第四十六話 惑
「……んん」
目が覚める。昨夜の疲れですぐ眠ってしまったからか、とても良く眠れたみたいだ。朝は苦手なのにとても気分が冴えている。時間は午前八時過ぎ……か。
学校に連絡はしてあるとはいえ、普段ならば学校にいる時間だ。少しだけ違和感があるな。
「コーヒーでも飲むか」
寝室を出て、客間へと向かう。他の皆はまだ寝てるみたいだな。
すると、客間の方からほのかにコーヒーの香りが漂ってきた。誰かいるみたいだ。
「……お、レイラか。おはようさん」
「蒼貞さん。おはようございます」
そこには蒼貞さんがいた。ソファーで寛ぎながらコーヒーを飲んでいる。
「朝、早いんだな。もうちょい寝ててもかまわねーぜ?」
「いえ、もう目が覚めちゃいましたから」
「そか。コーヒー飲むか?」
「はい、頂きます」
言われた通りにマグカップへとコーヒーを注ぐ。穏やかな朝だ、昨日の出来事が嘘のよう。
コーヒーを飲みながら、しばしの沈黙。特に話すことは無かったし、まだ脳が起ききってないからだ。
「……レイラ。こんな時に聞くのも何だけどよ。進化の兆しとかあるか?」
「いえ、まだ何も。氷堂さん曰く、アキラのが可能性が高いかも、と」
「氷堂が言うならそうなんだろうな。何しろ氷堂は進化済みの感染者だ」
「ええ。まだその力を見てはいませんけど」
……昨日の作戦前に聞いた話だ。氷堂さんはこの支部で唯一の進化済み感染者だ。進化者、とも呼ぶらしい。
その進化者である氷堂さんの言葉だ、信憑性は高い。
「ま、そう焦ることはない。レイラの能力は強いし応用力もある。戦力不足とは思ってねぇよ」
「ありがとうございます。ですが、俺の能力を目覚めさせるためにこの任務に呼んだんじゃ?」
「勿論だ。だがあくまで可能性が高いと思ったからだ。強くなれるチャンスを逃すのは嫌なんでね」
「なるほど……」
期待してくれているんだな。焦ることはないにせよ、期待には応えたいところだ。
*
「全員揃ったな。今日の動きを説明すっぞ」
今は午前十時半。作戦に参加するメンバーが全員揃った。アキラはまだ眠そうな顔をしているが。
一色さんもPCから会議に参加しているみたいだ。
「空間がいくつも存在すると分かった以上、一つずつ潰していくしかねぇ。だから昨日みたく邪魔者を排除しつつ空間能力者を探しだし叩く。作戦はこれだけだ」
「空間のルールもなるべく早く把握したいですね」
「だな、理央。特定の動きを制限されるタイプだといざという時に厄介だ。昨日も危なかったしな」
「昨日の事を踏まえて、こっちで空間能力の種類をいくつかリストアップしてみました。動きの制限を強いてくるタイプが多めですね」
一色さんがPC越しに資料をいくつか開いていた。
動きの制限か……厄介だ。
「特殊なケースですと、作田さんみたくルールを何度も弄れるタイプですね。ただ、空間内に自分以外が存在するとルールを変更出来ないので、途中でルールが変わるなんて事は無さそうですね」
「助かる、楓。……昨日よりも気を付けて探索しなきゃならんな。空間を一つ潰したことが知られてるかもしれねぇからよ」
「はい!」
全員が返事をし、一旦話が途切れる。すると
「……もう一つ、注意しなきゃならん話がある。これを見ろ」
蒼貞さんは突然、懐から試験管を一つ取り出して机に置いた。中には濁った赤色の液体が入っている。……なんだ?
「この液体の話の前に、昨日捕まえた感染者の話からな」
蒼貞さんから語られた話は、おぞましいモノだった。
あの二人は、脳を弄られ性格そのものを無理矢理変えられていたという。そんなもの、洗脳じゃないか……!
「……薄気味悪いね。まるで映画やドラマの中みたいな話だよ」
「オレもそう思う。戦闘員にするためだけに脳を弄られたのなら……とてもじゃないが許せない話だ。組織が関係してるのかまだわかんねーが……アナザーは一刻も早く潰さなきゃならねぇ。アナザーの何処かでそういう被害者を増やしているのかも知れないからな」
「中で洗脳を行っている可能性ですか……あり得ますね」
アナザーは一般人からは見えない。能力者でも直ぐには探索出来ない。何かを隠すにはもってこいだ。
「そして……コレもな」
蒼貞さんは再び試験官を持ち上げた。
「結局それは何なんです? 血に見えますけど」
「その通りだよ理央。ただし、感染者の血液だがな」
と蒼貞さんは話す。しかし、それが何だと言うのだろう?
「先の戦いで敵が使用した道具だ。焔が敵を一人倒した際、懐から出てきた物でな。感染者にとって最悪の武器さ」
「そんな話……僕たちは聞いてないよ? 隠してたの?」
「いいや、単純に検査が終わってなかっただけだ。バタバタしてたしな。で、この血液を感染者に打ち込んだ場合一時的に能力が使えなくなるらしい」
「な━━!?」
つまり、もし打ち込まれてしまうと一般人になってしまうという事か? 戦闘の最中、そんなことをされれば絶対に不利だ。
「自分とは違う感染者の血が体内に混じると、能力を使用出来なくなる。詳しい仕組みはまだ不明だが……多分、一人の感染者につき能力が一種類しか使えないのが関係しているかもって話だ」
「体内に他者の血液が入ると、一人の体内に感染者二人分の血液が存在してしまうから……って事ですかね。たったそれだけの量でも」
あくまで仮説だが、そう進言した。蒼貞さんは満足そうに頷く。
「あぁ。大雑把に言ってしまえば、一人の体内に二つの能力が存在する事になり、体がエラーを起こす……そんな所かもな。そしてこれを組織が使用していた。後は言わなくても分かるよな?」
━━嫌でも解る。今後組織と戦うときに、この血液にも気を付けなければならない……そういう事か。
「でも、血液だけでそんなことが出来るならこっちもやれば良いんじゃ? 制圧するのも楽になるし」
「そうも行かねぇなアキラ。血液とは言ったが、それ以外にも混じってるモンがある。脳ミソさ。その一部が混じってる」
「の、脳!?」
思わぬ単語に驚いて立ち上がってしまう。
「ああ。一部が細かく砕かれて混じってる。つまり奴等は、捕まえた感染者だのを利用して血液と脳の一部を削ってる。んな事すりゃあ死ぬ。生きてたとしても後遺症が残るって所だな」
「……外道が……!」
余りに残酷な仕打ちに、氷堂さんは怒りを顕にしていた。気持ちは分かる、道徳心の欠片もない行動だからだ。
「あぁ、許せねぇ。もしアナザーの中でそんな事を繰り返しているならば一刻も早く潰すべきだ」
蒼貞さんは話を終え、立ち上がる。
「決行は昨日と同じ時間だ、可能な限り迅速に行動をする。気張れよ!!」
「はい!」
*
作戦会議が終わって数時間後、オレは支部の窓から外を眺めていた。見慣れた光景だ。決して絶景では無いものの、人が確かに生きているのだと実感出来るからオレは好きだ。
焔の支部周りのようにはさせたくねぇ。
「━━ハァイ? 珍しく大人しいわね、蒼貞?」
全員出掛けていて、無人の筈の背後から妖艶な女の声が聞こえる。……久しぶりだな。
「よォ、ヴィラ。相変わらず美人だな」
「アハハ、聞き慣れたわよ。貴方も相変わらず色男で何よりだわ」
けらけらと笑う、青く背中まで伸ばした長髪が目立つ女性。場に似合わない黒のドレスを靡かせている。
「で? なんか用かよ?」
「水臭いわねぇ、せっかく忠告しに来たのに」
「……忠告?」
ええ、とヴィラは妖しく笑う。
「貴方達にとって、感染者の空間能力は唯一の弱点に成りうる存在よ。空間のルールは絶対。ただの力では破れない」
「……分かってるさ、そんなもの」
空間能力。自他共に縛り付ける絶対のルール。オレや焔ですら破ることは出来ない。はっきり言って一番相手したくない能力だ。
「ま、流石に分かってるわよね。じゃあ……本題を話すわね?」
「本題……? 相変わらず勿体ぶるな、アンタは」
ごめんなさいね、と笑った後……その切れ長な目を鋭くさせ、言った。
「貴方達五人。その全てが味方じゃない。これだけは覚えておいて。貴方達の戦いは既に始まっているわ」
「なに……? 決着が着くのはまだ先の話で、今は味方だろ?」
「詳しくは話せないわ。でも、悠長に構えてはいられない。他の四人にも伝え済み、今この時から貴方達は……隣の味方を疑いなさい」
そう伝え、ヴィラはその場から消えた。
隣の味方を疑う……だと?
「裏切り者がいるってか? アホらしい、そんな事……」
他の四人は良い奴ばかりだ。理想は違えど、途中で敵になるなんて有り得ない。
有り得ない……筈だ。今まで何回も話して十分に理解出来た。
この前の会議だって有意義な時間……を……?
「━━待て。あいつは何故、あの時━━」
違和感、違和感、違和感。ヴィラの言葉が脳内に反響する。
嫌な予感を拭えぬまま、時間だけが過ぎていく。
「今、は……目先の問題に集中しないと。その後で、この違和感を晴らすんだ」
事実に気付くのが怖いのか、オレは言い訳の様に……呟いた。




