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第2章第3話

鈴が香坂の家を去ってから数刻が過ぎていた。

 香坂と坂田は酒を交わしながら鈴のことを考えていた。

「どうにも女の涙は堪えるな」

 香坂はお猪口に入った酒をチビリチビリと喉に流し込んだ。

 酒が喉を通って胃の中に熱い重石が落ちてくるように感じて、香坂は顔を顰めた。

「十蔵。もう止めておけ」

 坂田が酒瓶を遠ざけた。

「まさか下戸のお主から酒を呑みたいと言われるとはな。良い娘ではないか。余程惚れておったのだな、源太郎様に」

「ああ。良い娘だった」

「しかし、源太郎様があそこまで国を憂えておいでとは思わなかった」

「わしは分かっておったぞ。確信は持てなかったがな」

「ほう。どうして分かったのだ?」

「信介は源太郎様の預けられた寺を知っておるか?」

「ああ、妙法寺であろう? あそこは京とも繋がりのある寺で寺社領も相当なもの。領民の信仰も厚く、多くの僧兵も抱えている。赤松様といえども生半には手を出せぬ相手だ」

「源太郎様は、あの寺で教育を受けられたと聞く。齢八歳にして四書五経を諳んじ、大男の僧兵十人を相手に、まったく引けを取らなかったという」

「それは噂であろう」

「左様。噂であった。しかし、それも今日まで。お鈴の話を聞けば間違いなく源太郎様は

優れた君主となられるお方だ。我らの主に相応しいお方に違いない」

「待て待て。どうしたのだ、いきなりそのようなことを言い出して。お主らしくもないぞ」

「なにを言うか。源太郎様にお仕えすると言い出したのは、信介、お主ではないか」

「確かにそうだが……。今日の十蔵はおかしいぞ。――そうか、酒に酔っておるな。だから止めろと言ったのに。それとも、あの娘、お鈴に懸想致したか?」

「無礼なことを申すな! お鈴は源太郎様のことを真剣に思っておるのだ。痴れ者め!」

 香坂は立ち上がって坂田の胸倉を掴んだ。

「やっ、止めろ、十蔵」

「いや、止めぬ!」

 香坂は叫んだが酔っているために足がふら付いたまま坂田の胸倉を掴んで倒れこんでしまった。

 そのとき――。

「御免」

 と、戸を開けて家に入ってきた男がいた。

 男は、香坂と坂田のただならぬ様子を見て驚いた。

「お主たち何をしておる?」

 香坂と坂田は間抜けな顔で男を見ていた。

「いくさの支度でもしておるかと思ったら。相変わらずだな、お主たち」

 磯貝伝兵衛は苦笑しながら言った。


 頭を抱えて酒臭い息をしている香坂と、酒瓶を抱えて部屋の隅に避難している坂田を交互に眺めながら、

「わしは馬廻り衆として忠正様付きになった」

 と、磯貝は伝えた。

「それは良かったな」

 坂田は喜んだ。

「で、源太郎様……いや、もう忠正様とお呼びするべきか。忠正様の家督相続の儀はどうであった?」

「ああ。滞りなく終った。いくさの前ゆえ簡略されたものであったが感動的なものであったぞ」

「それは重畳」

「殿はすぐさま領地配分について下知された。取り上げられておった土地の多くは元の持ち主に返された。先の戦いの後、黄瀬川を離れていた者たちにも帰国を促されている。すでに数十名の旧家臣たちが殿のお許しを願って城に参集してきているところだ」

「おお。昔の黄瀬川の賑わいが戻ってくるようだ。なんだか、わしも血が騒いできたわ」

 坂田は意味もなく立ちあがった。

「それでだ。実はお主たちに話があってきたのだ」

 磯貝は言った。

「お主たちの話を城代の永野様に伝えのだが――」

「おおう」

 坂田はドタドタと磯貝の前に来て腰を下した。

「待っておったぞ。それで? どうしたのだ? 早く続きを申せ」

「わしは忠正様の配下になったゆえ、永野様とは何度もお会いする機会もなくなってしまったのだが――」

「だから、早く申さぬか。伝兵衛、我らもいくさに参れるのか?」

「ああ。取り敢えずはそうなりそうな気配だ」

「取り敢えずとはなんだ、取り敢えずとは」

「実は城代の永野様はお主たちのことをスッカリ忘れられているご様子であった」

「なんと!」

「そう驚くな。それでもわしはお主たちのことを売りこんで参ったのだ。殿のお口添えもあったからな。しかし、永野様はまったく関心がないようで話を切り上げられてしもうた」

「それでどうした?」

「わしは困った。このままでは幼馴染のお主らに恨まれるとな」

「ああ、そうだ。恨んでやる。化けて出てやる。そうだな、十蔵」

「ああ。化けて、化けて、吐いてやる……ウプッ」

 磯貝は苦笑いしながら続けた。

「捨てる神あれば拾う神ありとはあのことよ。永野様のご子息の貞和様がわしを呼びとめられてな。お主たちの話を聞きたいというのだ。そこでわしはお主たち二人が殿のお目付け役としてどれだけ貴重な働きをしたかを説明して参ったところだ」

「では、貞和様が我らを……」

「左様。貞和様は、お主たちのことをいくさでも使えそうか、と、しきりに気にされている様子だった。間違いない。詳しい話は貞和様から聞くとよい。明日の朝に屋敷まで参れ、とのことであった」

「でかした、伝兵衛!」

 坂田は叫んだ。

 そして、磯貝の肩を掴んで力の限り揺さ振った。

「お主ならやってくれると思っていた。まさしく竹馬の友。お主が親戚の家を継いで出世したときには腸が煮え繰り返る気持ちだったが、いまはこれほど頼もしい友はおらんぞ」

「そう言われると、わしも嬉しい。二人とも気張れよ」

 磯貝は嬉しそうに笑った。

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