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第四篇 竜田川を待ちながら

 昨日本校で百人一首大会が行われることになった。

 発起人は意外にも生徒の方で、なにやら漫画家かドラマが流行ったのがその理由らしい。


 私は国語教師ということもあり、読み役を仰せつかった。

 競技カルタの場合、テープを使ったりするのだが、あくまでレクリエーションのカルタ大会、厳格なルールを用いることもない。


 久しぶりに大勢の前で詠む歌に私は少し緊張したが、大会は概ね順調に進み、恙なく終わった。その際、「先生の声って改めて聞くと渋いよね」と、予想外の賞賛を得られたこともここに記しておく。


 ただ、そのあとエキシビションで行われた教師対抗戦では、体育教師にこてんぱんにされ、国語教師としてのプライドは一気に地に落ちてしまった。

 まあ歌は覚えていても運動神経は子宮に置いてきたような人間だから、負けも必然であると言える。


 ――そう自己弁護はしておきたい。


 そうでなければ悲しくて惨めすぎる。


 ちなみにいつもの谷畑君に関しては、意外にも、というべきか案の定というべきか、1回戦で早くも姿を消した。

 彼女の場合、読んでいる句に意識を奪われすぎて、下の句を捜すという行動自体できなかったらしい。


 まったく彼女の辞書に普通という言葉は無いのだろうか。

 そもそも、こうしてまたこの国語準備室に来ること自体、普通からはほど遠いのだ――。


「先生、竜田川って知ってますか!?」

「君の唐突ぶりにはもう慣れたし、それが先日の百人一首大会と関係していることも予想つく。ただし、机に乗るのは止めたまえ」

「あ、すみません」


 机に乗って詰め寄ってきた谷畑君は、表面上は済まなそうに机から降りる。

 本来彼女ぐらいの年齢の女の子は、私のようなうすらハゲの老いぼれに対して、そう下着を見られるかもしれない行動は取らないはずだ。その程度で心を乱すほど若くもないが、勘違いでもされたら事だ。

 おしとやか……というのは求めすぎにしても、せめてもう少し常識を持ってもらいたい。


「それで先生! 竜田川って知ってます!?」

「・・・・・・・」

 再び机に上った谷畑君からは、かほども反省の意図が感じられず、さすがに私も閉口した。


 そんな私に構わず、さらに詰め寄る谷畑君。

 あまりに顔が近づきすぎたので椅子を下げると、その拍子に後頭部から転びそうになった。


「大丈夫ですか先生?」

「あ、ああ……というか……はぁ、もういい」

 こちらが返事をしなければ、同じことの繰り返しだろう。

 私は仕方なく注意をするべき口で、回答を言った。


「知っているさ。いちおう国語教師だからね」

「そうですか! やっぱり有名なんですね!」

「有名か……」

 竜田川は奈良県に今もある一級河川で、地元の人間には有名だろう。ただ、東京都民からすれば、そこまで知られた川ではないはずだ。


 知っているとしたら有名な在原業平の句――


 千早ぶる 神代もきかず 龍田川

 からくれなゐに 水くくるとは


 ――からだろう。

 かくいう私もそこから竜田川を知った。

 おそらく谷畑君も今日はその句の話をしに来たはずだ。


「今度はいったいなんだい? 実際に行ってみたいのかい?」

「え、先生は現役時代に国技館に行って来たんですか!?」

「国技館?」

 何か話が致命的に噛み合っていない気がする。

 尤も、彼女と話していて、噛み合っていると感じた時の方が少ないが。


「えっと、君は竜田川のことを聞きたいんだよね?」

「はい! 最高位はどれぐらいまでいったんですか? 調べても相撲名鑑に載っていなくて……」

「ああ……」


 合点がいった。

 彼女はこの句を、別の意味として捉えていたのだろう。

 この句には学術的でない方向で、全く違う解釈をされることがあった。


「残念ながら、竜田川は力士ではないよ。君がそう思ったのは、落語の話を真に受けたからだろう」

「落語? ネットで調べた説明が気になっただけなんですけど……」

「あえてその解説を見つけるあたり、君は本当に人とは違う才能を持っているね」

 私は苦笑した。


「君が見たのは落語「千早振る」という話の解説さ。在原業平の歌を意味を聞かれたご隠居がどうにかこうにか考えて、強引にとんでもない話を作ったという、まあ笑い話だ。だから竜田川なんて相撲取りは現実には存在しないよ」

「え~。私ネットで解説見た時、すごい興味持ったのに~」

「実際は竜田川が紅葉で埋められた情景を恋心になぞらえた、恋の歌なんだ」

「う~ん」

 谷畑君は納得していない表情をした。

 ちなみに、彼女が私の講釈を始めて最後まで聞いた気もした。

 

「でもそれってちょっとつまらなくないですか。確か、他の歌もだいたい恋愛の話ですよね。私ぶっちゃけそういう話ほとんど興味ないんで」

「ほう、君はモテそうな気がするがな」

 谷畑君は私から見てもクラスで1、2の美少女であるし、体型もすらりとしていて外見的には非の打ち所が無い。実際、他の先生から彼女が生徒間でアイドルのような存在であるという話を、小耳に挟んだことがある。

 

 私の話に谷畑君は思いきり眉をひそめた。

「私ああいうの正直鬱陶しいんですよね。今はそんなことより楽しいこともいっぱいあるのに、なんで他の子達もそんな話ばっかりしてるのか、理解出来ないです。ぶっちゃけそういう話してるぐらいなら、ここで先生と駄弁ってた方が楽しいし有意義ですよ」

「枯れてるなあ」

 まるで学生時代の私のようだ。

 もっとも、私の場合彼女のようにモテなかったひがみもあったかもしれないが。


「とにかく、私はつまらない正しい答えより、間違った面白い答えの方を選びます! 回りがそれが正解だと言ってても、私がつまらなかったら意味が無いんです! 正解だけしか価値がないなんて、そんな青春寂しいじゃないですか!」

「それがテストの答えなら、私は斟酌無しに×を付ける。だがまあこの部屋にいる間は好きにしたまえ」

「じゃあそうします! そして私は間違いを真実にするため、適当な相撲部屋に行って新弟子に竜田川って名前つけるよう、画策してきます! 乞うご期待!」


 そう言って颯爽と彼女は部屋を出ていった。


「つまらない真実より、面白い嘘、か……」

 彼女の言葉を反芻する。

 この歳になると感性も毛根もほぼ死滅して、そんな青臭いことなどうでもよくなるが、そう自分に正直に生きる谷畑君を、眩しく思える心だけは残っていた。


 その後――


「先生! 過去の四股名がまとめてある年寄名跡にはすでに竜田川の名前があって、別に私が何かするまでもなく実在してました!」


 彼女の口から、既に目的は達成されていたことを私は聞かされた。


 ただ、過去竜田川を名乗った力士が豆腐屋の倅かどうかまでは分からないので、これからはその過去の捏造に鋭意努力するらしい。

 確かに彼女のように生きていれば、惚れた腫れたの話など時間の無駄に感じるだろう。


 ちなみに竜田川の落語、「千早ぶる」の詳しい話に関しては読者諸兄で調べて頂きたい。他愛もない話でも、お仕着せで聞かされるより、谷畑君のように自分で調べた方がきっと心に響くだろうから……。

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