ラスティアテナ
湖までの道をミラとローネが前を並んで歩いて、アウリスとガロが後ろを歩いていた。近くには川が流れており耳を澄ませばその音も聞こえる。吸い込む空気も爽やかで暖かい日差しが木々の切れ間から降り注ぐのも心地よい。
「ローネ、昨日マキナさんに怒られなかった?」
昨日、逃げたレウロー鳥を散々追いかけ回して捕まえるのに時間がかかりすぎてしまったのでミラは少し心配していたのだった。
「そりゃあもう 、カンカンだったわよ! 戻った時にはもうお客さんが一杯だったから私を過労で倒れさせる気なのかって言ってさ、私だって走り回ってから休まずそのままお店でも走り回って大変だったのよ! そもそも爆発キノコをレシピに取り入れるとか言ってキッチンで爆発させたら誰だって持ってる物を落とすわよ!」
「ウフフ、大変だったのね」
「そうなの! アウリスだって頑張ってくれたのにね! 転んだだけだけど ププッ」
「それはもう忘れて欲しい……」
ローネにからかわれたアウリスは恥ずかしがった。ガロはその様子を眺めながら昔のアウリスを思い出していた。
五年前、内乱に巻き込まれて親を亡くし、焼け果てた村で呆然と立ち尽くしていた幼いアウリスと出会った。それから一緒に二年間旅をしていた頃はアウリスの体は折れそうな程に細く、人見知りで口数も少なかった。表情も今ほど豊かではなく、大人しいといえば聞こえがいいがおよそ子供の活発さはなかったといえる。ここ五年間で心の傷が癒えるとは思えないが、穏やかで優しいミラと底抜けに明るいローネと接する事で少しずつ変わったのだとガロは喜んでいる。
そういえば、ミラはお母さんを早くに病で亡くし、ローネは生まれてすぐにお父さんを事故で亡くしたのだったな
もしかしたら同じ境遇の中で気持ちを少しでも互いに分かち合うことが出来たのかもしれない。それでも一番親しい友人が女の子二人ということもあり、年頃の男の子にしてはおっとりしているがアウリスらしいといえばしっくりくるのが不思議だった。
「お父さんから聞いたんだけど、今レトの近くに危険な人達がいるみたいなの」
「ええっ! 家畜泥棒とか? あっ、分かった! 無銭飲食常習者なの?」
「まぁ、それも危険だけどね。殺人者というか集団みたい」
ミラは口に出すのも怖いくらいなのだが、ローネにも知っておいてもらいたくてダンガスの話を伝えておく。備えられるものは備えて欲しいとも思った。
「うわぁ、早くどこかに行って欲しいね。まっ! 来たとしてもトーマ達の自警団が撃退してくれるでしょ」
レトの村の中には職業軍人はいない。田舎村なのだから仕方がないのだが傭兵を雇う資金力すらない。しかし、兵士とまではいかないが正義感の強い男達が普段の仕事の傍らに自警団として活動している。そのなかでアウリスとミラの五歳年上で剣術に優れたトーマがリーダーとして警備巡回をしながら後輩を育成している。
質の悪い酔っ払いや荒れくれ者ではまず敵わない程に鍛練しており、村の皆から頼りにされていたのだった。
「それにアウリス! あんた男なんだから何かあったら私たちを守りなさいよね」
「でも、僕は剣なんて触ったこともないよ……」
「はぁ? ガロと二人で旅してたんでしょ? ガロから教わらなかったの?」
振り向いたローネがアウリスに当然といわんばかりに言い切ったのだが意外な返答に肩をすくめている。
「ガロも剣は持ってないよね?」
「そうだね、僕も剣は持ってないよ。争い事は苦手なんだ。それに剣は危ないしね」
「はぁ~、あんた達よくそれで旅が出来たわね」
穏やかな目をしたガロが答えると、ローネは盛大に溜め息をつきながら腰に手を当てて呆れたように言った。
「着いたよ!」
ミラが声をあげて嬉しそうに湖に駆け寄った。
[精霊の住む湖]レトが属するソルテモート州の隠れ名所であるが、最近の不穏な噂によりアウリス達の他には誰もいない。
それでも湖はいつもと変わらず、青く澄んだ水は日を光を浴びて輝き、妖精が住んでいると言われれば信じてしまう程に幻想的な場所だった。
「さーて! 張り切って食材採取開始しよっか!」
「えっ!? 今日は食材採取なの?」
「当たり前じゃない! 今の季節は美味しいものが沢山あるのよ。特にこの場所は美味の宝庫なの! ミラ行くわよ! アウリスとガロはそっちで採取採取」
ローネはポケットから小さなナイフと小さく折り畳んだ麻の袋を四枚取り出し二枚をアウリスに手渡すと、手近な所から早速とりかかった。
「その袋にたくさん入れなさいね」
ローネの強引な進行に言葉も出ないアウリスはこんな大きな袋を服のポケットに入れてたのかと、相変わらずの強引さと用意の周到さに感心して言葉を漏らした。
「勘違いかと思ってたけど、だからローネが太って見えたんだ」
その瞬間
「ア~ウ~リ~ス~! レディに対して発言する時は言葉を選ばないと酷い事になるわよ!」
目をつり上げたローネがアウリスを睨みつけて言った。
ローネ……右手に握りしめたナイフが怖すぎるよ……
「ガロも笑ってないで手を動かす!」
突然矛先を向けられたガロは、思わずアウリスと顔を見合わせて吹き出してしまった。そして、近くにある大人程の背丈の木に成る木の実を取り始めた。
「ところでアウリス、あの石はまだ持ってるかい?」
「この首飾りの事?」
それは幼い頃にアウリスが母から受け継いだ物だった。絶対に無くさず、いつも身に着けておくように。そして、子供を授かったら引き継ぐようにと。
首飾りといっても黒く光沢もないただの石に革紐を通しているだけのもので、表面には彫った模様なのか文字なのかは分からないがかなり古い物らしく彫りが浅くなっており、少し離れて見れば、ただの石ころにしか見えなかった。
「アウリスがその石を見せてくれた時にね、どこかで似たような模様を見かけた気がしたんだ。あの時に書き写させてもらったから旅のついでに調べてみた。文字として使っている所はこの国中と周辺の国を探してもなくてね。だから模様かとも思ったのだけど、旅を続ける内にバラン州の端の山奥に人の目を避けるようにした集落があったんだ。偶然辿り着いたんだけれどそこで手がかりを見つけたんだ」
ガロが五年ぶりにレトに訪れる少し前、冬も終わろうとする頃、まだ身を刺すような寒さに耐えながら山林の中を歩いていた。
「止まれ!」
突然頭上から声が聞こえたと思えば、何者かが木の上から飛び降りた。
子供?
驚くような身体能力なのだが、現れた逆立った赤毛の髪の少年はアウリスと同じような年頃のように見える。幼い目をしているが隙のない身のこなし方だ。何よりも驚いたのは両肩に一本ずつ帯剣している。
双剣使い? 珍しいな、大人でも相当な修練を積まなければ使えないはずなのだが……
ガロが思い巡らす間に素早く男の子が抜刀する。
「怪しい奴! 斬る!」
体の重心を低く構えた少年は殺気を露に今にも踏み込もうとしている。
「ちょっ! ちょっと待った! 僕は怪しい者ではないんだ!」
「信じられるか! ここへは来ようと思って来れる所じゃないんだ! どうやって結界を抜けた!」
確かにこの場所に辿り着くまでにいくつもほんの小さな違和感を感じる所があった。進む方向を一つでも間違えれば迷ってしまう仕組みだろう。普通ならまず辿り着けない作りだが、ガロは魔法的な結界ではないと断定し、慎重に風の向きや進む方向、太陽の位置などを複合的に分析して来た。人為的な目印もあったため、何か隠すように人を拒んでいると思った。逆にそれほどまでにしなければならない所ということに好奇心や期待が生まれたのだった。
「いやー、道に迷ってしまって困っていたんだ。それに僕は丸腰だよ? ほらっ」
ガロはマントを取り、武器を持っていない事を示した。
「どちらでもいい! お前は今死ぬんだから」
誤魔化しきれないか……
ガロは腰のポーチから一枚のアリウスの石の模様を写した紙を取り出すのと同時に対する少年が地面を蹴る。ガロが目の前の高さに紙を持ち上げたのと少年の刃がガロの左肩から胸まで触れるか触れないかで両者の動きが止まった。
速い!
思わず目を見開いたガロは冷や汗をかきながら努めてゆっくり語りかける。
「これが何か分かるかい?」
「それはまさか!」
ポーチの中にはこれといって有用な物はなく、苦し紛れに掴んだ物がアウリスの石を模写したものだった。これでどう展開しようかと悩みながら意味深げに出した紙を見た少年は、かなり驚いた表情で紙を食いつくように凝視している。
何のまさかなのだろうか。さて、どう言い逃れたものか……
「伝説の剣の在りかが書いてあるのか!?」
「え?」
瞬時には適当な言い訳が思いつかなかったガロなのだが、相手からの思わぬ質問に自分の耳を疑った。
いまなんと?
少年が何に勘違いしているのか分からない、ただこれは使えそうだとすぐに閃き口の端を吊り上げる。
「そう、伝説の剣の事なんだ。凄いだろう? でも解らない事があってね。解明するためにここに来たんだ」
すると剣を収めた少年が合点がいったように頷くと、目を輝かせて食い付いてくる。
「なるほどな! それで爺に聞きに来たんだな?」
「? そ そうそう! 爺様に助言を貰いにね」
少年はさらに目を輝かせると、いよいよ気が昂ぶりだした。
「なあ! その剣が見つかったらオレに使わせてくれよ! なんならこの剣と交換でもいい! 頼む! なっ? いいだろ?」
「ハハハッ! ともかく爺様に会わせてくれないかい?」
その時、
「ライ、お前そこで何をしている」
「あっ 兄貴!?」
遠くの木の陰から両肩に剣を帯びた長身の男が近づいてきた。
「こいつは伝説の剣のありかのヒントをもってるんだ。兄貴には伝説の剣は要らないだろ!」
「何のことだ」
こちらを見据えながら男がゆっくりと歩いてくる。近づく毎にガロは頭の中の警鐘が大きくなるのを感じている。
これはマズイ。近づくのも危ないかな。ひとまずは剣の間合いの外で……
ガロが声をかけようとした瞬間
姿がブレた? いや、違う!
ガロの首に男の剣が既に当てられていた。ツーっと一筋の血が流れる。
背筋が凍りついた。
この男は少年とは次元が違う。相手がその気なら間違いなく斬られていた。相手の目を見たガロは下らない言い訳など聞いてはもらえないだろうと確信する。
ふと、ここに来てから短時間で二度も殺されていた事になるなと思いながらどうしたものかと思案している時にライと呼ばれた少年は慌てたように男の肩を掴む。
「それは伝説の剣の在りかを示しているんだ!」
ライが指を差したガロの手にある紙を見た男の目が見開いた。
この兄貴と呼ばれる男も伝説の剣とやらに興味があるのだろうかとガロが再び口を出そうとした時、
「馬鹿者、これは[失われた文字]だ。お前も教わっただろう」
油断なくガロの動きを見逃さないようにしながら、少し考えた様子で剣を収めると男は背中を向けて歩きだした。
「場合によってはお前を生きて帰すことが出来ないがついてこい」
ついていくいかないの選択権はないのだとガロは後に続いて歩きだしたが横で歩くライに騙したなと言われ、すまないねと答える。何やら穏やかに済まなそうではあるが失われた文字というのは聞いたことがなかった。古代文字は学んだ事もあるが一体どういう文字なのか、アウリスとの関係も気になる。
程なくして集落へ着いた。
いくつも家が並んでいるが地面から丸太で高さを上げている特徴的な木造の家ばかりだった。ガロはその中の一つに案内された。
「ん? 珍しいのう、客人か? ようこそ、ここへ来るには大変だったじゃろうて。儂がここの長のガトーじゃ」
爺と聞いていたので何となく体が小さなイメージを勝手に持っていたのだが前に座る老人は大きな体躯をしており背筋もピンと通っているので、年齢を重ねていると一目で分かるのは真っ白な髪と同色の長く伸びた眉毛で窪んだ目が隠れていることだった。それでも若い時には相当鍛え上げていたのだろうと容易に想像がついた。
「ガロです」
「ガロとやら、狭いところじゃがまあ座ってくれ。手荒な迎え方をしてしまったであろう。しかし、本来ならここへ足を踏み入れる事なく消し去る事がここの掟なのじゃ。500年生き残りこれからも生きていくための掟なのじゃが、ゲインが案内したということは何か特別な事情があるというのかのう?」
木の板よりも柔らかい感触がする不思議な素材の床の間で、対面に座ったガトーはガロの首筋の傷を見て、入り口近くに立ったままのゲインに視線を移した。
「はい。爺様」
そう言うとガロを見る。早くさっきの物を出せと言わんばかりに視線で促してくる。それを察してガロは紙を取り出した。
「失われた文字というのですね? この紙は私の大切な友人が持っていた石に刻まれた物を写したものです」
ガトーは手渡された紙を見て目を細めた。
「ほう、これは驚いた、まさか失われた文字が出てくるとはのう。五百年前に使われなくなった文字じゃよそれは。その様子だと内容は分かっていないようじゃな。これは[友の証]という意味じゃ。当時の誰かの贈り物なのかのう」
友の証……アウリスの家は古い友情を大切に大切にしてたんだね。
「でも、何故この文字は今は使われていないのですか?」
ガロは文字として残っているのに全く使われていないということが不思議だった。部分的な地方にだけというのならまだ分かる。でも、意図的に使えなくしたという方が合っているように思えた。
「ふむ。それは話が長くなるが、どれ、年寄りの気まぐれで話するかのぅ。五百年間言い伝えられてきた話じゃ。事実と少なからず違って伝わっておるかもしれんがのぅ。ゲイン、お前も後継の者に語り継がねばならん。よく聞いておけ。ライ! こそこそ聞いておらんと中に入れ」
「へへっ! バレたか! よっと!」
中に入れてもらえず、鍛練しろと言われていたはずのライが入ってきてゲインの横に座るとガトーはゆっくりと語り始めた。
「今より五百年以上も前のこの地はまだ、ハルト王国が統べる土地ではなかったのじゃ。各地は大きく分けると十三の一族がそれぞれ小さな国を作り、生活を営んでおった。
ロージクラヴィリア、ラスティアテナ、ハルト、ドラゴス、マリートア、彩、セルミニア 、游鵺、ハバリカ、ゼラドヌレ、アムレー、リリマナディ、ララミス」
「ララミス!?」
ガロは思わぬ名前が出たことに驚き、声をあげた。
「ほう、知っておるのか? お主はまさか、マジリア島の生存者なのではなかろうか」
「はい……話の途中にすいません。続きを是非聞かせてください」
つらい事を耐えるような表情だが真剣な目でガロはガトーに請う。
「そうか……十五年前のあの実に痛ましい出来事は知っておるよ。じゃがな、残念ながらララミスの、今はマジリアじゃな。あの国のことはさほど知らんのじゃ、ただララミスの血が絶えてしまったのだと……続きを話そうかのう」
その後の内容のどれもこれもが今まで見知った事を覆すような事ばかりであった。
五百年前には小さな国同士が常に争っていた事。
力を求めた魔法使い達が自らを滅魔導士と名乗り、組織化して魔界の扉を開き、魔族を従えて世界を破壊し始めたという。その滅魔導師に対抗するため、初めて各国や竜族、獣族までもが協力体制を組んだ。
それは、ロージクラヴィリア当主グラ-ロージクラヴィリアの異常な程に高いカリスマ性で成し得た事だった。
次第にグラが率いる連合軍が優勢になり終結に近づくと皆から[オーラ]と讃えられ、グラが王とした統一国家を願われるようになったという。
[オーラ]とは失われた言葉で[真なる王]という意味を持つ。
その頃からグラはグラ-オーラ-ロージクラヴィリアと呼ばれるようになった。
いよいよ滅魔導士達を追い詰めた時に、滅魔導士達は最後の足掻きを見せ、相当の魔力を使い果たしながら大魔法を発動し、ロージクラヴィリアの地を壊滅させた。
怒りに我を失った戦場前線のグラとロージクラヴィリアの戦士は滅魔導士の最終拠点に突撃したが、敵の罠に陥ってしまう。そして、次々に数を減らしながらもようやくのことで滅魔導師を全滅させた。
その後、駆け付けたハルト軍に救助されるが滅魔法の呪いにかかり、グラとロージクラヴィリア兵が死亡したと報告された。
グラの最後の言葉にハルトが皆をまとめて王となれ。と託されたとして、ハルトが王の名乗りを挙げたが賛同する国はゼラドヌレとアムレーだけだった。
そして、ジカラディロス-ハルトが複数の国を合わせたハルト王国初代国王となる。
残りの国はバラバラとなり、自国繁栄に力を注いだがハルト王国が次々に侵略を重ねては強大になり、やがて周辺国を統一し、今では失われた文字となった言語や様々な文明を消し去り、ハルト独自の文明を弾圧しながら強制的に浸透させていった。
「じゃがな、グラ-ロージクラヴィリアはハルトに委ねたのではないと儂は思うておる。ラスティアテナは王の剣の役目を担ったというがハルトに与しなかったという事実がそれを物語っておるとは思わんかね。グラ王を信じ、深い信頼を得た故にグラ王の死を悲しみ、ハルト王国に迎合せず真実を後世に残すためと、人の目を避けて数こそ少なくなってしもうたが真なる王が現れれば、その人物の剣となれるよう日々腕を磨いておるのじゃよ。ふう、部外者にここまで話したのは初めてじゃよ。お主は不思議な男じゃな。ついつい長く話したのう、ガロとやら、そろそろお主をどうするか決めねばならん。どうするもなにも決まってはおるんじゃがな。掟に従って消すことになるかのう」
ガトーは先程の優しい口調からは考えられない程の威圧感を持ってガロの目を見据えた。対するガロも真っ直ぐガトーの目を見る。しばらく無言よ時が流れたが、やがてガトーが重々しく口を開く。
「ふむ。お主の目は悲しみを知り、優しさを知る目をしておる。
異例ではあるがこのまま解放するとしよう。ララミスを知るマジリアの残り火を儂が消すのも寝覚めが悪いからのう」
ガトーはまた穏やかな表情に戻り、何かを決めたように頷いたのだった。