ノーブリア候ファラエル
州都リーナディア フェンローナ城
フェンローナ城、その外観は見る者が感嘆の声を漏らす。切り立った崖を背面に、縦に長い一本の塔を中心に五本の塔が天に向かって突き上げた槍のような外見である。その上部もそうだが、建物全体を見渡せば大地に深く根差した大木の如く揺るぎない威容が城下に広がるリーナディアに住む人々の心を落ち着かせる。
ハルト王国に併呑されるまではフェリスの先祖が代々大陸北方の雄として統治していた。フェンローナ城もそのまま残っており、謁見の間もハルト王国中央のロージリア城の部屋に比べればそこまで広くはないが厳かな雰囲気は十分に感じる。玉座までの高低差はそれ程なく、階段を三段上がった先に古くから使われてきたであろう質の良さそうな椅子があった。玉座に座ったノーブリア州候ファラエルは州候としてはどの州よりも若い。先代が早くに亡くなった事により若くして跡を継いだのだが能力は高かった。人望も厚く侮られるような事はなかったが内心を知る者はおらず、家臣の中で本心を探ろうとする言動を時折見せる者も少なからずいた。そして今、ファラエルの目の前に立っているのは古くからノーブリアに仕える重臣でファラエルの事も幼い頃から知っている人物である。謁見を求めた州の執政官であるズワルテの自信に満ちた堂々たる視線を向けながら大げさに抑揚をつけて発する言葉をファラエルは無表情のまま一通り聞いていた。
「以上が各地の現状になります。あと、現在中央で兵役に就かせておりますエルノー地方への運営費の増額ですが議題に挙げた通りに進めさせて頂きます」
「ロージリアから催促されているのか。前にも言ったが運営費の枠は充分に取ってあったはずだが」
「いえ、催促はされておりませんがエルノー地方には現在中央からのゼイバン候主導で大きな事業が始まりましたので、ここで協力しておけば印象もさらに良くなると思います。その他の通達事項としては中央から離反した州に関する事への箝口令の件を再度申し渡されました」
「フン、箝口令については徹底させておけ。誰も口に出そうとは思わんくらいにな」
「かしこまりました。それと、ガラドール達が何やら不穏な動きをしているようです。あれこれ上申してくるとは思いますが決して信用なさらぬようくれぐれもお気をつけ下さいませ」
「ああ」
ファラエルから抑揚のない返事を受けたズワルテは、満足そうに失礼しますと言って退室していった。その後、三人の男達が入室してきた。玉座の前で地に片膝を着けると真ん中の男が見下した視線を隠しもせずに向けながら口を開いた。
「ファラエル様、最近の政策は中央寄りが過ぎるのではないでしょうか」
またこの話か
「ガラドール、ノーブリアは属領なのだぞ。ある程度は仕方がないのではないのか」
「いいえ、いくらノーブリアが他と比べて経済力が高いとはいえこのままばら蒔いていけば遠からず困窮することになります。それに、ズワルテ大臣が何やら自身の懐を潤わす為に行った支出があるというような話も聞いております」
ファラエルはうんざりした気持ちで話を聞いている。ガラドールも古くからの重臣であり、悪い人間ではないのだが少々口うるさい。一度口を開けば延々と喋り続ける事はいつもの事で、ファラエルは話の途中から別の事を思案したりする。かといって無下に扱わないのはガラドールが至って優秀であるからに他ならない。
「大体にして属領とは仰いますがノーブリアは無条件に降伏したのではなく、同盟に近い扱いで当然でありますゆえ○△□……」
こやつの目、何かあるな
ガラドールの話の内容が頭に入ってこなくなった時に右隣の男の目にファラエルは従順とは違う色を見つけた。最近になってガラドールがよく連れているその青年はガラドールの側近であるニール伯爵の嫡男だ。病に伏せがちなニールに代わって顔を出すようになったのだが重宝されている。鍛えられた体格は文官の服装の上からでも分かるほどで高い知性と落ち着きも見える。対照的に反対隣の男はひたすらに畏まっていた。
何やら見定められてるようだな。だが、若いな
「という訳でございます」
「うむ。検討する。今日はご苦労であった」
ガラドールのうんざりする長さの話の区切りを見つけたファラエルは逃さず追い払う好機を拾いにいく。態度はあくまで悠然に、というよりは傲然であった。
まだまだこれからという表情をしていたガラドールだが、ファラエルに聞く気がないことを気付くと渋々連れ立って退室した。すると、玉座の後ろの壁の裏から一人の男がファラエルの前に現れた。有事の際に対処出来るように壁の裏に部屋という程ではないが、通路ぐらいの空間を設けており、待機出来るようになっていた。
「ファラエル様、相変わらず内政はズワルテ様とガラドール様の派閥で割れておるようですな」
現れた男はファラエルの父が健在ならば同じくらいの年齢であり、現役というには少し年を重ね過ぎている側近のゴーザであった。白髪混じりの顎髭をたくわえた筋骨隆々の出で立ちは現役の頃にはノーブリアの将軍だった事を疑わせない見事な風格を備えている。先代の気まぐれで幼い子供の教育係に任命されて以来、ファラエルの護衛兼守役として身近に仕えている。ファラエルがノーブリアの中で一番信用している忠臣でもあった。
「仲間内で歪みあってご苦労なことだ。平和というのも恐ろしいものだな。外敵に直面すれば手を携えるものの敵がいなければわざわざ内側に敵を作るのだからな」
「お戯れを。しかし、このまま放っておくのも如何なものかと」
「当面は好きにさせておけばいい。無理に抑えつけても潜むばかりだからな。目に見えてる方が分かりやすい」
明らかに馬鹿にするような口振りにゴーザは苦笑するが、同調して派閥争いをする者達の批判は口には出さない。豪胆かつ実直な彼は陰口を叩くよりは相手に直接言ってのける質の男である。
「そういえば、フェリス様が帰郷されるようです。ノーブリアに入ったと報告がありました」
「帰郷だと。呑気なものだな。王国が揺れているこの時にブラブラしているとは。何を考えているのやら我が愚弟は」
いくらか声色が冷たくなったファラエルは嘲笑うかのように口元を歪ませて遠くを見つめたのだった。