セムネア大戦開戦
「ちょっと待った!」
ラズベル達は疾風の如く野を駆け、ソルテモート候のいるソルテモート城に今、辿り着いたばかりであった。最上階の広間にソルテモート候と側近の者達、そして王都からの使者らしき男達が三名いた。ソルテモート候は体の具合が相当悪く、老齢であり、普段は寝所にいることが多かったのだが王都からの使者を迎えるために正装で中央奥に一つだけある椅子に座っていた。時折咳き込む声が目立つ。
衛兵が止めるのを無視して、広間に突入したラズベルはすぐに大声を出して注目を集めた。
「その話し合い、待ってくれ!」
再びラズベルが、前方の面々に向かって歩きながら言うがその場にいる者達からは場違いだと言わんばかりに冷たい視線が遠慮なく向けられる。
「これはこれは反乱残党軍のラズベル殿とローレンス殿ではありませんか。この状況で一体何を待てと言われるのか」
王都からの使者が鼻を鳴らして失笑する。ラズベル達を知っており、生き延びている事も伝えられていたので驚く事もなく、残党軍と呼んだ。
ちっ
ソルテモートの者達が今までの間にどれだけの事を吹き込まれたか分からなかったが、この場の雰囲気は最早結論が出たような空気になっていることをひしひしと感じ取れる。
ラズベル達は内心ではかなり焦っていた。ムトールとバランの戦闘が始まる前にソルテモートを動かさねば……その前にこいつらを追い返さなくてはそれどころの話ではない。一刻の猶予もないのだと。
「推測するにこれはムトール州を背後からソルテモート軍が攻めよという話で合ってるかな?」
ざわめき始めた場内を沈めるようにローレンスの冷静な声が広がると周囲の視線は使者に集まる。
「左様、反乱を起こしたムトール州を討つ事は王国軍であるソルテモート軍にとっては当然の事でありましょう。そして貴殿達も勿論その対象ですぞ」
使者がローレンスの推測を肯定すると、ラズベルは今にも使者に掴み掛かろうと足を踏み出すがローレンスが手を広げて制するとラズベルは歯を食い縛りながらその場に留まった。
「王国軍? 先日身を罷られたハルト王はセガロの手によって暗殺されたというのに、王の名乗りをあげたセガロは偽王と呼んでふさわしかろう。偽王に与するものはもはや王国軍ではない。偽王軍である!ソルテモートは偽王に手を貸すおつもりか!」
ローレンスの言葉に、ソルテモートの者達はざわめき、使者の顔色は急変する。
「おのれローレンス! 何を馬鹿な事を言っておるのだ! ハルト王は病死されたのだ! 後継者がいないことを憂いて身を罷られる直前にこの国をセガロ様に託されたのだ! 勝手な事をほざいて惑わすではない!」
「では何故もっと早くに公表されなかったのだ、後継者がいないことは前から分かっていたことであろう。託された? そのような重大な事を後で取って付けたように報せること自体がそもそもおかしいのだ。ハルト王は殺されたのだ。ソルテモートの者たちよ! このまま逆賊のいいなりになるおつもりか? ムトール州はいわれなき反乱の汚名を着せられ、今も偽王軍と戦っておるのだ。ソルテモートが剣を向ける先はムトールではないはずだ」
「ソルテモートの者たちよ! この者達の言葉に耳を傾ければ反乱の意思ありとなりて、王国軍がたちまちの内に押し寄せて来ますぞ。ここにいる反乱軍を捕らえてから早く出兵されてムトールを討つがよろしい」
「ふざけんじゃねぇ!」
いよいよ我慢の限界を越えたラズベルが凄んだ。使者は怯んで後ずさったがソルテモートの官は動じることなくラズベル達に告げる。
「どちらにしろ国の軍と戦えば間違いなくソルテモートは滅亡してしまいます。ムトール州に向けて進軍すると、結論は先程出ておりますのでラズベル様、ローレンス様はお引き取り下さい」
!?
クソ! 時間をかけてでも説得するか……
それとも違う手を考えなければならないのか!
一体どうすれば……
ラズベル達の思惑が完全に狂いだした。この国の破滅が時間の問題となりつつあり、何かが崩れる音が聞こえるかのようだった。
ムトール州国境 セムネア付近
ムトール州の西端に位置するセムネア村。その村の近くにある大きな平野は穏やかな風が吹き、暖かい陽射しが平野一面を包んでいた。これより戦場と化すなど思えないそんな光景の中に、ムトールとバラン両軍が対峙していた。
ある程度の兵力差はあると思っていたがここまで大軍を引き連れてくるとは……
およそ百名の軍の先頭で相手を見据えていたムトール軍隊長ジレイスは、絶望的な状況でありながら落ち着いていた。これが生き残る前提で考えたならば落ち着いていられないだろうが、ここに集った百名は生きて帰ろうなどとは思っていなかった。命ある限りせめて一人でも多く倒してムトールの武威を知らしめようとしている。残した家族の事を思えば無責任かもしれないがどのみち逃げる事も出来ず、敗ければ奴隷の扱いを受ける事になる。尊厳を踏みにじられて死ぬことより辛くなるくらいならと最後の手段を使う事も残された人達が選べるようにしている。どこかの州が立ち上がることも期待していたがそれは望み薄だということも分かっていた。もはやこれは、ムトールの誇りを示す戦いであるということを全員が理解していたのだった。
「なんとも壮大な眺めだな! あの人数が全員ダムタールの土産物を買いに行ったなら、土産屋は大儲けだな!」
ジレイスという男は真面目でジョークなど言うような人物ではないが、この場でそれをしてみせたということで誰かが控えめに笑い、それが伝染してムトール軍は大いに笑った。勿論心の底から面白い訳ではなく、気持ちが嬉しくそれに応えたのだ。
ジレイスも笑顔を作ってみせる。本来なら死地に向かう一人一人に声をかけたいぐらいだがその時間はなかった。
「しかし! 我らの目の前にいるのは偽王セガロの軍勢であり、許すまじ逆賊である! 我らが軍勢は少数なれど決して屈せぬ誇りを知らしめるぞ!」
うおおおおおぉぉぉ!
ムトール軍全員が雄叫びをあげた。ジレイスはこれ以上ないくらいの士気を発する勇敢な者達の顔を、目に焼き付けるように見渡した。
!?
なんてことだ!
ジレイスは隊の端に並んだアウリスとライを見つけると、中央から馬に乗ったままアウリス達の前に来た。
「アウリス、何故来たんだ」
ジレイスは険しい顔で言った。本当はもう戦端は開かれる寸前で理由を問う時間も説得する時間もない。
「邪魔はしません! 少しでも役に立ちたいんです!」
「へへっ! お金もたくさん貰ったしな!」
アウリスとライがそれぞれ答えると、それを聞いたジレイスは困りながらもやがて優しい顔をして言った。
「分かった。だけどこれだけは約束してくれ。決して死んではいけない。深入りはせず状況を見て、逃げられなくなる前に二人でここを離れるんだ。いいね?」
頷くアウリスの横でライが馬を一頭貸して欲しいとお願いすると驚いていたが了承して近くの兵に用意させると中央に戻っていった。バラン兵が大きな鐘音を鳴らして前進を始めるとジレイスも間を置かず息を吸い込む。
「では行くぞ! 総員突撃!」
セムネア大戦開戦