裏の顔
アウリスの目の前には腕に自信があるのであろう男が、準備運動とばかりに首を回して肩を回す。弱者をいたぶることに快感を覚えているように口元を吊り上げて笑っている。このような相手は決して許さない。アウリスも隙なく体の重心をやや下げると、相手の攻撃に備える。次に距離を詰めてきた男が大きく踏み込み、拳をアウリスの顔めがけて突き出した。
ブンッ
風切り音のなった拳は確かにアウリスの顔面を捉えたように思えた。最小限の動作回避で攻撃をかわしたことにすら男は気が付かなかった。不思議に思ったがたまたま外れたのだと自分を納得させてさらに攻撃を繰り出す。
ブンッ
アウリスは上体を反らして攻撃をかわした後、隙だらけの相手の顎を殴る体勢になった時に、ふとロズンでの件が頭によぎった。
勝てば迷惑をかけてしまうのかな……
ここは負けた方がいいのかな……
ドゴッ
迷っている間に相手の攻撃をまともに受けてしまい、後方によろけた所をさらに追撃されて後ろに飛ばされた。
「おいおい、粋がった割に弱すぎるんじゃねえか? なあおい!」
ドゴッ
アウリスの髪を掴み起こすとさらに殴られた。最早サンドバッグの状態になっているがアウリスは反撃をしない。
ううっ、今の内にあの子を逃がそう
「早く逃げて!」
叫んだその先にはすでに少年の姿はなかった。
「ダハハハハ! あいつはもういねぇよ!」
良かった! じゃあもうここは、
次に吹っ飛ばされた所でアウリスは、受け身を取って素早く起き上がると走り出した。
「逃げんのかよ! ダハハハハ!」
笑い声が後ろから聞こえたがもう用はないと、足を止めずに走り去ったのだった。
ハクレイは路上で捕まえた男に案内させて、ゲラ・オンジという男ががいるパブの前に来ていた。途中で案内役が逃げ出そうとしたが、三歩進むまでには再び拘束し、今は片腕を極めている。
「ここだ…」
ナリュカの中で昼間から酒を提供している店だが、裏通りにあり、店構えもお世辞にも上品とは言えない雰囲気が漂っている。いわば日の当たる場所にはいられない者共の溜まり場であった。
黒色の塗料で塗った木製の扉を開く。中に入れば甘ったるい香料の匂いと酒の匂いが混ざって充満している。薄暗い店内の中では、露出の多い服装の店員が酒を運び、結構な人数の男達が騒いでいた。
「どいつだ?」
「いっ、一番奥の席に座っている」
入ってきたハクレイ達の雰囲気に入り口付近の客たちは不穏な視線を浴びせかける。そんな視線は気にもせずに男の腕を背中に回して掴んだまま、ハクレイは奥へと押し進み男を前へ突き放すと、男がテーブルに激突してテーブルよ上のグラスや皿が落下し、音を立てて割れた。
「おいおい、こりゃあ何の真似だ?」
両隣に艶かしい女性を侍らせた、いかにもゴロツキの大将という風貌の男が、深々とソファーに座ったままドスの利いた低い声で言い捨てる。
「この女があんたに会いたいらしくて連れてきたんだ」
「ああ? 無理やり案内させられたんだろうが、情けねえな。でっ、姉ちゃんが何の用だ。俺の女にでもなりてえのか」
凶暴な目を向けてゲラ・オンジは口元をつり上げた。この男が周りにいる男達のボスなのであろう。周りには手下が沢山座っていたが面白そうに何が起こるのかと視線を向けてきた。
「パトミリア殿はどこにいる?」
「ハハハハ! 今、ここでその名を出す奴はいねぇぞ。口に出した瞬間連行されるからな。仲良く牢獄に入りたいのか? それともなんか企んでいるのか?」
「お前に話す必要はない、どこにいる?」
「残念だが俺は今の州候に協力して色々甘い蜜を吸ってんだ。お前のような奴らなんかも消したりしてな。その意味が分かるか? おい!やれ!」
座っていた手下達が立ち上がってハクレイを囲むように近づいたその時、一番近くに来た二人から腰に下げたナイフを瞬時に奪うと弧を描いて宙返りをする。
ザクッ
ゲラ・オンジの背後に着地するやゲラ・オンジの右手の平をナイフで刺し、そのままテーブルに突き刺し縫い合わせた。
「うああああああ!てめえええ!」
ハクレイはそのまま瞬時にゲラ・オンジの首もとにもう一本のナイフを当てて薄皮を切った。
「ひっ! まっ! 待て!」
よく分からないままに手と首に痛みを感じながら堪らず声を出した。その間もナイフの切っ先から血がポトポトと流れ落ち、それを目にして顔を引きつらせた。
「あんた……何者なんだ?」
「答えろ」
ゲラ・オンジがハクレイの目を見た時に戦慄が走る。その冷酷そうな瞳はどこまでも暗くて深い闇に飲み込まれるようだった。絶対に見てはいけないものを見た気がしたゲラ・オンジは、自分の命が塵のように軽いものだと思い知らされる。
「分かった! 全部話す! 頼むから手当てさせてくれ!」
ゲラ・オンジが悲痛な声を出した所で、ハクレイは手のひらに刺さったナイフを抜き、首もとに当てていたナイフを首から離すと、二本とも動き出そうとした手下の顔近くの建物の柱に投げ刺した。
「ひぃっ」
武器を床に落とした手下が両手を挙げて恐る恐るゲラ・オンジに近づき、応急処置を始め出してようやく、気が落ち着いたのかゲラ・オンジが話始めた。
「パトミリアはヨリュカシアカ州軍第6兵舎の地下に増築させた急造の収監所の中にいる。中央北収監所と関係者は呼んでいるがあまり知られていねえ。俺が知っているのは、まあ色々協力しているからだ。まあ人手を送り込んだり黙らせたい相手を脅したりな。だが公表すらしてねえからな。どうしても隠したいってことだ。そこに前州執政幹部が多く入ってることは間違いねえ。いわゆる訳ありの人物ばかりということだ。まあ近々移送するって話も出てはいるんだが、正確な時期はまだ決まってねえ。おそらく直前まで分からんはずだ。移送中が一番危険だからな。だから今は中央北収監所が他の監獄所に比べてかなり厳重に警備配置されている。」
「内部の作りは?」
「内部の事は分からねえ。本当だ! 周辺一体警備兵しか出入り出来ないようになっているからな。俺ですら入った事がねえんだ。この情報ですら聞いた話や外から目撃したとかそういう話だ。
……
俺が知っているのはここまでだ。」
大体知りたい情報を手に入れたハクレイはあといくつか問いただすが、どうでもいい情報ばかりだったので頭の隅に置くだけにした。これでここには用が無くなる為、踵を返して入り口に向かった。店内の手下達が集まっていたがハクレイの道を割れるように素早く空けていった。
「この事は他言するな。外に漏れた場合はまずお前を殺して、その後にここにいる全員を必ず殺す。徹底しておけ」
振り返ったハクレイがゲラ・オンジに向かって言った。その目を見たゲラ・オンジは再び恐怖する。
本物だ……
今までに数々の悪党や殺し屋などとやり合ってきたゲラ・オンジだが、そんな奴らが可愛く思える程にハクレイの威圧感は凄まじいのだった。