。
俺は死後の世界を信じないが、天国は信じる。そしてそれは空の上にあるのではなくて、ずっと身近にあるとも思っている。危篤の友人より、俺には言葉を交わしたことのないドネルケバブ屋の青年の方が可愛い。
あらゆる事柄と人は、一枚の白いシャツだ。清潔な白いシャツ。裸で歩けばトラブルに巻き込まれる。着ていると窮屈だ。年季が入っても愛着はわかない。くたびれて、汚れるだけだ。
1854年、フランス生まれの白人男性が劣等人種を自ら名乗るとなると、俺のようなのが言葉を真似てみても、滑稽の一言に尽きるばかりだった。つまりは、文筆に尽くした自己卑下など、一種高尚な堕落のもとにのみ成り立った文学性にすぎないと俺は卑屈にも思っているわけだ。
精神の高潔さがどうのという話ではない。だが、産まれた時からの記憶を一つずつ皺だらけの両手に広げ、爪の生え揃わない指で注意深く点検すれば、知恵が無くても、目玉すら無くても、その醜悪さは誰にでも嗅ぎつけられる。そして俺は、それを嗅ぎつけられることをずっと恐れていた。
俺はずっと一人芝居を続けていた。詩や音楽や芸術にどうにか多彩な色を見出そうともがいていた。だが、それすら紛い物に過ぎない。客のいないお芝居だ。
緑色のソーダの上に、白く濁った氷が浮いている。女の子は、その上にガムを吐き出した。それから、沈んでいくガムの中心にストローを挿して、美味そうに吸っている。
デモの帰り道。表通りに急に現れた緑色の手すりで三つに区切られた階段を上がった先、石を敷き詰めた道路の端、イタリア人の店長がいる素敵なカフェの窓際。金たわしを鍋に擦り付ける鉄の匂いと、洗剤のオレンジシトラスがカフェの換気扇から逃げ出して、麝香みたいに壁に染み付いている。店長は東洋人が大好き。ティーカップを布で磨きながら、異国の言葉に耳を傾けることが彼の習慣だった。
女の子が友人たちと面白おかしく話すのは、反戦のことでもなく、彼女らが掲げるプラカードに紫色の文字で象られた愛と平和のことでもなかった。彼女たちにはもっと大事な、急を要する、何よりも心が躍る話題が掃いて捨てるほどあり、それは世論も政治も、深刻化する環境問題でも到底踏み込めない領域にあった。
それは聖職者にとっての不治の病のように、俺にとっての黄色い寝室に降る雪のように、ケバブ屋の青年にとっての日曜日にベランダで見つめる洗濯機の回転のように、神をも凌ぐものだ。
女の子たちはカフェから出て行く。喋りながら、緑色に染まった舌を見せている。路地裏の方に停まった巨大なごみ収集車の、その大きく開けた口にプラカードを投げ入れた。
音を立てて圧縮されていく。俺たちの愛と平和が。