第三十五話 空っぽな童子、四
「が……!」
━━体が、動かない。感じたことのない痛みと衝撃で全身が痺れている。僕がこれ程のダメージを受けるなんて初めてだ。
こんな奴に、僕が……負けるのか……?
「頑丈だな。潰れるかと思ったが」
レイラの嘲笑と共に、足音が一つ近付いてくる。視界も悪い、水滴の付いたガラス越しの景色みたく視界が歪んでいる。
その足音はやがて止まり、ぼやけた視界に顔が一つ現れた。
「さ、立てよ。まだ終わってないぞ」
「ぐ……!」
すると突然胸ぐらを掴まれ、無理やり体が起こされていく。
もう、動けないのに。まだ何かするつもりなのか。
「……寝てんのか? 起こしてやる━━よっ!」
「ギッ……!?」
そして顔面を素手で殴られ、再び地面へと叩き付けられた。
「俺が言った話、もう忘れたのか?」
「はな、し……?」
もう一度体を起こされ、レイラの眼前まで引っ張られる。
視界が戻り、そこに映ったレイラの表情は……笑顔だった。
「お前は、苦しんで死んで貰う。いつ死ぬか分からない恐怖を与えるだけ与えてやる。楽に死ねることを祈るんだな」
「ひぃ……!」
再び殴られ、後頭部を強く地面に打つ。凄まじい痛み、だが死なない。能力者だからだ。
こんな、こんな事があと何回も続くのか……?
痛みと恐怖が、僕の心を支配する。
心の底から、楽に死ねることを望んでしまう程に。
*
━━俺は、迷っていた。
目の前の光景を見て、どうするべきなのかを。
「や、やめ……ぐぁ!!」
「泣き言かよ。今まで何人も何人も殺してきた悪党がよ?」
血にまみれた顔で許しを請う空童。そして、それを容赦なく殴り続けるレイラ。わざわざ素手で殴っているのは恐怖を与えるためだとレイラの口から発せられていた。
……俺は、レイラとの付き合いは支部の皆よりは短い。でも、どういう人間なのかは充分に理解できた。
優しく、それでいて意志が強い。敵と対峙しても、その優しさは隠しきれないほどのお人好しだ。
そのレイラが、拷問じみた行動をくり返している。どう考えても普段のレイラとは似ても似つかない。
「進化……話には聞いていたが……」
思わず呟いてしまう。
進化。自身の能力を越えた先にある新たな力。感染者の誰もがその領域に到達出来る訳ではなく、それ故強力な力と姐さんは言っていた。
また、こうも言っていた。
進化に辿り着いた者は、人格が変わってしまうかもしれない……と。
「くく……無様だな。さっきまでの威勢はどうした?」
その言葉通り、レイラは豹変した。
あの赤黒い手がどういう能力なのかはともかくとして、恐ろしく強い。
二人がかりでもどうしようもなかったあの空童を圧倒し、恐怖させるほどの力。
……もう、戦いは終わった。なら俺は、どうするべきだ?
レイラにとって空童は憎くて仕方ない両親の仇。俺個人としては、空童は殺されても仕方ない行動をしてきたと心から思う。
だが、奴は組織のメンバーで恐らく内部でも上位の実力者。もしそうなら、したっぱでは知り得ない情報を知っているんじゃないか?
それを聞き出すために、レイラを止めてでも空童を捕らえるべきではないのか?
その二つの思考が、俺の足を止めていた。
「……考え込むなんて、らしくないか」
が、もう決めた。俺は支部の為に動く。先輩として。
「レイラ!」
「……何です、梶さん?」
レイラの側に寄り、肩を叩く。
レイラは振り返り、顔に付いた返り血を腕で拭う。
「ソイツを殺すな。何か情報を聞き出せるかもしれないからな」
「断ります。こいつはここで殺す。情報なら、また組織の別のメンバーを捕まえれば良い」
レイラは俺の手を振り払い、首を横に振った。……生意気な態度を取りやがって。マジで今までのレイラとは別人だな。
「じゃあ聞くが、別のメンバーを捕らえられるのは何時になる? 明日か? それとも一年後か? 遅いんだよ、それじゃ。……こいつら組織は、俺達が思っている以上に兵力がある。今日こいつらが動いただけで何人も一般人が死んでんだ。捕まえられる時に捕まえないと、後に続かないんだよ」
「……こいつを最終的に倒したのは俺だ。俺がこいつの命を握ってる。だから断る」
説得も聞き入れず、再びレイラは既に意識のない空童を殴ろうとする。
……くそっ、仕方無い。
俺は剣を創造し、レイラの首筋に剣の腹をピタリと当てた。
「……何の真似ですか、梶さん」
「勘違いしてるみてぇだから教えてやる。これは提案じゃなく命令だ。俺の決定に従ってくれ」
「何度も言うが、断ります。必ずこいつは殺す。……梶さんを倒してでも」
「……ハッ、言うじゃないか。そんなに、能力を使って暴れたいか? まるでソイツらみたいだな?」
「━━!」
俺の言葉を聞き、レイラは手を止めた。
「よく聞きやがれ。俺達は個じゃなく集団だ。感染者が暴走するのを止めるための集団だ。その為に動き、その為に力を使う。それを守れないのならお前は組織と変わんねぇよ」
「……っ」
レイラの様子を見て、剣を下ろす。
「……すまねぇな、レイラ。本当はこんな事したくねぇよ。お前にとっちゃソイツは憎悪の対象。親御さんの仇だ。でも、俺は支部の意思を尊重する。お前の先輩として、な」
「……」
完全にレイラは手を止め、空童を下ろした。
……警察と姐さんに連絡すっか。話すことは山程あるしな。
が、その時だった。背後から、車の音が聞こえたのは。
「……なんだ?」
思わず振り向くと、黒のスポーツカーがもの凄いスピードでこっちへと突っ込んできていた。
「なっ!? くっ!」
「っ!!」
瞬時に俺とレイラはその場から下がり、車を避ける。……まさか。
「レイラ! 能力であの車を……レイラ!?」
嫌な予感がし、レイラに頼み車を止めてもらうように呼び掛けたが……レイラは何故かその場で倒れていた。
そしてその隙に、スポーツカーは走りながら空童の側に近付き、助手席から伸びてきた手が空童を掴み……そのまま走り抜けていった。
追わなきゃならねぇ……が、レイラを放ってはおけねぇ……!
「くそっ、レイラ! どうした!?」
「か……は……」
すぐにレイラを起こすと、口と鼻から血を垂れ流し、苦しそうに唸っていた。
まさか、進化の反動か?
「く……!」
俺の判断ミスだ。
レイラが奴を倒した瞬間、すぐにレイラを止めるべきだった。うだうだ悩んでいたせいで、まんまと逃げられちまった。
くそっ、くそっ……!!
俺は呆然と立ち尽くしたまま、既に見えなくなった車の方を向いていた。
どうしようもない、無力感に襲われながら。
年内最後の更新になります。
よいお年を!来年もよろしくね




