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第2章第4話

次の日の朝。

 香坂と坂田は城代の永野貞則の屋敷を目指した。

「よい天気だ。清清しい朝ではないか」

 坂田は気持ち良さそうに空を見上げていた。

「まるで我らの出世を暗示しているようだ。ガハハ」

 能天気な坂田に比べて、香坂は沈鬱な顔をしていた。

「どうした、十蔵。まだ昨日の酒が抜けんのか? 困るぞ、貞和様の前で昨日のような醜態を晒されては」

「そうではない。酒はきれいに抜けておる」

「では、なんだ? また十蔵の物患い病が出たのか?」

「お主は貞和様のことをどう思う?」

「どう思うといわれてもな。城代様の御嫡子で、お年はいくつであったかな。そうだ。忠正様の一歳か二歳上ではなかった。噂では、なかなかの美男子らしく、武家に限らず城下の娘たちが屋敷まで覗きにやって来るとか。楽しみではないか、十蔵。我らもそのご尊顔を拝見できるのだぞ」

「そうではない。お主は聞いたことがないか? わしは貞和様の良くない噂を聞いたことがあるのだ」

 香坂は声を潜めて言った。

「良くない噂?」

「そうだ。貞和様が家臣を斬り殺した事件」

「ああ。知っておる。あれは家臣が商家より賂を受け取っていた咎により斬られたと聞いたが。罰せられるのを怖れた家臣が逃げ出そうとしたため、やむなく斬り殺した、と」

「では、貞和様が家臣を無礼討ちにした事件は?」

「ちょっと待て。十蔵、お主は何が言いたいのだ? まさか貞和様にお会いするのが気に入らぬのか?」

「そうではない。ただ、なぜに貞和様が我らに興味を持たれたのかが気になるのだ」

「そんなことは簡単ではないか。磯貝伝兵衛が我らを推挙してくれたお蔭よ。殿のお口添えもあった」

「しかし、城代様は我らのことに関心がないご様子だったらしいではないか」

「それは仕方あるまい。城代様はいくさの準備でお忙しいのだ。一々我らのような者に構っている時間はあるまい。ああ、そうか。城代様がご子息の貞和様に我らのことを口添えして下されたのかもしれんぞ。そうだ、そうに違いない」

「それならば良いが……」

「そう案ずるな。案ずるより生むが易しというではないか。そんな暗い顔をしておっては縁起が悪い。我らの肩に乗っておる貧乏神がいつまでも離れてはくれんぞ。十蔵。今日は我らの新しい門出の日。一点の曇りもない、この晴れ渡った秋空のように清清しく行こうではないか」

 坂田の言に、香坂は観念したように秋空を見上げた。

「そうだな」

 香坂にも確かに空は青く澄み切って見えていた。


 城代の屋敷は黄瀬川家の重臣たちの屋敷が立ち並ぶ一角にある。

 その敷地は広大で、大きな門構えと高い塀はまるで砦のようだった。

 坂田が門番に用向きを伝えると、「裏門に回れ」と冷たく言い放たれてしまった。

「なんだあの態度は」

 坂田は顔を顰めた。

 裏門に着くと門は閉まっていた。

 しかし、すぐに横の戸が開いて若侍が顔を出した。

「香坂様と坂田様ですね?」

 二人が頷くと、「こちらへ」と屋敷内に招き入れられた。

「貞和様は離れでお待ちです」

 若侍に案内されたのは母屋から遠く離れた小さな建物だった。

 この住居は庭の植木や垣根で外からの視界を巧みに防いでいるらしい。

 屋敷内の者でさえ、ここに住居があると知る者は少ないに違いなかった。 

 住居に上がると「あちらです」と奥座敷に案内して若侍は下がった。

 永野貞和は奥座敷に一人で坐っていた。

 香坂と坂田は貞和の前で恭しく平伏した。

 貞和は噂通りの美男子であった。

 眉目秋冷とはこのこと。

 絵に描いたような美しさであった。

 しかし――。

 香坂は少しだけ貞和の視線に冷たい物を感じていた。

「磯貝から話は聞いておる。二人とも忠正殿の目付けをしておったそうだな」

「はは。左様でござります」

 坂田は答えた。

「五年の間、お傍近くで殿のご様子を見て参りました」

「それでは忠正殿の顔は見知っているな?」

「はい」

「忠正殿は、そなた達のために口添えまでしたと」

「はい」

「なるほど。そなた達は忠正殿から信頼されておるらしいの」

「有り難きことにござります」

「分かった。そなたらがいくさに参陣することを許す」

「有り難き幸せにござります!」

 坂田は額を畳に擦りつけんばかりに平伏した。

 香坂も畏まって平伏した。

「京ノ丞」

 貞和は上機嫌で手を叩いて人を呼んだ。

「はは。只今」

 と、先ほど案内してくれた若侍が朱塗りの高膳を持って現れた。

「この男は小杉京ノ丞のだ。これから何度も顔を合わすことになる男だ。顔を覚えておけ」

 貞和は言った。

 小杉は高膳を持って香坂と坂田の横に坐った。

 そして高膳に置かれていた小袋を一つずつ香坂と坂田の前に置いた。

「支度金だ。開けてみよ」

 貞和に言われて二人は袋を開けた。

 袋の中には小粒金が数十個入っていた。

「一人につき五十両はある。取っておくがよい」

「有り難うござります!」

 坂田は緊張の面持ちで小袋を手に取って懐に入れた。

 ズシリとした重みに坂田の顔がニヤけた。

 香坂は小袋を眺めて考えていた。

 それに気付いた貞和が、

「どうした? それでは不満か?」

 と、訊ねた。 

「いえ。これでは多過ぎるほどでございます」

「では、なにが不服なのだ?」

「不服などございません。ただ、一つお聞きしたいことがございます。貞和様は我らにどのような働きを求めておいでなのでしょうか?」

「ほほう」

 と、貞和の目が鋭く光った。

「そなたは慎重な男だな。磯貝が推挙するだけのことはある。よい。それでは教えてやろう。そなたらには、いくさ場では常に忠正殿のお傍近くで働いてもらう」

「それは貞和様をお守りするのではなく、忠正様をお守りせよということでございますか?」

「まあ、平たく言えばそうなる。いくさ場では何が起こるか分からぬからな」

 貞和は何気に視線を反らせた。

「顔を見知ったそなたらが傍におれば忠正殿も心強かろう」

 さらに香坂は訊ねようとしたが、それを遮るように坂田が声をあげた。

「畏まりました。我らは貞和様のご命令通り忠正様をお守り致します」

 ――信介の阿呆。

 仕方なく、香坂は口を噤んだ。

「良いか、出世したくば、わしに忠義を尽くすことだ。それがひいては黄瀬川家のためにもなるのだ。手柄をあげればご加増も思いのままぞ」

 貞和の言葉を最後に、香坂と坂田は屋敷を後にした。


「参った……」

 城代の屋敷からの帰り道、香坂は腕組みをして呟いていた。

 坂田は小粒金の入った小袋を何度も確認しながら満面の笑みを浮かべていた。

「どうしたのだ、十蔵。もう少し喜んだどうだ」

「参った……」

「何が参ったのだ? こちらも貞和様の前で不躾な詰問をするようなまねをされてヒヤヒヤしたぞ」

「信介。参ったぞ、これは。我らはとんでもない方にお仕えしたのかもしれん」

 香坂は天を仰いで絶句した。

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