ヨリュカシアカ
先のハルト王崩御という一大事件は王国中に激震を走らせる。王都ロージリアに対して、東側に位置するヨリュカシアカ州が蜂起したのだった。鎮圧の為に王国騎士団が集結する事態となり、ヨリュカシアカ州軍を壊滅させるとともに州候を投獄した。現在のヨリュカシアカ州候は王都ロージリアから派遣されたバリアンという男だった。
「ようやく身の回りの体制が整ったな。そろそろヨリュカシアカの大改革を始めるか」
第八騎士団がヨリュカシアカ州軍の穴を埋める名目で派遣された時には、既に州候として任命されていたバリアンは前州候を反乱煽動の罪で牢獄に放り込んだ後に、自身の息が掛かった者達を次々に集めた。それから周りの要職についていた人間の首をすげ替える。そこで起きた反抗は全て第八騎士団団長のワネゴバが暴力でねじ伏せたのだった。そして、ヨリュカシアカにおける人事と方針を固めるとバリアンは各方面に指示を出した。現在は目まぐるしく環境が変わっていく。
「おいバリアン! 退屈過ぎるぞ!」
「ワネゴバ殿、これから行う政策には必ず反乱が起きますのでその時は存分に暴れて下さいませ」
いささか品がないが一目で高価だと分かる調度品が揃えられた州候の部屋。豪華でしっかりとした作りのはずだがギシギシと悲鳴をあげているソファーには、深々と体を沈めた巨体のワネゴバが、バリアンの宥める言葉にも納得がいかず、早く暴動でも何でも起こせと思うのだった。
「おお! 次はやっと大きな街に来れたな! ん? 温泉の街だってよ!」
大きな鞄を背負ったライが、たどり着いた街の入り口の看板に駆け寄ると目を輝かせてはしゃいでいる。アウリス達はヨリュカシアカ北東のロズンに向けて東へ進んできたがこれまでは小さな村しか通らなかった。ムトールの街以来の賑わいにライの胸が踊るのも仕方ないのない様子である。
「大分進んだな、ロズンまではもう少しあるがこの街で少しゆっくりするか」
ロキは地図を確認するとリュックに収納する。戦闘に関してはからきしではあるが、旅に必要な生活面や地理の知識はとても頼りになる存在だった。
「そうだね、この街で色々と見てみたい」
アウリスはこの国から争いを無くす為、悲しい出来事を無くす為に自分が何をするべきかを旅をしながら探している。今はとにかく様々な場所で様々な人と出会うことで何かを得られるような気がしてならない。
「姉様!温泉なんて久しぶりですね!」
「そうだな」
アウリスとロキの後ろでは、身長差のある女子二人が歩きながら会話をしている。長いストレートの黒髪に切れ長の目をした端整な顔立ちで長身のハクレイと、黒い髪の両横を顎の辺りから後ろ髪に向かって上がるように、斜めに切り揃えている髪型がなんとも可愛らしいパッチリとした目のリンだった。二人は戦闘民族である蓮の一族である。元々着ていた黒い装束は目立ちすぎるからと、ロキが前の村で会った商人から買った物を着ているので、今はアウリス達と似たような旅人の服装だ。
温泉の街で少しでも気が紛れればと、リンが不自然なほど明るく言葉をかけたものの、昔の事を思い出すハクレイの顔がわずかに曇り、ハッとしてリンは後悔した。十四日前にハクレイとリンの一族は全員殺されてしまった。リンはその後の言葉がどうしても出せずにうつむいて黙ってしまう。それを察したハクレイは、リンに気を遣わせていることに気付き、自らを恥じた。二人の心の傷は未だ癒える事なく、深いままなのだった。
「久しぶりに一緒に湯に入ろうか」
「はい!姉様!」
ハクレイはリンに詫びる気持ちを含めたように言うと、リンもそれに応えるように明るく振る舞った。しかしリンは、あの悲惨な出来事以降でハクレイの笑顔を見たことが無かった。元々よく笑う方ではないのだが、それでも以前は時折見せるハクレイの笑顔がリンは大好きなのであった。
早く姉様の笑顔を取り戻せますように
リンは仰ぎ見た天に向かって祈るのだった。
「二部屋だね! はい、鍵だ。温泉は男湯と女湯に分かれているから間違えないでおくれよ」
活発な女主人と交渉したロキは、比較的安くてもゆっくり出来そうな温泉宿の二つの部屋を借りた。せっかくだから温泉に入る前に汗を流そうと、ライは剣の撃ち合いをアウリスに提案すると、連れだって街の外の山に向かって行った。そして、周辺の事を探ってきますと一人で人混みの中へ溶け込んでいくのは、偵察による情報収集を得意とするリンだ。
残るはロキとハクレイだったが、体の傷がまだ完全に癒えていなかったので、ロキが露店を出すから一緒に店番しないかと暇潰しにハクレイを誘った。
「なんだよ! いくらなんでもこれは高過ぎるだろ! これじゃあ採算合わねえよ!」
そこそこの大きさの街になると商売をするなら役所に申請をしなければならない。そこで許可証を発行する手数料としていくらか払う事になるのだが州によって額は違っていた。平均的な相場は、30ジル程度である。一回の申請で七日間有効なのはどこの州でも同じであった。街毎にある商人ギルドを介せば割安で店を開く事が可能になるが様々な制限や規約があり、ロキは所属することを敬遠している。
「なんでいきなり300ジルになってんだ! 相場の10倍だぞ!」
「州候が変わって、色々と法が変わったんだよ。一時的なものだといいのだがね」
露店許可証に記載された区画番号の場所で開店準備をしながらロキは隣の区画で靴の露店を開いている男に不満をぶちまけた。自分だけふっかけられたのではないかと疑ったがそうでもなさそうである。勿論、役所で散々抗議はしたのだが結局嫌なら諦めろと言われて引き下がったのだった。
「みんなこんな額を払ってるのか?」
「店を出してる連中は皆払ってるよ。俺はこれしか能がないからな、高くても払って商売するしかないんだよ」
男は並べてある靴の片方を手に取り、白い布で磨きながら顔を向けていた。
「そうか…… 州候が変わったって言ってたが何かあったのか?」
「なんだ、そんな事も知らないのか? 大きな声じゃ言えないが前の王様が死んだ時にここの軍を王都に行かせたらしくてな、前の州候のパトミリア様は反乱を起こしたと責任を追及されて牢獄に入れられてしまったらしい。それからこの州はおかしくなってしまったんだよ。あっ、いらっしゃい!」
隣に客が来たのでそこで会話が途切れる。
州候が牢獄に? おかしな時代になったものだ
ロキは遠くからこちらを伺う男に気付き、警戒するように監視する。
なんだあいつ……客なのか? モジモジしやがって
別段害を加えてくる気配はなさそうだと判断を下したその時に、後ろの壁に背中をもたれて立っているハクレイから話しかけられた。
「ロキ、私は何をすればいいのだ?」
「えっと、今のところは特にないな。退屈か?」
「いや、行き交う人を見てるのも悪くない」
露店を開ける指定された場所は、通りに面している建物の壁沿いだった。そこは様々な人達が途切れることなく行き交っていて、その様子を見ているだけでも面白いのかもしれない。
「それならいいんだ。何か気になることがあったら遠慮なく言ってくれ」
「ああ」
そうこうしているうちに、遠目にこちらを窺っていた男が意を決したように近づいてきた。
「あのっ」
「いらっしゃい」
開店後の一人目の客に最初が肝心と言わんばかりにロキは張り切って接客を始める。
男はひどく緊張した様子で並べた商品の一つを慌てて手に取った。
「えっ! あっ! これ下さい!」
「えっ? それは婦人用の薬だがいいのか? どんな薬が欲しいか言ってくれたら俺が選んでやるよ」
「えっ? 薬? えっと、じゃ じゃあ むっ この胸の痛みを取る薬を下さい!」
こいつ! 何売ってるかも知らずに来たのかよ! 胸の痛みって全然痛そうじゃねえし
ロキは目の前でちらちらよそ見している落ち着きのない男の視線の先を追ってみる。
何をちらちらと!
まさか!?
男の視線を追った先には、通りを眺めて静かに立っているハクレイがいた。ハクレイ自身は視線を受けていることには気付いているようだが、特に気にする様子は無かった。
こいつ!ハクレイが目当てなのか!
「おい! 胸の痛みにはこれだ。30ジル。白湯に溶かして飲むと良い」
それを聞いた男はまだちらちらとハクレイを見ながら何かを言いたげに口をもごもごさせながらロキにお金を手渡した。
「まいどあり!」
丁度よ勘定を受け渡して用は済んだはずの男はまだ立ち去る気配がない。
「あの ! ももも もし! 宜しければ」
「おい! 邪魔だ!」
チラ見男がハクレイに向かって何かを言い始めたが横から割り込んだ男に肩をぶつけられてよろけた事により遮られる。
「姉ちゃんべっぴんだな! どうだ? 俺と飯に行かねぇか? 奢るぜ?」
顔や髪型、体つきなど全体的に大雑把な感じの男がニヤニヤしながらハクレイを誘い始める。
「お姉さん! 俺と遊びに行こう!」
「君! 何て名前なんだい?」
「俺の家に来いよ!」
次第に人だかりが膨らんで、いつの間にかロキの目の前はハクレイ目当ての男たちで一杯になった。誰一人商品に興味を示すわけではなく、ひたすらハクレイに向かって声をかけている。だが当のハクレイはそんな男共を完全に無視しているのだった。
こいつらぁぁぁ!!!
「おい! てめえら! ここは店だぞ! 何も買わねぇでギャアギャア騒ぐなら営業妨害で役所に突き出すぞ!」
………
ロキの大声に場が静まり、皆がポカンと口を開けてロキを見ている。
ちっ! 結局騒ぐだけかよ!
呆れたロキが皆を追い払おうと手をひらひらと振った時。
「これくれ!」
「俺はこれだ!」
「俺はこれとこれを買うぞ!だから姉ちゃんどうだ?」
「待て!俺はこれとこれとこれを!」
うおっ!うおおおお!なんだこの現象は!
突然爆発したように次々に男共が商品を手に取りハクレイに声を掛けていく。次はロキがいまだかつてない状況に戸惑う事になったがすぐに気持ちを切り替えると、凄まじい身のこなしで次々に代金を回収して捌いていった。ガヤガヤと騒がしくなったことに一瞬目を丸くしたハクレイだったが壁を蹴って人だかりを飛び越えるとあっという間に姿を消してしまった。
男たちは頭上を飛びこえたハクレイを目で追いながら呆気に取られていたがやがて我にかえると右に左にじたばたしている。
「どこ行ったんだ?」
一人が探しに走り出すと、皆も我先にと駆け出し始める。そして人だかりがあった場所には誰もいなくなり、ポツンとロキが取り残されることになった。
うほーっ! 過去最高の売り上げだぞ! しかも売り切れ店じまい! いやー! 儲かった儲かった!
ロキは緩んだ表情のまま早速店をたたみ始めたのだった。