窮地
「リハク様が亡くなられた今、蓮の頭首は貴方です。どうか皆をお守り下さい」
これが現実だと思えずに放心していたハクレイだが、古くから仕える忠臣達に迫られてハクレイは夢ではないのだと暫し顔を上げて目を閉じた後、やがて頷いて目を開いた。
「主力部隊を連れていくがここの事は頼んだぞ」
ジンオウが命をかけて伝えてくれた事を無駄にしない為に、急いで準備を整えたハクレイ達は王都に向けてギョクレイの救助へと向かう。リハクとジンオウを殺した楼の事は八つ裂きにしても許せないがまずは生きている可能性があるギョクレイの救助が最優先であった。
その頃王都ロージリアではクロウが次の指示を出していた。ハクレイが部隊を引き連れて王都に来ることはハクレイの性格を知るドウシンがよく分かっており、実際にハクレイが準備にかかった時点で編成された部隊の詳細を楼の者に知らせていた。
「主力が不在の間に野盗に扮してセキレイにいる蓮の者を皆殺しにしろ」
楼の頭首クロウは楼の里に待機させていた部隊を全てセキレイに向かわせ、ロージリアにいる全部隊を街の外へ待機させた。それは王都の中で戦闘をするわけにはいかなかった。リハクを殺すためだとはいえ、王都内の執政官の家を血まみれにした事でさえクロウは小言を散々言われてかなりのお金を手渡したのである。怒り狂った蓮の部隊がロージリアの警備隊と鉢合わせになれば間違いなくロージリアの警備隊は全滅する。そうなれば首が飛ぶのはクロウの方なのだとよく分かっていた。
一方、ドウシンはロープで縛りつけたギョクレイをヨリュカシアカの街道まで運び、ハクレイを迎え撃つ体制を楼の者百名と共に敷いていた。
「ドウシン! あなたは自分が何をしているのか分かっているの!」
気を失ってからようやく意識を取り戻したギョクレイは事態を理解すると、身動きも取れないまま隣にいるドウシンに叫ぶ。
「ええ、よく分かっているとも。お前の姉は強過ぎるのでね、こうでもしないと殺せないんだよ」
「卑怯者! 恩を仇で返すなんて!」
ドゴッ
その瞬間に顔色が変わったドウシンの拳がギョクレイの顔を殴りつける。
「うるさいな、少し静かにしてもらおうか」
殴られたギョクレイがドウシンを睨み付けると、さらに言葉を発しようとしたがドウシンはギョクレイの口にロープを挟ませて喋れないようにした。
くっ!姉様……ここに来てはなりません……
何も出来ないギョクレイは蓮の皆の無事をただ祈ることしか出来なかった。
疾走するハクレイ達の前にクロウを先頭にした集団が立ちはだかった。前方にいるのが楼の頭首のクロウだと分かるとハクレイの怒りは爆発した。リュリュカナの中に蓮と隣のヨリュカシアカの端にある楼とは交流が全くなかったが、互いに情報を探る事は怠らなかった。当然主要人物については頭に叩き込んでいる。
「クロウか! 貴様どういうつもりだ! ギョクレイはどこにいる!」
「これはこれはハクレイもいう名だったか? リハク亡き後は女の分際でお前が頭首になるのであったな」
「黙れ! 今すぐギョクレイの居場所を吐かねば貴様らを皆殺しにする」
「おいおい、頭首ともあろうものが軽率な物言いだな。お前は状況を理解しているのか? まあいい、お前の妹は我が部隊にセキレイへと運ばせている。一族の目の前で殺してやろうと思ってな。どうだ? 面白そうだろ? その後で蓮の連中は全て殺してやる」
「なんだと!」
怒りも露に怒鳴りつけるハクレイだが対するクロウは余裕の表情でそれに応えて、やがて残忍な笑みを浮かべる。そしてようやくハクレイは自分達が誘きだされた事に気がついたのだった。
「おのれ! 許さん!」
「いいのか? セキレイに向かわせた部隊は今ここを出たばかりだ。今すぐ引き返せば間に合うぞ。それともこの場で争って、蓮を見殺しにするか? まあお前らもここで皆殺しだがな! ハッハッハ!」
クロウが手を上げた合図で周りから大量の伏兵が姿を現した。
こんなに伏せていたのか!
ハクレイは悔しさのあまり顔を歪める。どう控えめにみても圧倒的に不利であった。主力部隊を連れてきているので一方的にやられることはないが時間が経つにつれて磨り減らされていくことは明らかである。だがそれ以上に時間の余裕がなく選択肢が限られている。
「ハクレイ様」
後ろにいる部隊長から決断を促される。セキレイにいる皆を守る為には一刻も早く戻る必要がある。敵が今ここを出たばかりなら自分たちの機動力なら先にセキレイに着く自信があった。だがそれでも、今すぐに引き返しての話でここで戦闘をする時間の余裕などない。
くっ!
「セキレイに戻り街を守るぞ!」
ハクレイ達が引き返す為に馬の向きを変えた時
「皆の者、やつらを殺し尽くせ!フハハハハ」
歓喜の色すら感じるクロウの号令でハクレイ達は背中を狙われることとなった。
「ぐっ! 全速力で駆け抜けろ!」
ハクレイはとにかくセキレイの街へ戻る事を優先させた。しかし、退きながら相手と戦うのは困難である。一番後列の方から蓮の部隊は敵の刃に倒れていく。
「ハクレイ様! このままでは後ろから殺られてしまいます! 私と十名で足止めします! 我らの家族をお願いします!」
「ぐっ! ジンライ、死ぬ気か!」
「やつらには殺されません! では」
足止めに向かって生き残るなど望み薄だがハクレイは死ぬなと言わずにいられない。それに応えるジンライも相応の覚悟で一番後方に下がって指示を出すと十一名が身を翻した。
すまぬ……
ハクレイは残る二十名を引き連れてセキレイへと急いだ。馬の体力が尽きる程にひたすら駆け抜ければ、楼の部隊よりは先にセキレイへ着くと確信した。だが月が満ちて辺りを見渡せる程には明るい夜とはいえそれ以上に前方の空が明るい。その理由はすぐに判明する。遠くで空が赤く染まっていたのだった。
まさか、あれは
「ハクレイ様! セキレイが燃えています!」
「なっ……何故だ! 間に合わなかったのか!」
ハクレイ達は焦る気持ちに我を忘れて全速力で燃えているセキレイに向かった。そして、ようやく辿り着いたハクレイは変わり果てたセキレイの街に驚愕した。
こんな…… 何故…… 騙されたのか……
街がこのような状態になるまでにはそれなりの時間が経っているはずであった。完全にクロウの策に翻弄されたのである。馬から降りたハクレイは心が押し潰されるような感覚に胃液が競り上がり、四つん這いになって吐いた。極度の怒りと悲しさ、不安と緊張などが精神を崩壊寸前にまで追い込んだ。数刻前まで父を仰ぎ、仲間と共に笑いあいながら過ごしていた日々から一転して父や仲間を失い、心の準備もままならずに一族の長となったがその重圧はおよそ耐えられるものではなかった。
「ハクレイ様!」
共にいた数人が駆け寄る。皆が絶望に打ちひしがれれながらも自分の事を心配してくれている。父はもういない。ならば自分が道を示さねばならない。それが出来なければ終わりである。今何をするべきか、涙を拭いながら皆の顔を見渡す。
「大丈夫だ……それよりも生存者を探そう」
辺りは倒れている人が無数にいた。そしてその者達は二度と目を開けることはない。建物にはいまだ火が燃え上がっており、中にいたなら間違いなく助からない状態である。そのような街の中を生き残っている者がいないか手分けして探した。
ハクレイは必死に生存者を探しながら気持ちが溢れて涙を流していた。少し前までいつものように明るい笑い声が飛び交う街で子供達は遊び、大人達は気持ちよく汗を流しながら仕事をして、老人達はそれを温かく見守る。その光景がもう戻らない現実だと叩き付けられている。そこには老若男女関係なく屍が無数にあった。
守れなかった……大切な人達を私は……
「ハクレイ様!」
その時、誰かの呼ぶ声が離れた場所から聞こえた。ハクレイは声のする方へ駆けていく。
!!
酷い事を……
ハクレイが駆けつけた場所で見たものは、体中を斬られ両手を開かせた状態で両腕を刀で貫き、壁に縫い付けられた仲間であった。すでに助けられている最中ではあるが傷の深さから生存は絶望的だった。わざと急所を外して生かされている。それはおそらく何かを伝えさせる為に。傷だらけの男は生きてはいるが目の焦点が合っておらず、もはや助かる見込みは無かった。
「ハクレイ……様に……伝えて……くれ……楼の者……が……ギョクレイ……様をかえ……して……ゴフ ッ 欲しければ……ナロカの地まで……来い……と……」
そこで男は絶命した。その時、野盗に扮した楼の追撃部隊が到着して燃え盛るセキレイの街の中で展開する。かなりの数が押し寄せて迫る中、ハクレイが呟いた。
「お前ら……皆殺しだ……」
目を見開いて涙を流しながら引きつった笑みを浮かべたハクレイの中での理性はもう飛んでいた。ハクレイが敵の集団に突っ込むと仲間も後に続き、乱戦の末に追撃部隊を殲滅した。圧倒的な敵の数に比べれば被害は少なかったがそれでも多くの仲間が敵の刃に倒れた。虚無感に襲われながらもまだやるべき事があると、ヨリュカシアカ州街道のナロカという地点に向けて出発したのだがそれすらも罠であり、辿り着く前に絶体絶命の危機に陥る事となる。
ビュンッ
街道脇の物陰から無数のクナイがハクレイ達を襲った。極度の疲労と怪我の為に伏せていた敵に気づかず、放たれた凶器は効果的に損害を与えてくる。ハクレイの馬が転倒し、飛ばされながら着地したものの、他の者は体や目に敵が放ったクナイが刺さり、地面に転げ落ちた。そこへ待ち伏せしていた部隊がハクレイ達を囲んだ。
まさかこんな所にまで伏兵が……
これではもう……
満身創痍のハクレイ達十名に対して相手は百名をゆうに超えていた。こちらの行動が全て読まれている。自分の思考ではクロウを上回れないのだと思い知らされる。何と非力なことだろうか。せめて自分に父リハクの十分の一でも知力があったならなどと弱気になっていることにふと気付く。すでに絶望と後悔と虚無感で地面に膝を付きそうになる。
こうなればもうこの命が尽きるまで……
「姉さん! ここは俺らが引き受ける! ギョクレイはリハク様の死を目の当たりにしていたはずだ! アイツを救ってやってくれ!」
刀を抜き、前進を始めたハクレイを止めた者がいた。それはギョクレイの許嫁であるキリュウという男だった。
「この人数が相手だ。私も戦わねば」
「頼む! ギョクレイの所へ行ってくれ! こんな俺にあいつはいろんなもんをくれたんだ。だからこそ俺は生きてこれた! 人を傷付けることしか出来なかった俺なんかにだ!
なのに俺はあいつにまだ何もしてやれてねえ。だから! 頼む!」
「キリュウ!それならばお前も必ず生き延びねばならん!ギョクレイを助けてすぐに戻る!必ず何としても生き残れ!」
ハクレイはキリュウから譲り受けた馬に跨がり、そう言い残して目の前の包囲を粉砕して駆け抜けた。