第三十話 瑠璃色の空の下で
麻弥と別れた後、俺は一人で教室へと戻った。
もう文化祭も終了時刻となるため、校舎の中にいる客の数はそこまで多くはなかった。
「……終わり、か」
ふと考える。
この文化祭と同じように、アビリティアリーナも学園生活もどこかで終わりを迎える。
その時、俺は何を思うだろう。
今と同じような寂しさを感じているのか、それとも未来への好奇心でいっぱいなのか。
どちらにせよ、そのときになってみないとわからないものだ。
そんな事を考えていると教室の手前で、俺は小さな背中を見つける。
「こんなところで、どうしたんだ?」
「佐伯くんこそ。一人?」
俺の声に気づいた宮城 夏美は、振り返るといつもの明るさで尋ねてきた。
「ああ。さっきまで妹といたんだけどな……もう、帰ったから」
「そうなの、会ってみたかったなぁ」
「今度紹介するよ」
「……楽しみにしてるね」
その返答に若干の間があったが、おそらく自分のことを考えているのだろう。
見た目がクマのぬいぐるみだからな……。
「それより、今時間ある?」
「ん? ああ、大丈夫だ」
「それじゃあ、ちょっと付き合ってよ」
俺が頷くと、宮城 夏美はトコトコとあるき出した。
俺は黙ってそれを追っていった。
しばらく歩いていくと、俺と裕香がいつも昼食をとっている校舎の隅にたどり着いた。
「どうしてここに?」
「この場所……知ってる?」
「昼はいつも裕香とここで食べてるからな」
「あはは、変わってないんだ」
「ということは、お前も?」
「うん、よくここで一緒に食べてた」
そうだったのか。
裕香は宮城 夏美の思い出を避けていたように見えたが、それでもやっぱりすべてを否定していたわけじゃなかったんだな。
「思い出の場所、か」
「本当の思い出の場所は、別の場所だけど」
「そうなのか?」
「うん、だけど内緒。私と裕香の2人だけの約束だから」
「そうか、それなら聞けないな」
宮城 夏美との約束、か。
裕香は絶対に忘れていないだろう。
むしろ、今も大事にしているかもしれない。
「ところで、佐伯くんは裕香のことどう思ってる?」
「どうって?」
「二人しておんなじ反応……まぁいいや、裕香と最初にあったときとか、パートナーになって感じたこととか」
「ああ、そういうことか。そうだな……」
裕香のことをどう思うか、か。
「初対面での第一印象は、『おとなしいやつだな』と思った。まだ、お前の1件を知る前だったこともあるが」
「その時の裕香、どんな感じだった?」
「何話しかけても、返事はしてくれるがすごく避けられているような感じだった。そうじゃなくなったのは、1回戦のときから、かな。ステージがお化け屋敷みたいになって」
「吊り橋効果……」
「それで、まぁ前にも話したが素の裕香をそこではじめて見た。それからかなぁ、普通に話せるようになったのは」
「今はどう思ってるの?」
「頼りになるやつだよ。可愛いものが好きだったり、怖いものがだめだったりするけど、それも裕香の一部だし、なによりあいつは……芯がすごく強い」
「ちゃんと裕香のこと見てるんだね」
「当たり前だろ、俺はあいつのパートナーなんだから」
「それと、裕香のことは女の子として見てないの?」
「……は?」
「いや、だから『彼女にしたいなぁ!』とか思わないの?」
「いやいや、なんで急に」
「急でもなんでもないよ、どうなの? 今はそう思ってなくても、アリかなしかでいうと?」
なんか急に目をキラキラ輝かせてきた。
なんなんだ、こいつ……。
「そうだな……」
裕香を彼女に、か。
料理はうまいし、優しいし、気が利くし、なにより気心が知れてる。
……いやいや。
「どうなの? ねぇ、どうなの?」
「……アリかなしかでいえばアリだが、やっぱり今はまだ」
「そうかぁ、ありなのね」
ニタニタと笑うクマのぬいぐるみ。
やばい、ちょっとこいつの頭をぐりぐりしたくなってきた。
「……裕香のこと、よろしくね。ほら、私はもう一緒には戦えないから」
「そんな事言うなよ、裕香はお前と一緒にいられて嬉しそうだぞ」
「うん、わかってる」
「今日は楽しかったか?」
「最高の1日だったよ、ありがとうね」
「礼を言われるようなことじゃない。2人で楽しんできたんだろう」
「でも、もう終わりだね」
「ああ、なんだか寂しくなるな」
「実行委員をやってると、余計に感じるじゃない?」
「まぁ、な。忙しい時間を経験してるっていうのはあるかもしれないな」
楓戦に、文化祭準備、宮城 夏美の1件。
短い期間で、いろいろありすぎた。
「君は、優勝したら何を願うの?」
「妹を助ける」
「本当に?」
「そのためにここまで来たんだからな」
「そっか。裕香は、何を願うんだろう?」
「聞いてないのか?」
「それを言うなら、君もでしょ?」
「それはそうだが……。でも意外だな、話してるのかと思ってた」
「なんでも話してるってわけじゃないよ」
「そういうものか」
「そういうものだよ」
「そういうお前は、何を願うつもりだったんだ?」
「私? 私はね……」
クマのぬいぐるみは、しばらく空を眺めてからポツリと呟いた。
「叶えたい願いはあったんだけど、もう叶っちゃったんだよね」
「へえ、そうだったのか。よかったじゃないか」
「うん、そうだね。すごく……よかったよ」
錯覚なのはわかってる。
だけど、そういった彼女の姿は、会ったこともない少女の姿をして、すごく悲しげに、それでいてすごく幸せそうに笑っていた。
それをみて、俺は察してしまった。
「お前……まさか」
「裕香のこと、よろしくね」
「待てっ!!」
クマのぬいぐるみは、その姿からは想像もつかない素早さで去っていく。
一生懸命追っていたが、すぐにその姿を見失ってしまった。
急がないと、大変なことになる。
俺は真っ先に、裕香のもとへと向かった。
* * * * * *
「裕香っ!」
俺は裕香の姿を見つけると、真っ先に駆け寄った。
「ど、どうしたの?」
「宮城 夏美が来てないか?」
「夏美? いや、来てないけど……」
「くそっ、ここじゃないか……!」
「一体、どうしたの?」
突然走ってきた俺の様子をみて、裕香は何か起きたのだと察したようだ。
「あいつの様子がおかしかった。たぶん、もう……」
時間は残っていない、そう言葉にすることはできなかった。
だが、裕香はそのことを察したようで、すぐに顔色を変えた。
「急いで探そう! 夏美のことだからこの学校のどこかにはいるはずだよ」
「俺たちが昼を食べてるところにはいないだろう。裕香は心当たりを探してくれ。俺はこの校舎の上から順番に探していく」
「わかった!」
裕香はそう返事をすると急いで駆け出していく。
俺も、急がないとな……。
そう思い、屋上へ向かおうとするが、俺の目の前に立ちはだかる人物によって、それはかなわなかった。
「……佐伯、どういうこと?」
「梨絵……」
どうやら、今の会話を聞かれてしまったようだ。
「説明して、どうして夏美の名前が出てくるの?」
「今は時間がない、あとで説明する」
「ダメ、いま話して」
「時間がないんだ! すべてが終わったら説明する、だけど今は……!!」
俺がそういっても、梨絵は引く気がないようだった。
「……梨絵」
「芳樹……」
「いかせてあげなよ」
「でも……」
「……佐伯君、ちゃんとすべて終わったら、梨絵に説明してくれるんだよね」
「ああ。約束する。話した内容が信じられなくても、真実を全部」
「約束だ」
飯山はそういうと、梨絵の肩をつかんで自分の方へと引き寄せた。
バランスを崩した梨絵は、飯山に抱き着く形となった。
「ちゃんと約束は守るんだよ」
「ああ、すまない」
俺は飯山の横を通って、屋上へと向かっていった。
* * * * * *
「梨絵」
「……」
梨絵は、芳樹の胸の中で顔を俯かせていた。
「夏美ちゃんに会いたかったよね。でも、佐伯君の気持ちもわかるでしょ?」
「……でも」
「たぶん、梨絵が知りたかった真実を、佐伯君は話してくれるかもしれない。だけど、いまの2人にそれを説明できるほどの時間的余裕はないんだよ」
「……わかってる」
「後悔、したんでしょう。その後悔を、あの2人に味合わせるわけにはいかないよ」
「……うん」
「だからいまは、ね」
「……」
梨絵は、芳樹の胸の中で静かに涙をこぼした。
「まったく、佐伯君にも困ったものだね」
(でも、ありがとう。これで、梨絵を縛っていたものもなくなりそうだ)
芳樹は、一弥の去っていた方を見つめ、穏やかな笑みを浮かべるのだった。
* * * * * *
「やっぱり戻ってきてない……」
裕香は、一弥と別れた後、真っ先に自分の部屋に戻っていた。
夏美が行きそうな場所について、裕香の中でいくつか候補があった。
裕香の部屋もそのうちの1つだった。
「ほかには……」
裕香はゆっくりと目を閉じて考える。
いくつかの候補の中から、確実なものを1つ。
自分の胸に、手を当てて。
ふと、胸ポケットにあるものに裕香は気がついた。
「そういえば……。うん、あの場所しかない……!」
裕香は、急いで自分の部屋を後にする。
彼女の中で、夏美がいる場所について確信があったからだ。
それは、裕香と夏美の約束の場所。
まだ、2人がパートナーとしてアビリティアリーナに挑む前に、ある約束をした場所だった。
(夏美、いま行くから!!)
* * * * * *
「くそっ! ここでもないかっ!!」
見つからないクマのぬいぐるみの姿に、俺は焦りを感じていた。
あとどれくらいの時間が残っているかわからない。
だけど、そんなに多くないのは確かだ。
おそらく、宮城 夏美が明日を迎えることはないだろう。
今日が……最後の日なんだ。
焦りと苛立ちが募っていく。
たまらなくなって、俺は近くにあったドアを思い切り殴った。
「おいおい、一体どうしたんだ?」
「なにか期限が悪そうなのだ」
後ろから声をかけられ振り返ると、そこには驚いた顔をした辰巳と香耶の姿があった。
「辰巳と香耶か……。すまない、ちょっと人を探してて」
「人探しか、その様子を見る限りじゃ、急ぎみたいだな」
どうやらドアを思い切り殴ったのを辰巳は見ていたようで、その様子から大方のことは察してくれたようだ。
「すまない。クマのぬいぐるみを見かけたら教えてくれ」
「ぬいぐるみ? ……ああ、わかった」
辰巳が更に驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
だが、香耶の様子は少し違っていた。
「ちょっと待つのだ」
「なんだ?」
「……探してるのは、クマのぬいぐるみの人なのだな?」
「ああ、そうだ」
「……」
香耶は目を閉じて、深呼吸をひとつする。
それから、息を止めてなにか集中しているみたいだった。
「……何を……」
俺が辰巳に尋ねようとすると、辰巳は『黙ってろ』と言わんばかりにしーっと指を立てた。
「……見つけたのだ」
「なにっ!?」
そういえば、辰巳から一度聞いたことがある。
香耶のアビリティの副作用みたいなもので、遠くの音や声が聞こえてしまう時があると。
つまり、いま香耶はそれを使って宮城 夏美を探しだしたということか。
「すごく……つらそうだったのだ」
「……そうか……」
俺や裕香といるときには、絶対に見せなかった顔だ。
当たり前だ、辛いわけがない。
自分はすでに死んでいて、だけどその自覚はまったくない上に、周りはいろんな時間を過ごしてきた。
その時間の中で置き去りにされてしまった宮城 夏美が、何も思わないわけがない。
気づいてやれなかったんだ。
あいつが、明るく話すから。
本当に辛い顔をしていたことにすら、ぬいぐるみの姿で消されてしまっていた。
だけど、これは言い訳でしかない。
気づいてやるべきだったんだ。
同じ時間を過ごしてきた、この短い時間の中で。
「それで、あいつは今どこに……?」
俺は香耶から、宮城 夏美の居場所を聞く。
その場所は、俺も知っている場所だった。
「そんなところに……」
「早く言ってあげるのだ」
「ああ、ありがとう香耶。助かった!」
「頑張るのだ〜!」
小さな手を一生懸命に振る香耶の姿を背に、俺は校庭へと向かったのだった。
* * * * * *
「大丈夫か?」
一弥が去った後、辰巳は香耶にそう問いかけた。
「うむ、問題ないのだ」
「そうか。でも、珍しいな、お前がその能力を使うなんて」
香耶は、自分のアビリティによって引き起こされる副作用のような現象を嫌っていた。
特にひどいときは耳をふさいでうずくまってしまうほどのそれを、香耶はあまり使おうとはしなかった。
「お礼なのだ」
香耶はすこし満足げに笑う。
話し方は小悪党みたいだが、小さな容姿もあいまって愛嬌に満ちている。
「……なるほど」
香耶の様子から、楓のことだと察した辰巳は香耶の頭をなでた。
「もう文化祭も終わりだからな、最後になにか食うか」
「甘いもの、甘いものを食べるのだ! 辰巳のおごりなのだ!」
「このクソガキは……。まぁいい、よしっ、行くか!」
「やったのだ〜!」
嬉しそうにはしゃぐ香耶の姿を見て、辰巳は思わず笑みを浮かべた。
* * * * * *
すっかり日は落ち、あたりは夜の静寂に包まれている。
その中に一人、木の幹に背中を預け、空を眺める姿があった。
彼女に残されている時間は、残り少ない。
せめて最期の場所は、と彼女はこの場所に来ていた。
「なつかしいなぁ」
彼女にとっては、そこまで昔の記憶ではない。
だが、過ぎていった時間とそれを痛感したときの感覚が、その記憶を「懐かしい」と感じさせていた。
「文化祭、楽しかったな」
少女は笑う。
それは、その顔は笑顔の仮面を貼り付けているようにも見える、無機質な笑み。
本心からの笑みではなかった。
「やっと……見つけた」
少女は声をしたほうを見つめる。
そこには、息を切らした自分のパートナーの姿があった。
「裕香……」
少女―――宮城 夏美は、パートナーの名前を呟く。
彼女がここに来たことは、夏美にとって予想外のことではなかった。
むしろ、「裕香なら来るだろうな」とさえ考えていたくらいだった。
「勝手にいなくなったら心配するでしょ」
裕香は穏やかな声でそう言いながら、夏美の横に腰を下ろした。
夏美はただ一言、「ごめん」とつぶやいた。
* * * * * *
俺が校庭についたとき、すっかり日が落ち、文化祭終了のアナウンスが機械的に流れていた。
「あいつはどこだ……?」
校庭を見回してみると、校庭の隅の樹の下に2人の姿を見つけた。
「いた……!」
俺がその場に向かおうとすると、後ろから肩を掴まれた。
振り返ってみると、そこには―――。
「雨音、さん……?」
雨音さんは何も言わず、黙って首を横に振る。
『2人にしてあげて』
雨音さんがそう言っているように思った俺は、黙ってうなずいた。
「……気づいていたんですか?」
「ちょっと前から、ね」
雨音さんは寂しそうに、笑った。
どこで気づいたかはわからなかったが、宮城 夏美の登場を雨音さんは黙認していた、ということか。
「せめて、この文化祭まではって思ってたんだけど」
「……楽しんでましたよ、あいつは」
「それなら、いいんだけど」
俺と雨音さんは、校庭の隅に座る2人の姿を見る。
「そういえば、アリーナが始まる前、裕香があの場所にいる姿を見たことがあるんですが……」
「あの場所は、2人の約束の場所だからね」
「約束の場所?」
「そう。何気ない約束だけど、大事な約束をした場所」
そういう雨音さんの横顔は、いつも以上に綺麗だった。
木の下に座る裕香と宮城 夏美は、しばらく黙ったままだっただが、ゆっくりと裕香の方から会話を切り出していた。
「文化祭、どうだった?」
「楽しかったよ、すごく。裕香はどうだった?」
「楽しかった。夏美と一緒に回ることも出来たし」
裕香と宮城 夏美は、互いに視線を合わせず夜空を眺めながら会話をしている。
目があってしまうと、必死に隠そうとしているものがバレてしまうのではないか―――。
そんな不安のようなものが、2人にはあるように見えた。
「雨音さん……」
俺はたまらず、雨音さんに声をかける。
雨音さんは時間を確認すると、「そろそろね」と呟く。
俺が雨音さんに「なにが」と確認する前に、それは訪れた。
周りの電気が一斉に消え、辺りが夜の暗闇に包まれる。
「これは……?」
「文化祭の終わりは、いつも一斉消灯して月見をするの。そして、この夜は……」
雨音さんは言葉を最後まで言わなかったし、何を言おうとしていたのかはわからなかった。
だが、俺は目の前に起きている事実に、ただただ目を疑っていた。
「嘘……だろ……」
木の下に座る、"2人"の少女。
それは比喩でもなんでもない、"人間が2人"座っている。
1人は、裕香だ。
そして、もう1人は幾度となく俺の目の前に錯覚として現れた、あの少女だった。
* * * * * *
「夏……美……?」
「なに?」
裕香が驚いた顔をしていることに、夏美はまだ気がついていない。
そして、彼女が夏美の姿に驚いていることも。
「ど、どうして……」
「ん?」
ここでようやく、夏美は裕香の異変に気がついた。
そして彼女は首を傾げた。
(こころなしか、裕香の顔が近いような……)
いつもはクマのぬいぐるみから、裕香の顔を見上げる形となっている。
それが、いまは同じ目線の高さに裕香の顔がある。
裕香の手が、彼女の顔に近づいてくる。
「幻じゃ……ないんだね……」
裕香の手が夏美の頬に触れ、ひんやりとした感触が彼女の手に伝わった。
夏美は、裕香の手の温もりに触れ、ようやく自分の姿が変わっていることに気がついた。
「……どぅぇ!? ど、ど、ど、どういうことっ!?」
あまりにも自分の姿が予想外であったため、夏美は素っ頓狂な声をあげる。
いま彼女は生前の、宮城 夏美という1人の人間として生きていたときの姿になっていた。
「ようやく、夏美とちゃんと話せる」
「裕香……」
裕香の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
それは、再会を喜ぶ涙であることは、夏美にもわかった。
「どうせなら、文化祭のときにこの姿になってほしかったな。そしたら……」
もっと学生らしく一緒に回れたのに。
その言葉が、彼女の口から出ることはなかった。
なぜならば、その言葉を言う前に、裕香が夏美に向かって抱きついたからである。
抱きつかれた衝撃で、夏美は地面に寝転ぶ形となった。
「ちょっと、裕香」
「夏美……夏美……!」
裕香は、夏美の名前を呼びながら泣いている。
それを見た夏美は、子供をあやすように裕香の頭をなでた。
「裕香、覚えてる? あの日の約束」
「うん……覚えてる」
「……今日もきれいな星空だね」
「そうだね」
夏美の視線の先には、瑠璃色の星空が広がっている。
「あの日も、こんな星空だったよね」
夏美はゆっくりと、その手を星空に伸ばす。
「……」
裕香は、何も答えなかった。
それは、星空を覚えていなかったからではなく、"宮城 夏美に残された時間がもうない"ということを察してしまったからである。
「また……別れなくちゃいけないの?」
裕香は、涙混じりにそう尋ねた。
その問いかけに、夏美はすこし困った顔をした。
「ごめんね……でも、これで最後だから」
「最後だなんて……。言えなかったこと、やり残したこと、一緒にやりたかったこと、まだたくさんあるのに……」
「私もね、まだまだ一緒にいたかったよ」
夏美は、星空を眺めながら少し間をおいて、「だけどね」と続けた。
「これから先の時間は……私との時間じゃないよ」
「えっ……」
夏美は裕香を抱きしめながら起き上がると、裕香の肩を掴んで、じっと彼女の目を見た。
「裕香には、頼りになるパートナーがいるでしょう?」
夏美は、裕香の目を見て微笑む。
そして、ひとり立ち上がると星空の下へとあるき出す。
「これから先……佐伯くんとの時間を、思い出を、そのひとつひとつを大切にね」
「夏美……!」
そこで裕香は気づく。
目の前の少女―――夏美の体が徐々に消え始めていることに。
「もう、時間みたい」
夏美は、残念そうに笑う。
それまるで、祭りの終了を残念がるような、そんな軽い口調だった。
「待って、待ってよ! まだ言えてないこと……言いたかったことがたくさんあるのに!」
裕香は、とうとう堪えられなくなって涙を流す。
夏美は、それを黙ってみていた。
「夏美は、このままでいいの?」
裕香は夏美に尋ねる。
夏美は、しばらく天を仰いで、静かにこう答えた。
「消えたくないよ、やっぱり」
それは、彼女が初めて見せた本音だった。
「裕香とこれからの時間を、みんなとの思い出を、もっと……もっと、たくさん作りたいよ」
夏美は、空を見ながら静かに答える。
それを聞いた裕香は、ただ涙を流し続けている。
消えたくない、消えてほしくない。
そんな2人の願いさえ、叶えることはできなかった。
「もう……お別れなんだね」
「夏美……嫌だよ、またなんて……!」
「ごめんね」
「夏美……」
裕香は、流れていた涙を吹いて、真っ赤になった目で夏美を見た。
「あの日、助けてあげられなくてごめんなさい、私のパートナーになってくれて……ありがとう……!」
最後は、涙を堪えられなかったが、それでも裕香は夏美の目を見て、静かに告げた。
夏美は、それを見て「ああ」とポツリと呟いた。
「お礼を言うのはこっちの方だよ」
夏美は、裕香のもとへと近づいて、目を合わせた。
「私のパートナーに……ううん、親友になってくれて、ありがとう」
その言葉を言う夏美の目には、涙が溢れていた。
だけど、笑顔を浮かべる彼女の顔は、これまでみたどの笑顔よりも、幸せに満ちていた。
「夏美……」
「ありがとう、裕香。小さな約束だったけど、果たせてよかった」
「夏美っ……! ……私も、夏美とこの場所で話せて嬉しかった」
「……それじゃあ、バイバイ。裕香、私の分まで頑張ってよ」
「うん……うん、任せて」
「ありがとう」
消えていく彼女の笑顔は、未練など微塵も感じさせない晴れ晴れとした笑顔だった。
そして、彼女は瑠璃色の空へと吸い込まれて消えていく。
彼女を見送った裕香は、そばに落ちていたクマのぬいぐるみを抱きかかえ、しばらく声を上げて泣いていた。
* * * * * *
「準備よし」
登校の準備を整えた裕香は、忘れ物がないか確認をしていた。
「それじゃあ……いってきます」
誰もいない部屋に、彼女はそう告げる。
やがて扉が締り、静寂が部屋を包む。
その部屋の窓際の机の上、陽当りの良いその場所にそれはあった。
たくさんの思い出が詰まった、少しごわごわした小さなクマのぬいぐるみが、大切に飾られていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
Make Only Innocent Fantasy、略してM.O.I.F.の三条海斗です。
前話からほぼ1年ぶりの更新となってしまいました……。おまたせしてしまって、大変申し訳ありません。
この文化祭編は、2部構成のうち第1部の終わりという事もあって僕の中で非常に大切にしたい話でした。書き上がっても納得いかなかったら最初から書き直したりと、書き上げるまでにかなりの時間がかかってしまいました。それと同時に、自分の技量不足を痛感した話でもありました。
出来に納得しているかと言われると、「もっと出来たんじゃないか」と感じずにはいられませんが、書き上げられたことに関しては自分の中で満足しています。
また、この話をゲームにするならエンディングはどうしようかなと考えていて、フリー素材ですがとてもいいものがあったので、誠に勝手ながら第1部のエンディングに使用したいと思います。
第1部エンディングは、魔王魂さんの「where you are」という曲です。初めて聞いたとき、「うぉ、ぴったり!!」と思わずにはいられませんでした。
Youtubeのリンクを記載しておきます。いい曲なので、聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=1PnCwg0TYxQ
さて、ディザイアゲートは番外編を1つ挟んだ次の話から第2部になります。第1部は「パートナー殺し」にフォーカスがあたっていましたが、第2部はゲートやアビリティ、アビリティアリーナにフォーカスを当てていきます。それと同時に、ちょっと文化祭編同様に書きたい話もあるので自由に書いていきたいと思います。また、書き上がったらまとめて更新という形になると思います。月1で更新できたらいいな……。がんばります。
これからも、応援の程よろしくお願いいたします。
では、この辺で。
Make Only Innocent Fantasyでした。




