その男の行き先
これは少し離れた場所にいる男の話。
濃緑色の大きな帽子と同色のマントに身を包んだ男。名をガロという。活気溢れるムトール州都ダムタールに数日滞在してから、次の目的地に向けて旅を続けている。森の中を朝から歩き通しにも関わらず木々の間から見える太陽は、既に真上に昇っていた。少し休憩をと手頃な倒木に腰掛けて、バッグからパンと干し肉を取り出して口に入れる。
アウリスは少し見ない間に大きく、たくましくなっていたな。無事で何より、そういえば双剣使いの少年と少年っぽい女の子の友達が出来てたんだよね。どんどん成長していく気がするよ。それに引き換え僕は全然成長しないな、全くあの時からずっと。
自嘲して肩をすくめたガロは色々思いを頭に巡らせては歩みを進めていく。旅の目的は色々とある。だがどれも簡単には達成出来ない事は分かっているつもりだ。それでも諦めきれずにわずかな手掛かりでもあればと各地を巡る日々だ。一つの場所に定住するのも悪くないと思う時期もあったが、やはり時折思い出すあの時のことが頭から離れない。ならば数ある後悔をわざわざ増やすこともないと、手掛かりのあてなんかはない旅を続けているのだ。
ラズベルとローレンスも立派になっていたな。噂では聞いたことがあったけれどまさか本当に王国騎士団の団長になっていたなんてね。出会った頃は無鉄砲な少年だったのに。フフッ、久しぶりに再会してそのときの話をした時の二人の顔ときたら可笑しかったな。
「でりゃあ!」
赤い髪の少年兵が剣を振りかぶって凶暴そうな大きな熊に向かっていく。
「ラズベル! 突っ込むな!」
地に膝を着いて剣を構えている長髪の少年は赤い髪のラズベルに向かって叫ぶ。敵から攻撃を受けたのか片手で押さえた肩から血が滲んでいる。他に数名兵士がいたが皆、負傷していた。
飛び交う怒号や獣の叫び声を聞きつけてガロが駆けつけてみると小高い丘のしたに流れる川辺で戦闘が繰り広げられていた。
あれは熊だが赤い目と禍々しい魔力が体から漏れている。
突然変異の魔物化だね。討伐隊なのだろうけどあの人数では勝ち目はないな。加勢したいところだけどあの装備は王国軍。面倒になりそうなんだよね。
ガロが逡巡する間にも状況が悪化していく。特効を仕掛けたラズベルだが巨熊の体からは考えられない速度で攻撃してくる。鋭い爪を掻い潜りながら斬りつけるが巨熊の腕に浅く傷を付けただけにとどまり、激昂した巨熊の反撃で撥ね飛ばされる。
「ラズベル!」
「っててて、大丈夫だ。それよりもローレンス、熊ってこんなに強いものなのか?」
「わからん! 熊と戦うこと自体が始めてだしな、ここの縄張りのボスなのではないか? どうであれこの状況はマズイ、一度引くべきだ」
二人がやり取りを交わす間にも巨熊は獲物を定めて迫っていく。それを迎え撃つ兵だが受けた剣を爪撃でへし折られ、そのまま体に致命傷を負う。
「隊長!」
駆けつけた他隊員も一撃で絶命する。そのあとも執拗に暴れ狂う巨熊の暴威にとうとう生き残っているのは、ラズベルとローレンスの二人だけとなった。
巨熊は勝利を確信したのか、これまでと違いゆっくりと近づいてくる。
「くそお! こんなところで死にたくねえ! まだ彼女も出来たことねえし、ビルドブランドの剣を手に入れてねえ! まだ酒だって浴びるほど飲んだことねえし、あの黄色い鳥にだって乗ってねえ!」
「おいラズベル、こんな時に何を言って」
「それにだ! まだお前と騎士団の団長になってねえ!」
!?
「そうだな、まだ俺たちは死ねないな。ラズベル、あいつの気を逸らせるか?」
「ああ! 任せろ!」
それからローレンスは魔術発動の詠唱を始める。訓練生の時から適正がある術式は練習に練習を重ねてようやく発動が安定するようになったばかりだ。それでも今は発動させるまでの時間がひどく長く感じる。
せめて無詠唱で発動出来るようになっていれば__
焦る気持ちはこの上ないが、術式を間違えれば不発に終わる。集中して丁寧に組み上げていくが、目の前のラズベルは一撃が致命傷となる巨熊の爪撃を神経をすり減らすようにギリギリ回避している。だが、足下の重なった石が崩れた時にバランスを崩してしまう。そして迫りくる鋭い爪。
ゴゴゴゴゴ
その瞬間に巨熊の足下から大きな石の槍が一本突き上がる。
それは巨熊の後ろ足を貫通していく。
間に合った
「ローレンス! やったな!」
「ああ、あっ 危ない!」
鋭い巨熊の爪撃がラズベルに振り下ろされた。直感でどうにか直撃は免れたものの。また弾き飛ばされる。
「ラズベル!」
巨熊は突き刺さった石の槍を強引にへし折り、足から引き抜いた。発動場所がズレていたのだった。せめて急所のある体の芯を貫通すればまだしも足の一部を貫通したに過ぎない。それに突き上げる長さも足りていなかった。要するに未熟なのである。発動させたローレンス、早々に勝利を確信して気を緩ませたラズベルも。
くそっ!
自分が受けた攻撃が誰によるものなのかを理解した巨熊は足を引き摺りながらローレンスに迫る。
手負いで力が落ちているなら勝機はまだあるはず
神経を使って体が重くなったことを実感しながらもラズベルの安否は気になり、それを確認するためにも目の前の敵を倒さなければならない。
「はあああ!」
ローレンスは烈迫の気合いで攻撃を繰り出す。巨熊の能力はやはり落ちているようで徐々にダメージを刻み込めていった。だが肉薄する重圧は生半可なものではなくついに回避する動きが捉えられた。
しまった
目前に迫る爪、回避不能の体勢。遠くでラズベルが叫んでいる。
ああ、無事だったか。早く逃げろ
首が撥ね飛ばされる直前。
ドゴン
予測していた衝撃はなく、目の前で巨熊がのけ反っている。
ドゴン
次の衝撃音の現象は確実に視認できた。後方から飛んできた火玉が巨熊の顔面に直撃してさらに後方へ押し戻す。
「離れろ!」
聞き覚えのない声だが今は考えている余裕などない。すぐに巨熊か、距離を取った所で凄まじい熱気を体感する。
ゴオオオオオ
それは巨熊の全身を火が覆い尽くしていたのだった。
魔法使いなのか……
濃緑色のマントの男がローレンスのもとに近づいてくる。大きな帽子の下の表情は隠れて見えない。ラズベルも体を引きずりながら合流する。
「ローレンス、今のは」
「ああ、おそらく魔法だ」
「マジかよ、A級指定案件……」
ゆっくりと近づいてくるガロに二人は最大限の警戒をする。
その額には大量の汗が流れだしていた。士官学校で教育を受けたのは昔に王国が魔法使いによって甚大の被害を受けたこと。魔法使いが邪悪な存在で滅魔亡の法により、その存在の多くを葬りさったこと。僅かに生き残っている魔法使いの末裔は国への申請、登録により生きることを許されていること。未登録の魔法使いはA級以上の罪人となるとの事だった。
「止まれ! 何が目的だ!」
ラズベルの声で足を止める様子もなく、ガロは進む。
先程の魔法の威力、この男は俺達が頑張ってどうこう出来る相手じゃない
絶望に目を細めながらローレンスはなにが最適な行動なのか必死に頭を働かせる。これならばまだ巨熊のほうがやりようがあったと思えるほどだった。
やがてガロが二人の目の前に到達する。二人は剣の切っ先をガロに向けている。そこでローレンスは意を決する。
「取引だ! お前は生け贄が必要なのか! ならば俺一人を連れていけ」
「なっ! ローレンス! 待て! それなら俺が行くからローレンスは見逃してくれ!」
その二人の言葉にガロは絶句する。やがて笑いが込み上げてくる。
「ハハハハハ」
この状況を全く飲み込めない二人はキョトンとする他なかった。
「ハハハハ、ごめんよ、あまりにも可笑しくて。僕の名前はガロだ。君達大丈夫かい?」
帽子の鍔を上に上げたガロの優しい笑顔にラズベルとローレンスはへなへなと腰を地につけたのだった。
今思い出しても笑えるほどの愛しい記憶を大事にするようにガロは休憩は終わりとばかりに腰を上げた。
さてと歩きますかね。アウリスは今も友達と楽しく旅が出来てるのかな。なるべく危ない目には合って欲しくないな。
また次に会える日を楽しみにガロはまた歩きだすのであった。




