「少しずつ変わる世界(12)
マホニアはえへえへと笑った。
「それで、その耀井世界とやらは何をする気なんだよ」
ロキがふんと鼻を鳴らした。
「さあ? わかりません。世界を壊す、のでしょうか。少なくとも彼に力を与えたロキはその気でいるみたいですけども、耀井さんの方がどうするつもりなのかはさっぱり。何せ、調べてそういう方がいることはわかったのですが、どこにいるのかはさっぱりわかりませんので」
「役立たずめ」
「なっ! そういうこと言うと怒りますよ? 私、あなたの先輩なんですからね! やっと私にも後輩が出来ると思っていたのに、先輩風を吹かして、『ちょっとこの仕事やっといて』とか『時間までに出来ない? しょうがないなあ、終わったら一杯くらい奢ってよね』と言ってその仕事を手伝ってあげたりとかできると思ってワクワクしていたのに、あなたがそんな風だから私の願いはまったく叶いません! どういうことなんですか!」
「知るか。それより、こんなところに呼び出して、タロウをどうするつもりなんだ。場合によっては俺がお前を殺す」
ロキが鋭い眼光でマホニアを射る。マホニアは目の前でさらりと言われた暴言にぱくぱくと口を動かして、もう! と叫んだ。
「物騒です! なんでそんな物言いしかできないのですか! いいですか、私はあなたの先輩です。何度も言いますが、私はあなたの先輩です! 四〇〇年も経ってようやく出来た初めての後輩さんがあなたなんです! 少しは私のことを労ったり労わったり尊敬してくれても罰は当たりませんよ!」
確かに物騒な物言いだった。ぷくうとまた頬を膨らませて今にも泣きそうだ。本当に、何百年も生きた神様なのだろうか。
がちゃり、とどこからともなく剣を取り出して構えたロキを見て、マホニアは頬を膨らませていた息をふうと吐いた。
いや、どこから取り出したんだよ! 何でもありなのか!
「もう、わかりました。説明しますから、そんなものは仕舞ってください。まったく、私の世界だというのに失礼なことばっかりして、一体どんな後輩君ですか」
私の夢を返せ、とぼそりと呟いた。僕はそれを聞き逃さなかった。聞き逃さなかっただけだが。
「タロウさんをこちらの世界に呼んだのは、あなたの中に眠る魔素を操る器官を解放させるためです」
「魔素を操る器官?」
初めて聞いた。初めて聞くのは当たり前だけれど、器官があるのか。
「心臓のことです。人間が酸素を取り込んで、心臓をポンプ代わりに血液とともに体中に循環させるのはご存知だと思います。魔素も同じように心臓をポンプ代わりにします。恐らくではありますが、このまま放っておいてもそのうち適応していくとは思うのですが、その場合、いつ適応されるのか分からないのです。ですので、一足先にあなたの心臓を解放させて、主人公らしく振舞っていただこうかな、と思いまして」
鼻歌でも歌わんばかりにマホニアは右手を僕の胸に当てた。
「あら、もう少し開いてますね。これをしたのはこちらのロキさんですか?」
「ああ、ついさっき、こいつと戦うときにな」
ロキがファニを指さした。ファニはべえと舌を出す。
「戦う気などなかったというのによくもまああんなことをしてくれたものだ」
うるせえ、とロキはそっぽを向いた。
仲良しさんですねえ、とマホニアはころころと笑う。
「それではあと少し解放させていただきますね」
そんな二人を尻目ににこりとマホニアは微笑んで、僕の心臓を鷲掴みにした。
痛い。痛すぎる。痛すぎて悶絶しそうだ。
「があああああああああああああああああ!!!!」
悶絶した。マホニアのか細い指がずぶりと肉を割いて僕の心臓に触れている。どくんどくんと動き続ける心臓に合わせて指を添えて、鼓動に合わせて握っては離してを繰り返した。リズムゲームか僕は!
「痛かったら手を挙げてくださいねえ」
そんな余裕はなかった。歯科助手のようなことを言われたけれど、手を挙げようにも痛みが酷くて僕の腕はさっぱり上がる気配がない。
これ以上やられたら死ぬ。それくらい危険な行為に思えた。事実、心臓が止まれば人は生きていけないのだから、もしマホニアが何か手違いを起こしてしまったのなら間違いなく僕は死ぬだろう。
「もういいですよお」
僕の心配をよそにあっという間にマホニアが指を僕の胸から取り出して、「はい、お終い」と手を叩いた。
その手には赤黒い血がついていたのだが、彼女が手を叩くと蒸発してしまったかのように消えてなくなった。
自分の胸を摩ってみるが、穴は開いておらず、世紀末の救世主のような傷跡はどこにもなかった。あれ? と小首を傾げてみるが、そのトリックはわからずじまいだ。
「これでタロウさんも魔法を扱えるようになったはずです。何か使ってみてもらってもいいですか?」
そうは言うけれども、僕は魔法をどうやって使うのかまるで見当がついていない。ファニと戦ったときは、目の前のことに必死でよくわからなったのだ。どうしたら魔法が使えるのだ。
「イメージして、ボン、ですよ」
マホニアがそう言った。わからねえよ! 伝わらねえよ!
思わず、うーんどうでしょう、と唸ってしまった。
きょとんとされた。くそ。
「どうやれば魔法が使えるんですか? 呪文、とか?」
「呪文はあってもなくてもかまいませんよ。呪文というのは威力を底上げするためのものですから」
「そうなのか?」
驚いた顔をしたのはロキだった。そういやファニと戦ったときは何か唱えていたっけか。
「知らなかったんですかあ?」
マホニアがしたり顔でロキの顔を見やった。これはちょっと腹が立つかもしれない。
案の定、ロキのこめかみに血管が浮き出ていた。
ぷぷぷ、とマホニアが神経を逆なでるように手で口元を隠して笑った。ぎろりとロキがマホニアを睨む。
ファニは口を大きく開けてあくびをした。目尻はとろりと下がって眠そうだ。お前は自由人か、と思ったが、そもそもファニは人でもなかった。二人の話など興味もないのだろう。
「何も知らない後輩さんのためにも教えておいてあげますけど、魔法を発動する際に長々と口にする呪文というのはあくまで補助です。魔法を発動する際に、イメージを具現化しやすくするために文字に起こしているだけなので、ぶっちゃけ技名みたいに名前を叫ぶ必要もありません。やる人がいるとしたら――」
マホニアはロキをちらりと見て、
「――かっこつけです」
言いきった。怒りからか恥ずかしさからか、ロキの握りしめた拳や顔がぷるぷると小刻みに揺れている。それに気付いているのかわからないけれど、マホニアは話をつづけた。
「まーあ、分からない方がいても仕方がありません。だって、普通はそうしますから。神様ならそんなことはしないでしょうけどお」
ロキをまたちらりと見る。マホニアはきっと今楽しいのだろう。口角がひくひくしている。笑いをこらえようとしているに違いない。中々に意地汚い神様だった。
「あれえ? こちらのロキさん、どうしましたあ?」
あれれー? と繰り返すマホニアを目で殺すように睨んでロキは僕を見た。僕まで怒りが飛び火するかと思ったが、そうではなく、僕の胸を見て、ケガはないようだな、と言った。心配してくれていたらしい。やっぱりロキはいいやつだ。
「タロウ、イメージするんだ。例えば、火球。お前の手のひらの上に火炎が現れる。轟々と燃える火炎だ。それを指で掴めるように丸みを帯びていく。太陽を縮小させたようにころころと手のひらの上で自転する。こんな風に」
ロキの右手のひらに炎が現れてくるくると中央一点に巻き込まれるように回り始めた。ロキの言葉通りだった。一時期は野球少年だった僕に馴染み深いボール状になった。ボールを模っているけれど、ふつふつと火が燃え続けている。
ロキの手のひらは熱くないのだろうか。手のひらから少し、ノート一冊分の厚さくらいは浮いているといえども、それは火だ。なのにロキは涼やかな顔をしていた。すげーだろ、と言わんばかりに。
「熱くはねえぜ。俺の体は炎の魔素に恩恵を受けているからな」
僕の疑問を察したようにそう答えて、ロキは唐突にその火炎球をマホニア目掛けて放り投げた。腕をしならせて投げ出された火炎球はプロ野球選手も顔負けの速度で弾丸の如く飛んでいき、マホニアの顔面に吸い込まれるようにまっすぐな軌道を描いたが、マホニアはそれを大きく口を開けて吸い込んだ。
ぱくっと。しゅぼっと。花火の火種がバケツの水に突っ込まれて鎮火するように音を立てて火炎球はマホニアの口の中に消えて行った。化物みたいだ。神様というよりは、化物だ。
がふっ。空気と共に煙を口から吐き出して、マホニアはきょとんとした。
お腹を摩りながら、うーと唸る。
「さすがにこれだけ濃度が高いと消化するのに時間がかかりそうですねえ……」
マジかよ。何の変哲もなさそうだ。悪びれもせず、ロキがうげっと顔をしかめた。
「流石は暴飲暴食だな。腹でも下しやがれ」
「下しませんー。私はお腹強いですー。もっと魔素を練ってから、ぐふっ――これは失礼しました――一昨日来やがれってやつですう。まあ、どれだけ魔素を練ってもきっと大丈夫でしょうけど」
「あ、アンリミテッド・イーター?」
聞き覚えの無い言葉にひっかかっていると、マホニアがそうです、と胸を張った。張りのある胸がぶるりと震えた。そりゃ見つめてしまう。
「私の能力は神様の世界でも類稀なる能力なのです。ふふふ、すごいでしょ。すごいんです。すごいんですよ、私。少しは尊敬してくれますか?」
揺れた。思わず顔がその揺れに合わせて縦に振れた。はっとしてファニを見ると、我だって、と胸を張ろうとしていた。目が合うと、あ、と声を出してそっぽを向かれた。
どういうことなの。