犬と剣
なんとしても思い留まってもらわねば
竜人のゲルマはヴァルオスの横を真っ青な顔色を浮かべて同じ速度で歩きながら説得を続けている。戦士達が後に続き、その後ろにアウリス達が続く。
「なあ、これってどういう状況?」
「うーん。なんだかあの人必死だし、良くないのかも」
ライの疑問に答えたアウリスは竜人に対して人と呼ぶのも違和感を感じるが言葉が通じる相手だからそれでいいと一人で納得している。実際それを指摘する者もいなかった。問題はこの場にいる戦闘能力の高い種族の者達全員が明らかに狼狽していることだ。きっとこの者達にとってやってはいけない事をヴァルオスがやろうとしているのだと思える。
「まあ戦闘にならねえんならそれでいいだろ?」
ロキの言葉にその通りだと頷く。戦っても敗北することは間違いなく、今は成り行きに任せる他ないのである。
それにしてもあの焦りようは余程の事情があるんじゃないのかな
ヴァルオスは気にも留めていないようだけど
実際にゲルマは焦っており、その理由はここの主の気性の荒さにある。気に食わぬ事があれば暴れまわって一帯を破壊し尽くすのだ。
ゲルマの種族の村が壊滅したことも一度や二度ではなかった。前回の怒りの暴威から復興を果たして穏やかな日々が続いていたこともあり、主によってまた村が壊される事を心配するのは無理もない話なのであった。
「覇竜様!お願いでございます!どうかお考え直し下さい」
龍人達の必死の説得も虚しく無情にも目的地に着いてしまう。
そこは石を切って敷き詰めたような石畳が一面に広がり、壁も同様に石壁で囲まれた広い空間だった。所々に配置された苔石が光を柔らかく放っているので幻想的である。それぞれに感嘆の吐息を漏らして立ち尽くしているが、一際印象的なのは奥の方で赤い水晶の原石の塊に突き刺さった一本の剣が妖しく輝いていた事だった。柄と鍔は黒と白で細工によって色分けされて所々に赤く縁取られており、直刀の刀身は白銀でありながらやや赤みを帯びている。それは美しいの一言で尽きる姿をしていた。
「おっ、おい! あれは伝説の剣だよな! すげえ! すげえぜ!」
大興奮しているライが先頭を歩くヴァルオスの所まで走っていったので慌てて追いかける。集団を追い越していくがリザードマン達はその場で片膝を地につけて顔を伏せていた。集団先頭の龍人も片膝をついている。どうやらこの先には立ち入る事が許されていないようだ。その表情は落胆と諦めの色が見てとれる。
このまま進んでいいのだろうか
そこはかとなく不安が募るがヴァルオスとライに関しては何も感じていないようなので杞憂だと思いたい。
「アウリス、剣が石に刺さっているだろ? あれは選ばれし者しか抜けないってやつだ! 抜いてみようぜ!」
大興奮継続中のライが両肩をポンポン叩くので大きく頷き、意を決して剣の所まで歩こうとした時
「おいババア! 起きるのだ!」
ヴァルオスが大声をあげると、その場の全員が目を見開いた。
えっ!? 何言ってるの?
その意を問おうとヴァルオスに顔を向けたのだが声を発する前に前方の剣が音を立てて振動すると、石から抜けてゆっくりと宙に浮いたのだった。
「死にたいという声が聞こえたけど誰かしら? そう、全員ね」
聞いた者が身震いする冷酷な女性の声が聞こえると共に凄まじい威圧感が襲いかかった。
うぅっ
剣で腹部を掻き回されたような圧倒的な恐怖感により冷や汗が止まらない。
龍人達は額を地面に擦り付けるように震え、ロキは腰が砕けたようにペタンと腰を落としてしまった。ライとジンも顔を歪めて耐えているが固まったように動けずにいる。
「ババア、来てやったぞ!」
「お前はクソガキ!? 何しにきたのよ!」
「そうカリカリするな。ババアであるから眠ってばかりではボケてしまうぞ。それに暇であろうから楽しい所へ連れていってやるというのだ」
全く悪びれずにヴァルオスは誘っているのか喧嘩を吹っ掛けているのか分からない言葉で答えている。
「なるほど、お前が死にたい者だな。望みを叶えてやろう」
さらにこの場の温度を低くさせた女性の声は聞き間違いではなく浮かんでいる剣から発せられていた。息を飲んだ瞬間、キラッと光ったと思えば宙に浮いた剣がヴァルオスを一閃する。
「フン、面白い。今こそ決着を着けようではないか」
ガンッというぶつかる音が響き渡り顔の手前で剣を受け止めたヴァルオスが不敵に笑うと、反撃とばかりに噛みついた。だが何も変わらない。そもそも剣に噛みついてどうなのだか分からないが案の定相手へのダメージは皆無である。
「そんな貧弱な牙で私を傷つけられると思うのかしら? 諦めて死になさい」
そう言い放った剣は凄まじい速度で猛攻を始めると絶え間なく打撃音が鳴り響く。その攻撃全てを弾き返しながらヴァルオスも負けじと噛みついていた。
ガンガンガンガンッ
「なあアウリス、剣って喋るんだっけ?」
「今まで見たことも聞いた事もないよね。でもあの剣は間違いなく喋ってるね」
困惑したライと同じく困惑したまま返事をしたものの、今だかつてない状況に戸惑うばかりである。
あれがグラの剣なんだよね
呪われているのかな……
というより僕が使える気がしないんだけど
そんな事を思っている間もヴァルオスと剣は激しくぶつかり合っていたがふいに剣の動きがピタッと止まったのであった。
「この気配! まさかグラ? グラなのかい!?」
目が付いている訳でもないのだが剣は辺りを見回して探しているような気がした。
「グハハハハッ! グラではないぞ。グラの子なのだ」
「ちょっとヴァルオス! 僕はグラの子じゃなくて子孫かもしれないってだけなんだけど」
「お前さんかい? ふーん。どうりでグラにしては王氣が薄い気がしたわ。で? なんであんたがグラの子を連れ回しているのよ?」
「フン、こやつを王にしようと思ってな。であるからお前も手を貸せ!」
「あの、だから僕はグラの子じゃないし王になんてなろうとも思ってないんだけど」
重ねて否定するもなかなか分かって貰えずにいるのだが、後ろにいるライは「へへへ、ヴァルちゃんも同じ考えだったのか」なんて腕を組んで嬉しそうにしている。
「馬鹿言ってんじゃないよ! なんであたしがそんな事をしなければならないのよ!あたしは忙しいの! あんたみたいに暇を持て余してブラブラしてるんじゃないんだから」
「何を言うのだ! お前はずっと眠っているだけであろうが! それのどこが忙しいというのだ!」
「あたしはね、夢の中でグラに会えるのを楽しみにしてるの。いつも会える訳じゃないけどさ、今はそれだけが唯一の楽しみなのよ」
「夢の中でだと? それのどこが楽しいというのだ! 確かにあの頃は毎日が楽しかったがあやつはもうおらぬのだ」
そんな二人のやりとりを聞いていると、グラという人物がとても慕われていたのだと思う。夢の中でだけでも会える事を楽しみにするという感情は深くは理解出来ないのだが本人にとっての大切な時間を奪いたくはなかった。
「ヴァルオス、ありがとう。もういいよ」
「何を言うのだアウリス、こやつは変な奴だがそこいらの剣よりかは使えるのだぞ?」
「うん。でも無理に連れていけないよ。剣は買えば済むことだし、喋る剣じゃなくて普通の剣でいいから」
「坊や、あたしは喋る剣じゃなくてレイア‐ドロス-リンデムルナ。そこのクソガキと同じく竜なのさ」
えっ!?
竜なの!?
竜って犬やら剣に姿を変えるものなの?
当然ライ達も一様に驚いて言葉を失っている。今まで生きてきた中で見ることはおろか噂話すら聞いた事のない竜という存在がヴァルオスの他にこんなに簡単に見ることになるとは思いもしなかった。だが竜を名乗るのは犬と剣であり伝説や物語などで聞く姿とあまりにもかけ離れた姿に一度竜の姿を見たライとジンはともかく、ロキはすぐに疑いの目を向けていた。
「してクソバ……レイア‐ドロス-リンデムルナよ、こやつはゆくゆくグラのようになるやもしれん。お前好みに育てあげるというのはどうだ? 普段は背負われて眠っておけばよいのだ」
ヴァルオスは喋ろうとした瞬間に剣から凄まじい殺気が放たれた事により、これでは話が進まないと慌てて名前を言い直したようだ。
「あたし好みに……フフフ、なるほど。それも悪くないわね。この坊やがグラのようになるなんて想像もつかないけどちっぽけでも王氣は持っているようだし」
「ほれアウリス、お前からも何か言うのだ」
「えっ? ああ、あのっレイアドロス……リンデムルナさん? グラのようになるかは分からないけど力を貸して貰えませんか?」
何かを考えているように剣がフワフワと浮遊していたがやがてアウリスに対峙するように近付いてきた。
「レイアと呼べばいいわ。坊や、お前は力を得てどうしたいの? この世界の王になりたいのかしら?」
国じゃなくて世界の王になってる……
王になる気は全くないものの、みんなを守る為の力は欲しいと思っている。強力な剣を持つことで力が得られるというのなら僕がやりたいことは
「僕はこの世界から争いをなくしたいんだ。悲しい出来事が起こらないように強くなりたい」
そう言い終えた後に少しの沈黙。その場の誰しもが竜剣レイアに注目している。
「ハハハハハハッ! 争いをなくすですって?
出来る訳がないじゃない! あたしは長い間生きてるけどそんな時代は一度もなかったわ。全くとんだお子様だこと!」
「だけど! 僕はやれるだけやってみたいんだ! 無理だと言われても諦めたくない!」
アウリスの真剣な強い視線を真っ直ぐに受け止めた竜剣レイアは再び少し沈黙する。
そういえばグラも言い出したら聞かない男だったわね
少しは似ているのかしら
「フフフ、仕方ないわね……いいわ。連れていきなさい。気紛れで坊やの面倒を見てあげる。ゲルマ! あたしの着替えを持ってきなさい。ドリュー作の白銀拵えよ!」
竜剣レイアは承諾してくれたのだった。そして龍人の長に着替え?を持ってくるように指示を出すと龍人ゲルマはハッ!っと応えてすぐに走り出して行った。
「あの、僕の名前はアウリス。宜しくお願いします」
「坊や、あたしという美人がいながら浮気は許さないよ。背負ってる剣は捨てなさい」
「えっと、僕は坊やじゃなくてアウリスって名前なんだけど」
「今のお前には坊やで十分なの。名を呼ばれたいなら早くいい男になりなさいな」
なんだか納得出来ないのだが坊やと呼ばれるのはいいとして剣はジンからの借り物で捨てるわけにはいかない。事情を説明しても納得してもらえずに困っていると、ジンが僕が持つからと申し出てくれたので丁重にお返しさせてもらった。
その間にゲルマが綺麗な装飾が施された鞘を持ってきてくれたので帯剣ベルトにセットすると竜剣レイアが自ら背中に回り込んで鞘に収まる。
チンッ
ズンッ
「重っ!」
心地よい音が背中から聞こえた瞬間に凄まじい重力がかかり、思わず仰向けに倒れそうになったが必死に抗いどうにか耐えた。いきなり地面に押し付けて無事で済む筈がないと思ったからであった。
「坊や、今何を口走ったのかしら?」
「えっと、重いと言っ」
「愚か者! お前が貧弱だからそう思うの! 以後そういった言動は身を滅ぼすと思いなさい。いいわね? じゃああたしは眠るから用があっても起こさないように。ゲルマ! 少し出掛けるからここを荒らされるんじゃないよ?」
無茶苦茶だよ……
まくし立てるように喋り終えると竜剣レイアから発せられていた強大な氣は消え失せたのだった。本人の言葉通り眠ってしまったのだろう。
「グハハハハ! よし! 剣も手に入った事だ。街に行って乾杯しようではないか!」
上機嫌なヴァルオスだが複雑な気持ちである。呪いの剣にとらわれてしまったのではないかと少し不安になるがみんなが協力してくれたおかげだと皆の所まで歩み寄って感謝を述べる。それにしても重い……歯を食い縛りながらゆっくり歩くのがやっとであった。
「よ、良かったな! まあ強そうな剣で何よりだ」
えっ?
物凄く気の毒そうな表情で喜んでくれたライだがロキとジンも気の毒そうにして、視線を逸らしている。
アハ、ハハハハ……
力なく笑うしかなかったのだが目的は達成されたので喜ぶことにしようと思う。




