マキナ亭
「見えた! レトだよ!」
遠くに見えた村を見て指を指したアウリスは、久しぶりに戻ってきた実感を感じながら振りかえる。穏やかな森林が遠巻きに囲んだ平地にのどかな風景と、心地よい風が頬を撫でる。村を出た時は長い間戻ることはないと思っていたのだが、次の目的地までの寄り道ということで思いがけずに立ち寄ることとなった。
「腹が減ったな! 何か食べようぜ!」
「またかよと言いたい所だが確かにそろそろ腹が減ってきたな」
珍しく腹時計が一致したライとロキが、目的地に着いた達成感と安心感で顔を綻ばせる。いつもはライが腹が減ったと言いつつもロキが我慢させていることが多い。というのもライは食べても幾らも経たない内に腹が減ったと言う。育ち盛りであるのは間違いないが、ライにとっての食事は人一倍活力源となっている。今もお腹の減り具合は二人の間に差があるのだろうが、実際アウリスもお腹が減っているので村に着いたら食べたいと思っている。
「村には美味しいものが沢山あるよ! ……かもしれないよ!」
言い切れずに言葉を濁した訳は、幼なじみのローネが作る料理にある。低確率で失敗作に当たる可能性があることを思い当たり、慌てて訂正したのだった。ローネが作る料理を食べなければそんな心配もなくなるのだが、久々となれば張り切って料理を振る舞うであろう。そして、急にダンガスさんの家で三人分の料理を今すぐ用意するのは難しいだろう。ミラなら有り合わせで作ってくれそうだが、迷惑をかけるのも忍びない。ローネと会わずにご飯を食べようものなら何を言われるか分からないし、お世辞にも栄えているとはいえないこの村で料理店を営む酔狂な店は一つしかにい。ならば行き先は決まってくるというものであった。
やがて到着した村に入ると気付いた人達が声を掛けてくれる。小さな村ではあるが相変わらずレト村の人達は優しく気さくな人が多い。
「やあアウリス、戻ってきたのかい?」
「アウリスおかえり!」
声を掛けてくれた一人一人に笑顔で応える。時にはライとロキの紹介をしつつ進んで一軒の家に着いた。小さな頃からお世話になっているダンガスとミラの家である。
「ただいま!」
ここがアウリスの育った家であり、家族と呼べる人達が住む家である。突然帰ってきたので丁度掃除をしていたミラが驚いた様子で目を見開いていた。
「えっ!? アウリス? お帰りなさい! お父さん! アウリスが帰ってきたよ!」
手に持っていた雑巾を水の張ったバケツに沈めたミラが開いた窓から叫ぶ。その声に呼ばれて家の裏で薪割りをしていたダンガスが、首にかけたタオルを使って顔を拭いながら家の中に入ってきた。
「おお! アウリスじゃねえか! 少し見ない間に見違えたもんだな」
アウリスの後ろにいる二人に気付いたミラは、目を輝かせる。
「二人はアウリスの友達? 初めまして! ミラです」
「俺はライだ! よろしくな!」
「ロキだ」
「よく来たな! ワシはダンガスと呼んでくれ!」
元気なライとしっかりした感じのロキの挨拶をダンガスは好ましく思い、豪快に返す。
「ダンガスさん、もうマキナ亭開いてるかな?」
「ああ、丁度開いた所だろうな。行ってやるといい。ローネも喜ぶでな」
「ん? アウリス、ミラとダンガスさんは家族じゃないのか?」
ダンガスが父親でミラが妹なのだと思っていたライは、二人の会話に違和感を感じて質問する。実の父親の名前にさん付けして呼ぶ者が、見知った中でもいなかったのだ。思えばお互いに家族の事はあまり話したことがなかったことに気付く。
「ガハハッ! アウリスは小さい頃ここに連れられて来てな、それから一緒に住んでたで、血は繋がっとらんが実の息子のように思っとるよ」
「僕の父さんは生まれた時からいなかったけど、母さんは戦争に巻き込まれて死んだんだ」
「そうか、アウリスも色々と大変だったんだな。俺も小さな頃に親父達が死んで、それからは血の繋がりはないけどガトー爺ちゃんに育ててもらったんだ。そういやロキは家族がどこかにいるのか?」
「いや、俺の家族はもういないな。ザムーラの内乱で親が死んで数年後に姉も亡くなった。まあそれからは一人だったな。アウリス、ミラはお前のいい人なんだろ? おいてけぼりで旅するなんて罪な奴だな」
会話の流れがしんみりしだした辺りでロキは、場の空気を変えようとアウリスをからかった。時が経ち薄れているとはいえ、家族を失った悲しみをそれぞれに抱えているのは違いない。そんな空気を慣れない冗談で変えようとしたのは、三人の中で一番年上であるロキのちょっとした気遣いであり、珍しく悪戯っぽい笑みさえ浮かべている。
ん? いい人? 優しい人って事かな
「うん。ミラはいい人だよ!」
「えっ!? ええぇぇっ!!」
ミラが驚いた声をあげると、リンゴのように真っ赤にした顔を両手で隠すと俯いてしまった。それを見たロキの悪戯っぽい笑みはひきつった笑みに変わる。
あっ、ヤバイ…やっちまったか……
冗談のつもりだったのに、二人の胸の内を強引に引き出してしまったのだと焦りだす。人の色恋にどうこうする趣味はないのに慣れない冗談の望まない結果にため息をつく。
「ああ、飯を作るのが上手って事だろ?」
「えっ? うん! ミラの料理は美味しいよ!」
「……」
ライの鈍さに呆れるが、アウリスの鈍さもいつにも増して際立つ。鈍い二人の様子にまたため息をつきながらどうでもいいと思うことにした。
こいつら、意味分かってねぇのか……
開き直りイラッとしたロキが、二人に冷たい視線を叩きつけているが当のミラといえば、今は何も耳に入らない様子で顔を赤くしてうつむいたままだった。そんなやりとりにダンガスは豪快に笑っている。
「よーし! んじゃ飯に行こうぜ!」
「そうだね! ダンガスさん、ミラ、一緒に行かない?」
待ちきれないライの号令に続くようにアウリスが二人をさそった。
「ワシは今から隣の村に仲間と木材を運ぶでな。ミラを連れて行ってくれ。旅は終わりか? それともまた旅に出るのか?」
「レトには寄っただけだからすぐ旅に出るよ」
「そうか、ここにいる間は2人も泊まっていくとええ。広くはないが一つ部屋が余っとるからな。晩飯は一緒に食べよう」
アウリスの肩をポンと軽く叩くとダンガスは外に出ていった。見送ったアウリス達四人も、マキナ亭に向かう。
「いらっしゃーい! ってアウリスじゃん! ひっさしぶり!」
マキナ亭の扉を開けると相も変わらずの元気一杯なローネが迎えてくれた。店内に客は一人もいない。マキナ亭は昼間はあまり客が来ないのだ。夜になると仕事帰りの人や家族連れ、旅人などでいつも満席となる。村の住人は家で済ます事も出来るのに夕食をマキナ亭で食べる事が多い。先代の店主が村の世話役で皆、恩がそれぞれにある。年老いた老夫婦の様子を見る事も兼ねて店に通う。食事代もほぼ原価であり、採算度外視の経営を代替わりした現在も続けている。さながら村の食事の面倒を見ているような不思議な状況だ。
「へえー! アウリス、友達出来たんだ?」
アウリスが双方の紹介を済ませると、ローネが踊るように席を案内してくれた。
「じゃあ、ライ、ロキ、何にする?」
既に友達のようにローネが二人に接する。馴れ馴れしく聞こえるかもしれないがそれを感じさせないのがローネの魅力の一つである。四人はそれぞれメニュー表を見ていたのだが。
「おい! 毒キノコのスープって……大丈夫なのか?」
「あー、それね! ちゃんと毒抜きしてるから大丈夫だよ! ロキはそれね!」
驚いているロキに対してローネが自信満々に答える。
「まっ 待て! 俺はそれじゃなくてこっちの」
「いいからいいから! 美味しいんだって! あとは?」
毒キノコを食べるなんでとんでもないと、必死にメニューの変更を主張するロキだったがローネは聞く耳を持たず、口を開けて意識を喪失してロキは、固まってしまった。さすがのロキもローネにはペースを乱されてしまうようだ。その時、キッチンから女店主マキナが出てきた。真っ赤な長髪をポニーテールにした活発な名物店長である。港町のポーランで捨てられていた赤子のマキナを、食材の仕入れに来た老夫婦が拾い育ててくれたのだった。幼い頃から自然に店を手伝うようになり、一時期村を出た事もあったが成長したマキナが村に戻ってからは、店を引き継ぎ老夫婦は悠々自適に日々を過ごしていた。マキナの人柄はさらに多くに人達を惹き付け、元々はひっそりとしていた店は徐々に活気に溢れ、今では村の住人以外にも噂を聞きつけて来た人や知人で賑わう人気店となっている。そうして忙しくなった店を今は近所に住むローネとたまに老夫婦が店を手伝っていた。そして今日も昼間はいつも通り客は少なく、夜のための仕込みをしている最中だった。
「アウリスじゃないか、元気そうだな。旅は終わったのか?」
「マキナさん、こんにちは! レトには寄っただけだからまた旅に出るよ」
アウリスは答えながらマキナの服装が料理人というよりゴージャスな領主風の格好をしていることが気になった。そういえばローネの服装がメイドのような格好になってる。
「アウリス決まった? ん? なに?」
どうコメントしていいか分からないアウリスの横ではライがメニュー表を凝視しながら唸っている。多い品数と独特の品名ばかりで注文を決めかねていた。
「うーん。どれも聞いた事のない料理ばかりでどれがいいのかわっかんねえなー! とにかく量が多いのがいいな!」
育ち盛りの食欲を爆発させているライの様子に、マキナは嬉しそうに目を細めて少し考えてから提案する。
「うちは美味しくて楽しい料理を提供するのがモットーだからな。よし、君にぴったりの料理があるぞ。それにするといい。朝早くにポーランに行って仕入れた新鮮な海の食材があるからな。あとは私に任せな。アウリスとミラは同じものでいいな?」
「アウリスと同じ……」
マキナの言葉をミラが呟くと、何かを思い出したようにまた顔を赤らめてしまった。いつもと違う様子にマキナは不思議そうにミラの顔を覗き込む。
「ん? ミラ、どうした? まあいいか、そしてもう一人の君は?」
「毒キノコスープだよ! ねえ店長、私もここで食べていい?」
その時ロキが何かを言おうとするが、ローネとマキナの声にかき消されてしまう。どうやら最後のチャンスをものに出来なかったようだ。
「ローネ! 私の事はご主人様と呼べと言ってるだろ! ……まあ、いいぞ。今の時間はどうせ暇だからな、じゃあローネの分もアウリス達と一緒で、君が毒キノコスープか、じゃあそれに合うメイン料理にしよう」
マキナはそう言って、意気揚々とキッチンに戻って行ったのだった。
「俺も同じものを……」
消えそうな細い声でロキが声を絞り出していたが、それは誰にも聞こえなかった。固まるロキの周りでは料理が出来るまでの間、アウリス達の旅の話とレトの話題で盛り上がり、ワイワイと賑やかな時間を過ごしている。
「食べ終わったらどうするの?」
「村を案内してくれよ! いいだろ?」
ようやく平常に戻ったミラが尋ねると、ライの要望に応えてアウリスとミラ、ローネで案内しようという話になった。
「俺は露店を開きたい。どこかで場所を貸してくれそうな所はないのか?」
「それならこの店の前で開くといいよ! 店長には私から言っておくから」
「そうか、ありがとう」
ロキは薬の露店を開くこととなった。もともとロキは、アウリスと出会うまでは国中を巡って露店を開いている。そろそろ調合している薬が増えて荷物が多くなってきたと思っていたのだった。
「ローネ! 出来たぞ! 順番に持っていってくれ!」
料理が出来上がったようで、マキナの声がキッチンから聞こえる。それに応えたローネがキッチンとテーブルの往復を始める。まずはアウリス達のラスピ鯛のすり身にマレの木の実ソースがかかった料理が並んだ。
「可愛い!」
ミラの感想が思わず口に出る。魚のすり身の上から薄い黄色のソースがかかっており、その周りに配置された茹でた野菜で色合いがお洒落な配色になっていた。次にロキの毒キノコスープと焼き魚が届く。ラミ魚という平たい形の淡泊な味の魚だが粗塩を薄くまぶして焼いており、香ばしい香りがロキの食欲を刺激した。
「綺麗だな……」
今度はロキが思わず口に出す。目の前にある毒キノコスープはそれほどまでに鮮やかな色のキノコが何色も入っており、それは見ているだけでも楽しませてくれる一品だった。ただ毒キノコであるという事実を除けばではあるが。そして、ライの前に置かれた料理がボリューム満点だった。大きなイカを輪切りにした身(大人の片腕で丸の形にしたぐらいの大きさ)の輪の内側に魚介類をふんだんに使ったパエリアが山盛りになっている。
皆の料理が出揃った所で
「いただきます!」
待ってましたとばかりに声が重なり、それぞれ食べ始めた。
「美味しい! プリプリの身に香ばしいソースが凄く合ってる!」
ミラとローネが顔を見合わせて喜んでいる。
「スッゲー! イカがデケー! ウメー!」
幸せそうに感激の言葉を連発するライはどんどん口の中に詰め込んでいた。
その場の中でロキだけが目を見開いて、冷や汗をかきながら何やらブツブツと呟いている。
「も もし、毒にかかったとしても俺は解毒薬を持ってる……でも即死だったら……いやしかし、即効性の毒を持つキノコなんて……ええい! もうどうにでもなれ!」
意気込みとは裏腹に赤色のキノコを少しかじるにとどまる。
カプッ
??!!!!
「んんっ!? うっ! 旨い!!」
信じられないほどの美味しい料理にロキが堪らず叫んでしまう。
色も素敵だが噛めば口の中に不思議と懐かしい香りが広がり、食感は普通のキノコなのにコクのある濃厚なスープと見事にマッチしていた。ラミ魚の焼き魚料理は肉厚があり食べ応え十分だ。白身は塩のみのシンプルな味付けだったが、濃厚なスープとで相性を抜群にさせている。あまりの美味しさに思わずロキは涙が出そうになった。
「これが噂に聞いた素材のマリアージュか」
などと意味不明な言葉を言っている。アウリスは皆が喜ぶ顔を見てとても嬉しくなった。その後は、それぞれの料理を交換しあいながら、楽しいひとときを過ごしたのだった。