レトの暗雲
アウリスとミラはテーブルに座ってダンガスの帰りを待っていた
テーブルの上には何も乗っていない皿とパンが三人分並べられており、キッチンには何度か温め直したシチューも湯気を立てずにダンガスの帰りを待っているようだ。
「ダンガスさん遅いね」
アウリスはお腹の音を誤魔化すようにすっかり夜になり暗くなった窓の外を見つめて言った。
「そうだね、世間話で盛り上がってるのかな? 先に食べてよっか?」
「うーん、でももう帰ってくるかもしれないから待っていようよ」
その時、家の扉が開くと、ダンガスが重い足取りで入ってきた。何やら浮かない顔をしている。
「おかえり! 遅かったね。今シチュー温めるね」
笑顔で迎えるミラの言葉にダンガスはテーブルを見ると、驚いた顔をしてすぐに明るい表情になった。
「待っててくれたんか。いやーすまんすまん。腹が減っているだろう? 早速食べよう」
腹が減っている事も忘れていたダンガスも急に食欲が湧き、すぐに木の椅子に座った。
コンコンッ
突然の扉をノックする音はキッチンに入っていたミラも聞こえたようでまた戻ってきた。
「はーい」
こんな時間に一体誰だろう?
アウリスが立ち上がって扉を開けにいった。
ガチャ
そこには濃緑のマントに大きな帽子を被った男がアウリスの姿を見て笑顔になる。
「ガロ!」
「やぁアウリス。大きくなったね。ダンガス、ミラこんばんは」
「誰かと思えばガロでねえか! よお帰ってきたな。今着いたのか? 今回はどこへ行ってたんだ? 探し物は見つかったんか?」
嬉しい来客に沈んだきもちがすっかり吹き飛んだダンガスは落ち着かないように質問を浴びせかける。ダンガスとガロは古くからの友人で村の近くの山林で怪我をして動けなくなってた所をダンガスが助けたという経緯がある。その時に暫く世話になりそれ以来度々ダンガスの元へ訪れては何日か滞在してまた旅に出るというようになった。ダンガスも何故かガロのことを家族のように思えてガロが立ち寄った時にはいつもお帰りと声をかけてきた。
「丁度今から夕食なの。ガロも食べる?」
ミラも嬉しいようで顔を輝かせている。アウリスとダンガスの皿にシチューを入れながらガロに尋ねた。
「ここに来る前にマキナ亭に寄ってきたから大丈夫だよ」
「じゃあ、温かい香茶を淹れるね」
「ありがとう」
皆がテーブルについて落ち着いた所で、ダンガスがガロに尋ねる。
「今回はどこまで行ってきたのかね?」
ガロから聞く遠方の話をダンガスはいつも楽しみにしている。ダンガスは生まれてからレトの周辺にしか行ったことがなく、見たこともない海や雪国、空飛ぶ飛空船の話などは興味が尽きることのないものばかりで話を聞いているだけで胸が踊るのだった。
「今回まずは北のノーブリアまで行ってね、そこにあるお城の……」
その夜はガロの旅話で四人は盛り上がった。やがて夜もふけるとアウリスとミラは眠気に勝てずにそれぞれの部屋で眠りについた。そして深夜になりテーブルにはガロとダンガスだけでまだ会話を続けていた。
「ここ最近、周りが物騒になってやがる」
「ああ、旅の途中でもいくつもの街や村が襲撃にあってたよ。噂で聞いたり実際に目の当たりにもした。どこも大変な状況でここが気になってたんだ」
アウリスやミラが聞いたら不安にさせるので二人とも寝てからダンガスが抑えた声で村の会議での話を切り出した。ガロも心得てか、先程までとは違う雰囲気でそれに答えている。
「自警団の人数を交代制で臨時的に増員するとか王都に掛け合って周辺の賊を討伐してもらうなどは話に出たんだが……」
ダンガスはガロに村の会議の内容を伝えた。しかし、ガロは
「うーん、王都はおそらくあてにならないかな。噂によると賊の中に軍の正規兵が変装して襲撃に加わっているみたいなんだ」
「なんだって!」
あまりの衝撃にダンガスが椅子から立ち上がり大声を張り上げた。ガロはまだ確実にそうだとは言えないが、と付け加えたが高い確率でそうだと思っている。ダンガスが自分自身の声に驚き、落ち着いて椅子に座り直すと意識して声のトーンを下げて聞いた。
「な、何故そう思うんだ? 軍が民を襲撃するなんざ一体何が何やら……」
「襲撃された跡を見たことがあったんだけど、食料や物品に手をつけず残っていたり、賊にしては手際が良すぎる点がいくつもあったんだ。
それでも確証はないからね、この事を訴えかけても王国への不敬発言として牢に入れられるだろうけどね。現にそういう人を見かけた事もあった」
理解が出来ないとばかりにダンガスは意気消沈してしまった。頼るべきものを失ったとも思った。それをガロが感じ取り苦笑した。
「私の勘違いかもしれないしダンガスの身に何かあってはいけないからこの事は誰にも言わないで欲しいんだ。それにいい噂も流れていてね、屈強で名高い王国第七騎士団が賊討伐の遠征中で現在南から北上中らしい」
それを聞いたダンガスはさらに困惑してしまう。
「一方で軍が俺らみたいな人達を傷つけ、一方でその賊を討伐するのか……ますますわからん。ひとまずは様子を見る方が良さそうだ。ガロ、疲れてるだろうに長くなってすまん。今日はもう寝るとしよう」
そう言ってダンガスは自分の部屋へととぼとぼと歩いていった。
ガロもお休みと言っていつものようにガロの為にいつでも使えるように用意されている二階の部屋に向かうのだった。
ベッドに横になったガロの胸の内には、ダンガスには告げていない懸念があった。
現在の最高権力者の宰相セガロは、七年前のバラン州反乱の時に功を認められて今の地位に就いた。当時のセガロは州候ですらない男爵の立場でお世辞にも権力争いに参加出来るほどの家柄ではなかった。
まだ王国が存在しない時代に外敵から身を守る為にそれぞれの地域のリーダーが手を取り合って結束した名残で、一年に一度か有事の際には王の名のもとに集まり、意見を交換する場である十二士会議(ハルト王国は十二州で構成されており各代表が集う)があった。そこにゴア州候が病で伏せていると代理でセガロが暫く参加していた。屈強なバラン州を討伐することに他州が日和見をするなかで、我先にと州軍を率いてバラン州の反乱を鎮圧すると言い切った。そして、それは驚くべき速さで双方の被害を最小限に抑えて鎮圧してしまったのだった。名声が急上昇すると残念なことにゴア州候が病没する。ゴア州の中で英雄扱いだったセガロは周囲から担ぎ上げられていよいよ州候になってしまう。
セガロはそのままの勢いで前ハルト王を説き伏せて強引に宰相となると、権力闘争の相手だった者達をさらに強引に粛清を断行しながら、日に日に権力を高めていった。
それからもセガロの暴走は止まらず、当時の軍や貴族等の有力者にいた訳でもない全く無名のデルガロという男を、強引にゴア州候に任命したのだった。
これには当然大臣や王の側近の者からの反発は凄まじいものがあったが時期悪く前ハルト王が崩御すると、若干十五才の王子が次王に即位した。
現ハルト王に王の器は無く、今となってはセガロの思うがままとなってしまった。
何もかもが胡散臭い、そう思うのは自分だけではないはずなのに糾弾する声は上がらない。七年前のバラン州反乱での両軍の被害が最小限であったこと。その後もバラン州候はじめ反乱因子を完全に排除出来ずにいまだに小競り合いが続いている。押しては引いてを互いに示し合わせたかのように繰り返しているのだ。セガロの言い分では「バラン州だけに気を取られては危険であり、他の州が反乱する可能性も無いではない。外敵からの侵略も懸念される。」と最もらしい事を言い、事実化するために極秘でゴア州軍一部の兵力で賊という形で成り代わり、バラン州に集中出来ないようにしているとも思える。
つまりはセガロと王下直属騎士団、バラン州、ゴア州が一つの組織のように機能している。最高権力を手にしながらまだ何か事を起こそうとしているように。他国の侵略ならば国力を削ぐようなことはしないはず。意図が分からないので答えにも行き着かない。
寝返りをうって小さくため息を吐いた。国が荒れていく、それを分かっていてもどうすることも出来なかった。一人の旅人が国を変えられるというロマンを抱くほど子供ではない。
いや、それでもあの人なら一人でも立ち向かったのだろうね。
まだ寝付けないガロは寂しい眼をして苦笑した。
せめて、身近な人達が悲しい思いをしませんようにと願うばかりであった。
翌日、アウリス達四人は揃って朝食を摂っていた。
「アウリス、今日はその……なんだ……えーっと、おれは用事があるで仕事には行かねぇから……そうだ、ミラと遊んでていいぞ。だが遠くには行くなよ」
ダンガスは何かを誤魔化すかのようにしどろもどろになりながら、美味しそうにシチューに浸したパンを頬張るアウリスに告げる。
「あれ? お父さんが用事だなんて珍しいね」
ダンガスが用事だと言って出かける事をミラはあまり見たことがない。いつもならいつ頃帰るかだけ告げてふらっと出かけて行く事がほとんどなのである。
「いや、まあ用事というか……」
「お父さん? どうしたの? 体の具合悪いの? 無理しちゃダメだよ?」
「ダンガスさん、大丈夫?」
アウリスとミラに心配かけまいとして隠そうとしているのだが、慣れない事をして逆に心配されているのを見て、ガロは可笑しくて仕方がなかった。
「ダンガス、知っておいた方が危険を回避出来ることもあるよ」
ガロは穏やかに言った。優しさ溢れるこの親子がガロは大好きなのであった。
「うーん。確かに、そうだな。二人ともよく聞いてくれ、今この村の近くに悪い集団がいるらしくてな、人が何人も殺されとる。ここに来るかは分からんがとにかくいつもより気を付けるんだ。俺は今日、自警団の手伝いに行ってくるでな」
それを聞いた二人は意外な話にどう口にしていいか分からなかったがやがて
「遠い所には行かないからね」
「村の中にいた方がいいかな」
二人の言葉に安心してダンガスは顔を綻ばせた。
「湖は行っていい? 今日はローネと約束してたの」
嬉しそうな顔をしてミラが聞いてくるが心配性のダンガスは不安で仕方がない。レトから湖までは歩いて半刻程である。
「湖かぁ、少し遠い気がするが……」
ダンガスはミラの事になると過保護だと周りから笑われるくらいに大事にしている。早くに伴侶を亡くして失う悲しみを知っているが故かもしれない。
そんなやり取りを見守っていたガロは双方の気持ちを汲み取った。
「ダンガス、僕が同行するよ。せっかくだから僕も久々にあの湖に行ってみたいしね」
アウリスとミラに向かってウィンクしてみせる。
「そうか、お前さんが一緒なら安心だな。では、俺は行ってくるでな」
「行ってらっしゃい!」
二人の声が揃った。
ガチャ
軽く右手を上げたダンガスは安心した表情で外に出ていった。
「そろそろローネの所に行かなきゃ! 出かける前に手伝って欲しい事があるみたいだから行くね! 二人とも準備しててね」
弾んだ声をあげて勢いよくミラも出ていった。
部屋にアウリスとガロの二人きりとなると何とも言えない間が開いた。昨夜は四人で賑やかに話していて気が付かなかったのだが、思えば五年ぶりでアウリスは何か気恥ずかしい気がした。
「またすぐに旅に出るの?」
「いや、何日か滞在するつもりさ。それともすぐ旅に出た方がいい秘密の理由でもあるのかな? 」
ガロは悪戯するような顔つきでアウリスの顔を見つめた。
「秘密なんてないよ! ちっ 違うんだ! その……久しぶりに会って……何てというか……ゆっくりしていってもいいというかその……僕は一体何を言ってるんだろ……」
アウリスは顔を赤くして下を向いてしまった。
「そうかそうか、アウリスは僕がいないと寂しいんだね? ふむふむなるほど」
「そうじゃなくって!」
その時、ミラとローネが部屋に入ってきた。
「おはよう! ってアウリス、何顔を赤くしてんのさ?」
うぅっ……
困り顔のアウリスを見てガロは声をあげて笑った。