待つ日々
「よいっしょ! よいっしょ!」
「アウリス! もう少しだ!」
自分の体より大きな石を担いでアウリスはゆっくりと一歩ずつゴールに向かって進んでいく。先に着いたゴール地点からライとジンがアウリスに向けて応援の声をかけている。
「やっ やったー! 着いた!」
「ついに目標達成だな! おめでとさん!」
「凄いよアウリス! 本当に運びきるなんて」
アウリス達三人は州都リーナディアを囲む外壁改修工事の現場で資材運搬の作業をしていた。ヴァルオスの帰りを待っているのだが、ただ待っていても退屈なので基礎体力を上げようと仕事をすることにしたのだった。竜剣レイアを装備しながらではとにかく歩くことがやっとなので鍛えることの一環として取り入れてみた。
「ほらよ」
アウリスは資材を運んだ証として木の札を受け取る。
この仕事は街の中を散策した時に人足募集の声かけをしている役人がいたので話を聞いてみたことがきっかけだった。獣や賊などの侵入を防ぐ街を囲んだ外壁が経年劣化や損傷により部分的に建て直していた。その中で資材である石を加工場所から積み上げている場所まで運ぶ人員が足りていないようで、街の中でも広く募集されていた。一回運ぶと石の大きさにより分類された木の札を受けとり、精算所で通貨と交換出来るようになっている。定められた就労時間はないので一回運んで終わりにすることも出来るのだった。街の周辺で好きな時間に体を動かしてお金も貰える。それはアウリス達にとって都合が良かったのでアウリスとライ、ジンの三人で参加することにした。主にアウリスの為ではあったがライとジンも一緒に付き合っている。
お金稼ぎだけが目的ではないのでアウリスとライは剣を装備したままで、ジンは鎧を装備するわけにはいかないのでそれなりの重りを着けて石を運んでいる。
今日で五日目になるのだが初日こそ人の頭程の大きさの石を運ぶことがやっとのアウリスだったがついに自分の体より大きな石を運ぶ事に成功したのだった。ちなみにライはアウリスが運んだ大きさの石を本日十回、ジンは六回運んでいた。
「よーし! 今日はこれで戻ろうぜ! 帰りに何を食べようか。ジン、何がいい?」
「うーん。あの花屋の向かいの串焼きが美味しそうだったかな」
「そうだな! あれは確かに気になっていたな! アウリス、それでいいか?」
「いいね! そうしよう!」
この仕事を始めてから帰りに貰った報酬で、街の露店に寄り道して食べ物を食べることを楽しみにしていた。残りのお金はロキに渡した時、小遣いに持っておけと言われたがヴァルオスの祝勝会代として貯金するようにロキに預かってもらった。そもそも何の祝勝会かは分からなかったがそのつもりで楽しみにしている。
「んじゃ早速行こうぜー!」
達成感により心地よい疲労感を感じながら三人は街の中へと向かった。
休暇を貰って日々過ごしていたフェリスだが、連日ともなると何をすればいいのか分からなかった。鍛練を怠る事はなかったが一日中することもなく、城の中で過ごすのも居心地悪い。であれば必然的に友人のカイゼの所に足が向いてしまうのだった。
「フェリス様、おはようございます。どうぞお入りください」
カイゼの家の扉をノックすると少し間を置いて女性が笑顔で迎えてくれた。痩せた体で少しやつれてはいるが柔らかな口調で今日は体調が良さそうだ。
この女性はカイゼの母でフェリスは幼い頃から遊びに来てはお世話になっていたので、家族同様に思っていた。細い目をしており、カイゼと同じ茶色の髪色で長い髪を後ろで一つに束ねている。おっとりとした性格で優しく、フェリスはここにくると穏やかな気分になるのだった。
しかし、一度咳き込むと止まらずに発作を起こしてしまうことも頻繁にあった。その為にカイゼは家を離れる時間が長い近衛隊よりも母と幼い妹の為に警備隊を選んだのである。
「こんにちは、カーラさん。カイゼは今日非番だったよね?」
「ええ、掃除を手伝ってもらってましたから奥の部屋におりますよ」
そう言ってカーラは奥へと通してくれる。微かに香るソイネの花が飾られているのは昔から変わらない。
フェリスは深く空気を吸い込んで気持ちが満たされると、部屋の中にいるカイゼを見つけた。
「おっ、頑張っているな」
「フェリス、早かったな。もう終わるから椅子に座って少し待ってくれ」
「ああ、気にせずやってくれ。向こうの窓も拭くのか? 俺にやらせてくれ」
「悪いな、じゃあこれで頼む」
カイゼは水を含んだ布を手渡すとまた拭き掃除を始める。フェリスも当たり前のように窓を吹き始めた。城の中の誰かが目撃すれば卒倒する光景ではあるがフェリスとカイゼの間では互いに遠慮しないルールがある。知り合った当初はカイゼも父親に教えられて貴人への礼節というものを実践したがフェリスがそれを頑なに拒み、以降今の感じに落ち着いたのだった。
「あっ! フェリス様だ! いらっしゃい! 私も遊びに連れていって」
話し声が聞こえたのか違う部屋の掃除をしていた妹のアンナが元気よく参入する。そしてすぐにカーラから言葉使いを注意されていた。カイゼの事は諦めたものの、フェリスに対してアンナまで同じ様に接する事を許す気はないらしい。
フェリスはその様子に苦笑いするが視線が合うと注意を受けている最中のアンナがウィンクをしてきた。これにはさすがに笑いを堪えきれなくなる。カーラから解放されるとすぐにフェリスに近寄って期待の眼差しを向けてきた。
「分かった分かった。どこに行きたい?」
「えへへ、【キネアに咲いた薔薇】が見たい!」
「キネア? がなんだって?」
「最近流行ってる歌劇だよフェリス。しかも恋愛ストーリーだぞ。退屈だろ?」
「いいじゃん別にー! お兄ちゃんは寝てていいから!」
「寝てていいって……あのな……」
「ハハハ、俺も歌劇は小さな頃に観賞したきりだからな。行ってみるか」
「行くのか? まあお前がそう言うのなら構わないさ」
「じゃあ決まり! 開演しちゃうから急がなきゃ!」
アンナに急かされながら慌ただしく三人は街の広場前にある劇場に向かうのだった。
カイゼの家から劇場まではそう遠くない所にある。商用地に近い場所に住んでいるために朝から夜まで賑やかに様々な音が飛び交うのであった。すれ違う人々もフェリスに気付く様子もないので煩わしさも感じる事は少ない。仕立ての良い服を来ているがまさかこんな所にベニエラ家の人間がいるはずはない、どこかの貴族の御曹司くらいにしか見られていないのだろう。
「なあフェリス、最近なんか悩んでるんだろ? 騎士団の人間関係か?」
「それは……」
気付かれまいとカイゼと一緒にいるときは元気良く振る舞おうと意識していたつもりだったが、どうやらカイゼにはお見通しらしい。
「騎士団には馴染んでるさ。ただ初めての長い休暇に戸惑っているだけだ」
「そうか、それならいいんだがな。無理はするなよ? お前は根は真面目なんだから」
「おい、根はってなんだよ。まるでいつも」
大きな通りに出た時に悲鳴が聞こえて話が途切れる。
「だ 誰か止めてくれ!」
声がした方へ視線を向けると荷車が転がって来ている。その先では中年の男が必死になって叫んでいたのだった。この通りは緩やかな坂道になっており、それに従って荷車が転がって下りてきている。よく見ると荷車の取っ手の部分が折れていた。おそらく手引きで坂道を上がっていた所で、突然取っ手が折れてしまったのだろう。男が慌てて追いかけようとして転倒していた。そしてあろうことか荷車の荷物の上には幼い子供が取り残されており、恐怖のあまりに声も出せずに顔がひきつらせている。
「マズイな、行こうフェリス」
「ああ!」
見たところさほど大きな荷車ではなく、荷物も少ないようだが、年寄りや子供が轢かれると大変なことになりかねない。何より徐々に荷車が下る速度が上がり、取り残された子供が危険だった。二人が駆け出そうとした時に道の脇から飛び出した者がいた。
あいつは!
その少年は転がってくる荷車の正面で両手と足を広げて構える。そして到達した荷車を完全に止めてみせた。かのように見えたが次の瞬間、少年は膝から崩れて荷車に押されるように後ろに倒れてしまう。それでもどうにか足で突っ張ることで荷車を停止させることに成功した。
「なんだまたお前か薬屋」
「やあフェリス、また会えたね」
前回は絡まれていた女性を助ける為に地面を転がされていた。今回も人助けをしようと飛び出しては、今また地面に寝転がっている。
「お前がお人好しなのは分かったが、自分の能力に見合わなければいつか大怪我をするぞ」
なんとも無様な格好のアウリスを見下ろす形になっているが、手を差し伸べる事はしなかった。そんな二人を見比べて少し可笑しそうに、カイゼが荷車を転がらないように車輪に輪止めをかけてアウリスを起こした。
「なんだ、フェリスの知り合いなのか?」
「知り合いというほどでもない」
「そうなのか? 俺はカイゼだ。君、危ない所をありがとな。だけどこれぐらいの重さの荷車に倒されるのは男子として宜しくないな。もう少し鍛えた方がいい」
「僕はアウリス。えっとフェリスの」
「おいカイゼ、行くぞ」
フェリスは馴れ合う気はないとばかりにアウリスの話を強引に打ち切ると歩き始める。そんなフェリスに相変わらずだと苦笑しながら後に続く。
「アウリス君、またな」
ポツンと残されたアウリスに何事かとライとジンが合流した。
「急にいなくなってビックリしたぜ? 今のフェリスだったんじゃねえか?」
「ゴメン、そうだね。僕たちと同じようにここで滞在しているのかな」
「アウリス、服が汚れているよ」
服を払ってくれたジンにお礼を言って宿に戻り始めた所で遠くの会話が耳に入る。
「青の騎士団が着いたらしいぞ」
!? 青の騎士団……
レトに来た騎士団
昔見たレトでの光景が頭によぎる。横暴な言動で威嚇する者達、ガロを拘束した騎士団。
心の中に立ち込めるモヤモヤしたものを感じながらアウリスは何事も起きなければいいと願うのだった。