赤い糸
第一章 男子の志
一
太一郎。この大仰な名前は祖父が名づけた。
太一郎は、青森県南部の久内町にある、従業員百名ほどの土建会社、北城建設の跡取り息子である。
創業者の祖父は選挙好きのやり手で、選挙のたびに入れ込んで、その結果がそれなりに仕事の受注に結びついて事業を拡大してきた。社長は父だったが、病弱で技術屋でなかったから、祖父が営業、経理、総務をみている。
七十三歳の祖父は、会長として北城建設を取り仕切っている。祖父は太一郎を後継者として育てるべく、高専の土木工学科を修めさせた。
そして卒業が間近になったある日曜日、家に帰った太一郎をかたわらに呼び寄せた。
がっちりした長身にいかつい顔。情愛のこもった目で太一郎を眺めると、おもむろに厚い唇を開いた。
「太一郎よ。お前の名前は、この北城建設を継いで太く盛り立てるよう、太一郎と名付けた」
それは、なんども言い聞かされてきた。
そして、祖父は太い眉を上げると、太い声で命じた。
「お前はこの北城建設を継ぐ前に、他人の飯を食ってこなければならない。昔から若いうちの苦労は買ってでもせいと言う。
経営者というのは、人並み以上の経験、苦労を積んでおかなければならない。
東京の飛雄社という建設コンサルタントの専務に話をつけてある。五年間修行してこい」
太一郎は、そのごつい顔に似合わない、細い涼しげな目を見張って、祖父の話しを聞いていた。
学業成績優秀な太一郎は、クラスメートの誰彼が東京に出てコンサルタントやゼネコンに就職するのをうらやましく眺めていたし、自分もコンサルタントで腕試しをしてみたいという気分があったから、文句はない。
修行先に大手ゼネコンでなく建設コンサルタントを選んだのは、祖父がその会社の専務と旧知の仲だったというだけでなく、設計の知識を身につけて、会社の技術陣を率いよとの使命だった。
「太一郎よ、苦労は買ってでもして、男を磨くのだぞ」と、強い眼差し。
「はい、がんばってきます」と、若武者のようにりりしい太一郎。
太一郎は、一七二センチ、六十二キロの引き締まった身体。陸上部のキャプテンだったが、自身の長距離ランナーとしての記録は全国大会出場に届かなかった。いかつい顔だが笑うと目が細くなる快活な男だ。でも彼の周りに女っけはなかった。
恋人は欲しかったが、高専には女子学生が少ない。それ以前に、太一郎は、己の細い目、それに不釣合いなげじげじ眉、潰れた鼻、そして厚い唇の、およそ男前とはいえない容貌を自覚しており、そう簡単には恋人と巡りあえないと思っている。
(いずれ自分が北城建設の社長になる頃には、ふさわしい女性が現れるだろう……)
と、達観していた。
そして、太一郎には脇目を振る暇がなかった。家業を継ぐ自分には、土木工学の学科すべてが実務に思えたから、勉強に励んだ。
太一郎には試験でいい点数を取りたいという意識はなかったから、クラスメート達から見れば、変わった勉強振りだった。惜しみなく参考書を購入し、ひととおり目を通して要所に赤線を付すものの、めったに読み返さなかった。書物に書いてあることは、必要な時に見ることができるから、今、特に暗記する必要はないと考えていたのだ。
太一郎は、設計計算の実務に習熟しようとした。例えば構造力学で梁にかかる力の解析方法を学んだときは、仮設工事の切梁にかかる力を、入力条件を変えて計算してみた。切梁というのは大きな溝の壁面の支保工を支える梁である。地下水位の上昇で切梁にかかる力がずいぶん変わる。だから晴天時と降雨時とでは安全率が大きく違っている。
仮説工事では短期間の作業だということで、ぎりぎりの安全率を確保して行う。
小規模なトレンチ掘削なら、切梁に鋼材を使えば強度が大きいから最小限の配置で万全の事態に備えられ、余裕がある。しかし、これが大掛かりなものだったら、鋼材の使用量を減らせと経費削減が強く言われる。一律に安全率を下げたら厳しいところが出てこよう。地質条件を吟味して、安全率を落とせるところとそうでないところを区別しなければならない。
仮設備の設計は施工業者が行う。太一郎は、仮設備の安全率をどうとるべきか強く意識した。
計算はパソコンを使う。計算プログラムを自分で作成して処理するのがおもしろかった。そして様々な分野で市販の複雑な構造計算ソフトがあることを知って感心した。
そして、思いつくつど、部品を購入し、自分のパソコン能力を増強した。
また、会社に顔を出せば、パソコンに不慣れな年配の社員に手招きされ、キーボードの操作とか、ソフトの使い方とかの相談に乗ってあげたから、会社では一目置かれた。そのように、太一郎のコンピューターへの興味は尽きなかった。
また太一郎はいろいろな公式の理論がおもしろくて、
(どうして、こうなるの?)
と考えながら演算に持ち込んだから、皆が難しがる構造力学、土質力学、水理学は、お手の物だった。そのように習熟するには、結果的にそれだけの時間をかけたということだ。
太一郎は気ままに勉強を楽しんだといえよう。そして、卒業時には、四十二名中、三番の成績だった。
二
平成七年三月三十日、朝の三沢空港。
祖父、父母と北城建設の社員たちに囲まれた太一郎の姿があった。今、ここに二十才の太一郎の武者修行が始まる。
太一郎は意気揚揚と飛行機に乗り込んだ。飛行機に乗るのは初めてだし、東京も初めてである。
(準備万端整えているから、あせったり気をもんだりすることはない……)
それに、東京に出てからの自分は、五年間のうちに設計の実務を覚えることだけで、他のことはどうでもいい、と覚悟が出来ている。
縁故採用の見習い生だから、二歳下の高卒の給料であった。
(独身寮に入れてもらって、食べていければいい……)
この日の行程はずいぶん余裕があるから、新橋、東京と山手線を途中下車して、ぶらぶら土地勘を養いながら、新宿に向った。
新宿駅から徒歩十五分の会社に着いたのは、三時だった。山手線の外側にある古い五階建てのビルの前にたたずみ、建設コンサルタント飛雄社の看板を見上げた太一郎は、
「男、太一郎、びびるものか」と、呟く。
今日、地方から上京した新人たちが会社に集合して、独身寮に案内してもらうことになっている。
玄関ホールのエレベーターに乗って、三階の総務部の受付に立った。受付に現れた中年の女性に、にこやかに応対され、応接室に案内された。総務課長が対応してくれた。会社のパンフレットや、雑誌棚ケースの専門誌を見ていると、一人、また一人と、地方からの新人が姿を見せた。寮に入るのは、高専卒は太一郎の他にもう一名、岡本君。そして、学部卒二名、修士課程卒一名の計五名だった。
夕方四時に、五名が揃ったので、総務課の係長に案内され寮へ向った。
寮は、埼玉県の私鉄駅から徒歩十分である。会社から寮までずいぶん遠いと思ったが、一時間十分の通勤時間は、東京のサラリーマンの通勤事情では、まだいい方だと言われた。
寮といっても、会社が借り上げた小さなアパートの八畳のワンルームで、台所と小さな風呂がついている。個室がありがたかった。
食事は自炊または外食である。
引越し便で送った荷物が部屋の中に届いていてホッとした。布団袋と衣装ケース、そして本を入れた重たいダンボール箱五箱である。
翌日、太一郎は組み立て式の本棚を購入し、参考書を並べた。
翌々日の四月一日、定刻九時に出社した。
飛雄社は、社員三百人ほどの総合建設コンサルタントである。鉄道、トンネル、道路、河川、ダム、建築、都市計画、施工管理、環境、の専門部がある。技術者が二百名ほど居て、多いのは道路部の五十名、少ないのは環境部の十五名。
祖父の指示は、河川と道路部門の技術を習得することだった。
地方の小さな建設業者が請負う仕事のほとんどは河川工事と道路工事である。たまに、橋梁、トンネル、宅地造成工事のような、特別な仕事を受注した時は、中央の専門業者と組んでやる。
最初に配属されたのは河川部だった。新人は太一郎一人である。五階の大きなフロアの端を書庫で仕切った一画。部長以下二十一名の部員に挨拶し、一番隅に机を与えられた。
どの机も乱雑にファイルが積み重なっている。
壁に数字だけのカレンダーをばらして一月から十二月までずらり貼ってあり、三月まではびっしり黒と赤の書き込みがあった。
十時半からの新人研修が始まるまでの小一時間、身を持て余した太一郎は、河川部の成果品棚を覗いてみた。ずらりと並んだ黒表紙の分厚い報告書に圧倒される。その範囲は、樋管、樋門、堤防、護岸、堰、水質調査、水文調査、高水流出解析、低水解析、河床変動解析、氾濫解析、河川環境、生物調査など。
目次をめくって、また中味を拾い読みして、その内容が多岐に渡ることと緻密さに身が引き締まる。一応は学校で習った事柄だから輪郭は分かるものの、設計コンサルタントは、これほど高度なことを要求されるのか、と武者震いする。
太一郎は、テキパキ仕事をこなしている様子の先輩技術者たちをまぶしく眺め、河川部に居る二年間のうちに自分もあの報告書のレベルまで到達するのだと思うと、気持ちが昂ぶった。
この年の採用者十三名はすべて技術者で、内、高専卒は三名、大卒は五名、そして修士課程卒が五名もいた。内、女性は大卒の三名だった。
太一郎たち高専卒は一番若く、技術者としての資質は別にしても、就学年数で数えれば学力が劣るわけである。まして正式な入社試験を受けずに縁故採用された形の太一郎は、年上の同期生たちに密かな対抗意識を燃やした。
研修では、建設コンサルタント、そして社会人としての心得、会社の概要、各技術部の業務内容を教えられた。
建設事業の進捗は、計画を立案することから始まって、調査、設計、施工、管理と段階を追う。事業主は、これはほとんどが役所だが、建設コンサルタントの技術を頼っており、構想・計画を練る段階、調査して概略設計する段階、そして詳細設計して施工計画を立て事業費を概算する段階と、それぞれ区切って業務を発注する。
例えば、コンサルタントが、ある構造物の設計業務を受注したとすると、まず初めに、基本となる事柄を整理し、設計条件を検討せねばならない。どんな構造物の設計であっても、設計条件に不確定要素があるのが普通だから一気呵成には、作業を進められない。まず、制約条件を配慮した概略の図面を描いてみて、そこで明らかになる問題点を整理し、役所と相談してその対応を計っていく。
だから、大規模で複雑な構造物を設計する場合、役所は、予備設計、概略設計、実施設計というぐあいに段階を追って設計業務を発注し、調査業務と合わせ精度を高めていく。最後の実施設計が終わると、役所は工事費を積算し、工事発注となり、北城建設のような工事会社の出番がくるのだ。
そういう建設事業の流れを黒板からノートに写した時、太一郎の脳裏に、建設コンサルタント行きを命じた祖父の太い眉毛のいかつい顔が浮かんだ。太一郎は使命感に奮い立つ。
三日間の研修が済んで、いよいよ河川部の自分の席に着いた。
三
太一郎は、十二歳年長の山本主任の下に配属された。背の高い細身の人で小さな顔に金縁メガネをかけている。彼は弘前出身で、独身だった。
最初の仕事は、コピーだった。
「委員会資料、三十部。両面コピーだぞ。昼から使う」と、山本主任。
原稿の厚さが一センチ以上もあるのを、どうしたらいいかまごついている太一郎。すると、向かいあった席の色白の年上の女性が、「カラーと、分けるのよ」と、声をかけ、立ち上がった。そして、そのフサちゃんと呼ばれる人は、コピー機の使い方を教えてくれた。北城建設のとは違う新型のコピー機だった。
太一郎はフサちゃんにていねいに礼を言った。
その次の仕事はISO書類作成の手伝いだった。入社四年目の高木さん、三年目の若水さんと、それにフサちゃんの、河川部の下っ端三人が総がかりで書類を作っているのに加わった。
社内の内部監査が明日なので、今日中に整えるという。
太一郎の役目は、部長、課長、主任、担当者の印鑑をペタペタ押すことだった。
(これは、めくら判より、ひどい……)
設計という合理的な仕事をしている会社で、このような建前だけの書類があることがふしぎだった。
部屋の壁に、「ISO品質目標」が大きく掲げられている。
一.営業と技術が協調して、品質向上に努める。
二.成果品の記述を、もう一工夫して、品質向上に努める。
三.契約事項を確認して、品質向上に努める。
片付いたのは、夕方五時前だった。
そうやって、あわただしく仕事をしている人がいる一方で、
「すまんな、北城君。野暮用があって、君の歓迎会に出られない」と、午後から休暇を取る人がいたりして、なんとなく気の緩んだ職場の雰囲気を感じたが、年度末の納期が集中した忙しさを乗り切ったばかりだということで納得した。
その日は、近くの居酒屋で河川部の新人歓迎会を開いてくれた。
太一郎は、注がれる杯をカッポカッポ飲み干した。
「いや、ひどいやつが入ってきたもんだ」と、山本主任。
さすがに飲みすぎて腰が砕けそうになったが、しゃんと気合を入れて歩いた。同じ寮生の若水さんに連れられ、最後は肩を組んでもらって、やっと寮に帰った。
祖父に、「これからは、酒席に出ることもあろう。飲み過ぎた時は、反吐が出そうなほど水を飲んでから寝ろ」と言われていたとおり、ごくごく水を飲んで寝た。
翌朝、頭がふらついたが、九時前に出社した。
「北城君は、あんなに飲んだのに平気で出てくるなんて、すごいのね」と、フサちゃんに大きな目で感心された。そのしもぶくれの白い顔に黒い髪が映えた。
フサちゃんは、いつもキャドをやっているが、出勤簿や残業時間整理簿、出張伺いなど総務の書類の雑用も一手に引き受けている。
太一郎のフサちゃんの第一印象は、地味な感じの人だったが、電話の受け答えを聞いていて、きれいな声でスマートなしゃべり方をする人だ、と好感を持った。
父から、
「新しい環境に飛び込んで、三日、三月、三年の節目がある。気が緩む時期ともいえる。気をつけなければならないぞ」
と言われていたが、その三日がいつのまにか過ぎていた。
(気が弛むどころか、まだ緊張が抜けない……)
それでも、太一郎は、この会社で自分は受け入れられている、と思った。
(頼まれた仕事を、それは雑用だけど、次々に片付けて、自分は役立っている……)
そして、父に報告の手紙を書いた。
寮生は互いにあまり干渉しない。朝、同じ頃にアパートを出るが、別に誘い合うわけではない。そして帰りの時刻はばらばらだ。それでも休日になると、太一郎は、同期の岡本君と一緒に先輩の部屋を訪ねたり、散歩に出たりした。
名古屋出身の岡本君は中肉中背の静かな男で、かなりマイペースである。橋梁部に配属されていた。
通勤の一時間十分は、それほどこたえないが、朝の電車内の混雑が厳しかったので、太一郎は、皆より一時間先に寮を出て、会社の周りを散策し、定刻三十分前に出社した。
同じ部の先輩の高木さんも若水さんも一心不乱に自分の机にしがみついている。
太一郎は、雑用係りだった。山本主任に命ぜられるまま、フサちゃんに手ほどきしてもらいながら、報告書原稿の修正やページ打ち、そしてそれらをコピーして製本する作業をやった。
(いずれ、自分の手がけた仕事を報告書にまとめる日が来る……)と、希望に燃えた。
一週間、十日と過ぎるうちに、だんだん職場の様子が分かってくる。職場の先輩やフサちゃんが断片的に教えてくれることや、新人仲間の情報交換から、社内の人たちの人物像が明らかになる。
でも、本社には二百人も居るから、なかなか顔と名前が一致しない。
フサちゃんは色白でぽっちゃりした、美人とはいえないが、清潔な感じのする、物静かな女性だった。
最初、太一郎は彼女を既婚者だと思っていた。
ある時、フサちゃんが、
「私は、この部で五番目に古いのよ」と、言った。
「えっ。何年になるのですか?」
「十年。最初はトレーサーだったの。それからすぐに会社がキャドを導入することになって、大変だったわ」
彼女は静岡から上京してきて短大の家政科を出て、最初、知人の経理事務所を手伝っていたが、その合間に東京都の職業訓練所の製図工養成課程に通い、この会社にトレーサーとして入社したのである。製図のトレーサーから、パソコンを駆使して図化するキャドの技術を習得するのは大変だったろう、と太一郎は彼女の努力を汲み取ることができた。
そして、太一郎は、フサちゃんが三十を過ぎていて、独身だと知った。
四
四月十日、労働組合の青年婦人部の若者たちが太一郎たち新人の歓迎会を催した。
最初、労働組合の加入を高木さんに勧誘された時、太一郎はしゅん巡したが、新人は皆加入すると聞いて、うなずいた。
(自分は、仕事と勉強とを区別して、割り切ればいいのだ……)
五時二十分になって、腰を上げたフサちゃんが、
「北城君、いっしょに行きましょう。場所がわからないでしょう。主役が遅刻したらいけないわ」
見れば、高木さんも、若水さんもまだ机にしがみついている。
「今日中に片付けなければならないから、先に行ってくれ」と、高木さん。
若水さんがあわてて背広に着替えた。
歩きながら、フサちゃんに、
「いくらお酒が強いからって、あんまり飲みすぎないでね」と、忠告された。
フサちゃんは、若い同僚達に誘われると、嫌とは言わずに飲み会に出るようだ。酒席でも、人柄のよい彼女は好ましい存在である。おとなしく隅の方で皆の話を聞いていて、そして天真爛漫に笑い転げた。
(根は明るい人なのだ……)と、太一郎は観察した。
一人の先輩がコップの冷酒の一気飲みを迫ったが、太一郎は、取り合わなかった。
「さすが、建設会社の跡取りだ。風格がある」と言い残して、その先輩は席に戻った。
二十一名の河川部で、組合員は十名である。管理職の方が多かった。部長、次長、調査役二名、課長三名、主任六名である。部下の居ない管理職もいる。そういう人は、下請けを使って仕事をすることが多い。
やがて、管理職が多い理由を太一郎は知ることになる。第一の理由は、営業的な配慮で、社員に肩書を持たせる。第二は、経費削減で、年配者は残業手当が高くなるので、役職手当にして抑える。だから、管理職に昇進すると給与の手取りが減ることになる。
職場で緊張して過ごす太一郎にとって、フサちゃんと机を向かいあっていることは救いだった。社内で関わった誰彼の名前や所属を聞いた。そして、提出書類のあれこれを教えてもらった。フサちゃんは落ち着いた雰囲気で、嫌な顔をせずに、いろいろ面倒を見てくれた。
逆に、太一郎はフサちゃんのフリーズしたパソコンを修復したし、また、マニュアルの見方を教えてあげた。
彼女は、図面のトレスという鉛筆書きの仕事がパソコンのキャドに取って代わられる技術革新の事態になって、自費で講習会に通う努力をして、キャドを扱えるようになった。だが、パソコン自体の基礎知識が今ひとつ確かでないから、思わぬところで行き詰まる。周りの人は忙しすぎるから、聞きにくい。そんな彼女が困った時に、マニュアルを調べて処理方法を示してくれるコーチ役が現れたのだ。フサちゃんは、気のいい太一郎の出現を大歓迎しているようだ。
(フサちゃんの相談は少しも苦にならない……)
太一郎自身、いずれ自分もキャドをマスターせねばならないと思っているし、それにパソコンに関することはどんなことでも興味がある。
太一郎は、会社には、フサちゃんの他にも、二十代後半から三十代の未婚の女性技術者がけっこう居ることを不思議に思った。そうやって、女性たちを観察するうちに、太一郎にもだんだん事情が分かってくる。
親元から離れ、そこそこの経済力がある若い女性は好きなことが出来る。そして、その自由気ままな都会生活に安住してしまった彼女たちである。初めのうちは結婚ということが強く意識にあって、その出会いの努力をするが、夢叶わず、孤独に耐えようとしている。そのように読めた。
フサちゃんもそんなことは諦めた三十二才だった。
太一郎にとって、机を向かい合せているフサちゃんは、気さくな姉のような存在だった。
他の若い娘と話すときはなんとなく意識してしまって気を遣わなければならないが、フサちゃん相手だと気楽に話せた。
そして、東京暮らしを始めた太一郎は、大きなコンプレックスを抱えていたのだ。太一郎の緊張の源は言葉の訛りであった。意識して標準語をしゃべっているものの、不意に訛りが口に出て、はっとすることがあった。そうなると、気持ちがひるんで口を閉ざす。
そんな太一郎の一番のプレッシャーは、フサちゃんが席を外している時にかかってくる電話だった。若水さんも高木さんもまったく反応しない。フサちゃんが居ない時に電話に出るのは、当然、一番若い太一郎の役目なのだ。
(チェッ! またか……)
舌打ちしたくなる気持ちを抑え、恐る恐る受話器を取る。
緊張していることが自分でもわかる。
(電話の相手の名前を聞き返せないのだ……)
それで、太一郎は、社内の人の名前は、地方の営業所の人も、すべて頭に入れようと努力し、会社の組織表は覚えた。
(取引先の人のことは分からなくとも、ふしぎではなかろう……)と、考えた。
入社してひと月が過ぎたある日、太一郎はそんな訛りのことでこだわっている自分を情けないと思った。
そして、
(こんなことでうじうじしていたら、男子の志を果たせない!)
と、開き直った。
(男・太一郎は、ズーズー弁で笑われても、電話応対でどじっても、五年間の恥じのかき捨て。それでいいのだ!)
社内外の関係者の名前がわからない時は、大きな声で聞き返せばいいのだ。そうすれば周りの誰かが助けてくれる。
(俺の言葉の訛りは、俺の故郷の言葉だ。恥じることはない。堂々と話す!)
太一郎は、つとめて大きな声で話すようにした。
(ぶっきらぼうでもいいから、最小限のことは伝える……)
太一郎は、吹っ切れた。
太一郎は、意識して、周囲の人がどのような仕事をしてるか眺めているので、すぐに、職場の勝手がわかってきた。
年度末の報告書の納期を乗り越えたばかりの四月は、皆、一息ついている。しかし、すぐに気をとりなおし、仮納品したばかりの報告書の不備なところを修正し、あるいは相手担当者の意向にそって内容を差し替え、最終成果を納品しようとしている。
そして、この時期、部長ら幹部は、営業に駆け回る。役所の定期移動があるから、後任の新しい役人に挨拶して回るのだ。
会社に残った中堅以下の者は、それぞれのペースで残務をこなしている。
太一郎の上司の山本主任は、仕事のやり方がスマートだった。
「早く片付けて、ゴールデンウイークぐらいゆっくり休もう。この休みが一番解放感を味わえる」と、言った。山本主任は技術士補の資格を持っているし、今年はRCCMの試験に挑戦するらしい。
技術士、技術士補の制度は承知していたが、RCCMとは聞き慣れない資格だと思ったら、建設省独自の設計コンサルタントの資格である。実力があるベテランで、技術士試験に受からない人が多いので、それに準じる資格を設けたのだそうだ。
五
ある日のこと、山本主任が定時で帰ってから、太一郎は製本したばかりの河川護岸設計の報告書に目を通していた。太一郎のプライベートな勉強時間である。
太一郎は、さっきから隣の島の細田主任があせって仕事をしているのが気になっていた。
「手伝いましょうか」
太一郎が声をかけると、蒼白な顔で、机の上の書類と格闘している細田主任は顔を上げて、ほほえんだ。
「今日中に送らないとならん。すまん。これを揃えて目次をチェックしてくれ」
太一郎は、まず、仮設護岸の構造計算書と縮小図面を、合わせて三十枚ほどを揃え、ページを打った。それから流量計算の資料をとりまとめた。それらをコピーして、八時の宅配便集荷に間に合わせた。
ごつい体で、いかつい顔つきだが、とても気のいい細田さんにたいそう感謝された。
四十近い細田さんは三年前にゼネコンから転職してきたそうだ。
太一郎はそのようにして、細田主任の手がけている河川護岸工事の仮設のおおまかな内容を把握できた。
(必要が生じた時に詳しく見せてもらえばいい……)
太一郎の秘めた打算である。
太一郎は、五時を過ぎてもあわただしく報告書をまとめている先輩たちを、骨身惜しまず手伝った。
(仕事を教えてもらうのだから、少しでも役立って喜ばれることだ……)
太一郎がコンピューターを使えたのがおおいに役立った。
さて、太一郎の無償のサービス行為は、仕事を覚えるという打算の意図からだけではない。太一郎が家を出るとき、母に言い聞かされた言葉がある。
「太一郎や。『忘己利他』という、仏様の教えを忘れるんじゃないよ。自分のことは後回しにしてでも、困った人のお役に立つんだよ。お前はお世話になる身だからね」
物静かな母は敬虔な、日蓮宗の信者である。
毎朝、自分の無事を仏壇に祈ってくれているだろう母を想うと、太一郎は胸が熱くなる。
ゴールデンウイークは、太一郎は家に帰らなかった。旅費が乏しかったこともあるが、都内のあちこちを歩き回りたかった。
毎日、知らないところを探索した。東京は魅力のある街だ。若い美しい女性が大勢いた。
(自分は東京の生活を楽しんでいる……)と思ったが、修行中の太一郎は、わき見はしない。
報告書を電子納品する事務所が、すでにいくつかあるが、今後増えそうだということで、太一郎は、そのソフトを勉強するよう、部長に命ぜられた。
二日でマスターし、さっそく細田主任の報告書の編集を請け負った。
そのように報告書の電子納品をこなせる手が増え、若水、高木さんたちの負担を軽減させた。
そして、太一郎には魂胆があった。報告書を丸ごとコピーできるのだ。バックアップを取ることにして、私用のUSBに整理した。
太一郎は解析計算に強いということで、水理計算、構造計算を引き受けるようになった。市販のソフトを使うから、入力条件だけを吟味すればいい。とても複雑な、例えば河床変動計算のようなシミュレーション計算でも、パソコンを一晩動かして置いとけば、朝には答が出ている。
ただその理論と適用条件をしっかり理解しなければ、計算機に振りまわされて何をやっているのか分からなくなる。それは依頼主のやることだが、太一郎は自分でも納得するよう努力した。マニュアルを辿りながら、持参した教科書、参考書を紐解いたし、会社の図書を漁った。
単純な図表の作成などもパソコンでやれば、はじめは準備に時間がかかるが、何よりも正確にきれいに仕上げられる。そしてソフトが整備されれば、その次からは、類題は、あっと言う間に、片付けられる。
太一郎はルンルンだった。
だんだん太一郎の守備範囲が広がってくる。そして机のパソコンの容量を増設した。
年配の技術者たちの中には、パソコンが得意でない人が居て、
「北城君、すまんがこの計算をやってくれないか」
「ええ、いいですよ。いつまでですか?」
「明日、昼まで」
「わかりました。今晩やります」
重宝がられ、昼飯をおごられるなどした。
また、若水さんが急に親戚の不幸があって休んだ時、留守中に図面を修正しなければならないことがあった。わずか何箇所かの間違いの修正であっても、キャドが扱えない管理技術者の高田次長にはどうしようもない。フサちゃんだって脇目もふらずに自分の仕事をこなしているから、気安く声をかけるわけにはいかない。
太一郎の出番だった。そして、「ちょっと、北城君を借りるよ」と、山本主任に断ってくれるのだが、だからと云って、山本主任から命ぜられた太一郎の仕事が遅れていいわけはない。太一郎は遅くまで居残って片付けた。
そのような手伝いはまったく苦にならなかった。
(忘己利他だ……)
設計コンサルタントが受注する業務には、高度な技術を駆使してこなす頭脳の仕事と、そうでないマンパワーでこなす仕事がある。例えば、調査結果を分析して設計の基本方針を組み立てるのは、経験と知識、洞察力が要り、技術士の資格を持つ部長、次長が目を光らす仕事である。そうやって設計条件が決まれば、あとは構造計算、図化、配筋図作成、数量計算で、そんなことは若い技術者でもマニュアルに沿ってやれる。ただ、それらの作業はボリュームが多いだけである。そのような高度な仕事と簡単な作業が一緒になって、一つの設計業務として発注されることが多い。
太一郎はマンパワーでこなす部分ではすぐ戦力になった。
六
五月の後半は部長の指示で、一時的に山本主任のもとを離れ、細田主任の遅れている仕事を手伝うことになった。
自分は二年間で、河川の仕事を覚えるのだから、広く浅く、でいいのだが、目の前の仕事は嫌になるほどボリュームがある。延長一キロメートルの護岸設計だが、わずかに細部が違うだけの、同じような図面を三十枚も書いて数量を拾う単調な作業だ。聞けば、一度仕上げたが、河川基準水位の条件設定にミスがあってやり直すのだと言う。ごつい顔の細田さんは大きな目を見開いて太一郎に説明したが、途中で首を振った。
(細田さんは嫌気を起している……)
(自分にしても、こんな単純作業にいつまで係るかと思うと、うんざりする……)
細田主任と手分けして、図面の修正に三日かけた。
太一郎は、単調な作業に飽きると、故郷の祖父、父母の顔を思い浮かべ、「男子の志」と唱えながら、太一郎は目の前の壁を突き崩そうと努力した。
(集中して、やるっきゃない!)
でも、細田主任は残業しないので太一郎も残業しなかった。
次は数量計算だ。部長の指示で、日替わりのように手伝いが増えた。
数量計算だけだから、先が見えてくる。二週間で、とうとうやり遂げた。
後日、細田主任に居酒屋に誘われた。まず、丁寧に頭を下げられたので太一郎は面食らった。
「俺は嫌になっていたが、北城君がよくやってくれた。助けてもらった。本当に感謝する。
納品が間に合ってよかった」と、ごつい顔の細田さん。
ビールで始まったが、すぐにお湯割り焼酎に切り替えた。太一郎は何でもいい。
焼酎を飲みながら細田主任が語った。
「これは、下請けに頼んだ仕事だった。指示された基準水位が違っていて、パアになった。
まさか間違いがあるとは考えてもみなかった。あのとき、念のため、他社の成果品だが、隣の堤防の実施設計書を借りて、俺がチエックすればよかった。
下請けは、言われたとおりきちんと仕上げているから、やり直すならもう一度金をくれ、は当然だ。彼らはちっとも悪くない。しかし、この会社じゃそんな金は出せない」
「そうか、君は長距離をやっていたのか。
急に止めたらいけないよ。なんとか続けな。
仕事一筋なんていう姿勢では長持ちしないよ。コンサルタントで生き延びるには、人には明かさない余裕を持たねばならない」
「そうか、建設業を継ぐのか。いいな。
でも、地方の建設会社というのは、あれはあれで苦労がある。何でも簡単なものなんかない」
「俺はな、家庭を持って、もう転勤生活を止めようと思って転職した。
石に食らいついてでも、俺はこの会社で頑張るぞ。他に道はないからな」
そうやって、太一郎はしこたま飲まされた。
六月に入ると、前年度の仕事は、ほとんど片付いて、残っているのは、設計条件が根底から覆ってしまってやり直すような、いわくつきの業務である。
しかし、幹部連中は新しい仕事の受注に技術営業で飛び回る。
年度が変わってから受注した新しい仕事は工期の余裕があるので、ゆったり出来る。
そして、太一郎は、社内の情報システム維持担当の高木さんを手伝って、部内のパソコンソフトの整備に追われた。社内の情報システムについて一人前にこなせた太一郎は、高木さんに一目置かれるようになる。
三ヶ月が過ぎた。
太一郎はずーっと前からこの会社に居た気分である。父に言われた気の緩む時とは、こういうことかも知れないと思った。まだ、一人前の設計の仕事は出来ないが、確実にお役に立っているという意識はある。
太一郎は上京してからも、毎日、走ろうと思っていた。
でも、遅く帰って、寝るのが精一杯の日が続いた。そんな時は電車の二駅区間を早足で歩いた。そうやって汗ばんだ体で深く息を吐くと、神経の緊張といびつな心の疲れが解き放たれるようだった。
休日には思いっきり近くの公園を走った。びっしょり汗をかくと無心になれる。
七
太一郎は初めてのボーナス十万円をとっておいた。お盆に土産を抱えて帰省した。
父母がニコニコして迎えてくれた。祖父がいかつい顔で、「しっかりやってるな」と、顔を覗き込んだので、「ええ」と、うなずいた。
北城建設の職員たちに囲まれ、
「どんなことをやってるんだ?」と聞かれ、「河川関係だけど、まだ雑用係だ」と答えた。
あちこちの工事現場を見てまわった。技術屋として工事の状況が理解出来ると、うれしくて、大きくうなずいた。
そして、太一郎は、現場に大勢の社員が張り付いているものの、彼らの顔に活気がないと思った。
(だんだん公共事業が節減されて厳しい環境にある……)と、肌で感じる。
「おい、太一郎。これからすぐに、お前のような若い者の出番がくるぞ。新しいセンスでないと建設業は立ち行かない」と、父。
五日間のお盆休みが終わって、郷里の菓子を持って出社した。
皆の顔つきが引き締まっていて、河川部も他の部も雰囲気がずいぶん厳しくなったように感じた。
(だんだん受注件数が増えていく……)
そんなある日、突然、太一郎が、契約額二百五十万円の、高水敷護岸設計業務の担当者に任命された。
びっくりして、山本主任に異議を唱えたが受け付けてくれない。ニヤニヤ笑いながら、
「やってみろ」だった。
(自分みたいな新米がやれるのか?)
不安だった。
向かいの席のフサちゃんが励ますような眼差しで見ていた。そして、彼女は、昼休みに、
「これは、入ったばかりの若い人に責任を負わせて、度胸試しのようだが、若い技術者を早く一人前の戦力に育成する近道なのよ。皆そうやって自信をつけてきたのよ」と、励ましてくれた。
確かに、太一郎に一切が任されたのだ。管理技術者は高田次長であり、実質の指導は山本主任が行なうが、分からなかったら聞けという立場であり、太一郎が自分の判断と責任で仕事を進めるのだ。
山本主任が参考になる過去の報告書を三冊探してくれたので、
(まずは、それを理解することだ……)
どのように打合せて、どのように報告書にまとめるかと考えると、挑戦者の太一郎は武者震いする。
そして、太一郎の仕事はそれだけではない。山本主任の指示で、別の業務の構造計算、図面作成や数量計算が飛び込んでくる。それに、臨時に他の人の「忘己利他」のお手伝いがある。
ある日の昼休み、ゼネコンに入ったクラスメートが電話をよこした。
「土木技術者の職場で一番厳しいのは、設計コンサルタントらしいな。元気でやっているか?」
「確かに忙しいが、俺は元気でやっている。まだコンサルのことはよく分からん」と、答えた。
お盆で帰省した時の、祖父の言葉、
「お前が他人のメシを食うのに、一番環境の厳しい建設コンサルタントを選んだのじゃ。途中、音を上げるんじゃないぞ」が、ずっと意識から離れない太一郎は、
(設計コンサルタントでは、技術者個人の資質がもろに試されるから大変なのだ……)と考えるようになった。
山本主任や細田主任あるいは太一郎は担当技術者である。その業務の契約上の責任者は技術士やRCCMの資格を持つ部長、次長、課長の、いわゆる管理技術者である。担当技術者は、管理技術者に相談して、あるいはその指示に従って仕事をこなしていくのが建前であるが、ふだんの顧客とのやり取りは担当技術者が行なう。初回打合せで、「連絡先はどなたにしますか?」「私にお願いします」ということで、そうなる。
太一郎のような若い技術者がはじめて仕事を担当する時は、その業務内容について、経験を積んでないと自信が持てない。参考になる類似業務の報告書があるとはいえ、初めてやるのは大変だ。
「役所の担当者の信頼を失って、技術力を疑われ出したら、常に根拠の説明資料を用意せねばならなくなるので、作業量が増えてしまう。はじめが肝心だ」と、山本主任が言う。
現場をよく見て、類似の構造物を勉強して自分の物にしてから、初回の打合せに臨むことだ、と太一郎は努力した。
また、部長が、よく言う言葉がある。
「どんな分野の仕事でも、三つ四つの業務をこなさないと、本当のことは分からない」
以前にやったことがあるからと、安易にあるいは慢心して取り組むと、思わぬところに落とし穴があるということだ。
そんな慢心は、太一郎にはだいぶ先の話である。
そして、もうひとつ、太一郎が、設計コンサルタント技術者の厳しさを思ったことがある。それは、広い分野の専門知識を持たねばならないことだ。
不意に、顧客から業務に関連したこと、あるいはそれ以外のことで相談、問い合わせの電話があって、先輩たちはあわてて調べている。隣の部へ問い合わせたり、図書室で資料を探したりして、そして、あたかもそのことを熟知しているかのように返答する。
これは、顧客の技術者に頼られていることで、技術力を発揮して好ましいことだと思うが、まったくのサービスの、技術営業だ。
(忙しい時は迷惑だし、つらい……)
土木の専門分野は広く多岐にわたるが、会社はそんなに大勢のプロを抱えているわけではない。
(いざと言う時に聞いたり、調べたり出来る社内外のネットワーク、そしてデータ―バンクが財産なのだ……)
しかし、設計コンサルタントの技術者たちの厳しさはそんなものでないことが、だんだん太一郎も骨身に染みて分かってきた。
太一郎は、自分の担当する報告書を独力でまとめようと意気込んだ。
章立てを考え、「基本条件」とか、「基本事項の検討」の章を書きだした。何度も書き直して、仕上げたつもりでも、山本主任に見せると、首を振って、やり直しを言われる。
「もっと、整理しろ」と言うだけで、細かく指示してくれない。
悔しくて、歯を食いしばる。
その山本主任は言う、
「目次が出来たら、報告書が半分まとまったようなものだ」
手馴れた人たちは、さらさらと文章をまとめる。そうでない人でも、それぞれの文章のパターンを持っている。
文章で苦労しているのは水沼主任で、以前の報告書から類似の文章を書き写していた。太一郎は、最初は、なるほど合理的なやり方だと感心したが、やがて首を傾げるようになった。
(最初から型に嵌めるのはどんなものか? 発想の自由さがなくなる……)
また、太一郎は、水沼主任のかばん持ちをして打ち合わせに出て、よくとっさに、ああいう言い方が出来るものだ、と感心したことがあった。水沼主任はゼネコン育ちで構造物の施工のイメージが出来ているので説得力がある。痩せた浅黒い顔で、とうとうと説明する。しゃべるのが上手な人、交渉術に長けた人だと、思った。
しかし、水沼主任はいつも報告書の納品が遅れるようである。実は、彼は文章をまとめるのが苦手なのだ、と気づいた。
そして、よくしゃべる人の中に文章をまとめるのが苦手な人が居るのは、口で言う分には何度でも言い直しが出来るし、相手の質問に答えて補足するので意思が伝達される。その雰囲気に慣れてしまって、考えを整理して文章にまとめる努力を怠っているのだと分析した。
比較的寡黙な山本主任が、仕事の要領がいいのは、多分に、文章表現が上手だからだと思った。山本主任は打合せの時は、簡潔なメモを用意する。そして、資料の説明に文章を添える。相手はそれを見ながらてきぱき対応してくれて、すぐに打ち合わせは終える。
打ち合わせ内容をあらかじめ文書で用意するのは準備が大変だが、打ち合わせは短時間で済むし、そのポイントがはっきりするので議事録の取りまとめは容易である。
太一郎は、最後はレポートとして納めるのだから、最初から文書でまとめた方が早いと考えた。
そうやって、太一郎の文章修行がはじまった。
まずは思いついたことを箇条書きで書き出すことにした。そうすると頭の中でもやもやしていることが整理される。読み直して見て、思い込みが激しい部分や、書きすぎた部分を削り、明らかな事実を継ぎ足し、並び替えていくうちに、なんとなく文章の形が整っていくのは愉快だった。
太一郎は自分の言葉の訛りのハンディが文章研鑚に向わしていることを意識している。
そして、思いがけないメリットが、文章を書くことで得られることに気づいた。
(自分の考えの飛躍した箇所に気づく……)
文章にまとめることは、頭を整理することであった。
(そして、文章を練るのは報告書だけじゃない……)
部長や次長を見ていると、仕事を受注するための技術提案書を要領よく作成している。
(コンサルタントとして一人前になるには、プレゼンテーションの技を磨かなければならない……)と、太一郎は知った。
コンサルタントの資質として、経験・知識の技術力の修得だけでなく、問題点を摘出する頭の柔軟性、問題解決の着想と、それを適確に伝える表現能力が大事なことをあらためて感じた。
これは、ゼネコン社員の資質でもある。当然、技術陣の上に立つ者に不可欠な資質であろう。
そうやって、一つの目標を得た太一郎は、
「男・太一郎は努力する!」と、自分に気合を入れる。
八
九月になった。
太一郎が担当した高水敷護岸設計は無事終わり、竣工検査も合格した。さっそく、祖父と父に手紙を書いた。折り返し祖父から、小分けした漬物の包みが五つ届き、添えられた手紙に、お世話になった方々に届けるように、とあった。
迷ったが、専務、部長、山本主任とフサちゃん、寮の若水さんに届けた。
太一郎は、設計技術者としての初仕事をこなし、大きな自信を得た。
その後は、部分的に、様々な業務の設計計算と図面作成、そして報告書のまとめを担当した。
そうやっていろいろな業務の担当者の一員となって、太一郎も出張して打合せに出る。太一郎は己が担当する分についてはできるだけの準備をしようと心がけたので、打ち合わせの前日は会社で徹夜することが多かった。
そして、持ち前の男気は、顧客に対して物怖じしなかった。打合せの席で、担当者として太一郎が説明すると、相手の年配の技術者はその不備を穏やかに指摘してくれ、参考書や事例などを教えてくれることもあった。
また相手の若い技術者は太一郎を入社一年目だとは思わず、何年かの経験を積んだ技術者と見なしたようだった。面映い気分だったけど、あえて入社したばかりだとは明かさなかった。
さて、第3・四半期に入ると、さらにあわただしくなった。
仕事が立て込んで、手につかず進んでない時は、顧客の催促の電話に出るのがつらい。
「他の急ぎの仕事をやってますから、お宅の分は遅れます」などとは、口が裂けても言えないからだ。
そば屋が、出前の催促電話に、「今、出ます」と答えるように、「今、やってます」と苦し紛れの嘘をつく。そして、そのあとは、何としてでも約束どおりやらないと信頼を失うことになる。それが厳しいのだ。
わざわざ電話をかけて催促してくるからには、相手にも、途中の成果を社内説明に使うとかの事情がある。
太一郎は、
「男・太一郎、逃げるものか!」と、口の中で呟いて、電話に出る。
「はい。北城です」
「どうだ、出来たかね」
「すみません。まだです」
「なんだ、まだか……。えっ? どうしてだ? ひょっとして、まだ計算にかかってないのか?」
「はい。すみません」
「この前の打合せで、すぐにかかると約束したじゃないか」
「すみません」
「……いったい、いつになったら持って来てくれるんだ」
「すみません」
「二週間後に社内説明があるから、それに間に合わなかったら、お宅とは縁を切る。……ただ、この場は、なんとしてでも仕上げてもらわんと、困る。なあ、北城君……」
そこまで、聞いて、
「分かりました。何とかします」
そういうやりとりの次第を山本主任に報告するが、その電話の相手と約束した当事者、すなわち責任者は、道義的にしろ、太一郎である。だから、太一郎は必死になってその約束を守ろうと努力する、そうすると、主任や周りの者も手を割いてくれるのである。
無責任のようだが、先輩達は電話を取る余力がない。電話に出て対応すると太一郎のように巻き込まれてしまう。それよりも、今抱えている至急の仕事を片付けなければならないのである。だから、「俺は、今日は出かけていて、居ないことにしてくれ」と、居留守を宣言しておくことがある。
(設計コンサルタントの技術陣は、自分のような若い者でも会社の看板を背負って仕事をしている……)
と、太一郎は思った。
それは技術陣の手薄さ、ある意味では体制の問題なのだ。
どうして、もっと人材を確保しないのだろうか、と素朴な疑問である。
(土木業界で人材が払底しているのだろうか……)
(そんなことはない……)
太一郎はコンサルタント技術者の置かれているオーバーワークの厳しい環境を知った。
誰もがオーバーワークは受注のし過ぎだと思っている。でも、部長など上の者に言わせたら、部下の個人の能力不足と要領の悪さもあると言う。そして山本主任なんかに言わせると、相手の発注者の指示のいい加減さ、平気で条件変更を言うなどの、横暴を言う。立場、立場でそれぞれの言い方がある。
しかし、本当は、社員の誰もが言うことだが、年度後半に仕事が集中することが一番の苦しさなのだ。
それに、受注の量が、その時の情勢しだいで一定しないから、最小限の技術陣を配置しておいて、あとは社外の人間の応援を借りればいいと言うのが、経営者の立場のようだ。
でも、主任たちに言わせれば、どの設計業務も単純作業ではないのだから、そう簡単に右から左に運べるものではない。それになんといっても利益を出さねばならないから、割高になる外注はよほど忙しくならないと部長が認めてくれない。先輩たちの愚痴話から、そんなことをおぼろげながらも太一郎は知った。
二十名もいると、河川部にはいろんな人が居る。フサちゃんが、
「皆さん、個性があるからね」と言ったが、部内で、けっこう反目しあっている人がいることに太一郎は気づいた。大人だからののしりあうような喧嘩はしないが、細田主任から仕事の協力を打診された時、山本主任が、ピシヤッと撥ねつけた場面を太一郎は目撃し、驚いた。
フサちゃんの話では、
「これまでの因縁があるのよ。あいつに仕事を押し付けられてひどい目に遇った、とか、あいつの尻拭いで苦労した、という被害者意識が抜け切れないのよ。そうやって、人間関係がこじれ、陰湿な雰囲気になるのよ」
個性の強い技術者集団で、それぞれが自分の流儀で仕事をしており、他人のことを考える余裕がないのだ。ともかく忙しすぎて、チームワークでかばいあうというよりも、技術屋の悪い意味の個性がもろに出る、と太一郎は理解した。
太一郎の実家の北城建設では、皆、和やかに仕事をしていたと思う。
(お互いに弱点をかばい合う、穏やかな人達だ……)
タフな太一郎は、厳しい職場環境だからこそ、自分は気さくに周囲に気を配って、骨惜しみなく働きたい、と思った。
でも、フサちゃんがよく、「無理しないのよ」と言ってくれるように、そのような気負った姿勢が見習い生にいつまで続くか、冷ややかな目が注がれていたのも事実だった。
太一郎は水沼主任に頼まれることがある。痩せた、快活な人だが、報告書のまとめに苦しんでいる様子だ。
夜遅くまで太一郎が水沼主任の仕事を手伝っていると、翌朝、山本主任が、「あんまり無理するなよ」と忠告してくれたが、決して心底からの好意の言葉ではないと太一郎は思った。余計な事をしていて、自分のことは大丈夫かということなのだ。
太一郎より二年か三年先に入社した高木さんにしろ若水さんにしろ、自発的に他人の仕事を手伝うことはない。誰かが窮地に陥って、みかねた上司から、手伝うよう指示されてやることである。
太一郎は「忘己利他」のことは誰にも話したことはなかったが、その信念と、そして、五年間で技術を取得するという目的があったから、ほとんどすべての自由時間を仕事につぎ込んだといっていい。
もちろん体力の維持には気をつけた。きちんと野菜を食べることと、出来るだけ走るなり歩くなりして汗をかくことだった。そして職場では、フサちゃんという、それとなくかばってくれて、労わってくれる存在が救いだった。
太一郎は、自分は見習い生だということをいつも意識していた。
(同期の連中に比べれば決して能力、仕事量で劣ることはないが、待遇面で劣るのは、そういう契約で入ったからしようがない……)
(考えようによっては、遊ぶ暇のない自分は安い給料で我慢できる……)
太一郎の給与は、寮費を差し引かれると、やっと暮せるだけだ。そんな中で帰省旅費を貯めている。
それにしても、どこの建設コンサルタント会社の社員も、厳しい仕事の割に待遇がそれほどよくない、ということを知った。もちろん首都圏の企業との比較である。
それにこの会社では月の残業は、三十五時間で打ち止めにするという暗黙の取り決めがあった。皆がそれ以上の残業をやっているが、時間外勤務をつけないのだ。
そのことを教えてくれたフサちゃんが、珍しく口をとがらして憤る。
「うちの労働組合は、御用組合よ」
太一郎は、ふしぎな世界だと思った。しかし、
「俺は勉強させてもらっているから、いい」と、言った。
そんな太一郎の顔を、彼女はまじまじと見つめていた。
第二章 苛酷な職場環境
一
ある時、主任たちが
「甲だからって、あそこまで無茶な要求をするのは、甲の横暴だよ」
「乙の立場は耐えるしかないのか」
というような話をしていた。
その会話で、しきりに、甲、乙が出てくるのを小耳に挟んだ太一郎が、
「甲とか乙とかって、なんだね」と、フサちゃんに尋ねると、
「契約書に書いているのよ。甲は発注者、乙は請負者、受注者のことよ。だから、私達は乙なの。甲の役所の人は仕事を出す立場だから威張っていて、乙のコンサルタントは、仕事をもらうためにペコペコしなければならないの」
と、肩をすくめた。
新人研修で学んだ契約書のことを思い出した。
太一郎は、すぐに甲と乙の立場の違い、いや身分の違いを思い知らされる。
土木構造物の設計は、設計条件が決まってしまえば、そこから先はまっしぐらに作業できる。しかし、その条件を決めるまでが大ごとである。
「ともかく急ぐので、早く仕上げてください」と相手に言われても、例えて言えば、性能や能力などの顧客の注文が定まらないから作業が進められない。だから、相手の担当者と何度も打ち合わせて、仕様書に示されてない細かい制約条件を質していく。まだ、はっきり煮詰まってない事柄は、いろいろな参考資料を相手担当者に提示し、選択肢を絞り、決めてもらう。
そうして決めたことが、あとでひっくり返されるから、参ってしまう。計算をやり直し、図面を書き直す。
相手は、上司の指示だとか、他の部局と折衝する段階で注文がつくから仕方がないと言うが、甲乙対等の双務契約をしているわけだから、発注者の横暴、契約違反は明らかだ。
「条件をきっちり煮詰めてから発注してくれ」と言いたいし、
「担当者の独断で指示せずに、上司に相談してから打ち合わせてくれ」と、言いたいが、怒りをこらえる。
強く言えないのは、来年も引き続いて仕事をもらわねばならないから、相手に嫌われたくないのだ。
「コンサルタントは、サービス業の客商売だから、顧客の無理難題を聞かなければならないことがある」とは、新人研修で専務が訓示したことだ。
仕事がだいぶ進んでから設計条件をひっくり返されて、やり直しとなっても、文句の持って行き場のない担当者は、泣き寝入りするより仕方がない。
会社の、部長、あるいは営業の連中は、そんな愚痴っぽい話には耳を貸さない。
夕方、打合せを終えて帰って来た先輩たちが、机の上に缶ビールを並べ、愚痴る。
そんな様子を見ながら、太一郎は、精神的にタフでそして肉体的に頑健でなければ、設計コンサルタントは勤まらないのだ、と改めて思った。
そして、技術者は常に複数の業務に携わっている。責任ある人ほどたくさんの業務に、係わっている。
担当者はひとつのことに専念すれば他はおざなりになる。だから、どの仕事を先にやって、どれを後回しにするかである。
後まわしにしたところからは、打ち合わせの催促をやいのやいの言ってくるから、どこかの時点で切り替えて、それを進めなければ格好がつかなくなる。そうすると他が手薄になり、遅れる。
そんないたちごっこは、結局、最後は、どこかを犠牲にしなければならなくなる。
甲の技術者に責め立てられ、乙の技術者はつらい。睡眠時間を削って、家庭生活を犠牲にして、慌てふためいて仕事をして、自分は全然悪いことはしてないのに、相手担当者から責められて、「すみません」「すみません」で、ストレスが溜まる。
それに、ひとつ仕事を片付けても、すぐに次の仕事にかからねばならないから、少しも解放感を味わえないのは、精神衛生上酷いことである。まるで地獄の責苦に追い立てられるような、まったく情けない境遇だ。
それが設計コンサルタントの技術陣の業だから、ノイローゼに陥る前に、自分でストレスを発散する方法を見つけるより仕方がないのだ。
そんなことを、課長、主任たちが酒の席でこぼしていた。
その点、まだ若い太一郎は、言われた仕事をやっていくだけだから、気楽だと思った。
二
十二月になり、木枯らしが舞うようになった。入社八ヶ月が過ぎた。
「また、受注したぞ」と、河川部長。
主任たちの、
「かんべんしてくださいよ」
「もう、限度でしょう。こなせませんよ」
と、いう呟きが聞こえているのだろうが、部長は平然としている。
誰もが、その新規業務が自分に押し付けられないよう首をすくめている。
太一郎はふしぎな光景を見る思いだった。
部長は部下の仕事が手一杯であることが分からない筈はないのに、
「そんな仕事がまだ終わらないのか。要領よくやれ」と、言う。
(ふだん温和な部長だが、心を鬼にしている……)
と太一郎は思った。
「部長会議で利益のノルマ達成を、社長に気合入れられるのでしょう」とは、フサちゃんの話だ。
河川部長は五十九歳だから、次の株主総会で役員になると噂されている。
太一郎にも様子が飲み込めてくる。
経営者とすれば、受注量を上げて、会社の利益を出さなければならない。営業陣に、「少しでも仕事を取ってこい」と、気合を入れる。営業成績は上がるが、仕事が集中する技術陣は責苦を負う。もちろん、営業の担当者たちも技術陣の苦衷は分かっているから、「すみません」と、低姿勢で、契約内容の引継ぎに来る。
太一郎が新人仲間の様子を見てると、とても忙しい部とそれほどでもない部がある。仕事量が少ない部の人は、忙しい部を手伝えばいいのに、と思ったが、そうはいかないことが分かった。
土木の専門は多岐にわたり、そして奥が深い。ベテランほど専門分野を越えた他の仕事は難しいというか抵抗があるようだ。また、単純作業を手伝うにしても、図面の書き方、報告書の書き方に、それぞれの発注機関の定める書式があるから、いちいち教えてもらわなければならない。
建設コンサルタントの経営はたぶんに役所頼みのところがあって、飛雄社でも役所からの受注が七割方を占める。そして、このように、建設コンサルタントの環境が苛酷な背景の一つに、役所の単年度予算制度がある。役所の発注が年度の後半に偏よるから、年度末はめちゃくちゃに忙しくなる。
ピークの業務量にあわせて技術者を配置することなど、経営者は考えない。四月から夏場までの比較的受注量が少ない期間に遊ばすことになるという口実である。
太一郎は、
(自分は建設コンサルタント会社の跡とりでなくてよかった……)
と、思った。
この会社では、技術者は年収の三倍以上の業務をこなさなければならない、と言われるようだ。
コンサルタントの技術者は机一つとパソコン一台で仕事をやっているわけで、ゼネコンのように材料費や重機械の経費は不要だから安上がりで済むのに、なぜそんなに技術者たちが働かなければならないのだろうか?
コンサルタント会社が仕事を受注するには、役所関係に顔が利くOB達を抱え、営業部門を充実させねばならないから、受注するまでの営業経費がかかるのだと太一郎は理解した。
「仕事が目いっぱいなら、少し経費がかかってもいいから下請に出せ」は、部長の言うセリフだ。ともかく受注量が増えると部全体の経費率が下がり、利益が出てくるから、どんな形であれ仕事をこなせばいいのだ。
施工会社でも自社で消化できない作業は、下請に発注する。
建設コンサルタント業界においても、そういう重層構造になっている。
コンサルタント業界の下請の人たちは、二十人、三十人の会社組織もあるし、個人でやっている人もいる。彼らの年間の仕事量を保証して専属の下請けにすれば無理を聞いてくれるのだが、元請け会社の受注量は営業努力とたぶんに運次第だから、受注額が確定してない年度初めの段階でそんな空証文は出せない。
下請けの人たちは景気が悪くなると一番先に仕事にあぶれる人たちだから、仕事のお呼びのかかった時は無理してでも、「やります」と言う。
彼らも打ち合わせに行ってくれるが、その時は飛雄社の名刺を持って社員らしくふるまう。顧客から電話がかかってきて、その人が下請さんだと言うわけには行かないから、「外出してます。帰りましたらこちらから電話させます」と、言う。
下請けさんの他にも手伝ってくれる社外の人が居る。
特殊な構造物や施工方法を設計する時は、専門業者に相談して手伝ってもらう。太一郎が最初意外に思ったのは、ゼネコンの人が頻繁に出入りすることだ。そして、施工計画などを、ゼネコンの技術者に手伝ってもらう。
建設事業の計画が立てられると、まず、川上でコンサルタントが設計し、それが流れ下って具体化して、川下で待ち構えているゼネコンのやる施工となる。ゼネコンの立場は、ライバルに先んじて、その仕事につばをつけたいのだ。受注競争のネゴの段階で、「私のところが、すでに手伝ってます」と、占有を主張する。
コンサルタントの守秘義務を逸脱しているから、そんなことはオープンには出来ないことである。そして、彼らは営業情報を得る事が出来るので、無償でやってくれることが多い。
施工会社を継ぐ立場の太一郎は恥じる気持ちでそれらの人たちと付き合った。というのは、一生懸命手伝ってくれたゼネコンの技術者たちに、会社は何も礼をしてくれない。せめて打ち上げとして居酒屋で労をねぎらってくれればいいのにと思うが、専務にしろ、部長にしろ冷淡だ。
太一郎は、彼らに深く頭を下げ、謝意を表した。
十二月になると、太一郎の毎日は、寝るのが精一杯となった。日曜日もランニングする機会がなくなって、脚力が落ちた。
暮れは一週間ほど根を詰めて過ごした。二十九日は徹夜して、正月明けに納める仕事のめどをつけた。
三十一日の夜、帰省バスで郷里に帰った。バスの中でよく寝た。
「どうだ。めげずにやっているか」と祖父。
「ええ」
「これから年度末は、コンサルタントの苦労のしどころだな」
そういう祖父の顔は疲れたように見える。
北城建設の今年度の業績が思わしくないことが、祖父や父の様子から察知できた。
(ともかく早く一人前になって、戻ってくることだ!)
友人たちと会いたいと思ったが、東京に残した仕事を考えると、のんびり休んでおれない。三ヶ日、居て、すぐ戻った。
三
年度末近くなると、役所の仕事の納期が集中する。
五つも六つも仕事を抱える人がいるが、常に優先順位を考えながらやっているから、ストレスは厳しい。
すぐ工事にかかる予定の設計の仕事は絶対に工期に間に合わせなければならない。
しかし、中には予算が余ったからやっておこうという、特別に急がない調査業務、予備設計業務もある。そういうのは、工期内にきちんとした報告書が完成しなくとも、実害はないから、「とりあえず完成検査さえ通せば、後で手直しできる」と、乙の立場で勝手に推し量って手を抜く。でも相手の担当者は面子があるからうるさい。
年度末は、管理技術者は、「ずっこけるのは、どこの仕事か」と、考えるぐらいまで腹を括ってないと、やっていけない修羅場なのだ。
ずっこけた仕事は、その後始末が後々まで尾を引き、採算が取れないことが多い。
(そんなに無理するなら最初から受注を断ればよいだろう……)
と、太一郎は思った。
ある時、部長といっしょに出張して、宿泊先の居酒屋でそのようなことを部長に聞いてみた。
「厳しい営業活動をして、やっと契約した業務だろう。一度仕事を断ったら、もう次が来ないよ。受注競争は厳しい」と、首を振りながら言った。
太一郎は建設コンサルタントの厳しさを実感していく。
経営者は、独立採算のように各部の収支を集計し、評価する。そして各部の部長は各技術者の責任に課する。
利幅の大きいおいしい仕事とか、あるいは受注金額の大きい仕事だと、経費の枠が大きいから一部を外注に出すなどやりくりする自由度がある。だから、担当する業務の運・不運もあって、仕事の配分は必ずしも公平ではない。でも、トータルして均して見れば技術者の技量が歴然とした利益の数字になり、優秀な人はスマートにやると評価される。
担当者には、この仕事はもともと受注額が安すぎるとか、手間ばかりかかって採算性が低いとか、途中で設計条件を変えられたとか、言い訳したい不満がある。しかし利益追求の株式会社だから、そういう不公平さは承知の上で、経営者は担当者の責任を追及しなければならない。
「一昨年、高田次長と細田主任のコンビは受注額二千万円の仕事に一千万円の赤字を出した。いろいろ条件が変わって二回やり直した。それで、理由書を提出し、社長から叱責を受けた。
細田主任は、ゼネコンから移ってきたばかりだった。
赤字だからといって止めるわけにはいかない。そんな業務は蟻地獄みたいなもので、抜けられない。赤字になりそうな業務は、出来るだけその作業時間を計上しないのさ。実際はその仕事をやっても、他の仕事をやったことにする」と、若水さんが教えてくれた。
太一郎が徹夜して手伝うような、切羽詰った業務は、たいがいこじれて赤字に転落し、人件費の予算枠を使い果たしている。だから、苦境にある担当者にとって、太一郎のように、勤務時間外に気安く手伝ってくれる者は救いの神なのだ。そして、何よりも、急かされている仕事を早く終わらして地獄の苦しみから抜け出したいのだ。
気立てのいい太一郎は貴重な存在であった。しかし太一郎も自分の仕事を抱えているから、それを放りだして、他の人の仕事を手伝ってばかりいるわけにはいかない。終電に間に合わず、泊り込むことがある。そして机にうっぷして仮眠した。
明後日までの仮報告書を、どうやって取りまとめるか考えると、顔面から血の気が引いていくのを感じる。
トイレの洗面台の鏡を見ると、目がぎらぎらして、青ざめた顔。
フサちゃんが、忠告してくれた。
「北城君、仕事はほどほどにしなさいよ。こんな騒ぎは毎年のことなんだから……。あなたは家を継ぐのでしょう。こんなところで潰れたら元も子もないわ」
太一郎たち十三名の新人たちの中にも、「話には聞いていたが、こんなに厳しいとは思わなかった」と、戸惑いがある。でも、目の前の仕事に追いまくられる毎日だ。
会社に居る時間が断然長いのは太一郎だった。身体が丈夫だからやれたことだ。
太一郎は、昼休みに十分でも十五分でも、机で仮眠した。それが出来ない時は、三時頃になると、こっくりやっている。「居眠りの達人ね」と、フサちゃんに冷やかされる。
ある時、そうやって居眠りしている時に、社長が現れたらしい。部長たちは不在だった。長身の社長は太一郎を見て、謹厳な顔をしかめ、山本主任に、「なんだ、彼は? 起こしなさい」と指さしたそうだ。山本主任は「北城君は夕べ泊まり込んで、他の人の仕事を手伝いました。明日の打合せ資料がまだです。十分か二十分のことですから寝かせてやります」と、かばった。一瞬何か言いたそうな顔をしたが、社長は何も言わず、戻っていった。そんなことをフサちゃんが語ってくれた。
飛雄社の労働組合に、太一郎も付き合いのつもりで加入している。大体の非管理職は入っている。しかし、技術者集団は、使われる労働者というよりも、一匹狼の職人のような肌合いだから、組合幹部たちは、彼らは管理職目前の三十前の人たちだが、只働きなどは見て見ぬ振りをした。
労使の間で結ぶサブロク協定で三十五時間の残業枠があって、それを超えてやる時はややこしい手続きをせねばならないので、それを越した分はつけない。また、つけないよう暗黙のプレッシャーを上司から受ける。
「仕事に時間がかかるかどうかは、個人の能力次第だ」という、経営者の言い分に反発しない御用組合なのだ。
(しからば、個人個人の仕事量の配分に軽重があるのはどういうことだ?)
そして、品質管理の歌い文句にしているISO9001では、経営者は必要な経営資源、すなわち人材を業務遂行のため提供することになっているのに、その義務を果たしていないじゃないかと、太一郎は思った。
太一郎はいずれ百名ほどの社員を率いる社長になる。帝王学を学ぶ身だ。
(このように部下の苦衷に関心を示さない、あるいは何の手も打てない経営者は、どこか欠けていやしないか?)
(経営者は、そういう人しか勤まらないのか? あるいは、だんだん人情味が欠落していくのか?)
自分は、どんなことになろうとも、社員を大事にしたい、と思った。
会社が、山本主任のように、若くして、例え部下が居なくとも管理職にしてしまうのは、まともに残業時間を申請したら残業代が青天井に嵩むので、管理職手当てという名目の残業代対策である。
そのような仕打ちを受けるから、若い管理職は部下の超勤カットは当然だと考える。そうしなければ収入が逆転しかねない。
月初めの朝会では、銀行出身の総務担当役員から、
「有給休暇を消化しなさい」と、号令がかかる。白々しい空気が流れる。
「毎年のことだ」と、吐き捨てるように高木さん。
入社一年目の太一郎には十日間の有給休暇があるが、二日しかとってない。
建前をうるさく言われると、仕事をやり遂げなければならない技術者は、家に資料を持ち帰る。
「水沼は出張ですが……。えっ? ……。すみません。折り返し電話します」
と、受話器を置いたフサちゃんが、大声を上げる。
「水沼さんが、十時からの打ち合わせに来なかったが、どうした? って、電話です」
「えっ? 行ってない? あいつ」
「夕べ、出張の準備をしてたぜ」
出張した筈の男が行ってないのだ。
「遅れたのか? ケイタイに電話してみろ」
「出ません」
蒼白な顔をして、管理技術者の課長が相手先に電話を入れて謝罪し、周りの者に直接指揮してとりあえずの尻拭いをする。その日の夜、自宅に帰った水沼さんと連絡が取れ、課長が出かけて行った。
水沼さんは、「体調を崩した」と言って、三日間休んで、出てきた。部長、課長には謝っていたが、皆には特に何も言わず普段どうりふるまっていた。
(強気でおらねば、耐えられないのだろう……)
と、太一郎はその心中を解した。
フサちゃんに、水沼さんは糖尿の持病があると聞いた。
隣の部で、しばらく顔を見ない人がいると思ったら、ウツで出てこないのだ。やがて辞めていく人だ。
建設コンサルタントは、けっこう、人の出入りの激しい職場なのだ。
仕事に行き詰まって滅入った時など、ふと太一郎は、自分はこの会社から足を洗える救いがある、と思うようになった。
そんな時、フサちゃんに、他愛のない社内の噂話、誰と誰が仲がいいとか、誰がへばったとかいう話を聞くと、多少はこの会社に愛着が湧く。
フサチャンは、いつも、
「無理しないことよ。ちゃんと食べる物は食べなければいけないよ。北城君はスポーツマンだったから、急にランニングを止めたら駄目よ。体を壊してしまうわ」
と、言ってくれる。
第三章 年長の花嫁
一
そうやって、一年が過ぎた。
(長い一年だった。自分は耐えたし、成長した……)
と、太一郎は感慨深かった。
(あと四年か……。何とか一人前になりたい……)
四月になって、久しぶりに走ってみた。すぐばてた。でも、青春を取り戻したようだった。
ランニングは太一郎の原点である。
一日置きぐらいに、ランニングする余裕が出来た。
太一郎は飛雄社の勤めに慣れた。
四月はけんめいに残務整理を片付けた。太一郎の性格から言って中途半端な報告書はすぐに修正してしまいたいのだ。
ゴールデンウイークは、太一郎は、ただ寛いでいた。そして出来るだけ東京になじもうと、あちこち出歩いた。緊張しながら歌舞伎も観たし、落語寄席にも行った。
太一郎は考えた。
自分自身の仕事でアップアップしている時に、忘己利他の実践は厳しいことだ。夜遅くまで苦しんでいる人を手伝う時に、「何時まで手伝いましょう」と制限しないと、どっぷり浸かってしまって、身動きできなくなってしまう。
(忘己利他は、自分の気分転換の範囲でしかやれない……)
自分が集中して仕事をやっている時は、他の人のことを気にしたらだめだ。自分が潰れる。
(この仕事に向き不向きがあるのは、仕方がないことだ……)
(仕事が遅い人は、どうやって進めたらいいのか分からないのかも知れない。個人の能力の問題でもある……)
(この会社に合わない人は、苦しんで、最後は辞めていくのは仕方ない……)
と、経営者の卵の太一郎は冷静である。
抱えている仕事が一つだけなら楽だ。でも、二つ三つと仕事が重なるのが現実だ。今やっている仕事を一段落させてから、次のに取り掛かろう、などと考えると、なかなかひと段落しないものだから、あせってしまう。
次の仕事がすらすら出来るものであれば、少々ボリュームがあっても時間さえかければよいから、気にならない。しかし、どうやっていいか分からずにもんもんと悩む仕事だと、誰かに教えてもらうとか参考になる報告書を見つけるとか、早く打開策を講じなければならない。ともかく、急ぐ仕事が控えていると思うと、果たして自分がこなせるか気になって、不安で、集中できない。
(それがストレスなのだ……)
それなら、しまって置かないで、まずは取り掛かってみよう。そして、仕事の内容を見極めれば、気が楽になる。分からないところを早く摘出して、主任に相談しよう。
一つの仕事を終えてから次の仕事にかかるのが混乱しなくていいと思っていたが、そうではないようだ。手持ちの仕事を全部さらけ出して、優先順位をつけて、多面的にやった方が効率的だ。
新しい仕事を命じられたら、打合せで一日費やしたと思って、前の仕事を中断して、すぐに中味を把握し問題点をさらけ出そう。そうすれば強迫観念に襲われないので、精神衛生上いい。
(そうだ。そうしよう!)と、太一郎は手を打った。
フサちゃんがいろいろ社内のことを教えてくれる。この会社にも優秀な技術屋がいる。とても顧客の評判のいい道路部の次長。コンサルタント育ちの彼は、勉強家で、仕事を楽しんでいる。まさに技術で生きている人だ。顧客に頼られ、絶大な信頼がある。その人は、重役志向ではない。技術家として生きようとしている人だ。
コンサルタントの経営は役所頼みだが、役所が困った時に、コンサルタントが頼られる。
水沼主任が、
「ちょっと、この施工法を適用した場合の工期の検討をやってくれないか」と、なじみの役所の担当者に頼まれ、二日かけていた。
一昨年の報告書の内容に関連したことだったので、向うは手直しのつもりだったろうが、こちらとすれば その業務は完了しており、無償の手伝いである。
(そうやって、いつまでも拘束されたら、たまらない……)
と、太一郎も思った。
そんなことを話したら、フサちゃんが言う。
「災害時の査定の時など、徹夜して手伝っているわ。役所に予算がないから、あとでわずかばかり契約してもらえるの。
役所の技術者だけでは、絶対にこなせないわ。だから、彼らはコンサルタントに恩義があるわ」
フサちゃんが続ける。
「コンサルタントの技術者は、そうやって技術営業しても、個人的には何も報われないのよ。だから、何としても技術士になって、自分の技術を高く売るのよ。
自分の将来のために技術士の資格を取らないといけないわよ。でも、北城君はいいわね」
河川部では、部長と高田次長が技術士を持っている。実質七年の実務経験があれば受験資格がある。その前に、技術士補があって、それは太一郎にも受験資格がある。
(挑戦してみよう!)
太一郎は、経営者の目で建設コンサルタント会社を理解しようとした。
「どうしても営業が優先するわ。いくら優秀な技術陣を抱えていても、仕事が取れなければ成り立たないでしょう。
役所のOBの天下り先として構え、まず仕事をもらうことを優先するのは当然よ」
と、フサちゃんの言うとおりであると思うようになった。
二
二回目の夏休みが来た。
太一郎は、一週間休んで帰郷した。
ますます会社が厳しくなっているようだった。
母に、亡己利他を戒められた。
太一郎が会社の様子を話すと、
「そりゃ、お前の出来る範囲でいいんだよ」と、母は、ほほえんだ。
入社二年目の秋が来た。忙しくなった。
太一郎は手早く仕事をこなすようになった。去年は、担当者として小さな護岸設計をひとつ受け持ったが、ことしはすでに三件を受け持っている。それでいて、去年より余裕がある。
いつのまにか、太一郎は芙紗子を身近な異性として意識している自分に気づいた。
若い太一郎は芙紗子の持つ母性に惹かれたのかもしれない。芙紗子にしても、ふと、太一郎を意識する時があるのは同じだったろう。よく顔を見合わせることがあった。
飲み会の席で隣り合わせになることがしばしばだったし、飲み過ぎた太一郎を介抱して喫茶店で一息つかせ、電車に乗せてくれたこともある。また、芙紗子が弁当の差し入れをしたこともある。
それまで手を握ったことがなくとも、気持ちが通じ合った男女が、そうなるのは当然のことだった。
十一月の寒い金曜日、若い者の集まりの飲み会のあと、二次会に行き、遅くまで騒いだ。二人で駅に向った。
「急がないと、終電がなくなるわ」
酔った勢いもあったが、
「帰るのが面倒だろう」
と、太一郎は強引に腕を組んでラブホテルの門を潜ったのだった。
そんなことは太一郎も初めてのことである。あえて強く拒まなかった芙紗子にしても、アバンチュールの期待があったのかも知れない。
そうやって、いったん垣根が取り払われると、二人は燃え上がった。太一郎は、休日は芙紗子のアパートに入り浸った。
若い男と熟れた女の肉体は互いにむさぼりあう。
太一郎は、芙紗子に好かれていると思った。
しかし、芙紗子が、もう少し、自分が若ければ…、と悩んでいることや、そんなためらいの気持を振り払って、今まだ自分は青春の只中に居る、この一瞬の恋を楽しもう、と先の破局の苦しみは考えないことにしていることまでは、思い及ばなかった。
そんな二人の深い関係は、周囲に気づかれなかった。気が合う二人だとは見たが、歳の差がありすぎるから、まさかくっつくとは誰も考えなかったろう。二人の付き合いは、用心深く上手にやったのだ。
太一郎の外泊が多いことは寮生の間で噂され、若水さんに冷やかされたが、相手が芙紗子だとは感づかれなかった。
入社二年目の年度末のある日、二日徹夜して、やっと期日に間に合わせて報告書をまとめ終えた太一郎に、芙紗子が声をかけた。
「いっしょに、帰りましょう」
うなずいた太一郎は芙紗子のアパートに行くつもりだった。
駅近くになって、いつものように手をつないだ。
芙紗子がうつむきながら、大きな声で言った。
「昨日、病院へ行ってきたら、妊娠三ヶ月と言われました」
(しまった!)
太一郎はがくぜんとした。そういう注意は払っていたのだが、若さに急かされた避妊用具の装着の失敗だった。
しかし、顔を上げた芙紗子は宣言した。
「私、この子を育てます」
「えっ」
「郷里の静岡に帰って産みます。一時期、子供を母に預けます」
芙紗子が子供好きだということは、太一郎は知っている。
(これまで結婚などという話題は二人の間に一度もなかったから、芙紗子は私生児としてその子を育てようとしているのだ……)
と、太一郎は察した。
(芙紗子は、自分と赤い糸で結ばれているとは思わないのだ……)
(結婚する機会は逸したと思っているのだろう……)
(もし将来、結婚することがあったとしても、高齢出産の難関となる。これが子供を産む最初にして最後の機会だと考えたのだろう……)
太一郎は、そんな芙紗子があわれだった。
太一郎は、半分口を開けて、芙紗子の顔を見つめていた。
太一郎は、自分が結婚を考えるのは郷里に戻ったずっと先のことだと思っていた。
(しからば、芙紗子とのつきあいはどういうことだったのか……)
と、自問した。
恋愛しているのは間違いない。しかし、たぶんに身勝手ないっときの遊びのつもりであった。あと三年の後には清算するつきあいだと思っていた。それが証拠に、芙紗子と将来を語り合ったことはない。
太一郎は男気のある男であるが、結婚は責任を取るとか、取らない、というものではないと承知している。
(いっときの同情、憐れみ、あるいは贖罪の感情で連れ添っても、その先で破綻すればそれ以上に相手を傷つける……)
夕闇の街角に、二人は向き合って、突っ立ったままだ。
太一郎は、冷静に考えをまとめた。
(十二才の年の違いに、自分はこだわってない……)
(精神的にも、肉体的にも、自分は彼女を必要としている……)
これからのことを考えても、自分とフィーリングの合う芙紗子は自分の伴侶として好ましい女性である。
(ただ、年齢差のことで両親と祖父がなんと言うだろうか……)
問題は、それだけだ。
誠意を持って話し、芙紗子の人柄を見てくれれば、許してくれるだろう、と考えた。
芙紗子と自分は赤い糸で結ばれていると思った。
その場で、太一郎は芙紗子に結婚を申し込んだ。
辺りかまわず、芙紗子は太一郎の胸にしがみついて泣き崩れた。
三
(ともかく、親の了解を得なければならない……)
祖父のいかめしい顔が目に浮かんでくる。
間もなく入社三回目のゴールデンウイークである。芙紗子を連れて帰ることにした。
家に電話した。母に告げた。
「そう、二人で来るの。まあ、どうしましょう」
「どんな人なの」
太一郎はありのまま語った。
「えっ。一回り違うの?」
母は絶句した。
そうやって、四月三十一日、昼過の昼過ぎ、二人で、家に帰った。
二人は玄関先で目を剥いた祖父に立ちはだかられ、座敷にあげてもらえなかった。
「あんたは、うちの総領をたぶらかした。自分の年を省みもせず、よく恥ずかしくないものだ」
と、祖父ににらまれた芙紗子は、顔面から血の気が引いて、崩れそうになるのを耐えているのが、分かった。
太一郎は、根回しなしに彼女を連れてきたことを、失敗した、と唇を噛んだ。
芙紗子はひとことも口をきくことが出来なかったし、太一郎も父母と話す余裕はなかった。そして、祖父に、
「帰れ。太一郎。修行中の身でありながら、女に血迷うようなお前は勘当する」と、追い返されたのだ。
二人はすぐに婚姻届を出し、結婚の挨拶状を友人、職場の同僚に配った。
仲のよい太一郎と芙紗子が職場結婚したのだが、新郎は二十二才、新婦は三十四才。
(婚期を逸した芙紗子が若い自分を篭絡したと、誰もが思っただろう……)
妊娠というきっかけが促したのは間違いないが、この結婚は自分の意志で選択したことである。芙紗子に同情したわけでもなく、自分には彼女が必要だから結婚したのだ。
ともかく彼女があれこれ言われるのは防がねばならない。
芙紗子は退職した。
太一郎は決意した。
(男・太一郎、この女を扶養してみせる!)
若水さんが、「披露宴をどうする?」と、心配してくれた。
首を振ったら、
「よし、俺が幹事をやってやる」
ごく親しい社内の者十名で祝ってくれた。
花嫁は白いドレス、太一郎は新調した背広だった。
その後、専務に呼ばれた。誠実そうな大柄な人である。
「君のおじいさんは了解しているのかね」
ありのまま話した。
「それは困ったね」
「時期がくれば、わかってくれます。大丈夫です」
「そうか」
両親の同意は、時間がかかっても、なんとかなる。しかし、昔かたぎのじいさんの攻略は困ったことだと思った。
まだ三年ある。ひたむきに仕事をして、技術を磨くことだ。
(自分が北城建設に役立つ時がくれば、事態は解決する……)
四
ちょっと遡るが、年度末、太一郎の個人的な悩みをよそに、二年の河川部在籍の期限が来ていた。
河川部長が、
「やりかけた仕事があるから、北城君をもう少し置いてもらいたい」と申し出て、専務が、
「約束だから移ってもらうが、残務整理ということで、五月一杯まで認めよう」ということになり、五月は河川部にいた。
河川の仕事をまだほんの少し齧ったばかりだというのに、新たな道路技術に移ることになるのだ。太一郎は、河川工事の仮設関係を極めたいと考えていたから、
「道路に二年居た後、最後の一年はもう一度河川に戻らしてください」と、お願いした。
(うかうかしてられない!)
男・太一郎は燃えた。
技術士補の試験は合格したが、わずか二年や三年でその部門の技術を修得できるはずがない。
(ただ、仕事の雰囲気を知るだけにしても、どういうことが大事なのか、どんな基準、示方書、参考書があるのか把握できれば財産になる……)
太一郎は土木技術が変革していく様をおぼろげながら理解した。
土木の構造物を設計する時は、設計者にその姿が見えてなければならない。
その上に大切なことは、基礎の地質、気象条件、地下水位、洪水位などの不確定要素が時として設計の支配要因になることがある。これらはケースバイケースで決めることなのだ。そして調査の不十分さや、気象の気まぐれのため、決めたことが必ずしも正解であるとは限らない。
実際に経験してみなければ分からないことがある。よく分からないまま、表に出ない設計者の余裕を少し含ませておいて、結局のところ、そういう安全率に救われることもある。そこが、土木工学は経験工学と言われるゆえんだ。そのため先輩から後輩に含蓄のある仕事のやり方が受け継がれてきた。別な言い方をすれば、先輩は後輩に技術を伝えるべく、しごいて鍛えてきた。
しかし、コンピューターの出現で状況は一変した。
設計マニュアルがあれば、未熟な者でもそう悩まずに設計がこなせるのだ。これはあくまで計算が出来るということだが、一応の答えが出ると、設計が出来た感じになって、それが一人歩きする。
逆にどんなに優秀な技術者であっても、これまでのように長時間をかけて計算することは許されないので、コンピューターがこなせなければ、現在の職場では出番が少ない。
経験の浅い者が大きな顔をして、コンピューターをいじれない年配の技術者が小さくなっている。
製造業ではマニュアル化した量産体制で、貴重な職人技がどんどん失われていくのだろうが、土木の分野でも先輩から後輩への技術の継承が失われようとしている。
また、立地条件、使用条件が異なって、ケースバイケースであるべき設計に、画一的な規格と一律の安全率を持ち込んで、設計条件の不確定要素を配慮しない危険性がある。
「ともかくお前たち技術者の卵は、現場を良く見ることと、詳しい先輩に、設計の勘所を教えてもらえ」と、部長が言った。
「コンピューターは恐い。入力の数値が違うと、とんでもない答えが出てしまうから、設計条件の確認が大事なのだ。
未熟な技術者は、構造物の輪郭がつかめないから、出てきたものが妥当なのかどうかわからない。
放っておくとどんなことをやらかしてしまうか、そら恐ろしい」とは、部長がよく言うことだ。
工事が始まってから設計図書を照査したゼネコンの技術者が図面の不備に気づいて、それで助かったことがあったらしい。しかし、最近ではゼネコンにもそのような技術者が少なくなったという。
鉄筋などが多めに入っておればまだ救われるが、反対に鉄筋不足は致命的である。間違いに気づかないまま工事が進むと、設計の瑕疵で莫大な補償をしなければならず、設計コンサルタント会社存亡の危機に繋がりかねない。
最近ではそのための保険に入っているそうだ。
国際規格のISO9001の品質保証規格というのがあって、どこの会社も、国の指導に基づいて資格を取得しているものの、書類の体裁を整えてハンコをつくだけで、事態は解決されてない。その規格の内容は製造業に適したもので、創意工夫を旨とする設計の仕事には不向きなのだ。建設コンサルタントの技術者たちだけでなく、多くの組織において、お荷物になっている制度ではなかろうか。そのうちISO批判が起こるだろう。
そんなことを太一郎は理解した。
太一郎は、いずれは施工担当の技術者になる身である。コンピューターの結果が一人歩きしかねない仕事の恐さに気づいたのだ。
(常に、全体の輪郭を掴んでなければならない!)
コンピューターを得意とする太一郎は、大事なポイントでは入力条件を文書にまとめて、常に上司に相談したから、周りから手堅さを評価された。その文書は、あとで報告書の一部になるから、ぜんぜん余計な作業ではない。
そして、太一郎は設計の仕事がおもしろかった。だから、道路部でも活躍の場は広がる。
男・太一郎は頼りになる男だった。
五
婚姻届を出して、すぐ、太一郎は、静岡の芙紗子の実家に挨拶に行った。物静かな両親に歓迎された。
市役所を退職した気のいい父親と遅くまで酒を飲んだ。
父親はぽつりぽつりと語った。
「気立てがいいが世渡りの下手な娘を、好き勝手させたから婚期を逸したのだと、私は悔いていました」
「その娘が、不釣合いだが、やっと掴んだ幸せだ」
「もし君たち夫婦が破局を迎えることがあれば、赤ん坊を連れて家に戻ってくればいいと覚悟している」
「しかし君に会って大いに安心した。どうかよろしく頼む」
そのような芙紗子の両親の思いが太一郎の胸に迫る。
(男・太一郎、この女を幸せにしてみせる!)
太一郎は芙紗子のアパートに転がり込んだ。
その太一郎の引越し荷物である。
ダンボールに七箱分の本と資料を持っていた。
太一郎は、将来、実家で仕事をやるときに備え、せっせと技術資料を手元に集めている。
太一郎は、自分が手がけた報告書は密かにそのコピーのCDロムを用意した。また、私用のUSBも5本溜まった。ある時は、チェック、照査の段階の赤ペンの入った原稿を、それは破棄するものだが、保存した。
そのような資料のダンボールでアパートの床が抜けないかとひやひやものなのだ。
そして、太一郎の唯一の家具、パソコンの机がやはり一畳分を取っている。
太一郎がパソコンを必需品としているのは趣味のためではない。休日出勤しなくとも、作業中のデータをメールで送っておけば、家で作業が出来る。月曜までに仕上げねばならない仕事の、遣り残した二、三時間分の作業のために、わざわざ往復三時間もかけて会社に行くのは割りが合わない。それに、休日にビルに入るにはカギの保管などのセキュリティの手続きが面倒だし、また管理会社の人たちが掃除していることが多く、邪魔になる。
会社の技術資料などを少しずつコピーして持ち出している太一郎にとって、下手に休日に一人で出勤して、何をしているのだと疑われるのも困ることである。
しかし、なんと言っても、芙紗子のアパートの八畳ひと間では狭すぎた。
太一郎は薄給だし、ボーナスはパソコンと帰省旅費につぎ込んでいたから、預金は三万円しかなかった。
芙紗子に二百万円ほどの貯えがあったから、アパートを探すことにした。
(頼りになる嫁さんだ……)
太一郎は感謝した。
だいぶ遠くになるが、六畳と八畳に台所バス・トイレつきのアパートに移った。安さ優先、通勤に二時間かかることは甘んじて受けることにした。
(朝は早くてもいい、電車の始発駅だから寝て行けるほうがいい……)
子供が生まれた。太一郎の一字をとって雄太と名付けた。太一郎二十三歳、芙紗子三十五歳だった。
産後しばらくの間、芙紗子の母が手伝いに来てくれた。
家は手ぜまになった。
芙紗子は寝る暇がなくなった。それでも太一郎の世話に手を抜くことはなかった。洗濯、アイロンかけを手早くやり、こざっぱりした服装をさせた。そして安い食材を多量に仕込み、栄養の偏りのないよう少しずつ食卓に出した。
旬の野菜をふんだんに食べさせた。キャベツがよく出たし、大根の葉を炒めたのが上手に味付けされて出た。
ある日、太一郎は、雄太の寝顔を見ているうちに、自分がこの家の家長であるとの思いが強まった。
そして、世の常の夫婦のように振舞おうとした。
(その方が夫婦の年齢差の意識が解消する……)
芙紗子に、
「フサちゃん。俺は、今から、芙紗子と呼ぶぞ」と、宣告した。そして、これまで「たっちゃん」と呼んでいた妻は、
「あなた。どうぞ」と、応えた。その声は弾んでいた。
周りが危惧したとおり、厳しい生活が待っていた。
タバコは止めたし、昼飯も外食はやめ、弁当持参にした。喫茶店でコーヒーを飲む金を惜しんだ。
ともかく太一郎には小遣いがないのだ、と皆は理解した。
それで若者達の飲み会の誘いはかからなくなった。太一郎は寂しかったが、「俺は妻帯者だから勘弁」と、断りを言わなくて済むだけ、ありがたかった。
日曜にこなせる皿洗いなど、小遣い稼ぎのバイトの勤め先がないかと近所や通勤途上でそれとなく目を配っていたのだが、いざあそこはどうかという店が現れると、及び腰になって、会社の仕事が大丈夫か、と迷い、決断できなかった。
若い太一郎は、金はなくてピーピーしていたが、愛する妻がいた。人間の三大欲は、食欲、睡眠欲、性欲である。太一郎はどんなに会社で遅くなっても晩飯は家で食べることにしている。
(外食する金がないのだ……)
食欲はコントロールできた。机の中に飴玉の袋を用意して、いよいよ空腹に耐えられないときはそれをしゃぶっていた。そんな状態でも芙紗子の食事献立は栄養バランスを考えていたから、太一郎の身体は快調であった。
睡眠欲の方は、家では五時間ほどしか寝ないが、往復の電車の中で少しずつ仮眠した。それが出来ないとき、あるいは疲れきった時は、机の上でうつぶせになって寝た。
「眠くてどうしようもない時は、俺は駄目だ。ちょっとでも寝ると能率があがる」と、太一郎が言うものだから、誰も起さなかった。居眠りは太一郎の特権になった。
飢えて、睡眠不足のぎらぎらした精神状態だと、男の性欲は高まる。
性欲の捌け口として芙紗子は好ましかった。ふくよかな身体を抱く時、目を閉じて口を少しあけた表情をとても美しいと思った。芙紗子は疲れて眠くてたまらないときでも、若い夫の求めるまま、その性欲を受け入れる努力をした。
そうやって、雑念のない太一郎は、脇目もふらずに仕事をした。
人間の三大欲は、生物としての欲であるともいえるが、さらに五大欲を言うことがある。三大欲に追加する二つの欲は、言う人によって、物欲と出世欲、財欲と名誉欲、あるいは知識欲と所有欲などと、表現が違うが、まさにこれらは、太一郎が目指しているものである。
(俺は、北城建設の社長を継ぐ!)
そうやって、太一郎の修行が三年を過ぎた。
太一郎は貧乏に喘ぎながら、妻芙紗子三十六才と、息子雄太一才を扶養している。
(父に言われた、三日、三月、三年の気の緩みの時は、自分には関係なく過ぎたようだ……)
(勘当された自分は、はたして、実家に戻るのか?)という悩みを抱えている。
それはともかく、まだ、二年間の修行期間がある。初心を忘れず頑張れば、通ずるように思う太一郎であった。
母の顔が浮かぶたびに息子を抱かせてやりたいと願い、また亡己利他の戒めを思った。
(人のために、骨惜しみはしない……)
太一郎の信条である。
第四章 悔いる時
一
太一郎入社四年九ヶ月過ぎた時であった。
十二月の初め。会社の設立記念日兼合同忘年会が近くのレストランを借り切って開かれた。立食パーティである。太一郎は最後のお開きまで粘ったあと、先輩の山本さんに飲みに誘われた。結婚以来、職場の飲み会以外、たとえ二次会とはいえプライベートに飲みに出るのは始めてのことだった。
「今夜は、パーッとやるか。たまにはいいだろう、ついてこい。お前には仕事でずいぶん手伝ってもらったから、俺に任せろ」
山本さんは同郷の十二才上の男で、最初の二年間、太一郎が河川部に居た頃の上司で、何かと太一郎の面倒をみてくれた。今は昇進して課長だ。
山本さんは、太一郎が芙紗子といっしょになってからは、
「お前は、あの女にたぶらかされたのだ」と、なんども言う。
独身生活を楽しんでいる彼には、太一郎のような愚直な生き方が理解できないのだ。
「男と女なんて、互いに振って振られて、そういうものだろう。子供が出来たから責任を取るなんてのは、釣り合う年齢ならともかく、お前たちは年の差がありすぎるじゃないか。
お互い楽しんだのだから、それでいいのだろう」
生活苦であえいでいる太一郎は、酒を飲む機会がない。忘年会でしこたま飲んだが、なお入る余地はある。
(先輩のおごりならありがたい……)
太一郎は並んで歩きながら、山本課長の忠告を聞き流していた。
「お前が苦労しているのは、見ておれない。あの女と別れろ。子供が欲しかったのはあの女なんだろう」と、ふらつきながら山本さん。
「そんなことは考えてません」
「ばかだな。だから勘当されるんだ」
「俺は悪いことはしてない。芙紗子のことで、祖父の機嫌を損ねただけだ」
「なあ、お前の契約の五年がもうすぐ来る。
お前は家に戻れないのだろう?
お前は優秀だから会社は首にしないと思うが、今のままじゃ、ただ会社に安く使われて利用されているだけだ。
次のことを考えろ」
「次のことって、転職ですか?」
「そうだ。お前は、手弁当で、御奉公しているようなもんじゃないか。
あんなに残業しても残業手当はいくらももらってないだろう。ばかみたいな、ただ働きだ」
「そうですな。給料が何とかならんですかね」
これが太一郎の一番の問題なのだ。
(このままでは生活が厳しすぎる!)
そうかといって、勘当が解ければ北城建設を継ぐ身だから、勝手に転職するわけにはいかない。
「あのな、会社なんて冷たいぞ。お前は高卒の待遇だから、二年分損している。
年収は四百万円ぐらいだろう。残業代をきちんと貰えばあと三百万円は増える。
只働きさせているのは、皆、承知なのだ。
お前だけでない。大なり小なり、皆、ただ働きしている。会社が社員に給料を払えばそれに見合う厚生年金とか、健康保険料とかの負担をせねばならないから、ともかく給料を押さえる。その上、若い奴の残業代をケチっている。それで、この不景気でも会社はどうにか利益を出している。
お前は、こんな会社を辞めて下請けすりゃいいんだ。そうすれば今の倍の収入になる。
でもな、この不景気だから、下請の仕事が続くとは限らない。まあ当分は派遣会社にでも登録して様子を見るんだな。そして、どこかしっかりしたところに潜り込め」
それから山本さんは、
「コンサルタントの技術者の地位が低すぎる。
あのな、俺が、今、手伝ってる河川の構造設計検討委員会の事務局な、技術的には、実質、俺たちが仕切っているのだけど、委員会では発言できない。俺たちは黒子だから、役所の連中の説明が違っていると思っても、黙っているしか、しようがない。
彼らの面子を潰せないだろう。
しかし、その後の修正の始末は、俺たちがせねばならない。馬鹿みたいなものだ。
それから頭に来るのは、な、俺たちコンサルタントがどんなにすばらしいことを考え出して報告書にまとめても、契約書の守秘義務があるから、俺たちは外に発表できない。そのうちに役所の技術者が自分の考えたことのように発表している。
末尾に謝辞の一言でもあればいい方だ。
安い金で請け負わせて酷い連中だ」
それから山本さんは橋の欄干で立ち止まり、
「俺もこんな会社やめたい」と、会社の悪口を言い出した。
「社長はもと役人だから、何も分かってない。冷たい」
それを聞きながら、
(コンサルタントの社長なんて、平気で社員を切り捨てていく。良心を麻痺させた人か、どこか人格に掛けている人でないと、やってられない……)
と思ったが、考えてみれば、
(どこの会社の社長でも、厳しい時はそうせざるを得ないのだろう……)
と、太一郎は思った。
上役連中をこきおろして、言うだけ言って、気が済んだか、山本さんは、
「さあ、行くか」と、歩き出した。
そうやって、気の大きくなった独身貴族の山本先輩に引きずられて、場末のクラブに入った。
太一郎は、結婚前に同僚達に誘われて一度このような所に来たことがある。でも、薄給の自分には縁のない所だと考えていた。
山本さんは何回か来たことのある店のようだ。
ボックスが五つほどの広さの店内で、他に三人連れの客が一組いた。女が七、八人いた。
最初に席にきた、赤い華やかなドレスの女が太一郎を見て、
「あらっ」と、目を見張ったがすぐ、
「いらっしゃいませ。美香です」と頭を下げた。目鼻立ちのはっきりした女で、太一郎の胸は高鳴った。
美香が姿を消して、そのあと女の子が二人来た。ビールが運ばれ乾杯した。
ウイスキーを抱えてきた美香は、太一郎の隣の端に腰をおろそうとして、尻で押して詰めさせた。薄いスカートを通して女の体温が伝わった。肉感的な女だった。グラスを並べ、氷を入れ、ウイスキーの用意をはじめた。
女は太一郎の相手をして、いろいろと話しかけてきた。
「そう、山本さんの後輩なの。どうぞ、よろしく」
女の年齢は分からない。太一郎より若そうにも見えるが、言うことは年上の女のようにすれている。
「男らしい方ね」
太一郎が子持ちの妻帯者だとは誰も思うまい。山本さんも、落ち着かない様子の太一郎を、にやにや眺めているだけだった。
「まあ、強いのね」
美香に勧められるまま、ウイスキーの水割をお代わりした。そのうち山本さんがマイクを握って歌いだした。
「俺は、ダンスはできない」と、断るのに、美香は手を引っ張って、
「大丈夫。立ってればいいのよ」と強引に誘われてダンスした。
「若いのに、落ち着いた、いい男ね。私好みね」と、耳元でささやかれ、こそばゆかった。うっとりした表情で身体を預けられ、その腰に手を回した。赤い口紅。頬を寄せられ、衝動的に抱きしめたくなったのを自制した。女の匂いに頭がくらみそうだった。美香という女のフェロモンに悩殺されたのだった。
あのとき、どうやって帰ったか、終電に乗ったのは確かだが、よく覚えてない。
二
それからの太一郎は、あの時の山本課長の忠告に悩み、ふと気づいたら、考えこんでいることがあった。
(芙紗子のことは問題ない……)
いや、本当を言えば、結婚三年目の微妙な時期に来ていたのは事実である。人間、飽きが来るのは、三日、三月、三年というが、一緒に暮らしていて惰性に溺れて、互いのあらが見えてくる時期である。芙紗子は育児に振り回されている。その分、自分への関心が薄れてきた。でもそんなことは問題でない。
(芙紗子の努力はよく分かる……)
厳しいのは、これまでの四年九ケ月の飛雄社勤めが、まもなく終えることだ。
(そのあとどうするのだ?)という、不安と焦りだ。
俺は状況を打開しなければならない。
(まず、勘当を解いてもらうために、俺はどうするか?)
勘当が解けないとなれば、どのように活路を開こうか?
(この会社に勤めていても道は開けない……)
思い切って辞めて、派遣会社に勤めるか、あるいは、収入の増す職種に転向する手もある。
五年間の修業で河川と道路の設計技術を修めたと言うのは、厚顔すぎる。仕事のやり方を少しかじっただけである。
パソコンはどんなことでもマニュアル、説明書さえあればこなせるが、土木の設計は、現場を見て、経験で判断する要素が強いから、数をこなさないと一人前とは言えない。
(でも、今、土木の職を辞めるのは挫折じゃないか。これまでの努力が、何にもならない……)
(もしも、祖父さんが倒れたら、俺の勘当は解けるかもしれない……)
そんな太一郎は、実家からの許しの連絡を待っている。自分が帰らなかったら北城建設は困ったことになるだろう、という計算もある。
甘いといえば甘いのだが、家族思いだと言えば家族思いの、太一郎だった。
(今度は一人で帰って、じっくり父母と話して、許しを乞おう……)と、考えていた。
(でも、「あの女と別れろ」というようなことを言われると、かえって溝が出来てしまう……)と、怯む気持ちになる。
「もう少しの辛抱だ」と思って、めちゃくちゃに仕事をやってきたが、あと、三ヶ月だ。
しかし、その先のことをあれこれ考えると不安が襲ってくる。
(希望がないと、何をやってもくたびれる……)
山本さんの独身貴族の自由奔放な生活が、うらやましくない、と言ったら嘘だ。
そんな、うつろな気持ちを処しかねて、
(俺も羽目を外したい……)
ふと、そんなことを思って、昨日、十二月十八日、会社の帰り一人でふらふらと、そのクラブに出向いたのだった。
「私、好みね」と、言った美香の顔を見たかった。ただの、浮気心、スケベ心だった。
しかし、他に三組の客が居て、美香は、指名客の相手で忙しそうに振舞い、ほんの五分ほど太一郎の側に来た。しらふだった太一郎には、今日の美香はそれほど魅力的には見えなかった。その美香には、ダンスどころか手の一つも握らせてもらえず、代わりの派手な茶髪の女は、座を取り持とうと、キャアキャア、はしゃいで話しかけるのだが、興ざめした太一郎はウイスキーばかりあおっていた。女も、「ねえ、飲んでいい」と、カクテルをガブガブ飲んでいた。いい加減に酔ったので、
「俺は帰る。勘定」
と、勢いよく立ち上がったのだが、その女が持ってきた紙切れには、30000とあった。
せいぜい一万円と思っていたのに、青ざめた。
「二万五千円しかない」
と言うと、相手の女が目を剝いて、すぐに美香が飛んできた。
「それでいいわ。また来てね」と、とりなしてくれた。しゃがれた声でずいぶん年取った女のように感じた。
太一郎は二万円の臍繰りを失った。
(何か突発発的なことがあっても、俺は身動きできなくなった……)
そのこともあるが、赤恥をかいた、はずかしさに身が縮む。
帰り道、酔いも醒めて、悔し紛れに、
「冷たくされて、腐れ縁を残さなくてよかった……」
と、呟く。
「俺は、ふと、疲れた妻と若い女とを比べたのだ。色気を追っかけたら、えらい目に遇う。もうこりた」
と、独り言。
「もうこりごりだ」と、頭を振り振り、うなだれて帰った。
第五章 ベランダの幽霊
冷たい風が顔を撫でて、太一郎は目を覚ました。
アパート四階の、ふた間しかない奥の八畳間。ベランダ寄りの布団に太一郎が寝ている。
枕元の目覚まし時計を見ると、一時。
深夜だというのに、どういうわけか蛍光灯がついていた。
隣で、二歳を過ぎた雄太があどけない顔をして寝ているが、妻の芙紗子の姿がない。
厚手の茶色のカーテンの裾が揺れている。
アルミサッシの隙間から、師走の夜風が吹き込んでいるのだ。
ふと、ベランダの外を見た太一郎は、はね起きた。
カーテンの間のガラスの向こうで、芙紗子がこちらを向いて立っているのだ。
青白い顔。ほつれた髪。昼間の服を着たままの姿。
いきなり鈍器で殴られたように頭の中が白くなり、顔がこわばる。
(しまった!)
(首をくくった妻がこちらを向いている……)
(自分は、この事態を恐れていたのだ……)
(とんでもないことになった!)
太一郎は硬直した。
十二才の年齢の差に加えて、未熟過ぎる自分の生活能力。
(結婚生活が破綻したのだ……)
目を見開いて、妻を凝視した。
しかし、芙紗子はほほえみを浮かべているのだ。
(幽霊……)
太一郎は声が出なかった。
芙紗子の右腕が動いてガラスに手をかけた。
ガラガラ。
白いワイシャツを左手に抱え、ベージュの長いスカートを翻して身を部屋にすべりこませた芙紗子は、後ろ手に、ガラッ、ピシャッ、戸を閉めた。
ようやく状況を理解することが出来た太一郎。
すぐには、ショックは引かない。
「どうしたのよ、そんなに驚いた顔をして」
芙紗子の色白でしもぶくれの顔が太一郎を覗き込んだ。
「驚いた。まさか今ごろお前がベランダに出ているなんて思いもよらねえから、冷たい風に目覚めてびっくりした」
「ワイシャツにアイロンかけるの忘れてたの」
太一郎が帰ってきたのは十時だった。飯を食って風呂に入って、蒲団にもぐったのは十一時半だった。その時、まだ妻は内職の葉書の束を広げて自分のノートパソコンに向かっていた。
太一郎は、一瞬、苦しい生活に打ちひしがれた芙紗子が首を吊ったと思ったのだ。
貧乏暮らしにけなげに耐えている妻を裏切ったという呵責があった。
妻はこの時刻まで出版社のアンケート葉書の名簿整理をしていた。そして、今、明日着る太一郎のワイシャツのアイロンをかけている。
(自分は、妻に言えないことをした……)
おととい、万一のためと臍繰っておいた二万円に、なけなしの小遣いの五千円のおまけをつけて、どぶに捨てるように呑んでしまったのだ。
(俺には、今宵のクリスマスケーキを求める金もなかった……)
(ばかなことをした……)
(あの二万円の金を妻に渡せば、正月の帰省旅費の捻出で苦しまぬだろうに……)
起き上がって、台所に行った。
流しの棚に、赤いさざんかが一輪、ウイスキーグラスに挿してあった。
太一郎の雪深い故郷にはサザンカは育たない。
蛇口をひねった拍子に、赤い花びらが一片、きちんと片付いたステンレスのシンクの中に舞い落ちた。開き切ったサザンカの残りの片が、今にもバラバラと散ってしまいそうだった。
太一郎はしばらく赤い花びらを見つめていた。
冷たい水を飲んだ。
豊潤な身体の妻がこのごろ少しスリムになったのは、生活にやつれているからで、太一郎が居ない時はろくな物も食べてないのだろうと、身につまされる。
しかし、意識が冴えるにつれ、太一郎の悔いと反省の気持ちを上回って、安堵と新たな決意が湧いてくる。
(よかった、女房孝行はまだ間に合う……)
大事な妻だ。裏切ってはいけない。姉のような妻だが、甘える気持ちはよそう。
冷静になって、改めて、苦しい生活に耐えている二人の連帯感を思う。
こないだも芙紗子は、十一月のカレンダーを破りながら、
「あとひと月ね。男の二十五才と女の三十七才は厄年だったのよ。来年は後厄だけど、そんなに悪いことはないでしょう。身体に気をつけて元気に暮らしましょう」と、語ったのだ。
パジャマ姿の太一郎は、身長百七十二センチのスリムな身体。細面の白い顔に意志のこもった太い眉とするどい小さな目。
けなげな妻を裏切って、痛恨のきわみである。
「おやすみ」と、声をかけ、掛け布団を被りながら、
「男・太一郎、もう失敗はしない」と、腹の中で呟いた。
妻だって小奇麗にしていたいだろうに、所帯やつれさせたのは自分と一緒になったせいなのだ。
(裏切ってすまない……)
そんな、後悔の念が、ああいうぐあいに妻を幽霊と見まちがったのだ。
(妻は俺を信じて生きている……)
太一郎はたとえ一度でも、妻を裏切ったことを恥じた。
太一郎は、さっぱりとした男児でありたいと願っている。ウジウジしないことを信条としている。
(俺は埋め合わせする。もう少しがまんしてくれ、なんとかするぞ!)
(息子のためにもがんばるぞ!)
それが、男太一郎の叫びなのだ。
入社して四年九ヶ月、結婚生活二年七ヶ月経っていた。
そうやって、太一郎はひたすら勘当の解ける日を待っている。
(なんとかして、芙紗子の人柄を父母に示すことだ……)
(それと、自分が習得した技術のほどを祖父に訴えることだ……)
第六章 父の手紙
一
その翌日、十二月二十五日、会社から戻ったのは八時過ぎ。珍しく早い時刻だった。
「あなた、お父さんから手紙よ」
着替えるのももどかしく封を切る。太一郎の顔面が青ざめた。
「家が大変だ」
すぐに、太一郎は電話に向かった。
「親父! 俺、太一郎。手紙、見た……」
勘当されてはじめてかける電話。
父が語ったのは、手紙と同じ内容だった。
「元気でいることだろう。じいさん、お母さんは元気だが、俺は体調を崩して静養している。北城建設は、受注量が減って苦境だ。仕事がないから従業員達に払う金もない。この時節、将来に展望はないから、やめてもらうより仕方がないのだ。いずれ、借金が増えないうちに、会社をたたまざるをえない。お前は帰ってこなくともいい。お前の進路は自分で切り開け」
バブルが弾けた後の、構造改革の公共投資抑制で、建設業界は深刻な事態となっている。
なりふり構わない大手ゼネコンが、地方自治体の小さな仕事にまで手を伸ばしている。地方の中堅業者はさらに小規模な仕事を拾い集めようとしており、小規模業者の取り分はなくなった。地方の土建会社は成り立たないのだ。
そうでなくとも、今までは、会社の数が多過ぎた。政治力で受注さえすれば、仕事の遂行は、丸投げでもどうでも、なんとかなる。それが地方の建設業者の中に虫食った、虚の部分だった。今まさに淘汰の時なのだ。この混乱を乗り切る余力のない会社は畳むより仕方がない。
がーん、と、頭を殴られたような太一郎だった。
(俺は、何しに東京に出てきたのだ?)
いっぺんに、足場が崩れたような気持ちだ。
北城会社には、なつかしい人たちがたくさんいる。若い時から勤めている、優秀な技能を持ったまじめな人たちだ。会社をたたむとなると、皆、路頭に迷う。
そして、帰る所がなくなった太一郎もひとり立ちしなければならないのだ。
太一郎は、次の日、専務に呼ばれた。
「北城君。君のお祖父さんから手紙をもらった。君の勘当はまだ解けてないらしいね。お祖父さんの希望は、約束の五年が過ぎるが継続して君を雇ってもらえないか、ということだ。
君も承知のように、我が社は人員を削減しようとしているから、君との契約を延長するのは厳しいことである。でも君の場合は、君のファンというか、応援団というか、あるいは君に期待している者が何人もいる。
君との契約をこのまま継続できるよう、私は社長と相談してもいい。
ところで、君、本人の希望はどうなんだ?」
うれしい話だが、念を押さなければならない。
「今の給料水準のままですか?」
専務は頷いた。
山本さんが忠告したとおりの事態だ。
(いまのままじゃ、やっていけない……)
「君は五年間の約束で預かった人だから、勤務評定はしなかった。とりあえず現時点の水準で契約更新するが、君は努力しだいで評価されて抜擢される可能性がある」
(今の会社の状況じゃ、特昇なんかされっこない……)
「すみません。しばらく考えさせてください」と、太一郎は返事した。
このとき、太一郎の心中では、氷が解けるように、会社への執着がほどけだしていた。
世の中の不況はじわじわと、飛雄社の業績にも影を落としていた。
二十二億円の受注目標、そして十九億円の完成目標が、七割ぐらいしか到達しないという。
幸い、銀行からの借金がないから、なんとかやっていけるのだ。
芙紗子が源泉徴収票を見てこぼしていた。
「今年の所得は、去年より下がっているのね。これまでは、昇給とベースアップで毎年一割ぐらいずつ上がってきたのに、今年はボーナスが半分しか出なかったからね」
会社の連中の中にも、
「この先、給料が少なくなっても、なんとか会社が潰れずにいてくれればいい。首が繋がっているだけ幸いだ」と、いう声がある。
(他の会社が潰れ、ライバルが淘汰されるのを待つのだ……)
と、太一郎はその気持が分かるが、自分は別だと思っている。
そうやって、落ち着かない気分のまま、太一郎は上京して五回目の正月を迎えようとしている。芙紗子は三十八才、雄太は三才になる。
二
正月は静岡の芙紗子の実家で過ごした。
庭に、白い日本水仙が咲き乱れており、太一郎は東北の雪に閉ざされた実家との季節感の違いを思ったのだ。
芙紗子が新しい暦を持ってきたので、二人で今年の運勢をめくった。
「俺は低迷運。窮すれど鈍ぜず、だってさ。
窮地に陥っても、打ちひしがれない、ということだ」
「ねえ、私は発展運よ。いっとき違えば三里の遅れだって。私は、躊躇してはいけないのね」
「よし、お前についていけばいいのだ」
暮れから元旦は酒びたりで過ごして、二日には先に一人で帰ってきた。
家で、会社から持ち帰った仕事が待っている。
正月が明けて、会社に出た。
新年会で挨拶した社長の訓示は、
「景気展望は見えない。我が社もスリム化を図りたい。そういう努力をして生き残る。
生き残るコンサルタントは、業界一、二の技術を持っているところだ。そういうところしか、これから先、自由に動けない。
我が社は残念ながらそこまでの評価を得たものはない。今一歩の所のものもある。辛抱して信用を築くだけだ。
技術サービスを惜しむな。
そして、食らいついた仕事は、誠心誠意尽くして、飛雄社は優秀だ、と評価を得よ」
太一郎はスリム化という言葉が気になった。
(自分のような、よそ者を整理してスリム化するのだ……)
(専務は社長を説得してくれるだろうか……)
(給与をあげてくれるなら良いが、そうでないなら困る……)
そんな苦悩の太一郎だが、目先の仕事に追いまくられる。
いよいよ年度末まであと三か月の修羅場だ。皆の顔が青ざめ、目が血走ってきた。
太一郎は三ヶ月先の自分の展望が開けなかった。
(しかし、窮すれど鈍せず……)
あれこれ考える時間がないから、仕方がない。目の前の仕事をこなすだけだ。
ある日、太一郎は、妻に、
「おい、ドカ弁にしてくれ」と、探してきた大きな弁当箱を渡した。
そして、
「梅干と、フリカケでいい」
これから年度末を控え、帰りが十二時くらいになるだろうから、昼半分残しておいて、夕方食べる。
(今の季節なら傷まない……)
(周りがどんな目で見ようが、俺は金がないからこれしか仕方がない……)
本当はおむすびのほうが嵩張らなくていいが、海苔がないと、芙紗子が困ると思った。
芙紗子は梅干二個とフリカケをご飯の間に挟んだが、野菜や肉、めざしの類のおかずも入れてくれた。大体は前日の晩飯と同じ品だった。
そうやって、太一郎は開き直った。
(ない袖は振れない……)
貧乏人の強みだ。
太一郎は会社では作業服で過ごした。外出するときに着用する背広とワイシャツ、コートは、ロッカーに置いてある。通勤はジャージとポロシャツ、ヤッケ、運動靴にした。
ある日、遅くまで社長室にいて戻ってきた部長が、太一郎の帰宅姿に目を丸くした。
「駅から走って帰ります」
「そうか、そうやって鍛えているのか」と、部長。
太一郎はこの姿で自宅から駅まで、そして駅から会社まで走って、バス代を浮かした。
(この会社で、今のまま続けるか……)
この不況で、ゼネコンの技術者達もリストラで放出されているという。
(勤め口があるだけよいと言うべき?)
(このまま我慢すべきか?)
でも、これだけ働けば、どこへ行ってもやっていけそうに思う。
(実家に帰るあてがないのなら、斜陽産業の土木は辞めて、もっと収入のいい職種を探したほうがいいのではないか……)
(よしっ!)
部屋の隅に山積みされているダンボールの、蓄えた技術資料を整理しようと思った。
「手狭だから、この資料をゴミに出してくれないか」
芙紗子は太一郎の顔を見た。
「本当にいいの?」
「うん。もう家に帰れない……」
「でも、せっかくここまで努力したのでしょう。置いときなさい」
もう少し実入りのいい職業、例えば長距離トラック運転手はどうかと、面接に行ったこともある。宅急便の配達員も考えた。
そのたびに芙紗子は反対した。
「今は、収入が増えるかもしれませんが、あなたの将来の蓄積にならないでしょう。
ねえ、玉磨かざれば器をなさずって言うでしょう。
もし、あなたの将来の大成に私が邪魔なら、いつでも静岡に帰ります。
貧乏はなんとかやっていけます。
どうか、初心貫徹してください」
年の不釣合いな結婚だ、と気にしている芙紗子がいとおしかった。
「私のために苦労しているあなたには申し訳なく思います。あなたが生活に我慢出来なくなったら、私は出て行きます。でも、別れる時は、雄太は連れて行きますからね」
(窮すれど鈍ぜず……)
(ともかく、この年度末まではこの会社で誠心誠意やる……)
太一郎は自分の担当業務に没頭したいのだが、
「明日までに仕上げなければならない。手伝ってくれ」という、周囲の人の悲鳴に振りまわされて、手を貸して、その結果自分の仕事が追い込まれる。
「忘己利他」の信念が挫けそうになるが、日々その努力は怠らなかった。
毎朝、目覚めると、「忘己利他」と心の中で口ずさんだ。
母の顔が浮かんでくる。
母に、雄太のことを報告できないことが寂しかった。
ときおり太一郎が無言で何事かを呟くので、芙紗子はふしぎそうな顔をした。
ある時「ボウコリタ」と呟いたときに、そばに芙紗子がいて首をかしげたので釈明した。
「もう懲りたじゃないよ」
「え?」
「忘己利他。仏教の真髄だそうだ」
と、母の教えを話した。
「あなたのいい所ね。
でも、自分のことをある程度は考えないとね。
あなたにとっての他は、雄太と私の二人にしてね」と、芙紗子。
いっしょうけんめい耐えている彼女の本音だろう。
(芙紗子と俺は赤い糸がついていた……)
(俺はこの女を幸せにするために生きている……)
「あなたは、苦労しているせいか年より老けて見られるわね。私とそんなに差があるなんて思われないわね」
確かに太一郎は、実年齢の二十六才よりふけて見られる。初対面の人は三十代だろうと言う。だから芙紗子と並んでいても、そんなに年の差があるとは見られない。
三
「窮すれど鈍ぜず」と、太一郎は歯を食いしばって貧乏に耐えた。相変わらずバス代を浮かすために走っている。
そうやって走ることが太一郎のストレス発散であった。
(俺の身体は頑健だ。骨惜しみしないで身体を動かす……)
結婚してから休日出勤は減ったが、休みの日には時間を決め、家のパソコンで仕事をした。
専務に雇用契約の継続をお願いする件は、気が進まなかった。この飛雄社はスリム化しようとしている。その方針に逆らって自分の雇用継続をお願いすることは、頼まれた専務も肩の荷が重いことだろうと思った。太一郎にしても給料の安さは我慢できるものじゃない。
そういう思案をいっときめぐらしても、すぐに、仕事のことに頭が行ってしまう。
二月になってすぐの日曜日、太一郎がぼんやりしていると、
「あなた、この頃、疲れているようね」
「この時期は、皆、気力でもっているみたいだが、俺は大丈夫だ。
そう、俺は、辞表のことを考えている」
「この会社は辞めなさい。
ほら、いっとき違えば三里の遅れ、よ。
私は思います。あなたは、仕事が速いし、計算に間違いがないと皆が言ってました。あなたならどこへ行ってもやれます。この会社に奉仕するのは止めなさい」
ひたすら仕事に追いまくられたこの五年だった。家業を継ぐための修行だと考えて励んだことだった。だが、家に戻らないとなると、このような勤めが続けられようか?
(今の調子では、俺は、この先、十年も二十年もやっていけまい……)
あと十年後に、山本さんみたいに課長になれるかも知れない。でも、山本さんだって、「こんな会社、辞めたい」と、言った。仕事に追いまくられるだけで、その仕事のやりがいがないのだろう。そして、給料の不満もある。
部長はどうだ。年収千百万円近くもらっているだろう。
(辛抱して、部長になるか……)
成れるかも知れないが、経営者からは、ああだ、こうだと言われ、部下からは突き上げられ、苦しい日々を送るのは性に合わない。
二月末日、ともかく退職届を山本課長に出した。
部長にあいさつすると、
「そうか、会社は厳しいから仕方がないな。遺留はしないよ。君は何でもやっていけるから大丈夫だ。体だけはこわすなよ」と、言ってくれた。
すぐに専務のところに挨拶に行った。
「家業を継ぐ必要のない君は、斜陽の土木にこだわることはない。それだけの馬力があれば何でもやれる。
設計コンサルタントの技術者は社会的地位が低いから、君が見切りをつけて正解だろう。
建設コンサルタントは、精神的にタフで能力のある技術士集団であるべきだ。そうすれば弁護士のような社会的地位が得られる。今は、役所のインハウスエンジニア達の下働きの存在だから、人材は玉石混合の状態だ。
もちろん君は、努力して技術士になるだろう。
しかし、日本の建設コンサルタントの役所依存の体質は簡単には改まるまい。日本の技術士の地位は欧米のように高くない。
それに、君は、我が社に居ても、仕事量の割に給料が安すぎる。ばからしくなるのは当然だ。この商売、先行きの見通しが立たんから、君をどうしてやることもならん。
五年間、いっしょう懸命やってくれたが、十分報いてやれず、すまん。
お祖父さんに会ったら、よろしく伝えてくれ」
次々に納期がきて、報告書の検査を受け納品した。
三月の末になって、太一郎は役所関係の、年度内の納期の報告書をすべて納品した。
太一郎はすべて仕上げたつもりである。もう少し文章を推敲したいと思ったのもあるが、中味は完全である。
太一郎は、有給休暇を一昨年の繰越分を含め四十日分を残したまま最後の日を迎えた。
三月三十一日に送別会を開いてくれた。
河川部と道路部の皆が出てくれた。
「北城君は、ファイトがあるから、どこへ行っても、なんでもやれる」と、口々に言ってくれた。
細田主任が、いかつい顔をして、
「あの護岸設計のやり直しのときは、本当に俺は危ないところだった。よく、助けてくれた」と頭を下げてくれた。
水沼主任が、浅黒い顔で言った。
「世話になったな。ありがとう。報告書を箇条書きで書くという君のやり方を真似したら、俺でも書けるようになった」と、握手を求められた。
そして、高木さん、若水さんが中心になって、皆から集めてくれた餞別が二十五万円もあった。専務と部長が三万円、そして、部長、山本課長、細田主任、水沼主任が二万円を張り込んでくれていた。
こんな選別なんて、前代未聞のことだと、山本課長が太一郎に耳打ちした。
厚生会、労働組合から慰労金がそれぞれ五万円ずつ、退職金二十万円とあわせ五十五万円。
(当面の生活資金が出来た……)
(窮すれば通ず!)
第六章 石の上にも五年
一
四月一日は土曜日だった。
会社から離れたと思うと心細かった。
(この先独力でやっていかねばならない……)
そんな気持ちも、身体に積み重なった疲労で紛れてしまう。二日間、よく寝たし、雄太と遊んだ。
四月三日、ハローワークに行った。失業保険の申請をした。それは、すぐに取りやめた。
就職雑誌を見て派遣会社に面接に行った。土木の分野とITの分野に登録した。実技も試されたが、太一郎のような若い技術者は大歓迎なのだ。
時間単価千円、優秀なら昇給して千五百円まで、あるいはスペシャリストならそれ以上の単価の道がある。残業代はきちんと支払うという。そっちのほうがありがたい。
(只働きではないのだ……)
四月七日から、派遣されて、ある大きな商社に行った。
書類のデータをパソコンに打ち込んで整理するオペレーター役だった。すぐに慣れて、余裕をもって仕上げた。そうやって、予定の三日がすぎた。時間単価千円で七時間半を三日、二万円の収入を得たのだ。
(ひと安心……)
派遣会社に、もっと高度なプログラミングの仕事をやりたいと言うと、一日空いて、建設会社に派遣された。
今度は、計算業務だった。簡単なソフトを作って計算した。最初、四日間の契約だったが、すぐに済んで余力で他のことを手伝った。重宝がられ、二回、契約期間を延長して、合計で二週間居た。
人材派遣会社での勤めは、派遣先の勤務時間に合わせる。だいたいは九時に出社で五時半の定時に帰る。土日は休みだから、前から比べると夢見たいに楽な勤務だった。
しかし、時間単価は千二百円だったから、もっと高度な仕事をやりたいと、お願いした。太一郎はパソコンを極めるため、SE技術者の資格を取ろうと勉強をしている。
派遣社員の生活がスタートしたが、収入が安定しない。このままではいけないという不安があった。
土木の仕事があれば、飛びついたが、単純な数量計算とかで面白くなかった。
その点、電算関係の仕事の方がたくさんあって、実入りも多かったので、だんだんシフトした。
(派遣の仕事だけでなく、まとまった仕事を一式請け負って、家でやりたい……)
そのような太一郎をみて、芙紗子が言った。
「ねえ、個人事業の届を出しなさい」
「なんだって?」
「税金対策をきちんとしましょう」
と、芙紗子の言うとおり個人事業主となった。税務署に所定の用紙を届けるだけの簡単なことだった。
芙紗子が青色申告をすると言って、帳簿付けを手伝った。
ゆくゆくは芙紗子が、得意のキャドで太一郎を手伝いたいと言う。
四月の末に、前の会社の山本さんから電話があって、
「河床変動計算一式のアルバイトの仕事を回してやるから、下請けをやれよ」
三十万円。緊縮経営で、「外注費削減せよ」という会社の達しの中で処置してくれたことで、河川部長の肝いりだった。ただし、支払いは完成後二か月先。そういうルールだから文句は言えない。
河床変動計算は高度な計算だが、前にこなしたことがある。
(ありがたいことだ……)
さっそく会社に出向き、打ち合わせしてきて、連休中の二日間、貸与されたソフトをいじって条件を設定した。
それから、モデル式の検証にかかる。夜寝る前に計算機にかけておけば、夜じゅう計算機が動いて、朝には答えを出してくれる。出て来た結果が実測値にあってないと、再び係数をいじって計算を流す。そういうぐあいに五日間ほど行なって、計算値が実測値に近づくと、モデルが完成である。
いよいよシミュレーションを行なう。
あとは、いろいろな条件で計算するだけだから容易だ。
この三十万円は、ありがたかった。
山本さんの方に魂胆があって、太一郎に前の仕事の残務を片付けさせようとしたのだ、と気づいたが、
(それでいい……)
三冊の報告書の修正を二日で仕上げた。
この資金に貯えを足して、太一郎は近くにアパートを借り、事務所とした。
(仕事に専念できる部屋が欲しい……)
という、必要に迫られてやったことだが、経費で落とせるから問題はない。もちろん、芙紗子の、「いっとき違えば三里の遅れ」で、即決したことだ。
派遣会社の派遣業務と並行して太一郎は、事務所で出来る下請けの仕事を探した。
前の飛雄社からは、あれっきりである。
仕事さえあればがむしゃらにこなすのだが、その仕事を得ることが難しいのだ。太一郎は営業という壁に突き当たった。
口を開けて待っていても、誰も仕事をくれない。
仕事を回してもらうには、ふだんの人脈づくりが大事なのだ。
同じ派遣会社から派遣された同僚の技術者たちと情報交換をすることもある。
そして、知り合ったあちこちの企業の担当者に、電話を入れたり、葉書を書いたりして、営業努力をしている。時間をつくっては会社めぐりをした。
どこの企業でも営業こそが最大の関門なのだ。それを独力でやらねばならないのだから、個人事業主はつらい。
しかし、人に頭を下げて、それで仕事が貰え家族を養えるなら、たやすいことだ。
(いくらでも頭を下げる……)
太一郎はそういう心境である。
しかし、仕事が重なる時がある。
(前からお願いしていて、せっかくまわしてもらった仕事だから、断れない……)
工期厳守だから、むちゃくちゃに、寝る間も惜しんで仕事をすることもある。
(そういう時は、仕事を手伝ってもらえる仲間が欲しい……)
ゆくゆくは有限会社でも設立しようかと言ったら、芙紗子が反対した。
「社員を抱えたらだめよ。あなたのやり方は自分が損するから、絶対によその人と組んだら駄目よ」と、芙紗子。
(確かに、一匹狼たちとの共同作業は難しい面もある……)
「あなたは、忘己利他は卒業よ。もう懲りたのよ、モウコリゴリでしょう。これからは己利己利でいきなさい」
特定の会社の下請けになることが理想だった。
太一郎は自分のホームページを作成した。こういう方面でも仕事が出来ると思った。
もし芙紗子と出会わずに順調に五年間の研修を終えたとしても、実家の会社が立ち行かなくなったことに変わりはない。
太一郎は若くして妻帯して、飛雄社で、何をしてでも食っていける資質を磨いたのだ。
「石の上にも三年と言うが、あなたは飛雄社で五年頑張って成長しましたね」
芙紗子といっしょになって、自分は磨かれたと思う。もし、芙紗子と一緒になってなかったら、自分はあのまま飛雄社で、もんもんとして過ごしていただろう。
(今のように潔く転進できなかっただろう……)
と思う。
郷里の消息が届いた。
父は会社をすっかり畳んでしまった。土地を手放したそうだ。祖父は老け込んでしまった。
太一郎は、芙紗子と雄太を、母に会わせたいと願った。
二
そうやって一年経った。
太一郎はコンピューターのシステムエンジニアに転進していた。
土木設計の仕事からは遠ざかりつつあるが、悔いはない。
前に山本さんの依頼でやった、河川の水理計算や河床変動計算はあれっきりだった。あの分野で仕事を得ようとすると、現地の踏査、流量観測、河床材料の粒度調査などが伴い、単なる計算業務では済まないのだ。河川の研究者のやる仕事だから、太一郎個人では無理なことだ。
しからば土木構造物の設計計算はというと、汎用ソフトが出回っており、わざわざ太一郎が腕を振るう余地はない。あるいは、シビヤな言い方をするならば、どの構造物もその道の専門家が居て、たんなる計算屋では、仕事が危なっかしいのである。
その点、システムエンジニアは、ソフトの整備そのものが仕事だから紛れがない。計算のシステムを構築するだけである。新しい知識を導入し、後は仕事を完成させようとする根気だけである。そして、こっちの方が先の展望が広がっている。
そうやって太一郎は、人材派遣会社は辞め、計算機会社の下請けに入り込んでいた。臨時社員として、ユーザーのもとに派遣され仕事をするのである。一式いくらの報酬だから、持ち帰って事務所でやることが多い。
個人事業者として、昨年の収入は千五百万円あった。
忙しい毎日だが、前にくらべれば、余裕はある。走ることが太一郎の原点だから、毎日のランニングは欠かさない。秋の市民マラソンに出場しようかと思っている。
苦労した太一郎は貫禄が出ていた。体つきは相変わらずスリムだが、顔つきは四十代の風格があった。芙紗子と釣り合っている。
「案ずるよりは産むが易し」を強行した三年前の芙紗子だったが、その芙紗子は、次の子供を身ごもったのだ。
子供は多い方がいいと思う二人だ。
「もう少しお金を貯めたら、庭のある家を買いましょうね。私はお庭のお花を部屋に飾るのが夢だわ」
太一郎は、一戸建てを手に入れたら、赤いサザンカの垣根にしようと思っている。
「そうだな。俺の仕事はほとんど在宅でやれるから、田舎に移ってもいい」
二人の夢は一致している。
バブル景気がはじけて、建設コンサルタント各社は苦悩の時代を迎えようとしている。ぎどい寒さに身震いするように、何段かのリストラを済ましている。
パイが少なくなったのだから、ともかく我慢して、ライバルが倒れるまで生き延びるしか道はないのだ。
太一郎が飛雄社から遠さかって正解だったのだ。
「出産の時は静岡のお母さんにお願いするが、その前に俺の母に来てもらおう」
懐かしい顔が目に浮ぶ。
「日取りが決まったら、電車の切符を送りなさい」と、芙紗子。
地方の土建会社の跡取り息子として大事に育てられた太一郎だが、若い結婚をしてひどい貧乏をした。そして、「鉄は熱いうちに打て」で、鍛えられた。
この先どんなにリッチになっても、あのつらさは忘れないだろう。思い上がって浪費に走ったり、女に迷ったりして身を滅ぼすようなことはないであろう。
北城建設の跡取りたる太一郎は、やがて会社を興すのだろう。太一郎に恩義を感じる人、太一郎を頼りにする人、そんな、彼を知る人々がそうしむけるであろう。
まだまだ、太一郎には、苦闘の日々が待ち受けている。
でも、太一郎のことだから、妻と子供のために蓄えた生活資金にまで手をつけることはあるまい。
赤い糸で結ばれた二人の前途は洋々。
苦労を買ってでも働くのは、若い、今のうち……。
了