幼なじみ
地上の全てに慈愛を注ぐように照らす太陽、どこまでも広がる青いスクリーンにモコモコとした様々な形の雲が姿を披露するようにゆっくりと流れている。フェンローナ城をぐるりと囲う城壁の内側にある、手入れの行き届いた庭園の中で、ふと見上げたフェリスだが心の中はそんな空の下でさえもモヤモヤとして晴れない。理由は騎士団員としての自分自身の在り方や納得出来ない方針。理想の騎士になれると思っていたのは自分の思い違いだったのではないかと毎日悩みながら答えを見出だせない日々、それに加えて昨日、嫌悪している兄と会った事やズワルテの態度と話があるという誘いによるものであった。
今まで好意的な態度などなかったズワルテの変わり様に何かありそうだと勘繰りたくもなるが誘いを受けている以上、あれこれ考えるより会った方が話が早いとフェリスはズワルテの要件を聞いておこうと決めた。
城の中にある一室にズワルテの執務室がある。フェリスが中に入るとズワルテは破顔して応接テーブルを挟んで配置されたソファーに着席を促すと、部下を呼んでズワルテのこの後の予定をキャンセルさせるとあれこれ指示を出していた。部下の男が退室した所でズワルテもソファーに腰を下ろす。すると給仕の者がカートに茶具を載せて入ると香茶をカップに注いでテーブルに静かに置いて退室する。その所作は王都ロージリアの中で見るものと遜色なく、フェリスはノーブリアの格式高さに感心したがおそらく行き届いているのは一部の所だけだろうとも思う。ズワルテの持つ権力の大きさが窺えるようであった。
「早速来て頂けるとは嬉しいですぞ」
「急に来てすまないな。忙しくしているのだろう?」
「いやいや、王国の為に身を粉にして働いておられるフェリス様に比べればどうということもありませんぞ」
なんとも背中がムズ痒くなるような言葉を皮切りにズワルテは話始めた。その内容はフェリスがノーブリア候の弟という立場を活用して、ノーブリア内情の監察を行いに来たのだと思い込んでいるため、監察対象の絞り込みをする為の情報収集のようだった。ズワルテ側がなんらかの情報を得ていたらしく、時期的に偶然重なったようだ。探るような問いに答えながら、特別な任務を受けているのではないことの説明を繰り返してようやく半信半疑ながらも納得させると、そのあとは最近の王国内の情勢をズワルテが持つ情報とフェリスの持つ情報とを擦り合わせるようなやり取りをした後、世間話をしてその場は終了となった。フェリスからすれば何か厄介事を持ちかけられるかもしれないと警戒していたのだが、単なる友好を深める程度のものぐらいにしか思えずに肩透かしをくらったのだった。
「それではフェリス様、ゆっくりお過ごし下さい」
別れ際まで笑顔を絶やさないズワルテ。それに釣られて微笑んだフェリスはふと、ズワルテが父親殺害の真相を知る数少ない一人であることを思い出した。
「ズワルテ殿、父が死んでからどういう気持ちで兄に仕えているのだ?」
「フェリス様、あの事件はまことに無念ではありましたがノーブリアを思えば出来る限りの事をしていこうとファラエル様に仕えておるのですよ」
「そうか」
フェリスは自分の想いも口に出しかけたがやめておいた。それは紛れもなく兄を批判する内容であり、ズワルテが信用出来る相手だと決めつけるにはまだ早い気がした。ズワルテも本心から出た言葉なのかは疑わしいので曖昧な表情で応えて立ち上がるとそのまま退室する。
「フェリス様、お困りの事があれば私を頼って下さい。お力になりますぞ」
背後からの声に頷くとフェリスは扉を閉めて歩き出した。
それからフェリスが向かったのは城の周囲に広がる上流階級の居住区を抜けた一般居住区だった。州都リーナディアの街はフェンローナ城を囲むように上流階級居住区、一般居住区と内側から順番に建ち並び、一番外側にエリアを分けて工業や商業エリアがある。フェリスは一般居住区の中でも外側で、用水路沿いの街路を歩いていく。用水路向こうは商業施設が見えて、住民や旅人がたくさん歩いている。幼い頃は城から抜け出して遊びに来たものだと懐かしみながらある人物を探している。
「カイゼ!」
見知った顔を見つけるとフェリスは笑顔でその名を呼んだ。
「フェリスじゃないか!」
カイゼと呼ばれて男も笑顔で歩み寄ってきた。フェリスと同じような年頃で背格好もさほど変わらない。違うのはカイゼが茶髪でフェリスに比べると少年じみた顔つきをしていた。そして、カイゼは軽装備の警備兵の格好をしている。
「帰ってるとは聞いてたけど忙しくしてると思ってたぜ!まさか街中をブラブラしてるなんてな」
「まあ休暇だからな。のんびりしてるのさ」
他の者には見せないような表情でフェリスが話をするのはカイゼが昔からの友人であり、幼い頃に城から抜け出してカイゼと遊んでいた経緯がある。人の良さそうな雰囲気を持ち、活発で明るいカイゼはフェリスの数少ない友人の一人だ。王子ともいえる立場のフェリスと親交を深めたのはカイゼの父親がノーブリアの近衛隊の小隊長を勤めていた頃、気紛れで幼いカイゼを連れて登城した時に偶然フェリスと会う事になった。意気投合した少年二人は周りの目を盗んでは度々遊びに出掛けていた。父親からすれば冷や汗が吹き出る恐れ多い事に他ならないのだが信頼の厚い父親のおかげで関係者からは黙認されていたのだった。そんな父親に憧れてカイゼも近衛を目指し修練を重ねると、持って生まれた才能が開花したのか目覚ましく成長する。だが、北の民族がノーブリアへ侵略してきた折に不利な形勢を覆すべく近衛兵を投入された戦いでカイゼの父親は部下を助ける為に命を落としてしまう。それからカイゼは憧れの近衛兵に入隊を果たすが、母親が病で倒れた時に街の警備隊へ転属する。近衛兵は城に隣接した宿舎に入ることが義務づけられており、十日に一度の休日しか家に戻れなかった。体調が良くならない母親と、まだ幼い妹の為にカイゼは周囲の人間に惜しまれるも毎日勤務が終われば家にもどれる警備隊の道を選んだのだった。
「フェリス、もうすぐ仕事が終わるから家に来いよ。一緒に飯食おうぜ!」
「分かった。じゃあ先に家に行ってる」
さも当然とばかりにフェリスは頷くと、カイゼの家に向かったのだった。