名候パトミリア
「見えましたわ!」
「おおっ!もう着いたのか! 早えな!」
ライとリンの二人は、ムトール州都ダムタールに到着した。相変わらず街の中は露店が並び、街の人や旅人、商人に傭兵などが通りを行き交い賑わっている。
現在ムトール州はソルテモート州と共にセガロ王から離反しており、いわば王国全土を敵に回した事となる。普通に考えれば絶望的に思えるが、旅商人の噂を聞けば他の州ではセガロの圧政に苦しむ声が後を絶たないという。それを思えばこそムトールの人達は、残りの時間が限られたものだとしても今ある平和を穏やかに過ごしていた。
「まずはジレイスに会おうか!」
一度来たことのあるライはリンを連れてジレイスのいる建物に向かった。
ムトール州都ダムタールの一番奥に位置する州候邸宅の手前にある建物に入り、受付の係員に用件を伝えるとすぐに二階の奥の部屋に案内してくれた。扉を開けると男が三人で打ち合わせをしている最中だった。
「ではそのようにしてくれ」
部屋に入ってきた二人を見て、椅子に座った男が話を打ち切ると椅子から立ち上がって歩いてきた。
「久しぶりだなライ、元気そうで何よりだ」
声をかけてきた男がムトール州軍隊長のジレイスである。
「やあジレイス!俺らはいつも元気だぜ!」
それを聞いたジレイスは笑顔で頷いた後でリンを見た。視線が合ったリンは深々と頭を下げて挨拶をする。
「リンと申します」
「よろしく、私はムトール州軍隊長のジレイスだ。アウリスはダムタールに来ていないのかい?」
「そのことなんだけどな、ジレイスに協力して欲しい事があるんだ!」
朗らかな笑顔でお願いするライに視線を移したジレイスは馬でも借りに来たのかと思い、笑顔で答えた。
「私に出来ることなら協力を惜しまないさ。何と言っても君達はムトールの恩人だからね」
「へへッ!じゃあヨリュカシアカの前の州候のパトミリアって人をここに連れて来るから守ってやってくれないか?」
「なんだって!?」
予想だにしなかったお願いにジレイスは驚く。民からの支持が厚いヨリュカシアカの前州候はジレイスもよく知ってしいる。王国中央軍に制圧されたことの知らせを受けた時にはラムザ様も心を痛めていた。その名が出てきたかと思えばここに連れてくるという。それは周知の事実である投獄されたパトミリアを救出して亡命させると言うのである。
「それはいったいどういうことなのだろうか? パトミリア候は幽閉されているはずだ。誰かが救出したというのか? まさか今から君たちでそれを行うと? もしそうであればそれは無茶が過ぎる。アウリスはヨリュカシアカにいるのかい? であれば間違っても監獄所に近づいてはいけない。あの監獄は今、ヨリュカシアカの要人を数多く収容している分かなり神経質になっているはずだ。言っておくが並の警備態勢ではないのだぞ」
「そっかー!やっぱり監獄があるのか。まだ下調べの段階だからな!ジレイスに会ってから州都のナリュカでアウリスとは一度合流する予定なんだ。で、ムトールに連れて来て良いのか?」
かなり困難な事と考えるジレイスに対して、ライはそこまで難しくは考えていないようだった。しかし、どうであれ事を起こすのであれば多大な影響が出ることは間違いがなかった。
「この話は私の一存では決めかねるな。ラムザ様に判断して頂かなければならない。ライ、一緒に来てくれるかい?」
「ラムザ? ああ、確かムトールの州候だったよな! 分かった!」
廊下に待機していた兵を呼びつけて、矢継ぎ早にいくつか指示を与えたジレイスは、ライとリンを連れて州候邸宅に向かった。
「なるほど、ヨリュカシアカの民は苦しめられているな。ジレイス、どう思う?」
邸宅にてここに来るまでの話をライとリンがラムザに説明をすると大いに同情してくれた。
「ラムザ様、今のムトール軍はバラン州とゴア州の軍と国境線で牽制しあっておりますのでパトミリア様の救出ほどの大規模の作戦に割ける程の余力がないのが実状です」
黒を基調とした整った衣服を着ているラムザは何か思案していた。その姿は州候というよりは若い学者に見えるような知的な印象を与えている。
「えっと、別に軍に動いて貰おうって訳じゃないんだ。俺らが勝手にパトミリアをここまで連れて来るからな」
何やら深刻な話になる雰囲気を察して慌ててライがラムザに付け加える。
「フフッ、そうは言ってもとても危険な事を君達はしようとしている。だけど反対はしない。出来ることなら全軍を出してでも助け出したい気持ちだから。であれば君達とパトミリア殿の身を守る事を考えなければね」
笑顔のラムザの後ろでドアが開き、ブロンドの長髪の男が部屋に入ってきた。
「ジレイス殿、お呼びかな?」
ジレイスは邸宅に来る前にダムタールに待機しているローレンスを呼ぶように指示していた。ローレンスは王直属騎士団の元団長であり、前ハルト王が逝去した時のハルト王国大政変の時に同じく騎士団団長のラズベルと共に当時は王国の宰相だったセガロから離反し、ムトールとバランの総力戦となったセムネア大戦でムトールに加勢して以降、ムトールに客将として迎えられていた。
「ローレンス殿、わざわざ足を運んで頂き申し訳ない。実は…」
ジレイスはアウリス達がしようとしている事と現在のムトール軍の状況に加えて起こりうる予想をローレンスに話した。
「なるほど、パトミリア様にはよく世話になっていました。今は囚われの身といえどいつ処刑されるか分からない今、救出出来るものでしたら多少無理をしても大きな意味を成すと思われます。パトミリア様はハルト王国内の中でも発言力を持っておられた方ですからあの方に恩を感じている者は少なくないと思います。
ただ、ヨリュカシュアカ軍を相手にするとなるとやはり犠牲は多大になりますが、私の意見としてここでは賛成と申し上げると共に私自身尽力を惜しまない所存であります。」
長身のローレンスは意思固く意を決した眼でラムザに言った。
「ありがとうローレンス、ではパトミリア殿をムトールに迎えよう。ジレイスとローレンスにこの件は任せる。忙しくなるが宜しく頼む」
ラムザの発令でムトール中枢がパトミリア救出に向けて動き始めた。
ヨリュカシュアカ州 ゾリア監獄
「パトミリア様、食べ物をお持ちしました」
看守が丁寧に牢の中にいる女性に声をかけた。
「ありがとう」
パトミリアと呼ばれた女性は品がありながらも芯の強そうな目を看守に向けて礼を言う。優しそうな顔立ちをしているがそれでも今は少しやつれた表情で声にも力がない。
「いつまでもこのような所に閉じ込めてしまい申し訳ありません。私には何の力もなく、ここからお出しすることも叶いません」
「気にすることはありません。あなたはあなたの責務を全うなさい」
その言葉を受けた看守はただただ申し訳ない気持ちで俯いたまま戻っていくのだった。