Re:Start(1/2)
新たに書き始めました。ぼちぼちやっていきますのでよろしくおねがいします。
『Re:Start――僕はその日』
昔。僕がまだランドセルを背負っていたころ。
僕はプロ野球選手を夢見ていた。
その当時見ていた戦隊ヒーローや仮面ライダーと同じように、テレビの向こうでバットとグローブとボールを使って戦う彼らは僕にとってヒーローだった。仮面ライダーごっこもやったし、戦隊ヒーローにもなった。そしてそれ以上に野球をやった。小学校でやっていた少年野球で毎日泥だらけになって、日が暮れてもナイターだーとかなんとか言って、とにかく毎日素振りもしたしボールも投げた。楽しかったのだ。その成果もあって気付けばレギュラーになれたし、試合で活躍出来た。あのテレビの向こうで、憧れのスーパースターのように。
けれども、隣町で活動しているリトルリーグに有名な野球少年がいて、そいつは将来を有望されてるらしかった。――今になればわかるけれど、そいつは確かに今もテレビに引っ張りだこで同じ高校生なのに同じ高校生には見えないほど大人びている――それでなんだか野球が楽しくなくなった。あのころの僕は本気でプロ野球選手になれると思っていた。けれどもそいつを見たときにああ、これは僕には無理なんだ、と悟った。
それからサッカーをしたり、バスケットボールに手を出したり、はたまたバレエやピアノ、なんていろんなものに手を出したけれど、どこに行っても上には上がいて、僕はせいぜい中の下だった。それならまだいいほうなのかもしれない。
中学に入って、勉強はそこまでしなくともいい成績をとっていたのだけれど、ある日、数学で躓いた。何で躓いたのか今でも覚えている。まだ高校生になりたてで今なおその数式を使うのだから覚えていて当然だけれど。
その時、躓いた瞬間に今までなんでもできていたはずなのに、そこで僕は何もできないような錯覚を覚えた。復習すれば、予習すれば、まだどうにかなる問題だったからそれはどうにかした。
けれども、今までずっと引っかからずにやってこれたのに、少しずつつま先がひっかかるようになった。ひどいときは転んだ。その感覚が気持ち悪くて逃げたいと思うようになった。でも何からどう逃げたらいいのかわからなくてなんとなく過ごすようになった。
それでも進学校に進んでほしいという両親の願望通りにどうにか進学した。しかし今、入学して間もないというのに、勉強についていけなくなってきている自分がいて、周りにはその自分がついていけない勉強を平気でやってのける人ばかりがたくさんいた。
そこでふと理解した。僕はきっと主人公じゃない。この人生は多分、僕のものじゃない。僕はきっと誰かの物語に出てくるエキストラの一人なんだろう。漫画でもアニメでもゲームでも小説でも映画でもドラマでもどこかしらに出てくる村人Aとか通行人Bとかそんなもの。ほかの誰かの人生を彩る背景の一部。
――そう思ったとき、自分の中にあったエネルギーの根源みたいなものが壊れた気がした。自分は別に特別でもなんでもないと思うようになった。
それは恐らく、大人になった、ということなのかもしれないが、そういった、自分で自分の限界のような、力量不足を理解しうるそのことが酷く情けないように思えたし、何よりこんな人生はつまらないと、前を向けなくなった。
けれども、けれども僕は死のうとなんて思っていなかった。単純に死ぬのが怖かったからだ。死にたくないというわけではない。だから今、こうやって駅のホームからいたずらに突き落とされて――きっとその人は故意に僕の背中を押したのだとは思わなかったけれど――僕を突き落とした犯人の顔もわからず、すぐ横、視界の端にはまぶしいライトが近づいてきているこの状況で、どうしたらいいのかわからなかった。
死のうと思っていなかったけれど、死にたくないとも思わない、けれども、生きていたら少し、楽しい一日がある日訪れることもあったんじゃないだろうかと思ったりする。でも今、死にここまで近づいた今、そんな考えはまるで無駄だろうから考えるのをやめてそっと目を閉じた。
目を開けるとそこは真っ白だった。何もない空間だった。本当に何もなくて、視界すべてが真っ白で、眼前に伸びた地平線の向こうに何かあると思えなかった。なんとなくだけれどここは死後の世界なのだと思った。
きっと僕はあのライトに照らされて地下鉄にしっかりとぶつかってぐしゃぐしゃになって果てたのだと思ったから、だとしたら生きているはずのない僕が立っているここはきっと死後の世界なのだろうと、そう思った。死後の世界はもっときらびやかなものだとか、もっとおどろおどろしいものだと思っていたものだから今こうしている何もないここを少し残念に思う。
何をするでもなく、ぼーっとそこに突っ立っていた。衣服はどこも乱れておらず、あの時着ていた学校指定の制服のままだった。背中に教科書や参考書の入った重たいリュックを背負い、右手には体育で使ったジャージの入ったセカンドバッグを持っている。
歩いてみようかと一歩右足を踏み出した。コンクリートのように固い感覚も、フカフカのグラウンドのような土の感覚もない。真っ白な地面は地面ではなく、自分は宙に浮いているように、けれども地に足のついた感覚を持ちながら確かに一歩歩き出した。もう一歩、またもう一歩と先に進むけれど、やっぱり何も見えてこない。こんなところに僕以外に誰か人がいるようにも思えなかったから誰かに尋ねることもない。きっとこれが天国か地獄で、そういうものなんだと前に進む。
どれくらい歩いたのかわからない。左腕につけた腕時計は針が止まったままで時間がどれくらい経ったのかわからない。そもそもこの空間に時間とか距離という概念があるのかすらわからなかった。
それでもなんとなく歩き続けた。すると少し向こう、あと二〇メートルくらい先にぼうっとランタンのような淡い光が生まれた。少しずつそれに近づいていく。近づいてそれが光ではないことがわかった。その光の中心に小さな老人がいた。本当に小さい。僕の手で包めてしまうくらいの体をした老人だ。真っ白い部屋に同化するような真っ白い布と真っ白い髪、真っ白い髭をしている。
「若人よ」と僕の頭に直接語り掛けてきた。その声は老人そのものであるが、確実にその体躯から聞こえてくるような高さではない。
「若人よ。そなたを甦らそう」
「どうして?」思わず僕は尋ねた。それは口から出てしっかりと音になっていた。
「なんとなくじゃ」そんな適当な。
「そもそもあなたはなに? 神様?」
「みたいなものじゃ。とにかく助けてやろう」
「いいよ。もう死んじゃったんだとしたらそれは僕の運命だったんだろうから」
「なんでそんなに遠慮するんじゃ。ワシが助けるって言ってんだから助かれよ」
「いや、いいよ。だってそうやって助けられるなら事故に遭う前にどうにかしてよ」
そう言ったとき、体中が裂けるように痛んだ。腕がちぎれ、足がもがれ、首が飛ぶ感覚がある。悲鳴が漏れた。
フラッシュバック。あの時、間近に地下鉄のヘッドライトを感じて、目を閉じたあの時。真っ暗な地下を照らすヘッドライトの熱量が僕の体を捉えて燃やした。それをろくに感じる間もなく、ドン、と壁に潰された。
腕がちぎれ、足がもがれ、首が飛んで宙を飛ぶ。その時僕はしっかりと見ていた。自分の腕がちぎれ、足がもがれ、首が飛んでいく様を。確かに僕は死んでいた。
「助けてやるから、な」がくがくと震える僕にこれ幸いと声をかける爺。
「いい。またこうやって死にたくない。何回も死にたくない」
「だったら能力を授けよう。不老不死になるような」
目を閉じて、柔和な表情をセメントで固めたように動かさずに目の前の小さな老人はそう言った。
「能力ってなに? 漫画みたいに異世界に飛んだりするの?」
「お前が願うならそれもできる」
「もう一回生まれるところからやり直したりも?」
「それもできる。けれども、どうして生まれるところからやり直したいのじゃ?」
「それは」
それは、一からスタートしたいからだ。そうしたら何か変わるかもしれないし。でも、今更赤ん坊からやり直したところでとも思う。やり直しても大きく変わる気もしなかった。
「それはいいや。能力だっけ? 本当にそれは僕に身に着くものなの?」
「もちろん。とっておきの能力を授けよう。君にしかないものじゃ。君が”主人公”になれる」
「僕が主人公に?」
「ああ、だから助かろう。助かってくれ、な?」
「なんでそこまでして僕をそこまでして助けたいの」
「え、それは、ほら、わしは善良な神様だから、だから助けないとと思ったんじゃ」
嘘臭い。ひきつった声だし、突然どもりだした。この人は、この神様は一体何者なんだろうか。じーっとみていると、頭の中にぐわんぐわんと声が響いた。