帰郷
ノーブリア州 フェンローナ城。その前身はセルミニア国フェンローナ城である。遠い昔にハルト王国に呑み込まれる事となった小さな軍事国家の王城を見上げているのは第七騎士団所属のフェリス。ここに辿り着く途中で帰郷する事をノーブリア州兵に伝えてあったのでフェンローナ城の門兵にも既に通達されていた。そもそもフェリスの事は知っているのだから問題になるはずもなく笑顔で迎えてくれている。
「フェリス様! お帰りなさいませ! 騎士団での御活躍嬉しく思っております!」
目を輝かせた門兵に愛想笑いで応えるとフェリスはそのまま城内に進む。まずは兄であるファラエルの所に顔を出さねばならなかった。別段会いたくもない相手なので自然と足取りは重たい。当分は戻らないつもりが経緯がどうであれ、たった二年でこの場所にいるということも気を重くしている要因であるのは間違いないのであった。
思い出に耽る間もなく目的地である王の間に辿り着く。扉の両隣に立っていた衛兵の一人が扉を開くと前方の玉座に座っているファラエルが見えた。短く息を吐いてから歩き出すフェリス。愛想のない視線を隠さずファラエルの目にぶつけながら歩いているが相手からの視線も似たように見下すようなものである。
珍しいことに玉座の近くはおろか部屋の中に衛兵がいないことに気付く。
人払いをしたのか?
フン、俺が危害を加えないとでも思っているのだとしたら今すぐにでも……
胸の内には向けている視線と違わない感情が溢れているがどうにか抑え込む事に成功して跪く。
「仲間がノーブリアに着くまでの間、休暇を頂いたので戻りました」
「仲間? フッ、その仲間とやらは随分と活躍しているようだな」
ファラエルの声色の中の含まれたものに思わず眉をひそめる。それが自分のみならず、まだ短いとはいえ苦楽を共にした仲間にまで向けられるのは我慢ならない。
「王国の為に尽くしているだけですが?」
馬鹿にされつつも責められているような気になり、弁明とも抗弁ともつかないような答えが口から出ると、対するファラエルは目を細めて鼻白む。
「行く先々で民を傷付けることがか? 流石王国騎士団様だな。国の為だとほざいて自身に酔っているだけで傲慢なことこの上無い」
「なっ!? 箝口令についてはノーブリアもやっているはずだ!」
今は触れて欲しくない事を言われてしまい、つい声を荒げてしまう。
「ああ、ノーブリアでも徹底している。それは王国の方針だからな、従わざるをえない。だがお前はそういう民を守りたいと、ここを出たのではなかったか? まさかお前まで民の命を奪っているのではあるまいな?」
「そっ、それは……あ あなたに言われる筋合いなどない! 父上の命を奪ったあなたなんかに!」
フェリスは幼い頃に母を病で亡くしていた。それから数年後に州候であった父も亡くしている。というよりも父が殺害される所を目撃してしまった。よりによって心から慕い、尊敬していた兄によって。その事実を知る者は中枢のほんの一握りしかおらず、暗殺されたのだと公表した後にファラエルが跡を継いでいた。人前ではそのことを口に出すことはなかったのだが二人きりの今、思わず出てしまった言葉が沈黙を呼ぶ。
「騎士団が到着するまで滞在します。では」
沈黙に耐えきれずに目を逸らして立ち上がると身を翻して歩き出す。
「まだ騎士団を続けるつもりなのか?」
後方からの声に一瞬立ち止まると歯を食い縛り、振り返ることなく退出した。
「フェリス様!」
突然名前を呼ばれて振り返るとそこには大柄で筋骨逞しい中年の男が近付いてくる。
「ゴーザか! 久しぶりだな」
「お元気そうで何よりです!少し背が伸びましたな。それに鍛えられておられるのが見て分かります」
男性的な笑みを浮かべて話すゴーザの言葉には覇気があり、軽装備に帯剣しているだけとはいえ、十分に武人としてのオーラを発している。ファラエルと同様に幼い頃ゴーザから教育を受けており、叱られた時は怖かったものだとフェリスはふと思い出した。
「ファラエル様とはもうお会いになられましたかな?」
「ああ、今会って来たばかりだ」
声のトーンが下がった事で察したのかゴーザはとても残念そうな表情を浮かべたがすぐに戻した。
「今回の帰郷は任務ですか?」
「いや、まあじきに着任となるが休暇をもらってな。ノーブリアに騎士団が来るまではゆっくりするつもりだ」
「そうでしたか!ではごゆっくりと体を休めて下され」
「ああ、ではまたな」
ゴーザと別れるといくらも歩かない内に今度は執政官のズワルテが声をかけてきた。フェリスがノーブリアを出るまではそれほど関わりのなかった人物であったが近付いてくるその顔は親しみを込めたように好意的である。
「これはこれはフェリス様! お戻りになられていたとは! 常々お会いしたいと思っておりましたぞ」
白々しい
ノーブリアでは誰よりも情報の掌握に怠りない奴が俺が戻ったことを知らないなどと
馬車に乗ったとはいえ一つ手前の町からリーナディアの街に着いたその足でフェンローナ城まで移動して一息つくことなく兄に会った。いいかげん今日はもう疲れてしまったのだが国の有力者が相手では無視する訳にもいかない。
「なにか?」
愛想良く返そうと努力したはずがどうにも素っ気ないものになってしまい、失敗したと思いながらもどうでもいいと思い直す。ズワルテは面食らったものの怒った様子はない。
「いやなに、休暇というのは建前で極秘任務を受けられたのでしょう? 分かっておりますぞ! 安心してくだされ。私めが王国に益するよう目を光らせておりますゆえ」
突然ズワルテが一歩近付き、声を潜めて話始めたらかと思えば勘違いも甚だしい内容にフェリスは溜め息を漏らす。
「ズワルテ殿、俺はそのような任務で戻ったのではない」
「分かっておりますとも! しかしですな、ノーブリアの中でわたくしだけは信用して頂いても宜しいかと思いますぞ。それで折り入ってお話がありますゆえ今日でなくとも少しお時間を頂きたいのですが?」
何が分かっているのかと聞き返そうかと思ったがこれ以上は面倒だと適当にこの場をやり過ごす。
「ああ、分かった」
「フフフフ、ではお待ちしております」
終始ニコニコしているズワルテに胡散臭さをおぼえながら頷くとフェリスはまた歩き出した。
「フェリス様!」
またか……
呼び止める声に目を閉じて顔を上に向けて息を吐いた後に振り返る。そのような事が何度もあって、フェリスの部屋に着いた時はそのままベッドに倒れ伏したのだった。




