番外篇 谷畑ちなみの場合は
「ふう……」
私は大きく息を吐いた。
期末テストの答え合わせを終え、テストを返却すると教師は一年の終わりを感じる。
これは私以外の教師も似たようなものだろう。
毎年同じようなことを繰り返していても、やはり師走近くになると心が慌ただしくなるものだ。
「それにしても……」
相変わらず谷畑君のテストは散々だった。
あれほどこの部屋に入り浸っているのに、それが成績に全く反映されていない。このままでは本当にただ私のような老いぼれに会いに来ただけ、と勘ぐられる。
尤も、テスト前日にフィンランドから帰国するような人間なので、この結果は当然とも言えたが。
彼女自身のためにももう少し頑張って欲しいところだが、口で言っても分かってもらえないのが辛いところ。せめてテスト前ぐらいは真面目に勉強して欲しかった。
そして私が今年の大掃除の算段を考え、結局何もしない未来まで想像した頃、
「はぁ……」
深いため息を吐きながら、谷畑君が国語準備室に訪れる。
いつも元気な彼女も、今回のテストの悪さは答えたのか。
むしろそう思ってくれていると教師として非常に嬉しい。
私は一縷の望みを抱きながら、彼女のため息の理由を聞いた。
「実は今日音楽の授業があって、そこでフランシーヌの場合って歌を習ったんです」
全然違った。
そういえば音楽のようなテストがない科目は、テスト後も普通に授業をしていたな。まあ授業という名の自習のようなものだが。大方先生が好きな歌でも適当に教えてたのだろう。
それにしてもフランシーヌの場合とは渋い。
音楽の先生は新任で、まだ私の半分程度しか生きてはいないというのに。そもそも私だってその当時に聞いていた歌でもない。
私の記憶が確かなら、反戦デモで焼身自殺した女性をモデルにした歌だったか。私のような凡人に想像できない心境だ。
それはあの谷畑君にしても例外では無かったようだ。
「私、音楽の先生からこの話が出来た経緯を聞いて、思ったんです。ああ、今の私って何してるんだろうなあって」
「若い頃は極端な生き方をする人間に憧れるものだ。しかし人間、結局は地に足がついた生活をして、天寿を全うした方がいいんだよ」
私は自分に言い聞かせるように言った。
私自身、今まで平凡な人生を送ってきたと思っている。しかし、それは決して悪くいものではなかった。
唯一跡取りを残せなかったことに関しては、両親に対して申し訳く思っているが。
ただ幸いなことに、その点に関しては両親もかなり昔に諦めてくれてはいた。
「いやでも、やっぱりなんか私にもできることがあるように思えるんですよ! こう、なんていうかなあ、青春を爆発させるような事が!」
「私から見れば君は本当に色々やってるよ」
普通の高校生は詩の内容を確かめるためだけに、わざわざ海外に行ったりはしない。たとえそれを実行する財力が彼女の両親にあったとしても、それを実行するのとしないのとでは大違いだ。
しかし、彼女にとってその程度の話、慰めにもならないようだった。
「というわけでこれです!」
谷畑君がチラシのような物を私に見せる。
私は眼鏡を外し、最近老眼になりかけている目でその内容を読んだ。
「なになに……『きたる12月25日クリスマスに、校庭で大々的なクリスマスパーティーを決行予定! 独り身の奴はどうせ暇なんだから来い!』……まあ、君らしいといえばらしい催しだね」
豪快で分かりやすいイベントだった。
ただ、唯一意外だったのは、谷畑君がクリスマスのような商業的なイベントに興味を示したことか。恋愛関係を忌避している彼女からしたら、どうでもいい1日と考えていると思っていたのだが。
「実を言うと、クリスマスパーティーというのは名目なんです」
「名目?」
なにやら怪しい空気が漂ってきた。
「はい。パーティーの時にこう、やたらでかい樅の木を用意するんですよ。そしてパーティーがクライマックスに達した時」
「達した時?」
「校庭中央に配置した樅の木にガソリンぶっかけて豪快に燃やす!」
「燃やすかあ~」
燃やすかあ……。
「それはさすがに消防も許可しなし、警察沙汰になるぞ」
「その点はご心配なく。ちゃんと父の力を借りて、キャンプファイヤー名目で許可は下りましたから。私は使えるものなら親でも使う人間です」
自信を持って答える谷畑君。
彼女にとって他人とは、自分の情熱を実現するための道具に過ぎないのかもしれない。もちろん私も含めて。
これでは恋愛感情など湧くはずもないか。
「フランシーヌさんは、その自殺で今なお歌が残るほど、多くの人に衝撃を与えました。だからといって私まで焼身自殺をするわけにもいきません。まだしたいこともありますし、別にそこまでして言いたいこともありませんから。でも、この時の光景を参加者の誰かが忘れず、後々に残るような歌を作ってくれたら素敵じゃないですか!」
「最後の一部分だけ抜粋すれば、美しい話なんだけどなあ」
そこに至るまでの過程が、いくらなんでも野蛮すぎた。
谷畑君は暑苦しいほどの情熱でひとしきりまくし立てたあと、途端に表情が暗くなる。
いつも元気な彼女にしては珍しい。
そもそも、こんな顔を見るのも初めてだった。
「いきなりどうしたんだい?」
「いや、ふとこんなことできるのも、あと数ヶ月だなって思って」
「そうだな、君も来年で卒業だ」
日頃好き放題に生きている谷畑君であるが、こう見えても高校3年生だ。
普通なら受験勉強で忙しい時期だが、彼女の場合進学せずそのまま卒業するらしい。
詳しい話を聞いたことはないので予測しか出来ないが、おそらくそのまま家に入って政略結婚の道具にでもなるのだろう。
彼女の家はとてつもない資産家で、また古い家でもある。
おそらく彼女の両親も、それが為に学生時代は彼女の自由にさせているのだろう。
そんな風に私は考えていた。
「まあでも逆に考えれば、それまでは好き勝手できるって事ですよね! よっしゃー、阿鼻叫喚のクリスマスにしてやる! ふふふ、クリスマスだと浮かれているカップルどもめ、この私が本当のクリスマスを見せてやる……」
とてもモテている人間とは思えない台詞を残し、谷畑君は国語準備室から去って行く。
残された本当にモテないオッサンである私は、冬の澄んだ空を見ながら、再び大掃除について考えるのだった……。
後日聞いた話によると、谷畑君主催のクリスマスパーティーは無事開催され、予定通り樅の木が燃やされたらしい。
しかし、意外にも周囲の受けは良く、むしろ皆盛り上がりよくある青春の1ページに留まったそうだ。
めでたしめでたし。