第十話 解き放つ
「これ……本当にバレないのかな」
「大丈夫でしょ。生徒の多い学校だもん」
慣れない制服を来て、大きな校舎をアキラと共に見上げる。
まさか、こんなことになるとは。
話は、昨日に遡る━━
「━━潜入……ですか?」
「うん。情報収集にはそうするのが一番かなと思ってね」
焔さんが暫く誰かに電話をした後、俺とアキラにそう告げた。
「でも、流石にバレませんか? 先生や生徒に」
「さっき、神泉高校の先生に連絡は入れておいたから大丈夫さ。そして……誠君。君は全生徒の顔を把握しているかい?」
「いえ、正直三割か四割くらいしか把握してません。後輩となると更に分からないです」
「と、言うことだ。生徒の多さに助かったね」
と、やや強引に話を進める焔さん。
「えっと、生徒からはバレにくいってのは分かりましたけど。先生に連絡を入れたってどういう事ですか?」
「あぁ、私の知り合いが神泉で教師をやってるのさ。そして、私達の事情を一部だけだが教えてある。快く受けてくれたよ。もし何かあれば、助けてくれる手筈になっている。後はレイラ達が目立つ行動さえしなければ……情報収集を安全に行える筈さ」
「知り合い……なるほど」
知り合い、か。何となく顔が広そうなイメージはあったものの、教師にまで知り合いがいたとは。
すると今度はアキラが質問をする。
「潜入ってのは分かったけど、僕達も学生だよ? 理由も無しに学校を休んで神泉に忍び込むのは流石に難しくない?」
「放課後に行けば良いさ。神泉は部活が盛んで、放課後も部活動で残っている生徒が多い。確か、静さんも吹奏楽部に所属しているんだったね? 誠君」
「あ、ハイ。三年生なので受験のためにすぐ帰るかも知れませんが、後輩への指導の為に残っていることも多いとか」
そう誠は話す。気は乗らないが、これで情報収集への準備は整った……と言うことか。制服もその協力者である先生が用意するのかもな。
━━そして、今に至る。
現在は一度誠と会うために、アキラと並んで校門で待っていた。
「遅いね。彼、今は部活やってないのに」
「だな。俺らのが早く学校が終わったとはいえ……まだ出てこないなんてな」
放課後にダッシュで帰宅して電車に乗り、一度事務所へ戻ってから制服に着替え、そしてまたダッシュで神泉まで向かった。
感染者の身体である為に息はそれほど上がっていないが、この一連の流れを毎日続けるとなると一種のトレーニングの様だ。
なるべく、手短に済ませたい所だな。
しばらくすると、多くの女子の声と共に大勢の生徒がこちらへと歩いてきた。
「ま、誠君! これ、クッキー焼いたんだけど良かったら……!」
「誠君! この後遊びに行かない? 」
「誠君は進学先どうするの? やっぱり賢いから有名な大学とか?」
「あ、あはは……ちょっと待ってよ……」
そこには、女生徒に囲まれた誠がいた。手にはいっぱいのお菓子やらラブレターらしき封筒で溢れていた。
……整った顔立ちとは思ったが、なるほど。遅れた理由はこれか。
「あ、僕この後用事があるんだ。またね」
「えー!?」
女生徒の囲いを振り切り、誠は急いでこちらへ走ってきた。
「ごめん、場所変えて良いかな……」
「はは、了解」
「モテる男は辛い、ってやつだね。わかったよ」
申し訳無さそうに頭を下げる誠を引き連れ、一旦その場から離れることにした。
*
「しっかしまぁ、今時いるんだな。王子様みてぇなモテ男が」
学校から少し離れ、人気の少ない裏路地に三人は着いた。
疲れた様子で誠は女子からのプレゼントを鞄へと仕舞い、溜め息をつく。
「王子様なんて止めてくれ。そんな柄じゃないよ……」
「でも、納得はするよね。マコトはイケメンだし、優しそうだしね」
「大神さんまで止めてくれよ。普通だよ、僕は」
アキラにもからかわれ、誠は苦笑いを浮かべる。
嫌味が全く無い謙遜も、モテる理由の一つだろうな。
「で、どうするよ? 誠はある程度噂について調べたのか?」
誠は頷き、鞄から小さなメモ帳を取り出す。
「うん。でも、噂ってだけあって今一はっきりしないんだ。前も話した通り、壁を感じる人とそうでない人がいる。あまり静と関わりが無い人程、壁を感じやすいみたいだ」
「そして、静さんと親しい人は壁を感じない……か。それで、誠は静さんにその話をしたのか?」
そう聞くと、誠は頷いた。
「うん。心当たりは無いらしいよ。でも、やっぱり暗い顔をしていたから……何か、噂以外で隠してる事があるのかも知れないね」
「ふむ……感染しているかどうかは本人じゃ分からないからなぁ。俺もそうだったし」
困ったな。幼馴染みにすら隠している秘密があるかもしれない、か。俺達がいきなり聞いた所で、当然話してはくれないだろう。
「シズカの隠している事が気になるね。当面はその隠し事を探るために動いてみる?」
「あんまり気は乗らないけどなぁ……。隠し事を暴くような真似はさ」
「仕方ないよ。シズカは十中八九、感染者だ。もし何かの弾みで能力が目覚めた時、こんなに生徒の多い学校で暴れたりしたら被害が大きくなるもの。事前に防げるものなら、やってみなくちゃ」
「それはそうか。じゃあ、誰から情報を聞いてみるかな。誠、静さんと親しい人間って今学校に残ってるか?」
誠は俯いて少し考えた後、暫くしてからに顔を上げた。
「……静の小学校からの友達で、静と同じ吹奏楽部の仲田さんなら残ってるかもしれない。僕はあんまり話したことは無いんだけど、静の一番の友達だと思うよ」
「よし、なら仲田さんに聞いてみよう。素性がバレないように、な?」
誠とアキラは頷き、三人で再び校舎へと向かった。
先程よりも下校している多くの生徒とすれ違う。あまり時間に余裕は無さそうだ。急がないと。
「……あっ!? 仲田さんだ!」
「何?」
まだ校舎に着いていないにも関わらず、前方を歩いていた女生徒を見て誠は声を上げた。帰る途中だったのか、ギリギリセーフだな。
「な、仲田さん! ちょっと良い?」
「ん? あら、岸君。静は一緒じゃないの?」
「う、うん。ちょっとね」
誠は慌てた様子で仲田さんに話し掛ける。うっかり俺達の事を喋りそうでハラハラするな……!
「後ろの二人は? 友達?」
「う、うん。最近知り合ったんだ」
「どうも」
「やぁ」
仲田さんは不思議そうな顔で、俺とアキラの顔を見た。
「それで、さ。最近、静の様子がおかしいのは知ってる? 例の噂のせいでさ」
「噂? ……あー、あの壁を感じるとかってやつね。私は感じたこと無いし、ただの噂でしょ。静、男子にモテるからさ。他の女子から僻まれてるとかで変な噂流されたんじゃない?」
「僕もそうだと思ってるよ。でも、それ以外で何か静は隠してる様に思えたんだ。静と仲の良い君なら、何か知ってるかなと思ってさ」
誠は単刀直入でそう訪ね、一瞬だが仲田さんの顔が険しくなった。
━━知っている、な。
「ごめんなさい、私にも分からないわ。幼馴染みの岸君が分からないんだし、私も聞いてないから……」
「そっか……分かった。また何か分かったら教えてもらっても良い?」
「う、うん。約束するわね」
それじゃ、と言い残して仲田さんは急ぎ足で帰っていった。
「仲田さんは知らないみたいだね……」
「いや、どう見たって何か隠してたぞ。気付かなかったか?」
「うん。露骨すぎ」
「え、えー? 本当に?」
と、誠は驚いた顔を見せた。……大丈夫かな、誠。顔は良いのに、何処か抜けている様に思える。
「どうするかな。シズカだけじゃなく、その友達まで隠してると来た。この様子じゃ、事情を知っている人が他にいたとしてもシズカ本人から口止めされている可能性が出てきちゃったよ」
「そうだな……。静さんの親に聞くとか、先生にも聞いてみるとか……か? どちみち、話してくれなさそうだけど」
いきなり手詰まりだ。
だが、何か見えてきた様な気がする。この違和感をはっきりさせれば……静さんの秘密が何なのか、検討が付くかもしれない。そしてそれは、能力がどういう物なのかはっきりさせる事に繋がる。
「━━女と、男……」
「ん?」
誠は急にそう呟き、俺とアキラを見た。
「思い出したんだ。壁を感じるって噂に、性差があったって話を」
「性差……あぁ、確かに言ってたな」
昨日、誠本人が話していた事だ。男の方がより壁を感じる、と。
「それで……レイラ。能力ってのは、本人の強い願いや感情が反映された能力になるって言ってたよね?」
「あぁ。例外は無いと思うよ」
「……そうか、だから……」
誠は一人で納得したようで、とても辛そうな表情をしていた。
「誠?」
「あ、ごめん。……多分だけど、抱えている秘密について分かったと思う」
「本当か?」
「うん。でも……」
誠の顔は依然として暗いままで、こちらまで不安になってくる。
「……差し支えがなければ、教えて欲しい。なんなら焔さんだけに伝えてもらっても構わない」
「いや、話すよ。頼ったのは僕の方なのに、二人に話さないなんてフェアじゃない」
「そうか……なら、頼む」
うん、と誠は頷く。
「女の子にしか話せない秘密なんだと思う。昔から静はどんな事でも僕に話してくれたし、僕も静に隠し事はしなかった。けど今回は違う。仲田さんにだけ話して、僕に話さなかったって事は……そういう事なのかなって思ったんだ」
「女の子にしか……か。体についての話か、それとも……心的外傷かってとこかな。壁を感じやすいのは男らしいし、男に対して敵意、あるいは嫌悪感を抱いている……とかかな」
と、アキラは真剣な表情で話す。
「……何にせよ、そう思うだけの出来事があったと見て良いかもね。体についての悩みなら、壁を感じるって話と合わないし。当面は男に何かされた、あるいは何か思い出したって線が濃厚かもね」
「何かされた、は分かるが……思い出したってどういう事だ?」
「感染者は強い願いや思いから能力に目覚める。過去の出来事がきっかけで今になって能力が身に付くパターンもあるんだ。過去の出来事をまた起こしたくないって強い思いからね」
そうか、そういうパターンもあり得るのか。……こうなると、男である俺は介入しない方が良い秘密なのかもな。女であるアキラや幼馴染みの誠じゃないと、本人から聞き出すのは難しそうだ。
あの親友の子も、初対面である俺達に話してくれるとは到底思えない。
「今日はもう帰ろうか。一度リョーコにも相談した方が良さそうだね」
「そうだな。誠は?」
「……今日は帰るね。静に直接話を聞きたいけど、僕も一度頭を整理したくて」
先に失礼するよ、と一言だけ告げて足早に誠は帰っていった。
あの表情……かなり思い詰めているな。大丈夫だろうか、誠。
*
「……話した方が、良いのかな……」
夕暮れになり、一人で駅まで歩く。後輩に指導をしていたら遅くなってしまった。友達も、誠ももう帰っただろうし……一人で帰らなきゃいけない。
「……っ……」
あの日の記憶が脳裏に浮かび、寒気がする。私が何をしたと言うのか。何故私だけ、こんな気持ちにならなくてはいけないのか。向ける相手のいない怒りに、心がくたびれる。
「━━ハァイ、静ちゃん?」
「え……?」
ふと背後から聞き覚えのない声で話し掛けられ、後ろを振り向く。そこには、整った顔立ちの女性と、大柄の男性が立っていた。女性の髪は夕暮れに照らされ、茶色の髪色がオレンジ色に輝いている。
「だ、誰ですか。と言うか、なんで私の名前を……」
「あーごめんね? 怪しい者では無いのよ。私はマドカ。君の悩みを、解決しに来た親切なお姉さんだよ」
「え……?」
見るからに怪しいその女性は、髪をかきあげながら妖艶に笑う。笑顔を浮かべているのに、やけに体が強張ってしまう。
「……中学生の時、君はとある暴漢に犯されかけた」
「━━!」
背筋に寒気が走る。あの事を知っているのは僅かな人間だけ。何故、初対面であるこの女の人が……。
「その時は幸運にも、通り掛かった警官によって阻止された。でもその時の恐怖はずっと記憶に残ってて、男性不振に陥ってしまった」
「や、やめて……」
淡々とその時の話を続ける女性。思い出すのが恐ろしくて、思わず耳を塞いでしまう。
「やっと心の傷が癒えてきたと思ったら、体が成長してより魅力的な女性になった君は……男からの目線がとても増えたことに気付く」
「や……やめ……!」
「さぞ気持ち悪いだろうね。あんな目に合わせてきた男からの目線なんて。それこそ、信頼出来る男なんて君の幼馴染みくらいか」
誠の事まで知っているなんて。本当に何者なんだ。
「でも君はその目線をどうすることも出来ない。……でもね、一つだけ解決する方法があるとするなら?」
「え……?」
女性は笑みを浮かべながら、私の手を握る。
「その感情を、解き放つのさ。男が嫌いだと言うその気持ちを、隠さずにさらけ出せば良い」
「……で、でも……そんなことしたって……」
「━━良いからやるのよ。同じ目に合いたいの?」
「あ……!?」
低く冷たい声で女性が話すと、背後の男性が顔を上げた。
その顔は、忘れたくても忘れられない……私を襲った男の顔だった。
「ひ……いや……嫌……!!」
「さぁどうする? 今度は誰も助けてくれないわよ?」
「や……やだ……━━━━やだぁ!!!」
その瞬間、自分の体が感じたことのない熱さに覆われる。そして、意識がどんどんと霞んでいく。
助けて……誠……!