疾走
「四人かい? 一部屋二つのベッドだから二部屋だね。200ジルだよ」
アウリス達はヨリュカシアカ州の中のトーレという町にたどり着いた。夜が明けたばかりだが明かりが点いて営業していた宿屋に入ると機嫌が悪そうな目をした女にロキが空いてる部屋があるかを聞いている。
意識を失っている女はアウリスが背負っているのだが目を覚ます気配はまだないようだ。
「あー、部屋は一つでいいんだが」
ロキは治療だけ出来ればいいと思っていたのでベッドは一つあれば十分だった。ゆっくりしたい気持ちはあるが別段眠たいというわけでもない。
「ダメだね! 部屋は二つ借りてもらうよ。それが嫌なら他所を探すんだね」
恐ろしく不機嫌な女主人が鼻息荒く追い出そうという感情を隠しもせずに言い捨てると、入り口近くで立っている汚れたアウリスとライを見て顔をしかめた。アウリスの背中に背負われた女に対しては探るような視線を向けている。
「それに後ろの人、大怪我してるんじゃないのかい? トラブルは御免だよ!」
「分かった、二部屋で頼む」
女主人の表情、声の中で心境を敏感に感じ取ったロキは、ため息混じりに答えながら腰に提げた鞄に手を突っ込んでいる。ロキが提示された宿代銀貨二枚とは別にさらに二枚を取り出した。銀貨二枚でも払いすぎだと思っているがこれで文句あるかと言わんばかりにカウンターに銀貨四枚を叩きつけた。
「これでいいだろ?」
「あらまあ、そういうことなら大歓迎さね。部屋にあるものは自由に使ってくれりゃいい。何か必要な物があったら遠慮なく言っておくれ」
銀貨四枚を受け取った女主人は急変して上機嫌になった。まとわりつくような猫なで声と気持ち悪い笑顔にライの顔がひきつるがロキはというと、無表情で鍵を受け取り部屋に歩き出す。部屋が二階だったので軋む音が鳴る階段を昇るとひとまずは一つの部屋に全員入った。安宿だから仕方ないのだが汚くはないが綺麗でもないベッド二つと小さな机と椅子が部屋の端にあり、机の上に鞄から色々と取り出して並べたロキの指示のもとアウリスとライがせっせと環境を整えていく。ベッドの上には女が急に暴れださないように、ロキお手製の鎮静効果も高い眠り香料で眠らされていた。
「じきに目を覚ます。こいつがどんな人間かもまだ分からないからな。暴れだしたら止めろよ。来ていた服装からして普通じゃないぞ」
女が着ていた装束は三人共に見たことがないものだった。黒一色で装飾めいたものもまったくないため、怪しいどころか不気味さも感じる。今は包帯を巻いた体にロキの替えの服を無理矢理着せため、丈が全然足りずに腕と足の肌が露出していた。
「うっ……」
小さな呻き声を発した女がゆっくりと目を開くと、すぐに目を見開いて動き出した。
「ううっ!」
無理矢理起き上がろうとして全身の痛みに襲われると、再び背中をベッドに沈めた女は表情を歪ませながら一番近くにいたロキに目を向けた。
「無理をするな、お前は死にかけてたんたぞ」
「助けてくれたのか? すまなかった、だがもう大丈夫だ。行かなくては」
激痛に耐えながらもベッドから這い出ようとしている姿に呆れるが、満足に動けないであろうことも分かっているロキが溜め息をこぼす。
「あのな、せっかく治療してやったんだぞ。少しは大人しくしてろよ」
「頼んだ訳ではない」
カチンッ
片眉を上げたロキが女の肩にある傷ついた箇所を指で突く。
「ああぁぅっ ! 」
背中を丸めて痛がる女の姿を見て、アウリスとライの顔がひきつった。ロウソクの明かりに照らされたロキの顔は無表情だ。
ロキさん……怖いっス……
「指で突かれただけでそうなるんだろうが。一体何をそんなに焦っているんだ? 親の仇でも取ろうってのか?」
「そうだ」
!?
これにはロキも驚いた。しかし、安静にしなければならないことには変わりがない。
「俺はロキだ。お前は?」
「ハクレイ」
「そうかハクレイ、仇討ちだとしてもだ、そんな状態では無理だろうが。なにがあった?」
「お前には関係ない」
カチンッカチンッ
見るからに暴れだしそうなロキの肩に手を置いて、アウリスが声をかける。
「僕はアウリス、どういう状況かは知らないけど何か力になれることはないかな?」
「これは私の問題だ、お前たちに出来ることなど何もない」
ハクレイの言葉にロキが怒気を含ませて言い放つ。
「アウリス、こいつは死にたがってるんだ。もう放っておけよ」
「うん……でも……ハクレイ、今日だけは大人しく寝ていてくれないかな? 明日の朝になったら行きたい所を言ってくれたら僕が連れていくから」
「またお前はそうやって首を突っ込む。けどなハクレイ、今お前が動き出すと俺らが迷惑するんだ。命を助けてもらった者に迷惑をかけるような事を平気でするような人間なのかお前は」
「それは……分かった……」
ハクレイは無理やり起こした体をゆっくりとベッドに寝かせて目を閉じた。
「俺は馬車を役所に持って行ってくる。あれをそのまま使うのは後々面倒な事になりかねないからな」
「えー! いいじゃねえか! 便利だし、持ち主もいないし貰おうぜ?」
「あのなライ、あの馬車の持ち主はそこそこ名の通った商人だった。知ってる奴が見て盗んだと言われりゃ事情がどうであれ罰を受ける可能性が高い。ゴタゴタにならない内に行くぞ。お前も来い」
そう言って、ロキはライを連れて部屋を出ていった。アウリスはハクレイに付き添うように言われたので大人しく部屋の椅子に座っていた。ハクレイはもう眠りについたように思っていたのだが。
「アウリスと言っていたか?」
突然、ベッドの上のハクレイが目を開けて視線を向けるとアウリスに話しかけてきた。
起きてたのか
「そう、アウリスだよ。どうしたの?」
「何故私を助けた?」
「えっ? ああ、偶然通りがかったんだ。それで酷い怪我だけどまだ息があったから助けようって」
「怪しいとは思わなかったのか?」
「うん、そうだね。あの時は助ける事で頭の中が一杯だったから」
「そうか」
ハクレイはまた体を起こそうとするが思うようにいかないようだった。
「すまないが頼みがある。体を起こすのを手伝ってくれないか?」
「ダメだよ。大人しく寝てないと」
「ほんの少しの間だけでいい」
「それは……少しの間だけなら」
無理は良くないと思いながらもアウリスがハクレイの背中に手を回したその時。
「うっ!」
ハクレイの手刀がアウリスの首を打ち、アウリスは気を失いベッドに倒れかかる。それからゆっくりとベッドから出たハクレイは部屋の隅に置かれた黒装束に着替えるとアウリスを見やり、部屋を出て行ったのだった。
すまない……
「せっかく持っていったのに礼の一つもないのかよ」
ロキとライは役所に馬車を届けて、宿に戻る所であった。朝早くに訪れた為にまだ開いておらず、偶然早出をしてきた職員を捕まえると嫌がるのも無視して無理やり手続きを済ませたのであった。
「まあ、そんなもんだ。ん? 向こうから走って来てるのはあいつじゃないのか?!」
二人の前方から黒いシルエットが近づいてくる。辺りはまだ人の気配がなく、走ってくる足音がやけに大きく聞こえた。
「おい! 走れるような傷じゃなかったんじゃねえのか! ってかあいつが外に出てアウリスがいないって事はどういうわけだ?! 」
ライは様々な可能性を瞬時に考えたが答えは目の前に迫るハクレイしか知らない。
まさかアウリスがやられたのだとしたら。
「おい! 止まれ! アウリスをどうした!」
叫ぶライの呼びかけに応じる素振りもなく、ハクレイは止まらずに互いの距離だけがどんどんと縮まっていく。
仕方ねぇ
ライが瞬時に二刀を抜刀すると、それを見たハクレイも背中から刀を抜き放つ。ハクレイがライの間合いに入った瞬間、ライの二刀がそれぞれ違う軌道でハクレイに迫る。
キンキンッ
ハクレイは二刀とも刀で弾くとライの頭上で宙返りをしながら斬りつける。
ガガガガンッ
ライは真上からの連撃に反応が遅れてしまい、どうにか剣で受けたもののよろけて背中から地面に倒れてしまったのだった。
マジかよ! 速え!
ライが瞬時に起き上がったのだがハクレイはそのまま走り去り、すぐに姿が見えなくなったのであった。