国境
大陸の中で一番北に位置するノーブリア州南に、レルシールト州やゴア州とを隔てる国境線があり、それに沿って見上げる程の高さがある分厚い壁がまるで外界を拒絶するかのように延々と横にそびえ立っている。大昔に大陸一の軍事国家だった名残だが今もなおその威容は訪れる人達へ畏敬の念を抱かせる。そして壁の内側には険しい峡谷が広がり、さながら天然の要塞として長きに渡って外敵を寄せ付けなかった。ハルト王国に加盟したのもノーブリアが一番最後であり、戦争としては小さな戦闘がいくつかあっただけで全面衝突する前に降伏した事により、ノーブリア国内が荒れる事なく国力を保たせる事が出来たのはノーブリア王の英断といえる。軍事力は縮小を余儀なくされたものの民衆の生活水準は決して悪くなかった。北海に広く面した地形により漁業が発展しており、人の手が入っていない数々の山が点在するなかで林業や狩猟、鉱物の採掘も盛んに行われている。難点といえばこの地方の冬は雪が大人の身長程積もり、水が凍る為に活動を制限されることだ。現在は夏期であり、ノーブリアは最も活発になる時期であった。
「すげえ行列だなー、いつになったら町に行けるんだ?」
前方に見えるどこまでも続く壁の中で門が一つだけあり、そこから様々な人達がノーブリアに入る為に順番待ちをして並んでいる。
「ノーブリアって所は外から来るものに対してかなり厳しい警備体制を取っている。俺も何度か来ているがいつもまあこんな感じだ。
細かい点はいくつかあるがそれさえ守っていれば中々自由な所さ。この行列の長さなら一刻程で中に入れるだろう」
ロキは元々諸国を回って商売をしていたのでこういった事には詳しい。実際ロキがいなければ旅先で問題ばかり起きてしまうであろう事は容易に想像がつく。これ程しっかりしているのにアウリス達より少し年上なだけというのだからかなり苦労を重ねてきたのだと思う。そして今は僕たちの頼れる兄貴…ではなく姉貴だ。
「なんだ?」
「えっ? いや、なんでもないなんでもない! ノーブリアって平和なのかなぁって」
どうやら顔を見つめ続けていたらしく不思議そうな顔でロキから声をかけられたが何と答えたらいいのか分からず狼狽えてしまった。
それにしても……
改めて見るとロキは女の子にしか見えなくなっている。
どうして今まで男だと信じて疑わなかったのだろう。
出会った時はもっと男の子っぽい雰囲気だった。パン屋さんでお金の事を教えて貰ってそのあと、お互いに追いかけられた。バラン州では兵隊に捕まってしまったり、ムトールに行って戦った。ヨリュカシアカではみんなで協力したりと思い返せば出会ってから結構経ってるんだよね。
「ノーブリアがどこかと争っているなんて話は聞いたことがないな。それだけ平和なのかもな。ようやく順番が回ってきたな」
門の前に石造りの建屋があり、そこで事務的な手続きをしており、外で荷物のチェックが行われている。事務的な事はロキが建屋に入って受けているので外で荷物の中身を確認されていた。
「うん。特に怪しいものはないね。よし、問題なしだ。君達はどこから来たんだい」
感じの良い警備兵だった。最近会った兵士はというと粗暴で横柄な態度の者しか接していなかったので安心できる。
「ソルテモートから来ました」
その瞬間目の前の警備兵の表情が急変して険しくなった。たった今までの穏やかな面影は消え失せていた。
えっ!?
「詳しく聞かせてもらおうか」
合図を送りながら迫り、同時に別の警備兵二人も警戒しながら近付いてくる。不穏な気配にライとジンは咄嗟に身構えた。
「はいはいはいはーい! 手続き終わりましたよー! 兵隊さん、私達は各州を渡り歩いております薬商人でございます。ほら、たった今受け取った営業滞在許可証と材料収集探索許可証がここに。王国情勢の情報入手を怠っておりましたので知らずにソルテモートに入ってしまい、すぐに逃げるようにここへ来たばかりなのでございます。とんだ災難でした、ハハハハハ」
満面の笑みで警備兵との間に入り込んだロキが軽やかな声のトーンで弁明すると、三人の警備兵はそれぞれにやれやれといった表情に変わった。
「ちゃんと下調べしてから移動しないと駄目だぞ。では行ってよし」
「はーい! ありがとうございまーす」
兵が遠ざかるのを笑顔で見送って危険を回避したことを確信するとロキがクルンと振り返った。
ひぃっ!?
えー、こちらアウリスこちらアウリス。危険が目の前にありマス……
鬼すら逃げ出すであろう形相のロキがアウリスの両頬を引っ張った。
「お前は少し考えてから口に出せ! トラブルに首を突っ込むだけじゃ飽き足らずトラブルを起こすんじゃねえ!」
「ふぁい、ふひふぁへん」
声を落として言い渡すとやっとの事でロキは頬から手を離した。
「まっ、まあ何事もなくて良かったぜ」
その言葉を聞いたロキが凄い勢いでライを睨み付けるとライは顔を引きつらせて固まってしまった。
「グハハハハ! お前達は本当に愉快だ」
「お前は喋るな!」
「わ わん……」
ヴァルオスは口を開いた瞬間に注意されて、何を思ったのか犬の泣き真似をしてみせた。
「とにかくだ、ここでは俺達はソルテモート、ムトール、ヨリュカシアカとは縁がない流れ商人として振る舞え。分かったな!」
全員の弱々しい返事と共にようやく進み始める。門を過ぎた景色は渓谷を縫うように整備された隘路が遠くまで続いていた。
「うひゃー、まだまだ遠そうだな」
「その山を越えれば街までの中継をする町がある。今日はそこまで進もう」
とにもかくにもノーブリア州に入れた事を素直に喜びつつ、剣を探す旅というライの当初の目的が主体となっている事が面白く思えた。
ノーブリア州南部の町ベラネア
「なんとか日が暮れる前に着いたな」
町の外には全く何もないのだがノーブリアに来る者、出る者は必ず通る道にベラネアの町はあった。いわゆる旅人の為の休息地ともいえるこの町には宿泊施設や飲食店、旅に必要な物資を販売している店が大半を占めており、住宅は町で働く者とその家族が住んでいる戸数ぐらいしかなかった。だが、年間を通して町を訪れる人の数は多いゆえにそこそこの活気で溢れている。
「ひとまず宿に行くぞ」
「っしゃー! 飯だ飯ー!」
日が傾き始め、町並みにゆっくり色をつけていく。旅人の為の町ベラネア、ここにもう一人町に着いたばかりの若者がいた。金髪でノーブリア上流階級の白い衣服を着た第七騎士団所属の騎士フェリス・ベニエ・セルミニアである。