第九十八話 誘
「━━まぁまぁ、落ち着いてください。ここは病院ですよ? あまり騒ぐと他の患者達の迷惑になります」
こちらが完全な臨戦態勢にも関わらず、榊はほんの少しも動こうとしない。
━━なんだ、なんなんだ。なんでこいつが今ここにいるんだ。
混乱する頭が上手く言葉を綴らない。
「夏希さんにも貴方にも危害を加えるつもりはありません。ただ、レイラさん一人と話したかったがために場所をここにしたまで。焔さんが近くにいたらゆっくり話が出来ないのでね」
「…………話……だと?」
ええ、と榊は頷く。
「単刀直入に言います。レイラさん。こちらに寝返りませんか?」
「……は?」
何を、言っているんだ。
「聖戦については焔さんから聞いているでしょう? 私達ゼロが五人に力を与え、共に戦うモノ。神話にも匹敵するような戦いになることでしょう」
「そして……聖戦で最も重要になるのは、誰を選ぶのか、です。弱い能力者に力を与えるより、強い能力者に力を与えた方がいいのは誰だって解ることでしょう?」
「……それは分かる。だが、俺に寝返ってほしい理由がわからない。お前は組織のボスだ、いくらでも戦力はある筈だろ。それに……俺が焔さんを裏切るとでも?」
あまりにも不気味な提案に、両手に力が入る。
「レイラさんの力が欲しいんですよ。レイラさんの進化能力……自己の強化ではなく相手の能力を無効化する歪な力。感染者の力というものは大抵が自分勝手な力。自分以外は関係ないと言うかのような力に目覚めがちです。でも、貴方は違う。貴方の力は相手が感染者であることが前提になっている。まさに聖戦のために生まれたような力だ。私でも殆ど聞いたこと無いレアな能力なんですよ」
榊の言葉に、真殿が言っていた事を思い出す。
能力を消す手段はあっても、能力を消す能力は珍しいのだと。
「それと。ただで焔さんを裏切れと言うつもりもありませんよ。今、私がここにいるのは話を分かりやすくするためでもあります」
と言うと、榊は夏樹のほうを見た。
まさか、コイツ……!
「夏樹を人質にするつもりか!?」
「いえ。むしろ逆です」
「……何?」
「レイラさんがこちらに来れば……夏樹さんを助けてあげます」
「━━!?」
順を追って説明します、と言いながら榊は立ち上がる。
「貴方も知っての通り、私は組織のリーダーだ。故に貴方達の支部より能力者を多く抱えています。私に協力し、聖戦に勝利した暁には組織の能力者に頼んで夏樹さんを治療してあげます」
「そ、そんなこと出来るわけがないだろ。生明さんが治療しても夏樹の意識は戻らなかった。ただの能力者で生明さん以上の力を持つ奴なんて……」
「生明さん以上の能力者はいませんが、特定の分野に関しては上がいます。例えば……脳に関して、とかね」
「脳……!?」
驚く俺に、榊は頷いた。
「夏樹さんは今、脳だけが目覚めていない状態です。身体は生明さんが治しましたが、彼女ですら脳の治療は行えない。脳は人体のブラックボックスですから、下手に弄れば二度と目覚めることはなくなる」
「しかし、私の部下にはその脳を弄ることに関しては生明さん以上の技術と能力を持つ感染者がいます。彼に頼めば、夏樹さんはなんのリスクも負うこと無く目覚めるでしょう。疑っているようならその本人も呼びますし、力を使うところも見せます。どうです? これでもこちらに来る気はありませんか?」
「……ッ……!」
ぐらり、と意識が揺れる。
━━俺は、心の奥底で不安を抱いていた。能力により不死身の体を持ち、どんな傷でも一瞬で治せる生明さんですら夏樹は目覚めなかった。
じゃあ……この先、夏樹は何をしたって目覚めることなんか無いんじゃないかって。
もう、夏樹が俺に笑い掛けることは━━二度と無いんじゃないかって。
「お、俺は……」
「━━さァ、どうします? レイラさん」
揺らぐ心が収まらない。俺は、どうすれば。
その時だった。
「━━口が上手いのね、クソジジイ」
「……!」
ふと背後からトゲのある声が聞こえ、振り返るとそこには
「つまんない誘いに乗るんじゃないわよ、レイラ」
「あ、生明さん!?」
部屋の入り口に、不機嫌そうな表情をした生明さんが立っていた。
生明さんはつかつかとこちらへと歩いてきて、俺の側で止まり榊を睨み付ける。
「そもそも、夏樹さんを致命傷を負わせたのは誰? マッチポンプもいいところよ」
「た、確かにそうだ……」
「確かに、じゃないわよ。ったく。……そんな事も思い付かない程、余裕が無かったのね」
生明さんはこちらを悲しそうな目で一瞥し、再び榊を睨む。
「第一、アンタはレイラに興味がない。道具のようにレイラを利用したいだけ、そうでしょ? 焔の仲間を奪えば動揺を誘えるしね」
「……フフ、人聞きの悪い。何を根拠にそんなことを言うのですか、生明さん?」
「根拠ですって? じゃあお望み通り教えてあげるわよ。……アタシにはレイラの力だけを欲しがっているように聞こえたからさ。レイラの能力のみを奪い取る方法でもあるんじゃないの?」
「……!」
生明さんの言葉に、榊の笑みが消えた。
「消えなさい。聖戦を勝ちたいなら、自分の部下を上手く使うことね。━━レイラにはもう、焔や他の仲間がいる。信頼の置ける同志がね」
「………………仕方ありませんね。分かりました、引き上げましょう」
榊は深くため息をついた後、イスから立ち上がり入り口へと歩いていきドアの手前で立ち止まった。
「━━貴方達の選択が間違いである事を、思い知らせてあげますよ。……それでは、また」
冷たい目をこちらへと向け、外に出ていった。
「……狸ジジイ」
生明さんはそんな榊を見送り、心底嫌そうに言葉を吐き捨てた。




