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第二偏 限りなく海と空に近いブルー

 私はこの国語準備室のかび臭い匂いが好きだ。この本に囲まれた部屋にいると、自分が現実世界から切り離され、また非常に知的な人間だと思い込むことが出来る。

 そのため、特に用が無くても、暇があればこの部屋に入り浸ってしまう。少なくともタバコ臭い職員室にいるよりはよっぽどいい。


 この部屋にある学校教材はほとんどが支給品だが、本に関してはほぼ全て私の私物だ。全部で百冊は下らないだろう。ただ二百冊あるかは分からないが。


 実のところ、私は学生時代それほど読書家でも無かった。

 活字より漫画や雑誌を読んでいることの方が多かったし、文学談義など一度もしたことがない。よくいるノンポリの学生だった。


 そんな私でも教師になってからは必要に迫られ、多くの本を読むようになった。曲がりなりにも国語教師が活字離れ、では格好がつかない。

 就任当初は、国語教師とは思えないほど読書に抵抗があったが、次第に必要ではなく娯楽として考えられるようになり、数十年の時を経て今のような典型的な国語教師になった。


 そんな枯れている私が、騒動や道ならぬ恋愛を好まないのは、誰だって分かるだろう、と思う。

 しかし今目の前にいる谷畑君は、それが完全に分かっていないようだった。


「先生、空の青と海の青って明らかに違いますよね」


 昼休み、コンビニのおにぎりを頬張っていた私に、何の許可も無く部屋に入ってきた谷畑君は、さらに何の前置きもなく言った。


 いつものこことはいえ、彼女の唐突さに私は毎回驚かされる。

 私は同じくコンビニで買ったお茶でごはんを流し込み、一息ついてから言った。


「いったい何の話だい?」

「今日先生が授業で話した詩のことです! あ、詩じゃなくて短歌かな。まあどっちどもいっか」

「短歌も広義の意味での詩だから、まあ君の話はそこまで見当外れではないね。そもそも詩とは――」

「ああ、そういう話はどうでもいいんで」

 学術的な話になると、彼女は途端に耳を塞ぐ。

 このあたりは本当に今時の女子高生だ。


「とにかく私、先生の授業を聞いていて気になったんです。白鳥が海の青い色とも空の青い色とも違うのは分かるんですけど、じゃあ同じ色の青い鳥ってなんだろうって。悲しくない奴!」


「ああ、牧水の話か……」


 私はそこまで聞いて、ようやく彼女が何のことについて話しているのか理解した。


「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも染まずただよふ、この青臭いとも言える若者特有のストレートな孤独感を詠ったこの歌は――」

「それで調べてみたんですよ!」


 相変わらず谷畑君は話を聞かなかった。


「まず空と海の青がどういう色……というか成分か調べてみました。そしたら問題なのは光の波長だったんですよ!」

「・・・・・・」


 なにやら学術的……というか化学的な話になってきた。


「そもそもビニール袋に入れた空気も透明だし、コップに入れた水も透明だから、空も海も色なんて最初からないんです。でもどちらも光の波長の中で、青い波長が分散されずに残るから、青く見えるんです」

「・・・・・・」


 彼女の話は遠い昔、高校で習った気がする。

 教師になってからは化学の知識が一切必要なくなったので、遙か彼方にその記憶は置いてきてしまった。


 それにしても、谷畑君が化学に興味を持つとは意外だ。てっきり小難しい話になったら、例によって全てをぶん投げるものだと思っていた。

 そういえば、彼女は国語の成績は絶望的だが、理数系はかなり優秀だと教科の先生に聞いた気が……。

 私の場合、自分の担当科目の成績がまず頭にあったので、とても優秀な生徒とは思えなかった。


「それで問題は、その届く波長が空にしろ海にしろ、時間ごとに変わって不変じゃない事です。細かく言えばもう秒単位で違うんですよね。そうなると海の色と青の色どっちかに染まる青い鳥は、同じように自分の色を可変出来る鳥になります。さらに、夕方になったら赤い鳥になる必要も出てきます」


 自分の得意な分野であるためか、谷畑君は早口にまくし立てる。

 自分にもこんな熱い時期があったかなあと、私は遠くを見るような目で彼女を見た。


「逆に言えば、色が固定されている鳥は、万が一どっちかの青に染まったとしても、それは絶対に一瞬なんです。まあ一瞬でも同じ色になれたなら寂しくはないって考えもあるんですけど、逆に一瞬しか会えないからこそ孤独を感じることが強まるかもしれないんですよ……」


 そう言った谷畑君の顔が少し寂しそうに見えた。

 ひょっとしたら、彼女もクラスではそういう存在なのかもしれない。少なくとも彼女の突飛すぎる生き方は、最近の女子高生のそれではない。


 私の授業を真面目に聞いている生徒なんて5本の指で間に合うほどで、後はスマートホンで遊んでいたり、寝ていたり。私もあからさまな授業妨害以外は無視し、彼らと同じように事なかれ主義を通していた。


 そんな生徒達の中にあって、谷畑君の存在は異質だ。

 常に率先して行動し、その行動力に誰もついていくことは出来ない。ときどき一緒に何かをすることはあっても、それはあくまで一瞬だけで、あとはまた歳が同じだけの他人となる。

 そんな自分の境遇を詩の鳥に重ねたのか――。


 彼女の話を聞いて、私はそんなことを思った。

 しかし、彼女の話はそんな私のつまらないありきたりな想像を超えていた。


「そこで私思ったんです、ステルス機能を持つ鳥なら全然寂しくないんじゃないかって! それをクラスの友達に話したら、放課後新種の鳥を探しに行く流れになったんです! 学会に名前刻んでやりますよ!」


 彼女の特殊性は、潰されるほど柔なものではなく、また、無視できるほどちゃちなものでもなかった。台風と同じで、好む好まないに拘わらず、周囲の人間を強引に巻き込むとんでもないものだったのだ。


 それは羨ましくもあり、また恐ろしい。


 何故ならその一番の犠牲者は、他ならぬ私なのだから。


「というわけで、週末にちょっと行ってきます!」


 哀しさの欠片も感じさせない元気のいい声でそう言うと、谷畑君は勢いよく部屋を出て言った。


 おそらく残された私の方が客観的に見て哀しい人間なのだろうなと、彼女の背中を見ながら思った……。


 後日聞いた話によると、彼女はクラスメイトと一緒に南米まで行って未知の鳥を捜したらしいが、結局何も見つからずただの小旅行で終わったとのこと。

 谷畑君の場合、自分の色が景色の色と違うのなら、景色の方を染めるのだなあと私はつくづく思った。

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