第二十四話 紅蓮、二
組織に入るまで、私達は地獄にいた。
妙な宗教に入り浸り、毎日毎日意味不明な罵詈雑言を私達にぶつける母親。
麻薬に溺れ、些細な事で私達にあらゆる暴力を奮った父親。中学一年の頃に音羽は実の父親に犯され、以来音羽は笑顔が顔から離れなくなってしまった。ストレスによる精神疾患と医者に診断された。
喜ぶ時も怒った時も哀しい時も楽しい時も、どんな時でも音羽は笑顔のままだ。組織の一員として生きている今でも。
毎日毎日、気が狂いそうな生活の中……唯一の癒しは下校中に立ち寄る河川敷だった。
「……今日も、殴られるのかな?」
「かもねぇ、痛いのはもう嫌だな」
二人で座り、オレンジ色に光る夕焼けを眺める。五時までに帰らないと夕飯すら食べさせてもらえないから、それまでの時間潰しに河川敷を使っていた。
見晴らしの良い空間に流れる風が髪を撫で、同時に聞こえる小さな風の音。それを感じているこの瞬間だけ、私達は幸せだった。他に得られる幸せなど、期待していなかったからだ。
「あーあ、早く二人で暮らしたいね」
「うん、そうだね。私のこの顔も、二人だけで生活すれば治りそうだもんね」
「うん、きっとそうだよ」
他愛ない夢を語り、二人して笑った。もし私達がどちらか片方しか産まれていなかったら、とっくに死んでいたのだろう。今となってはそう思う。
「ね、まだ体の調子はヘン?」
「……うん。風花ちゃんも?」
「うん。何だろうね、これ」
中学二年生くらいの頃から、身体能力が格段に上がった。あの時は不思議だったが、感染者としての目覚めだったのだろう。
そして、その時にあの人と出会った。
「こんにちは」
「え?」
後ろから声を掛けられ、振り向くと女が立っていた。
凛々しい顔立ちで背が高く、女にしては低い声だ。知り合いではなく、二人とも困惑したものだ。
「君たちはここで何をしているんだい?」
「えっと……貴女は?」
「あぁ、失礼した。私は女島 弓美だ。よろしく。君たちの名前は?」
女島と名乗ったその女は、歳上とは言え高校生くらいに見えた。妙な迫力があり、少々怖じ気付いた覚えがある。
「えと、私は島崎 風花、こっちは音羽って言います。で、今は二人で暇潰しを」
「暇潰し……かい? 家にも帰らず?」
「早く帰ると余計に殴られそうだもん。ね、風花ちゃん」
「……うん」
私達がそう話すと、弓美さんは眉を潜めた。
「虐待……か。なるほど。もう一つ聞いても?」
「あ、はい」
「最近、急に身体能力が上がったと感じたことはないかい?」
「は、はい。何でそれを」
何故、初めて会った私達を感染者だと見抜いたのか当時は分からなかったが、辛い環境にいる人間や学校に通う人間は感染者になりやすかったからだろう。
「やっぱりか。……なら、一つ提案させてくれるかな」
「え……」
弓美さんは笑い、言った。
「君たちが望むなら、ある力を得る手助けをしよう。そして、その力を使って親を殺すんだ」
「な、なにを……!?」
「君たちは今のままで良いのかい? このままでは二人ともろくな目に会わない。虐待された子供の末路はいつだって不幸だ。でも、君たちならそれを変えることが出来る」
その後、感染者について弓美さんは語った。
能力の事や、どういう人間がそうなるのかを。
目の前で弓美さんの能力も見せてくれた。川を挟んだ反対側にある小さな看板に、投げた石を十発以上連続で当てて見せた。逆の方向に投げても石を当てたので、人間技じゃないと嫌でも分かった。
手で触れた物を離す、またはクロスボウ等で射撃するとその時の勢いを保ったまま標的に当てるという能力らしい。
「……どうしよう、音羽』
「うーん……私はやってみたいかな」
親を殺せ。
そんな事を提案されたにも関わらず、私達は軽く考えていた。同じ人間だとはとっくの昔に思っていなかったからだ。
殺した後の生活の保証もすると言われ、結局私達は了承した。
二人で過ごしていけるなら、親を殺すくらい簡単だと思ったからだ。
「━━決まりだね。じゃ、能力を目覚めさせる為に手を貸そう」
その後、何度も弓美さんと会い、能力を目覚めさせた。
私は風の能力を。音羽は音の能力を。目覚めたその日の深夜に親が寝ている寝室へと向かい……簡単に殺した。
風を圧縮させ、母親の首を切り落とす。音羽は自分の声を集中させ、外側から父親の心臓を破裂させた。
でも、少しも私達は後悔しなかった。
私達にとって親とは、邪魔でしかなかったんだ。
「おめでとう、二人とも。これで晴れて自由の身だ」
「はい!」
「はーい!」
弓美さんはそれを誉めてくれて、心の底から喜んだ。
その後、弓美さんの配下として組織へと入った。衣食住を提供され、私達でもこなせる簡単な仕事をし、二人で幸せな毎日を過ごした。
ああ、私達は選ばれたんだ。この能力を与えてくれた神様に感謝し、能力も使えない人間を何人も手に掛けた。
恨みは無かったけど、何も感じない。
━━私達の心は、思ったよりも壊れていたんだな。
*
「く……ぅ……!」
焔へ薬を打ち込んだが、手を焼かれ苦しむ音羽を見て怒りが沸いた。
「手を離せ……焔ァ!」
「っ!」
手元で空気を圧縮させ、巨大な塊にして発射する。
それに気付いた焔は咄嗟に手を離し、避けながら大きく後ろへと跳んだ。
「音羽!」
「えへへ……私、やったよ。これで、焔さんは……!」
音羽を庇いながら、前の焔を見る。
「何を打った……? 能力者に毒など、効くとでも?」
何をされたのか分からない様で、ひたすら困惑していた。毒が効かないことなど分かっているさ。
「━━良くやった、二人とも!」
ふと後ろから声がし、振り向くと弓美さんが立っていた。
薬を打ち込んだのを確認して寄ってきたんだな。心強い。
「君が射手か……。寄ってくるとは、随分余裕だな」
「まぁな。先程打ち込んだ薬が効けば……私達でも勝てるだろうからな」
「……何だと?」
余裕の表情を浮かべ、弓美さんは嘲笑する。
「先程の薬はな、感染者を一時的に人間に戻す薬だ。短時間しか作用しないが……十分だろう」
「何だと? 組織はそんなものまで開発していたのか……!」
弓美さんの言葉に驚き、焔の顔から余裕が消えた。
能力者としては焔に勝てない。だが、能力さえ失くせばただの女だ。薬が打ち込めなければ勝ち目など無かったが、音羽の捨て身で何とかなったな。
「音羽……腕は?」
「うーん、動かないや。無茶したかな」
「全くだ。でも、良かったよ。無事で」
「えへへ……」
音羽は力なく笑う。
もうすぐ効き目が出てくる筈だ。そう思って再び焔を見る。
しかし。
「……感染者を一時的に人間に戻す……ね。なるほど、死ぬ覚悟を持ちながら強気だったのはその為か」
「な……!」
とっくに薬は効いている筈だ。なのに、焔の両腕の籠手が消えない。
その場で静止している鳥と虎もだ。
「理由がわかってスッキリしたよ。……では」
そして。
焔から放たれた火の銃弾が……音羽の胸を貫いた。




