二つの派閥
フェンローナ城から少し離れた、広大な敷地にあるズワルテの邸宅。その中の見るからに高価な調度品を揃えた一室で、質の良い生地の衣服に身を包んだズワルテと、こちらも立派な服装で白い立派な顎髭をたくわえた年配の男が話し込んでいた。
「ゾリ殿、いよいよ次回の評議会にて王都ロージリアまでの街道事業が我々の手に落ちる事は間違いない」
「ほう、ようやくでありますなズワルテ殿、貴殿がいち早く提言した事が実現するのは実に喜ばしい事ですぞ」
王都までの街道整備はズワルテが着目して、かなりの年月と金をかけて根回しをしてきた。王都で関わりを持つ貴族や商人、裏社会の人間など幅広く手を回した。その甲斐あって最近やっと王都の執政官の側近という人物との繋がりも出来た事がさらにズワルテの気を良くしていた。それら一連の流れが一派を確立すると、ノーブリア州内においても日々精力的に動き、街道事業の指揮を我がものとしようとしている。ファラエル候にはいかにこの事業が有益であるかを常々説明を重ねていた。だがズワルテはノーブリアの発展だけを考えているのではなく事業に付随した莫大な利権を手中に収める為であった。それは力と金を手にする事であり、その為ならばと目先の出資は惜しまないと賄賂をばら蒔いている。
「ゾリ殿の協力があってこそなのだ。実現のあかつきにはゾリ殿に相応しい役職も用意している。どうか頼みましたぞ。さあ、とりあえず気持ちばかりだがこれを」
「これはこれは! 私は協力は惜しみませませぬぞ。任せてくだされ」
ズワルテから手渡された袋の中には金貨がズシリと入っていた。受け取ったゾリはこの時ばかりは貴族特有の作り笑いではなく本心から込み上げる笑みを隠せずにいる。それを読み取ったズワルテは胸の内でほくそ笑むのだった。
一方、ズワルテと対立しているガラドールは焦っていた。ロージリアとノーブリアを結ぶ街道事業など断じて認める訳にはいかない。
他の州と比べて属国でありながら王都との関係性が薄いのは元々が閉鎖的な国であった事と、距離が離れていたり隔たった地形、高度な情報操作によるものだ。中央からの視察の目もどうにか眩ましてきた。自給率が極めて高い生産能力や珍しい工芸品や嗜好品を必要としない文化性が、交易をせずとも問題がなく、外部とのやり取りも限られていた。娯楽や芸術に関しても対外には広めずに、取り入れる事もなかった。視察官から田舎扱いを受けることもどうということもない。むしろ退屈な場所だと早々に帰ってくれる事も多い。そして何よりも、強引な内政干渉さえもはね除けてこれたのは、ノーブリアの軍事力がハルト王国の中では一番高いことだった。武力衝突すれば王国の国力が激減することになる。そして、現在の王国内の統制力は低いため、ノーブリアと事を構えれば他州が反旗を翻す可能性が高い事であった。しかし それも先代候、つまりはファラエルとフェリスの父である先代で急速に崩れつつある。それはズワルテが先代候の信頼を得てから始まったともいえる。
「このままではノーブリアは中央のいいなりになってしまうぞ。街道など資金の無駄じゃ。もっと軍備増強に各地の砦の強化や武具を生産して備えるこそが重要。今ここで政策方針を変えねば今まで先人達が守ってきたノーブリアは崩壊する」
ガラドールもまたズワルテと同様に、評議会員の協力者を集める為に奔走している。それも長い間議論を重ねても平行線のまま。いつまでも決まらない結論に、次回の評議会で多数決にて決議すると決まった。それはノーブリアの行く末が大きく変わる分岐点ともなるだけにズワルテに遅れをとる訳にはいかなかった。
「ガラドール殿の言うとおりですぞ。しかしもう少し考えて慎重にならねばなりませんな」
この日、会う約束を取り付けてわざわざ足を運び、決して短くない時間を使って説得していた。だが、最終的に煮え切らない返答にガラドールは苦虫を噛み砕いた気持ちになる。勿論顔の表情には出さないものの、その後の城の執務室に戻る足取りは鉛を付けたように重たかった。
「ガラドール殿、どうでしたか?」
執務室で待っていたのは志を同じくする評議員のレバンズと同じく評議員であるルータスだった。二人もノーブリアを古くから支える家系の貴族だがルータスは代替わりしたばかりで若く正義感も強い。それゆえに感情のコントロールが上手くいかずに他の貴族達とトラブルになることも多い。しかしガラドールはこの青年を好ましく思い良く目をかけている。ルータスもまた実直なガラドールを慕い、今のように執務室にて集まり意見交換なども日常的に行っている。
「ここ数日回っておったが、どうも反応が薄い。おそらくズワルテが何かを吹き込んでおるのは間違いないのだが、このままではあの若造の思い通りに事が進んでしまう」
「ズワルテは賄賂を渡して相手を取り込んでいるとも思えます。ファラエル様に密告して制裁を加えてもらえば逆転するのではありませんか?」
「それは難しい。おそらく証拠が揃わないだろうな。それにファラエル様に伝えたところで動く事はないのだ。ズワルテはその辺も抜け目がない。最近ではファラエル様は儂よりもあの若造の意見を多く聞き入れていることでもそれが分かろう」
「くっ、若いだけで何も出来ないのならガラドール殿に任せてくれればいいものを」
「ルータス、それは不敬であるぞ。ファラエル様は聡明な方だ。これからも諭して差し上げれば少しずつ変わっていくだろう。それと、この話はこの三人の中だけにしておくのだぞ、外で万が一にでも誰かに聞かれれば足元をすくわれかねん」
次回の評議会まであと数日、十人いる評議員の中でガラドール陣営とも言えるのはこの場にいる三人だけであった。あとはズワルテ派の者とズワルテ寄り、残りは中立の者で分かれていたのだったが現時点ではズワルテ派が多くを占めて中立の者はズワルテ寄りだとガラドールは確信する。十対三という圧倒的な差が終盤になった今、焦燥感が募るばかりである。
「すまぬが最後まで諦めずに説得を続けようではないか。宜しく頼むぞ」
諦めの色はまだ見えない力強い視線を交わしあい、その場を解散したのだった。
フェンローナ城
「何やら慌ただしくなって参りましたな。しかし決議を多数決で決めるなど宜しかったのですか?」
常に謁見を求められたり、各所からの報告書に目を通して問題があれば指示を出す。今も謁見の合間に書類を睨みながら近くに控えたゴーザからの問いに視線は変えずに答える。
「多数決か、延々と決まらない議論をダラダラと続けるのも時間の浪費でしかない。本人達が納得するのだからそれでいいのではないか。それにしてもこの報告書だが俺が見ていないと思っているのか馬鹿だとでも思われているのか。所々で重要な部分を伏せているな。これで中央からケチがつかないのだからすでに話がついているのだろう。まったく俺は楽が出来ていいな」
まったく感心していない口調で答えたファラエルは次の報告書へと目を向けた。ゴーザは日常ファラエルの執務を邪魔しないよう控えているのだがどうしても気になり言葉を重ねてしまう。
「しかしそのようなものをファラエル様に提出するなど許しがたいのではありますが」
「それで上手く回っているのだから問題ない。最近では中央の一部の馬鹿共も出入りが頻繁になってきている。ズワルテ辺りが動いているのだろう。ようやくノーブリアも開けてくるな」
「そ、それは……」
今まで守ってきたものが崩れていくようでゴーザの表情が微かに曇る。目の前のゴーザからすればかなり年の違うファラエルという青年は幼い頃から知っているが、何を考えているのか分からない底の知れない部分が時折見え隠れする。だがゴーザからすれば何があっても守り抜く存在であることには変わりがない。そんなファラエルをゴーザは見守り続けるのであった。