ハクレイの笑顔
重くなった財布に幸せを噛み締めながらロキが宿に戻るとハクレイが既に戻っていた。
「ロキ、すまない。思わず逃げてしまった」
「ハハハハハッ! なんのなんの! お前のお陰で大儲けだ! 気が向いたらまた一緒に行ってくれよな!」
珍しく上機嫌の笑顔で言ったロキは大きく手を振って見せては帳簿に今日の売り上げを書き込んでいる。そのうちにアウリス達も戻ってきた。
「いやー! いい汗かいたぜ! アウリスはメキメキ腕を上げてるな!」
「そんな! まだ全然ライの動きについていけないよ! あれ? ロキ、何か嬉しそうだね。いいことでもあった?」
「ンフフフ、まあな」
それぞれに充実した様子で会話が飛び交う中、リンも元気一杯な様子で帰ってきた。
「皆様お揃いですね! 色々と掴んできましたよ」
リンの話によるとヨリュカシアカ州前州候パトミリアは五十代の女性で、元々パトミリアの夫が州候だったのだが突然に病死を迎える。混乱が収まるまでと州候代行のつもりがもともと民からの絶大な人気を盛っていたパトミリアを支持する者がさらに増え続けた為に、そのまま州候就任の運びとなった。ハルト王存命の時までは民も平穏に暮らしていたが、ハルト王崩御の際に王国に歯向かい投獄されてしまった。セガロが派遣した現州候の体制になってからというもの、民をないがしろにする政策に嫌気が募り、一段とパトミリアを必要とする声が大きくなった。幾度となくパトミリア解放の嘆願や奪還を試みるも何一つ結果として叶うことはなかった。日に日に悪化するヨリュカシアカの状況に皆の不安は募るばかりのようだ。
「国が荒れてきている? これからどうなるんだろう」
「それが今の民の気持ちだろうな」
アウリスが誰に向かって発した訳でもない率直な疑問にロキが答えたのだった。
「まっ! ここで考えても仕方ないだろ? それより温泉に入ってスカッとしようぜ! アウリス、ロキ、行こうぜ!」
とにかく温泉というものが初めてのライは、待ちきれないとばかりに皆を促した。小さな湖の水が湯に変わったようなものだとロキから教えられたアウリスとライは、とにかく期待に胸を膨らませた。ライにいたっては温泉街独特の街並みに気持ちが浮き上がり、窓の外をチラチラと覗いてはソワソワしている。
「俺は後でいい」
「えっ!? なんだよ! せっかくの温泉なんだから一緒に泳ごうぜ? 熱い水に入ったことねえし勝負すりゃ楽しいって」
ロキの言葉に愕然としているライはあり得ないと言わんばかりに目を大きくしている。入る温泉は男と女が分かれているとも聞いていたのでせめて男同士で大いに楽しもうと考えていたようだ。
「はて? ロキ様はおん……モゴモゴ」
そんなライの様子にリンが不思議に思ったのか口を開くが言葉の途中でロキがリンの口を両手で塞いだ。何事かとリンが目をパチパチとまばたきしているが、思いもよらない出来事にアウリスとライ、ハクレイさえも不思議そうに二人を見ている中、ロキが皆から見えないように人差し指を口に当てて見せるとリンはすぐに察した。
「ん? あっ! なるほど! 訳ありなのですね?」
リンも同調して声を最小限に抑えると、ヒソヒソとロキに言った。
訳あり? いや、訳などないのだが……くそっ、何故俺は隠してしまったんだ? 自然に明かせるせっかくのチャンスじゃないか! うっ、皆が不審がっている! 今はもう何となくバレたくない!
ロキは堪らず顔を上下に大きく動かすと頷いて見せた。
「ロキ? リン?どうしたの?」
「いや!あのだな!」
アウリスに訊ねると無意識に慌ててしまったロキをリンが援護する。
「ロキ様はまだやらなければならない事がおありのようですよ。温泉へはアウリス様とライ様のおふたりで行って下さいませ」
「出来ることがあれば何か手伝うのだが?」
リンの気転を真に受けたハクレイがロキに申し出る。
「いや! いいんだ。俺一人で十分! 補充する薬の品目を忘れない内にメモしないとな。ハハッ」
「姉様、ロキ様は訳ありなのだそうですよ」
「そうなのか、訳ありか」
訳ありじゃねえ、が今はそうしておこう……
大きく溜め息をつきながらあとで一人でゆっくり温泉に入りに行こうと、ロキは机の椅子に向かって仕事を始める素振りを見せると、ロキを誘うことを諦めたアウリスとライは温泉に向かい、ハクレイとリンは隣の部屋で用意をすると温泉に行ったのだった。
しばらく経ってハクレイとリンが部屋に戻ってきた。
「温泉気持ちよかったですよ! ロキ様もどうですか?」
「ああ、もう少ししたら行くよ」
「あの、ロキ様はこちらの部屋でいいのですか? 私達を気遣って頂いているのでしたらお気遣いは無用ですよ?」
「いや、そういう訳じゃないんだ。まあ気にしないでくれ」
実際ハクレイとリンに遠慮しているのではなく、もともと三人で旅をしていた頃は金を節約して相部屋にしていたし、男共と一緒だから嫌だという感覚はロキにはなかったので、そうしてきたまでであった。時々デリカシーのない行動を二人はするが非は自分にあるとも理解している。そんなロキに温かい笑顔をみせると、二人は隣の部屋にいますと戻っていった。すると今度はワイワイと部屋の外の廊下からアウリスとライの騒がしい声が徐々に近づいてくる。
「温泉デカかったなー!」
「そうだね、ライはずっと泳いでたね! 僕は少し頭がぼうっとしてるよ」
ガチャ
さっぱりした顔のアウリスとライが入ってきた。アウリスはきちんと服を着ていたがライは裸で腰にタオルを一枚だけ巻いた状態だった。
「ぷはー! ロキ、気持ちよかったぜ!」
そう言ったライがおもむろに腰に巻いたタオルを取り払う。その時に本を読んでいたロキはそうとは知らずに二人に何かを伝えようとしたのだが。
「もう少ししたら……ぎゃああああああ!」
「なっ!? なんだなんだ!?」
ロキの絶叫にアウリスとライは訳が分からず目を丸くする。
「どうした!」
間髪開けずにハクレイとリンが何事かと駆け込んできた。
「お前! なんて格好してんだ! ぶっ殺すぞ!」
「へっ? い、 いいじゃねえか! 暑いんだし男だけの部屋なんだしよー!」
「ふざけんな! 早く服を着やがれ!」
何故にロキがそこまで怒るのか理解出来ないライは戸惑うばかりで、服を着る事なく頭も掻いていたが部屋に入って来たハクレイとリンに気づくと、顔を赤面させる。
「うわっ! 突然入って来んなよ!」
顔を真っ赤にしたライが慌てて下半身をタオルで隠して縮こまると、ロキは大きく溜め息をついた。
「まあ!」
リンが言い漏らすのと同時にハクレイが吹き出す。ハクレイの笑顔を見て、アウリスも顔を輝かせる。
「あっ! ハクレイが笑った! ハクレイはいつも綺麗だけど笑顔の方がもっと綺麗だね!」
えっ?
へっ?
ロキとリンが驚いて、同時にアウリスを見た。
こいつはまた無意識にそういうことを……
ロキは呆れ顔になっていたが、アウリスとライは何やら微妙になった場の空気にきょとんとしている。当のハクレイはというとまばたきする事なく固まっていた。そして次第に頬が紅く染まっていく。
あら? あらら!? この表情はもしや!
リンが嬉しそうに固まったままのハクレイを見つめているがロキは対して面白くなさそうに二人を交互に見比べる。
「おいおいハクレイ、お前はそんな歯の浮くような言葉は聞き慣れているんだろ?」
ロキは女の自分から見ても見とれる程の美貌を持つハクレイには歯の浮くような言葉はうんざりするのだろうと思っていた。なので無自覚なアウリスには呆れる他ないがハクレイの反応はやや意外なものがあった。
「いいえロキ様! 姉様は泣く子もだまる鬼のように怖いリハク様の娘であり、次期頭首という肩書きもありまして、ハクレイ様にそのような言葉をかけようものならそれはそれは恐ろしい事になるのです! 尚且つ、姉様は幼い頃から剣術と任務の事しか頭に叩き込まれておらず、そういった免疫は皆無なのですよ!」
ハクレイは俯き、無言で部屋に戻っていく。
これは大発展です!
リンは嬉々としてハクレイを追っていった。部屋に残された三人は暫し固まっていたが。
「温泉に行ってくる」
疲れが表れたロキの言葉で各々動き出したのだった。




