第六十話 暗雲
「あー、クソッタレ!」
ほの暗い空間の中、一人の男が悪態を付きながら歩いてくる。あちこちに治療の痕を残した真殿だ。
「骨を何本か折られちまった。足を改造してなきゃ、あの狼に追い付かれて捕まるとこだったしよ。安全な仕事の筈だったんだけどなぁ」
乱暴にソファーへと座り、タバコに火を付ける。攻撃不可の空間を破られ、攻撃された事は真殿にとっては予想外の出来事だったのだ。
「私達に安全な場所はない。そういう事ね。私が助けなかったら真殿は捕まってたわよ? 感謝しなさい」
「……フン、勿論感謝はしてますよマドカさん。実験体をダミーに変えて持ってきたのも良い機転でした。おかげでボクという素晴らしい脳みその持ち主を、組織から失わずに済みました」
「あははっ、言うわねぇ。その通りだけど」
そこに速川も現れ、いつもの調子で軽口を叩き合う。
一息を付け、真殿はタバコを地面で消す。
「空間……あれは強力ですし、何かを守るには非常に優秀だ。でも弱点が無いわけではないし、人工的に空間能力者を産み出すにはコストが掛かる。何人使い潰したか分からない程にね」
「失敗ってこと?」
「半々ですかねぇ。悪くはないけど、今回みたいなイレギュラーが少し怖いかな」
空間はリスクが高いと真殿は言い、ふむふむと速川は頷く。
「じゃ、当初の予定通りアレを使うのね?」
速川の問いに、真殿は邪悪な笑みを浮かべた。
「ええ。中目のおかげでデータは十分。作るのにコストもあまり掛からない。その上強力だ。焔達に能力無効薬が効かないならこっちのが有効でしょう。ま、元々あの薬はアレの実験でたまたま出来ただけの副産物だし」
スマホを操作し、真殿は誰かに電話を掛ける。
「……ボス、真殿です。予定通り、『人工獣』を使いましょう。人を借りますがよろしいですね?」
「ああ、構わない」
ボスと呼ばれた人物から了承を得て、真殿は更に不気味に笑う。
*
「全く、こんな時間に呼び出すとはな」
深夜零時。支部から少し離れた公園に呼び出された。珍しい人間からの呼び出しだ、多少の眠気を無視してでも行く価値はある。
とはいえ、もう少し早い時間のが楽なんだがな。
「影に潜むのが好きだな、黒川」
足音もなくぬるりと現れた男に、思わずため息を付く。目元まで伸ばした黒い前髪の隙間から、鋭い眼光が目立つ大男。スウェットにパーカーという非常にラフな格好だ。
━━黒川 終次。二十一歳であり、ゼロの一人。
「……別にそんなつもりはない。クセになってるかもしれんが」
「裏にいた頃の名残かな?」
「…………さぁな」
おもむろにベンチに腰掛け、こちらを一瞥する。
座れ、という事だろうか?
「で、用件は?」
「…………用件という程じゃない。いつまで遊んでいるつもりなのか……気になっただけだ」
ぼそぼそと神経質そうに喋る黒川。遊んでいる、と来たか。手厳しい。
「遊んでいるつもりは無かったがな。……なるほど、退屈か?」
「……まぁ、な。私や生明はお前らとは違う。あくまで中立の立場だ。だが……お前らが事を起こさねば、私達に役割はない」
「そう選んだのはお前達だろう。そんなに退屈なら、黒川も立候補すべきだ」
次の瞬間、黒川の影から伸びた剣が私の首元で止まった。
「おや、怖いじゃないか」
「嫌だね。上に立つつもりなど毛頭無い。……まぁいい……あまりモタモタするんじゃないぞ。邪魔なら組織とやらをさっさと潰してしまえよ」
「勿論そのつもりだけどね。……黒川も手伝ってくれると助かるけど」
「……フン、気が向けばな。私はそれよりも……お前が手塩にかけて育てている部下共が見てみたい。ちょっかい掛けてみるかな」
その言葉に胸の奥が熱くなり、思わず指を黒川へと向けた。
「彼等に手を出すなら、こちらも本気を出す。火傷で済むとは思うなよ?」
「…………クク、恐ろしい女だ。……だが」
しかし黒川はその場から消え、いつの間にか公園の出口にいた。
立ち上がってその姿へと近付く。
「黒川……貴様」
「安心しろよ……殺しはしないさ。……最も、可能であればだが……」
「くっ!」
黒川は一息でその場から消え去り、気配が遠ざかっていく。
……あいつは悪い奴ではない。手を貸してくれるというのも嘘では無いだろう。
しかし……あいつは。
我々ゼロの中で一番、殺しに長けたゼロだ。
ちょっかいだけで済むなら良いんだが……。
*
「はぁ……はぁ……っ!」
レイラ達がアナザーを消した数日後、とある街で男が何かから逃げ回っていた。
この男は近くの支部のメンバー。とある事件を調べるために走り回っていたところを襲われた。
「こちらB班! 例の化物に追われている! 至急応援を頼む!」
インカムで近くの仲間に言伝てを残し、その場で振り向き構える。
男は感染者との戦いには慣れていたが、今回ばかりはそうも行かなかった。
なんせ、相手は━━
「グルォアアアッッ!!」
「来やがったかよクソッ!」
どう見ても、人間には見えなかった。
人間よりも分厚い手や腕や足、異常な程発達した筋肉。辛うじて人の形を保っているが、理性など感じられない。レイラ達が戦った中目と似た見た目をしている。
「何なんだよこいつは……!」
男は焦りながらも、放たれる拳を避けて後ろ回し蹴りを顔面へと放つ。
「ぐっ!?」
だが、完璧にヒットした筈の蹴りが弾かれたどころか、あらぬ方向へとへし折れていた。
「や……やめっ」
「ウォォアア!!」
足と共に心も折れた男へと、化物は無慈悲にもその分厚い足で踏みつけた。
「ギぇっ!?!」
容易く男の体を潰し、臓物が辺りへと飛び散る。それでも化物の攻撃は止まらず、男は数秒の内に肉塊へと変貌を遂げた。
暫くした後、そこへ一人の人物が歩いてくる。
「……あらら、ぐちゃぐちゃだな。202、姿を隠せ。また支部のメンバーを見付けたら、一人のところを狙って殺しといてくれ」
「……ぎ……」
現れたのは真殿。202と呼ばれた化物に命令をし、化物はその場で透明になり……景色と同化していく。
「中目は本当に良い仕事をした。ただの感染者でも、薬を射てば短時間ならば能力を二つ所有出来る仮説を裏付けた。なら、初めから肉体を弄ってあるコイツらなら……」
くくく、と真殿は笑う。
新たな悪意が、レイラ達へと迫っている。
今まで以上の大惨事が、巻き起ころうとしていた。




