第三十三話 空っぽな童子、二
「━━急いで! 早く!」
逃げ遅れた住民を、お婆さんを背負いながら誘導していく。
「夏希ちゃん、あんたも逃げな! このお婆さんは俺が背負ってくから!」
「田中さん、ありがとうございます! でも、まだ私はもう少しだけ避難を促してきます!」
「あ、ちょっと!?」
近所の田中さんにお婆さんを預け、制止を振り切って町中を走る。
数十分前、突然この辺りの住宅街へと避難勧告が出された。台風でも火事でも地震でもないのに。
何かおかしいと皆が慌てる中、変な集団が人を襲っているのを見てパニックになってしまった。
この辺りは老人が多いし、若い私が何とかしないと……!
「は、元気なガキがいるじゃねぇか! 殺してや━━」
「邪魔!!」
前から例の変な男が一人走ってきたので、走りながら手に持っていたバッグをフルスイングし、顔面に思い切りぶつけた。
「ぶべら!?」
男は吹っ飛び、その場に倒れた。
バッグの中には水筒とか入ってて硬いし、暫くは起きない……よね?
……こいつの安否はどうでも良いか。そんなこと気にしてる暇は無いし。
一旦立ち止まり、周りを見る。大分、住民は逃がせたかな。そう思っていると、遠くから地響きと共に大きな音が聞こえてきた。
「な、なに……?」
……異常な状況、変な集団。この二つに加えてあの音。
もしかして、もしかしてだけど……レイラの仕事と何か関係が? 明らかに状況が普通じゃないもの。
「……行ってみよう」
得体の知れない不安を抱えながら、音のした方向へと走る。
*
「ぐ……! くそっ……」
消滅し出血する手を破いた服で止血しながら、梶さんは空童を睨む。
「手が消えちゃったね。これで、君の曲芸はまともにやれなくなったね。御愁傷様」
「てめぇ……よくも……」
にやにやと笑う空童を見て、心の底から怒りが沸き立つ。
握り締めた手から、血が滲む程に。
「ま、まて……早まるな、レイラ!」
「『勇気の手』ォ!!」
怒りのまま能力を発動し、正面から空童へと拳を飛ばす。絶対に許さねぇからな……!
「無駄だって」
が、またしても拳は空童の前で消滅した。
くそっ、速さと手数が足りない。もっとだ、もっと速く……!
「アァ!!」
「……!」
何度も何度も拳を奮い、何度も消滅していく。
まだだ……!
「死ね、ゴミクズ野郎!!」
「!」
すると突然拳が二つに増え、絶え間なく空童へと打ち付け始めた。何が起こったかは二の次だ、とにかく奴を黙らせてやる。
「━━仕方無い。なら、こちらも数を増やそう」
それでも奴に攻撃が入らない。それもその筈。
奴の体を守る球体が、二つに増えていたからだ。二つ目の球体、これで梶さんの手を消し飛ばしたのか。
「なるほどな、そういうからくりかよ……! オラァ!」
「そういうこと」
やがて梶さんも攻撃に参加し始め、二人がかりで連続して攻撃を加えていく。
それでも。そこまでしても。奴の防御が破れない。
「はぁ……はぁ……!」
「くそったれが……!」
俺達の息が上がるほど攻撃をしても、空童の笑みを消すことは出来なかった。
「レイラって言ったっけ? この状況で能力を応用出来たのは誉めてあげるよ。でも、そんなものスタートラインさ。僕には遠く及ばないね」
「な……!?」
これ見よがしに両腕を拡げる空童。すると、空童の周りをいくつかの球体が不規則に回転し始めた。
二つどころじゃない。三、四……五つだと!?
大きさはバラバラで、規則性があるかどうかも分からないほどの速度。その全てが空童の能力だってのかよ……!
「ま、誰もが使えるような物ではないけど。能力の才能ってやつ?」
「……けっ、言いやがる」
嘲笑をする空童に、梶さんは吐き捨てるように言った。
「じゃあそろそろ死のうよ。文字通り蜂の巣にしてあげるね」
そして、その球体全てが回転の速度を速め始めた。地面や塀がまるでプリンの様に削げていく。
「『乱』。さ、行くよ?」
そのままゆっくりとこちらへ歩き出す。五つの球体が順番に空童の周りを三百六十度守りながら、時折こちらへと発射される。
「くっ!」
先程よりも速い速度で放たれる球体を辛うじて避ける。が、反撃を与える隙がない。
理不尽なまでの攻防一体。付け入る隙が全く見えない。
くそっ、何か手は無いのかよ……!
「……レイラ、逃げんぞ」
「は?」
すると突然、梶さんにそう告げられた。
「な、なんで……」
「見たら分かるだろ。あの能力、もはや俺達にどうすることも出来ねぇ。仲間と合流して、奴の能力と相性の良いやつを当てた方が良い」
「それはそうかも知れませんが、あのまま奴を野放しにしたら……! それに、俺達が退いたら奴も逃げるかもしれませんよ!?」
「んなこと分かってるよ! 俺だって奴を止めてぇしな! だが、姐さんからの指令を思い出してみろ!」
そう言われ、思い出す。
━━不利と思ったら退避する。当然だ、理屈じゃ分かってる。しかし親の仇を目の前にして、背を向けて逃げろってのかよ……!
「リスクは承知の上さ。だが、ここで俺達が殺されたら元も子もねぇ。……レイラの気持ちだってよく分かってるつもりだ。親の仇に出会ったのに、逃げるなんてとても出来そうもねぇだろうよ。それでも、だ!」
「っ……!」
俺の気持ちを汲み、それでも尚……逃げろと。
とても、出来ない。
「━━いやいや、話聞いてた?」
だが、空童が俺達の話に反応して目の色を変えた。殺意、だ。
「殺すって言っただろう? 誰も逃がさないよ。……ふぅっ!」
「こ、これは!?」
空童が操る球体の全てが、先程よりも勢いと速度が増し、より広範囲を飛び回り始めた。
目で追えない……! 感染者の目を持ってしても!
「くそっ……レイラ! もう悩んでる時間はねぇ!」
「……っ!」
梶さんは直ぐに撤退を始め、遠巻きで遠阪さんのコピーも逃げ始めていた。俺は必死に怒りを抑えながら、二人の後ろに続いた。
二人と俺の心情の差。それが、命取りになった。
「━━まずは君からだ、レイラ君」
一歩。たった一歩出遅れた。それだけの差で、背後に迫ってくる小さな球体に気付けなかったんだ。
俺が走る速度よりも速い。尚且つ、俺は方向を変えられる体勢じゃない。能力を使う暇もない。
無理だ。直撃する。球体は俺の胸を正確に貫くだろう。砂で出来た山を、手で開通させるよりも容易に。
死を確信した為か、目まぐるしい速度で頭の中に過去の記憶が流れてくる。走馬灯……か。
志半ばで死ぬのか、俺は。ごめん母さん、父さん……夏希。
俺は最後まで、立派な人間にはなれなかったよ。
「━━レイラっ!!」
が、俺の体は横へと飛ばされ、塀に思い切り激突した。
何が起きたのか。何故一瞬、夏希の声が聞こえたのか。その答えの全てを、眼前の光景が物語っていた。
「……なつ、き……?」
いつの間にか現れた夏希が、夥しい量の血を吐き出しながらそこに立っていた。
鳩尾の辺りには、ピンポン玉程の大きさの穴。そこから奥の景色が見えていた。
「え、へへ……やっちゃっ……た……」
「夏希、お前……その……え……?」
頭が上手く回らない。呼吸が十分に出来ない。
か細く呟く夏希を見て、嫌な汗と涙が止まらない。
「……レイ、ラ……逃げ、て……」
「━━━━」
糸が抜けたように、夏希はその場で倒れた。俺に向けた笑顔を崩さぬまま。
熱い、熱い。胸の奥が焼けるように熱い。
怒り、悲しみ、憎しみ。その全てが俺の体を焼き焦がす。
━━ぷつん、と。糸が切れる音がした。




